不死鳥
歴史上、最も偉大な墓は何かと聞かれれば、人によって答えは異なる。
それだけ人類史は永く紡がれてきたために、技術者には技術者の、文学者には文学者の、為政者には為政者の、それぞれの最も敬愛する故人を用意できる。
しかし、歴史上の有名な墓と問われれば、上位五つ、いやさ三つに入ると誰もが口をそろえる墓はある。
中でも、機能の特殊性と、参列者が最も多いことで有名な墓が、サクラ連合国サキュラ州イツツ市に存在する。
この日も、墓は多くの利用者に満ちていた。
私にとっては、喜ばしさと面倒さが半々である。
「これが墓とか、正気じゃないよね。流石、歴史に残るお偉いさんの考えは理解できない」
有名な観光名所を見たいと、私の墓参りに強引についてきた親友がそんなことを言う。
故人に対して失礼な奴だ。
世が世なら不敬罪で人体実験送りだぞ。
とはいえ、事情を知らなければそういった発言が出て来ることも理解はできる。
私は、努めて冷静に、親友の思い違いを訂正した。
「言っておきますけどね、これは彼の方がご自分で作ったのではありません。作るよう命じたわけでもありません。周りの人が、彼の方の言葉を拡大解釈して作ったのです」
「うわ、出たよ、あんたの低い声。それマジ怖いからやめて」
親友は笑ってからかいながらも、目の奥に本気の脅えが薄っすら見える。
私はこんなにも穏やかな声で話しているのに、解せぬ。
「んじゃ、どうしてこの墓は、こんなことになってるのか、お得意の講釈お願いできる?」
「いいでしょう。まあ、サクラ連合国民なら、常識と言える有名な話なのですけどね。ここフェネクス墓標図書館の建造エピソードは、彼の方の晩年の人望とお人柄を示す逸話として、広く知られています」
「さり気に知らなかった友人を貶めるのやめて? ね? てか絶対そこまでメジャーじゃないから。二百年前の話だよね?」
フェネクス墓標と言うからには、ここに眠っているのはサクラ連合国――その前身であるサクラ王国の建国の父とも呼ばれる、アッシュ・ジョルジュ・フェネクス・ヤソガ・サキュラである。
フェネクス卿と呼ばれた人物の業績、後世に与えた影響、逸話として残る強烈な個性は、ほんの二百年ぐらいで風化するような柔な伝説ではない。
旧王国と呼ばれる、当時の人類唯一の国家、その辺境に突如として現れた時代の風雲児。
停滞しつつあった社会に、次々と技術革新を起こし、優れた人材を見出し引き連れ、旧態然とした旧王国に辺境同盟という風穴をぶちあけた偉人である。
フェネクス卿が奔走して造り上げたというこの辺境同盟こそ、後に旧王国を経済と技術で圧倒し、竜鳴山脈の向こうに広がる新天地を開拓するために生まれた新たな王国、サクラ王国の土台になったと言うのだから、まさに建国の父と呼ぶにふさわしい。
ちなみに、名前が超長いが、元は姓を持たぬ農民の生まれだ。
つまり、その長々と列挙された姓は、彼の方が辣腕で勝ち取った名誉を示す。
特に、後ろ二つの姓は、辺境随一と呼ばれたサキュラ辺境伯家の孫娘と、旧王家一の才媛と謳われたアリシア第四王女を娶ったがゆえに手に入れたというのだから、多くの作家がその人生を題材に名作を生んだのも当然のことだ。
「その辺は知ってる。幼馴染とお嬢様のどっちがいいかって不毛なフェチ争いを、マイカ・アリシア論争って言うよね」
「どちらもお嬢様なんですけどね。マイカ様は辺境伯家の女当主になりましたし、アリシア様はヤソガ子爵家――後の侯爵家の女当主ですから。どちらも高位貴族ですし、辺境同盟の重鎮、押しも押されもせぬ立派なご令嬢です」
「その両方の旦那してるフェネクス卿、マジ影の支配者っていう……墓の話は?」
「その前置きのお話をしているのですが」
「あんた、この話になると相変わらず長いわ。フェネクス卿のこと好きすぎでしょ」
「これだけの業績を残した方を敬愛して何が悪いのですか……」
まったく、と唇を尖らせ、私は説明を続ける。
「詳細は省いて、お望みのお墓の話ですが」
「すげえ、渋々って言わなくても表情で伝わるわ」
当然だ。フェネクス卿の業績は、一つとっても一本の物語になる。
恋も、友情も、戦いも、商売も、学問もだ。私の話が長いのではない。フェネクス卿の逸話が多いのだ。
それだけのことをしたフェネクス卿には、敵もいたが、とにかく味方から愛された。
その最晩年に、己の死期を察して、そろそろ寿命かなと呟いた時には、辺境同盟がひっくり返ったような騒ぎになったという。
ここにも有名な逸話がある。
齢百歳にならんとしたフェネクス卿は、慌てる周囲に呆れて尋ねた。
『この年寄りが死ぬのは当たり前でしょうに。なにを今になってそんなに慌てているのですか』
死を前にして、フェネクス卿の態度は落ち着き払ったものだった。
自分の人生を全力で生き抜く者のみが持てる、ある種の余裕に満ちていたと証言が残っている。
ちなみに、その証言を遺したのは、彼の孫に当たる人物である。
当時辺境同盟の調整係をしていた孫は、周囲を混乱のるつぼに叩き込んでおいてただ一人平気な顔をしている困った祖父に、溜息を吐いた。
辺境同盟全体から突き上げを喰らっている、葬儀の計画案を説明する手を止め、孫は祖父に苦々しく諭した。
『なにやったって死にそうにないお爺様が死ぬなんて、正直誰も考えていませんでしたよ』
『人を化け物扱いは感心しませんが』
『では、並みの人間らしい人生を送るべきでしたね』
『……それは今からでは駄目ですか?』
ダメだった。
この時、孫が作った葬儀案はことごとくフェネクス卿の意志によって跳ねのけられた。
曰く、
『お金も手間もかかりすぎます。もったいない』
じゃあどうしたら満足なのかと、孫は頭を抱えた。
なにせ、辺境同盟のフェネクス卿に対する評価は並々ならぬものがあった。
本人の要望とはいえ、辺境諸侯が「恩人」と呼ぶ人物を、最も貧しい農民が自前で上げる葬式のごとく無造作に見送るわけにもいかない。
フェネクス卿のお膝元といえるサキュラ辺境伯領とヤソガ侯爵領になればなおさらだ。
フェネクス卿に命を救われたと自慢する兵士、農民、元難民関係者は数万にも及び、中には死後のお供を申し出る熱烈な信奉者まで出て来る始末。
質素な葬儀で済ませたら暴動が起きやしないか、いや絶対起こるでしょ! と当時の人々は本気で心配した。
一番それを心配していた孫は、フェネクス卿の家族全員を動員した。
サキュラ辺境伯家やヤソガ侯爵家を継いだ彼の息子や娘、その下や辺境同盟の運営で働く養子や他の孫達は、頼むからそれなりの葬式をさせてくれと勢ぞろいして頭を下げた。
『えー……。葬儀や墓にお金を使うくらいなら、本の出版や図書館なんかに使いましょうよ。本は大事ですよ。本の記録は人を助けます。私自体が本みたいなものですしね』
この時、孫に名案が閃いた。
『では、そのようにいたしましょう。お爺様の葬儀に見合う規模となれば、本の出版ではとても足りません。大図書館を造ります』
『それは素晴らしいですね』
妙なところで物分かりの悪い偉人の許可を得て、孫は即座に動いた。
この孫は、本当に大図書館を造り、そこにフェネクス卿の業績を記した本を収蔵する計画を建てた。
もうお分かりだろう。
世にも珍しい図書館墓を造ったのは、この孫なのだ。
「いや、フェネクス卿のわがままで、これ作るしかなかったんじゃないの? やっぱフェネクス卿のせいじゃない?」
「違います。フェネクス卿はあくまで、人類の遺産たる書物のために心を砕いたのです。あの人ならば、自分の骨を埋めるスペースがあるならその分だけ本を積めと仰るでしょう」
「そういう問題かな、これ」
親友と私が見上げるのは、それはもう巨大な書架だ。
伝説に過ぎないが、最後のトレントの木材を利用して作られたという二百年の歴史を誇る書架である。
収められた本は、この書架の下に眠る個人へ捧げられたものばかりだ。
彼の人生を題材にした小説や劇の台本、彼が始めた研究に関する現代の論文、かの時代をまとめた歴史書、そのジャンルは無節操ですらある。
中でも最も古い本は、当時死没するフェネクス卿のために作られた彼の伝記だ。
図書館としては珍しいことだが、彼の伝記だけはこの図書館で販売されている。
彼の業績にあやかって、大志を抱く若者が買い求めたのがきっかけというが、今ではすっかりお守り代わりだ。
受験をする時、新たな事業を始める時、困難な研究へ挑戦する時、二百年前の本がその夢を応援してくれると言う。
私は、今も厳かに書架に収められているその本を手に取る。
本のタイトルは、『不死の神』。
不死鳥と呼ばれ、多くの危難を払い、多くの命を助け、失われた古代文明の技術を奇跡のように蘇らせた――その道筋を作った偉人に送るに相応しい。
その本を抱き、私はしばし、黙とうをささげる。
「今年もご報告に参りました。あなたの遺したものは、今もなお人々を照らす導きとして燃え続けております」
――ご先祖様。
万感をこめて、祈りを捧げる。
「これが、あんたの墓参りねえ……。やっぱ、お偉いさんのやることは理解できないわ。フェニックス卿?」
親友の呼びかけに、フェネクス・サキュラ――現代連合国語で言うフェニックス・サクラの姓を継ぐ大学生に過ぎない私は、本を抱きながら頬を膨らませる。
「人の墓参りについて来て随分な言いようですね。これが我が一族の伝統なのです。なぜかはわかりませんが……」
死んだら聞く耳も残らないけれど――フェネクス卿はそう前置きをして、家族にお願いしたという。
『数年に一度で良いので、墓参りにだけは来て頂けますか。その時の世の中が、どれくらい発達しているか、報告が欲しいのです』
葬儀不要と言った人物にしては、意外な申し出だと思う。
その前置きから、死後の世界を信じていないこともうかがえると言うのに……。
一説には、フェネクス卿は神の使いだったとも言う。
衰退した人類を救うため、神より使命を受けた使徒という説だ。
もちろん、その子孫である私からすれば、空想的な物語に過ぎない。
ただ、この墓参りを行う時には、少しだけ考えてしまう。
ひょっとしたら、フェネクス卿は今も、私達を見守ってくれているのではないかと。
なにせ、相手は不死鳥と称えられた伝説的な偉人だ。
案外、この図書館が燃えてしまった時、その灰の中から神話のように蘇るかもしれない。
なんたって、手元の本にあるように、ご先祖様は不死の神だ。
抱いていた本をめくれば、驚くべきことに、出版年は今年だ。
ご先祖様同様に、この本も消失する気配がない。
「さしずめ、不死の紙といったところですか」
どれほど優れた暴君であっても、この記録を消すことはできないに違いない。
相手はカミなのだ。
『文明復旧計画〝再生する者達〟、管理者機能が起動します』
『進捗段階の確認要請23428を受諾しました』
『処理を実行しています。計画に致命的な遅延を確認しました』
『対策事案01〝星を喰らう獣〟――存在意義の遂行率が規定値に到達したことを確認しました。終了しています』
『対策事案02〝天地を抱く大樹〟――存在意義の遂行率が規定値に到達したことを確認しました。終了しています』
『対策事案03〝導く灯火の鳥〟――存在意義の遂行率が規定値に到達しました。主要個体の活動を確認しました』
『規定要件達成、計画成否確認プロトコルに分岐します』
『文明復旧計画、全対策事案の完了を確認しました。第三者による計画成否の入力を申請します』
『………………03主要個体より、入力を確認しました』
『計画は成功。おめでとうございます。本計画は成功を承認されました』
『以上、ただいま成功承認を持ちまして、本計画の全活動を終了とします』
『文明復旧計画〝再生する者達〟、全機能、終了します』
『おつ、か、れ さ ま で 』
これにて原典版(Web版)フシノカミ、完結とさせて頂きます。
拙作をお読み頂き、誠にありがとうございました。
長々としたご挨拶は、12/31の活動報告にてお伝えさせて頂きます。




