再生の炎14
私とヘルメス君が王都へと向かったのは、招待状を確認した日から一月後のことだった。
招待状が示した期日には十分な猶予があったので、私達は余裕を持って出立の準備を整えることができた。
第一王子殿下は、かなり多くの人間を集めようと日程を組んだらしい。いつぞやの御前会議の時とは大違いである。
「でも、その王子一派は、本当に飛行機を飛ばせるのかしら」
馬車旅で窮屈な思いをした体を、サキュラ辺境伯家の王都屋敷で存分に伸ばしながら、レイナ嬢が疑問を呈する。
サロンのソファにゆったりと腰掛けて手を伸ばしたレイナ嬢に、ヘルメス君がすっとお酒の入ったグラスを差し出す。
年を経るごとに味が良くなっていると(ライノ駐留官から)評判の、サキュラの蒸留酒である。
「それなのですが」
レイナ嬢の疑問に応えたのは、先に王都入りして情報を集めていた、我等がスパイマスター・セイレ嬢である。
「エンジンの情報は集められました。こちらの資料をご覧ください」
セイレ嬢が差し出した紙を、レイナ嬢はちらりと見ただけで眉をひそめ、技術担当のヘルメス君にそのまま渡す。
「どう、ヘルメス? 私は見覚えがある気がする、という程度なのだけれど」
「ふん、確かにうちの設計だな。ロッケルが小型軽量の蒸気機関を作ろうとした時の設計図に違いない。飛行機械への搭載を可能にする蒸気機関の軽量化についての研究、の時の代物だ」
ロッケルさんは、元囚人職人衆が一人、蒸気機関狂いの技術者だ。
今世をスチームパンクにしてしまわないかと、私はわくわくどきどきして見守っている。
同じエンジン教徒でも、内燃機関、中でも星形エンジンを至高神として信仰しているヘルメス君とは、互いに異端審問にかけあう仲である。
つまり、二人は大の仲良しさんだ。
四年以上前の設計図から導き出されるスペックが、すらすらと脳裏に描き出せるくらいに。
「相変わらず不細工なエンジンだが……ロッケルの設計なら飛行機の動力としての要件は、計算上は満たしている。こいつは飛ばせるエンジンだ」
ヘルメス君の眼差しは、冷徹な技術者のものだ。事実を事実として捉えている。
感情を発露させているのは、強く噛み締められた口元だ。
「ほとんど手を加えてねえ。設計図まんまじゃねえか、うちの神殿に写しの設計図が保管されてるぞ。どの面下げてこれを自分達のもんだと主張する気だ」
「ヘルメス、落ち着いて」
「心配すんな、最低限は落ち着いてる」
比較的冷静である理由を、ヘルメス君は説明する。
「確かに、ロッケルのこの蒸気機関なら飛ばせる。だが、それは地上数メートルを数十秒が精々ってところだ。どうしても、蒸気にする水の重さと、火力を出す炉に限界があるからな。この設計段階だと、燃料は木炭だぜ?」
ヘルメス君が、蒸気機関で飛行機を飛ばそうとしなかった理由がそれである。
軽量小型化が難しいのだ。
ロッケルさんの設計のように、軽量小型化ができたとしても、それは必要出力の継続時間を犠牲にしている。
具体的には、蒸気になる水と、炉の中の燃料の多寡に直結している。
当然、飛行中にこの二つを補給することは難しい。
「ロッケルはこいつの後に液体燃料の利用も考えてたが、やっぱり小型軽量化を考えると内燃機関に分がある。どうやったって水の重さが余分にかかるからな。他の用途なら、蒸気機関も悪くないんだが」
例えば、工作機械の動力源としては、いくら重くても関係ない。
大きいから作業スペースを食う、ということはあるが、こちらの優先度は低くても良い。
その点についてはロッケルさんも認めていて、蒸気機関の小型軽量化は、研究所としては進めていない。
ロッケルさんが趣味で驀進しているだけだ。
「まあ、つまり、このロッケルエンジンで飛行機が飛んだところで、大空を鳥のように、とはいかない。直後にこっちが飛ばせば、すぐに黙らせられるだろうよ」
ヘルメス君の技術的な見解に、情報の広め方はお任せください、とセイレ嬢ががっちりスクラムを組みに行く。
「後は、飛行機の形状だな。そこは設計図も盗まれた形跡がない。翼の方はどうなんだ?」
「それなのですが……」
優秀なスパイマスターも、そこで言葉を濁らせた。
「目撃情報が極端に少なく、飛行機本体について、形状を予測できる情報がほとんどないのです」
不吉な予感をかきたてる報告に、一瞬沈黙が流れた。
「セイレさん、ちなみになのですが、蒸気機関の情報はどのように集めたのです?」
「主に、ビルカン大神官長が紹介して下さった神殿関係者と、職人が集まる工房街の酒場ですね」
「順当なところですね」
「ええ、蒸気機関のような複雑な機械の製造には、職人の協力は欠かせません。神殿関係者は、研究者の方ですね。王子殿下が手に入れた設計図の解読――と表現してよろしいのでしょうか。設計図の意味を説明させられたそうです」
ビルカン大神官長からサキュラ辺境伯領に、追加情報が届いたのはそれがきっかけのようだ。
何人かの神殿関係者が、アンチ・サキュラ派の妨害をすり抜けてビルカン大神官長に耳打ちしたらしい。
飛行機開発を今世でやろうとすれば、これが普通の流れだ。
周囲に悟られずにひっそり進めるなんて不可能だ。
「で、普通に考えれば、それと同じことを飛行機本体の制作過程でも辿ると思うのですが、それがない、と?」
「はい。王都の商会を当たったところ、材料と思われる物資の流通は確認できたのですが、機体の情報は全く……」
セイレ嬢は、一応想定していたことであると述べる。
「職人を、発表当日まで王宮内に留めおくといった措置は想定していました。蒸気機関の方で同じ措置が取られていないのは、元よりサキュラから流れた設計図であるからと開き直っている面があったと考えれば、この対策の差はありうるものと考えます」
ただ、それでも情報部としては納得しかねると難しい顔をする。
「しかし、飛行の試験や実験、ですか? そういった事前準備を行うのが普通なのではないでしょうか。ヘルメス副所長は、いつもそうしてらっしゃいますよね? 人を乗せて空を飛ぶものの前兆となると、目撃情報が簡単に集まると考えていたのですが……」
それがないということは、よほど徹底した情報管制が敷かれている可能性がある。
「ふむ……これは、当日になるまで、ちょっと油断ができませんね」
なにせここは王都である。
最も書物が充実した神殿のお膝元で、権力的には最高位の人物が主導するプロジェクトと来れば、どんな秘蔵の書物を隠し持っているかわからない。
私達が思いも寄らぬオーバーテクノロジーが出て来た場合、機関の未熟を覆されることだってありうる。
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第一王子主催、世界初の有人飛行のお披露目会の当日がやって来た。
会場は、武闘大会の舞台にもなっている元要塞の近くを流れる川である。
そこに船を走らせて、船上から飛行機を飛ばそうという発想らしい。
「アッシュ、どう思う?」
「うぅん……まあ、船で速度が稼げますし、水なら地面に落ちるよりはダメージが軽減されるでしょうから、まるきりなしと言うわけでは」
「俺達がやるとなった時、使うか?」
「そんなこと言いだしたら反対します。風のよく吹く丘を推します」
丘の上からなら高さも稼げるし、船を走らせなくても合成風力が得られればそれでいいのだ。
着地の衝撃が飛行機にかかるが、馬車でサスペンションの改良を重ねてきたのはこのためだ。私達ならいける。
それで、肝心の飛行機本体なのだが、覆い布をかぶされて船の上に固定されている。
はっきりとは見えないが、大体の大きさはわかる。この時点で分かる範囲の分析を、私とヘルメス君は試みた。
「前後が長いですね」
「いや、左右が短すぎるんじゃないか?」
「翼もおかしいですよね」
「ああ、おおよその輪郭だが、広すぎるし、位置が後ろすぎるように見える」
「私達の想定した飛行機の形状ではありませんね」
「どんな設計理念なのかわかんねえ」
テンポよく交わされる会話は、二人の意見が合致していることを意味する。
これは未知数の性能を秘めた機体だ。この段階になっても警戒が解けない。
「あれに乗る人間は誰かしら。セイレ、わかる?」
「近衛騎士で、ゴレアムという名です」
どこかで聞いたことがある名前だが、よく思い出せない。
多分、どうでもいい相手なのだろう。
川岸に並べられた見物席の最前列で、四人そろって緊張した顔を並べていると、今日の主催者がやって来た。
「おお、フェネクス卿。久しぶりだな」
私達とは裏腹に、ご機嫌な表情の第一王子殿下だ。
「遠方から招待に応じてくれたこと、礼を言う。しかし、顔色が少々悪いな。以前のこともあって、日程は余裕を持たせたつもりだったが、無理をさせてしまったか」
それはすまない、と王子は親切に気を遣ってくれる。
微妙に口元が緩んでいるから、多分嫌味なのだろう。
御前会議でメタメタにやられた意趣返しで、盗んだ研究成果で一泡吹かせてやったぜ、という感情が滲んでいる。
王族として、そんな品性で良いのかと思わなくもない。
もっと大局的なものの見方をしたまえよ。
多分、その狭い視野ではさっぱり気づいていないでしょうけど、人の恨みを山ほど買っていますからね、殿下。
サキュラ・ヤソガでは、上から下まであなたの悪口が挨拶代わりに飛び交うくらいに大人気である。
殿下用の罵詈雑言辞典が作れそうな勢いですよ。
「いえ、どうぞお気遣いなく。殿下こそ、これから大仕事をこなさねばならない身ですから、ご自愛ください」
呪詛があるファンタジーだったら殿下は今頃一万回は死んでいる。
「うむ、フェネクス卿の気遣いを嬉しく思うぞ。なに、これから起こることを見れば、卿も元気になることだろう」
くっくっくっと笑いながら、王子は去っていく。
勝ち誇る背中に、女性陣は不快害虫を見るような眼差しを突き刺す。
「小悪党ね。うちの魔王とその腹心を見習って欲しいわ」
「あれで中央では女性から大人気らしいですよ。中央の好みは、私には理解しかねます」
女性陣からきついお言葉を向けられている王子は、最前列の招待客に挨拶した後、船の上へと移動した。
いよいよ、飛行機のお披露目を行う時間となったようだ。
自称開発者の紹介や、栄誉(予定)ある初飛行パイロットの紹介、さらにこの事業に大金を注ぎこんだ第一王子の先見性を褒め称える文言が読み上げられていく。
「あの飛行機に注ぎこまれた予算が、想像より一桁上だったんですが……」
「あ、アッシュの目に怒りが戻って来たわ」
だって、おかしいでしょう。
領地一個壊滅した辺境にその予算を注ぎこんでいれば、一体どれほどの命が助かったことか。
それを放置してあんなガラクタ作ってたとか、王子専用罵詈雑言辞典がさらにぶ厚くなるな。
私の歯噛みに、セイレ嬢がほっそりした頤に指を添えて思案する。
「ふむ……。では、その辺りを非難する情報を流してみましょう。王国民を守護する立場としては、問題がある行動に違いありません」
「良いですね。置き土産はそれでお願いします」
そして、長ったらしい前置きが終わり、いよいよ飛行機の姿が明らかにされるようだ。
私とヘルメス君が、前のめりになって注目する。
無駄な音楽演奏が奏でられ――秘密のヴェールに包まれた機体が、満天下に示された。
「……すごい」
その姿に、私は息を呑んだ。
それは、私の予想の遥か上、視認可能範囲を超えた高度を飛んでいった。
もうそのまま宇宙まで行って消えてしまえと思えるくらい――
「残念な、センスですね」
その飛行機は、なんとも理解に苦しむことに、飛竜の姿形をしていた。
飛竜である。
私がヤソガの領都で出会った、あの、魔物の、飛竜。
かなり大きい。ファンタジーなら、確かに人が跨って飛べそうなサイズだ。
若干の艶やかさを残した緑の鱗に、陽光の透ける飛膜、頭部から尻尾が棒を飲んだようにピンと一直線になっているのは、多分、実際に芯としてなにか入れたのだろう。
咆哮を上げる形で停止した頭には、ガラスのような眼玉に牙まである。
飛行機の姿を目撃した人々の反応は二分された。ドン引きと、大歓声である。
辺境に近しい参加者は前者、中央に近しい参加者は後者である。
王都での催し故、後者の声の方が圧倒的だ。当然、ドン引きしている人達は、ほとんど声を上げられないので、目を閉じればお披露目会は大変盛り上がっていた。
「安心したまえ、諸君! これは死んでいる!」
王子の得意満面の声が響く。
そんなことは見ればわかる。お前、それ生きていたらとっくに死んでるからな。
そんなツッコミをする気力さえ湧かない。
「この飛竜こそ、建国王が打ち倒し、その脅威を後世に伝えるために遺した魔物のはく製だ! それを我々は作り替え、空へと上げる! なぜかわかるか、諸君!」
建国王が滅茶苦茶可哀想なのはわかった。
脅威を伝える遺物で、そんな玩具を作っちゃダメでしょ。
それで良いのか建国王の末裔。
「魔物など恐れるに足らず! その意思を! その成長を! 積み重ねて来た歴史を! ここに記すためだ!」
王子の演説にボルテージの上がっていく大歓声とは逆に、ドン引き勢は底なしの勢いでテンションが下がっていく。
それはそうだ。
辺境では、領地一つが魔物によって壊滅と判定される状況になったばかりだ。
それに対してなんら有効な施策を――アリシアを除いて――取らなかった王族が、「魔物など恐れるに足らず」と言ったら、どう思われるか。
セイレ嬢が、職業意識でできた仮面のような表情で、私に囁く。
「どうして、王子の周囲の人間は誰もこの……あの王子の、その……そう、突飛な行動を止めなかったのでしょう」
今口ごもったところ、絶対に罵倒の言葉が入りかけましたよね、セイレ嬢。
だが、お仕事の義務感だけで分析をしているセイレ嬢は、可能な限り感情を排した眼で分析を試みる。
可哀想に、飛竜についているガラスの眼そっくりだ。
「ヤソガ子爵領が魔物被害で壊滅して、まだ復旧の途上です。確かに、復旧・復興に向けて動きは安定しましたが……ただでさえ、辺境諸侯との関係が冷えこんだ現状、こちらの神経を逆撫でするような真似をするなんて一体どんな考えが……」
相手の行動一つから、今後の影響を予測する。情報部の大事なお仕事である。
この、一見愚行にしか思えない一手に、王子派閥はどんな深慮遠謀を隠しているのか。
セイレ嬢は真実を捉えんと思考を回している。
情報の大切さを知る私としても、これに真摯に応えざるを得ない。
「多分、何も考えていないのではないでしょうか」
私も現在進行形で痛感させられているけれど、そういえば王都の連中ってこういう奴等でしたよ。
辺境に対して無神経で無思慮で無計画なんですよ。
セイレ嬢は、人の世の無常に、絶望を知った顔を押さえた。
「フェネクス卿。あなたほどの人物と全く同じ見解であることが、こんなにもやるせないということが、世の中にはあるのですね」
「世界は、時に残酷ですからね」
帰ったらお酒を飲みましょうね。
こんなつらい記憶は飲み干してしまうしかありません。美味しいおつまみ作ります。
そして、世界は本当に無常なので、つらい記憶はまだ増える。
「おい、アッシュ。すげえことが始まったぞ」
今度は、ヘルメス君からの現状報告が入る。
セイレ嬢が受けた傷の痛ましさに、私が目を伏せているうちに、いよいよ飛行体勢に入ったようだ。
飛竜型飛行機――と言って良い代物なのだろうか、あれは。ただのはく製じゃないの?――の腹部に、抱え込むように設置されていた蒸気機関が動き出したのだ。
蒸気機関大好きロッケルさんの緻密な設計の通り、蒸気機関は問題なく力を生み出す。
問題は、生み出された力の使い道だった。
「やべえな。翼が動いている。すごく、動いてる。そう、上下に。あの、羽ばたいているんだ。ばっさばっさしてる。俺は頭がおかしくなりそうだ」
飛竜型飛行機は、プロペラ式ではなくまさかの羽ばたき式だった。
すごい、ヘルメス君が大混乱している。私も大混乱してきた。
どうしてそんなことになった。
飛行機そのものの設計図がなくたって、腱動力模型飛行機が出回っているわけで、そこから出発すればそんな面白残念な考え出て来るはずがない。
なんでそこでロウで固めた鳥の羽に発想が逆行するというのです!
あの王子は天性のコメディアンか!?
驚愕する私達を置き去りに、屈強な近衛騎士達が櫂をこいで船を走らせだす。
うん、合成風力を生み出そうという試みに違いない。それはわかる。そこは理論的な気がする。
鳥だって、一度加速してから飛び立つ種類がいるからね。
次の準備として、バサバサいってる物体を、屈強な近衛騎士達が担ぎ上げる。
「さあ、刮目せよ。世界初の有人飛行の瞬間だ――」
王子の声、宮廷楽師達の演奏が、その瞬間に向かって盛り上がっていく。
「飛べ! ダイアモンド――」
ああ、名前に宝石を入れちゃいましたかー。
見えます。私には、あれが沈む運命が見えます。
「ドラゴ――」
王子の掛け声に合わせて――実際には演奏の音で判断していると思われる――近衛騎士達は飛行機を力の限り投げた。
そいや、って見事にそろった掛け声が聞こえた。
多分、王族主催の一大イベントだから、近衛騎士さん達もたくさん練習したんでしょうね。
芸術的な同一性で束ねられた力で空中へと押し出された飛竜のはく製は、ボチャンという断末魔の音とともに、川底へと沈んでいった。
当たり前ですよね。
飛行機じゃないですもん。
あれただのはく製ですもん。
蒸気機関で無駄に羽ばたく機構がつけられたはく製。
「さてと……」
イベントが強制終了して静まり返った会場に、やれやれと声を落とす。
「帰りましょうか、皆さん」
「そうだな、早く帰ろう。やりたいことが山ほどある」
「帰ったら仕事がどれだけ溜まってることか。憂鬱だわ」
「あぁ、この一月の仕事の結果がこれなんて……」
はーい、皆さんお疲れ様でしたー。




