再生の炎12
さて、アリシアがこちらの手中に落ちたことで、これまで停滞していた様々な復旧計画が動き出した。
まず、ヤソガ領南部に派兵を行って治安を回復、放棄された村や街の中で、比較的損害の少ない地点に難民を一部帰還させる。
これによって、サキュラ辺境伯領を圧迫していた人口が多少はマシになる。
同時に、ヤソガ領復旧の足がかりも作ったことになり、今後はこの南部を起点として復旧作業を推し進めていくことになる。
難民の中から、移住希望者も募ることになった。
彼等は、生きていけるなら生まれ故郷にこだわらないという柔軟性を持つ。彼等には、手土産代わりに何らかの技術を教えた後、辺境同盟領へそれぞれ移住をしてもらった。
このうち、決して少なくない数の名前が、辺境同盟の内輪では有名人と知られるようになる。
が、それは少し後の話だ。
こうして計画が動くと、当然人も動く。
難民の数と計画の量に対して、人手が足りないという予想された悩みに対し、嬉しい助けがやって来た。
「ご無沙汰しております、アリシア――様」
整列の上で一礼をした、元第四王女付きの侍女や召使達である。
思わず、殿下と呼びそうになって苦笑する彼女達は、上等な王城の職位を脱ぎ捨て、はるばるこの辺境までやって来てくれたのだ。
「ありがとう、皆。こんなところまで付き合ってくれるなんて、感謝の言葉もないよ」
そんな義理堅い部下達に、アリシアも目が潤んでいる。
「なにを仰います、アリシア様。元よりわたくしどもは、王城で持て余されていた厄介者です。むしろ、転職の機会を得られたこと、感謝申し上げねばなりません」
え、そうなの?
だってこの人達、武芸大会の医務室を一晩で劇的改善できる超有能集団だったじゃないですか。
私がびっくりしてアリシアに視線を送ると、彼女は苦笑して頷く。
「仕事ができすぎても問題になることが、中央ではよくあってね」
仕事ができると、他人の仕事にも助言や忠言を行いたくなるのが人情だ。
しかし、侍女や召使が仕える相手は高位の貴族、仕事に口を出すにも機嫌を損ねないような一工夫が必要だ。
しかし、職人的な仕事ができる人材が、必ずしも口が上手いわけではない。
我が強すぎて主人の方針に異議を唱えたり、あまりに間違いの指摘が多すぎると厄介者扱いされてしまう。
「なに、その有能の無駄遣い。アリシアの時もそうだけど、何やってんのかなあの人達」
「ね? ほんとにそう思うよね? 仕事ができるならその人に任せちゃえば楽なのにね」
王都に戻ったアリシアにあてがわれたのは、そう言った有能ゆえに癖が強く、権力者から厄介者扱いされた部下達だったらしい。
これは、両者にとって大変幸いだった。
アリシアは癖の強い人物を扱うコツを、アッシュとかいう農民上がりのせいでたっぷり学んでいたし、そのアッシュとかいう奴の無茶ぶりで有能な人材が喉から手が出るほど欲しかった。
厄介者扱いされていた侍女達は、自分の力を思うさま振るう機会を与えてくれる主人の下、自分達をないがしろにした連中を見返せて仕事がとても楽しい。
アリシアは自分の部下達を大切にしたし、部下達は自分の主人を敬った。
その結果が、王城からの人材大量流出である。
「王女を辞める時に、一応次の働き先の希望があれば手配をすると言ったんだけどね。ほとんどがこっちを希望しちゃって」
カリスマ溢れる元王女様は、照れ臭そうに頬をかく。
そんな主人に、侍女の一人が自慢げに胸を張る。
「せっかく働き甲斐のあるお方に巡り合えたのですから、地獄の果てまでついていきます」
「ええ、地獄なんて素敵よね。お仕事が一杯ありそうだわ」
「王都の仕事は生温くて退屈ですもの。王都より地獄の方が楽しいに決まっていますわ」
マジ気合入ってますね、この人達。
働くのが好きすぎじゃないですか?
でも、そういうことなら、お望み通りの地獄のような仕事がここにはある。
「では、皆さんはアリシアの部下にそのまま組み入れましょうか。アリシア、良いよね?」
「うん、任せて。気心知れた仲だから、十二分に活用してみせるよ」
さっくり人事決定を下すと、何故か侍女の方々から意味ありげな微笑を向けられた。
一体なんだろうか。
「ああ、そうですわ、アリシア様。一応、わたくしどもは先遣隊となっております。こちらの状況を確認して、王都に残った同僚に連絡させて頂きますね」
「それは構わないけれど……アミン、何を企んでいるのかな?」
「当然ですが、王都で退屈している厄介者どもが全てアリシア様の下へいたわけではございませんもの。文官・武官に限らず、やりがいを求める厄介者どもは中々多うございます」
こっちの状況を見て、そいつらを焚きつける報告を送ってやるのだと侍女は微笑む。
わお、マジ気合入ってますねこの人達。
王都の有能な人材が空っぽになるんじゃないですかね。
いいぞ、どんどんやれ。
「でしたら、手紙の輸送に関してはクイド商会を使ってください。後で私から話を通しておきますから」
「これはこれは、ご配慮を頂きましてありがとうございます、旦那様」
そういえば、この人達はアリシアの部下なので、私はそういう扱いになるのか。
ちょっと驚いた私とは対照的に、アリシアは驚きの余り真っ赤になった。
「ア、アミン、いきなりなにを言うの!」
「わたくしどもにとっては当然の態度でございますが、なにか?」
「なにって、なにって……!」
正論防御を張った侍女は、妹をからかうような笑顔で口元を押さえて笑う。
「それほどご心配申し上げていたわけではございませんが、アリシア様と旦那様が仲睦まじいようで安心いたしました」
ええ、めっちゃ仲良しですよ。
今日もついさっきまで二人でお仕事してました。
私は笑顔で頷く。
「まあ、正式な結婚はまだですけど、新婚みたいなものですし」
「ええ、その通りですわ。それも、長年の恋が実った新婚ですもの」
侍女の暴露に、アリシアは大声で名前を呼んで叱責する。あまり効果はないようだ。
「ふふ、本当にここは良い土地のようですわ。アリシア様がこんなにお元気になられて。これはわたくしどもも、粉骨砕身の覚悟で働きませんと」
楽しそうに主人をいじりながら、侍女達は仕事を確認するべくアリシアを連れて行ってしまう。
あのフレンドリーな主従関係も、王都では異質なんでしょうね。
さて、王都からやって来た人材は、彼女達ばかりではない。
長い馬車旅の気だるさを漂わせる人物が、入れ替わりに私の前までやってくる。
「おかえりなさいフォルケ神官さては偽物ですね」
「こっちは今大変だろ? 大神官長からも請われてな、王都で孤児院を経営した手腕をこっちでも振るってくれとよ。しょうがねえから手伝いに来てやったんだよ」
「ただいまの挨拶も返せない無礼者が孤児院経営の手腕を買われて派遣されるなんて王都の人材も払底甚だしいと見えますね」
「はははお前みたいなクソガキが地方の同盟を差配するほどじゃねえから安心しろよ」
あははふははと笑い合いながらいつもの罵り合いを繰り広げる。
うむ、今回も本人確認が済んだ。真に残念ながら本物に間違いありません。
「いや、本当になんでこっちに来たんです、フォルケ神官。大丈夫ですか、頭は」
「おい、マジの心配をぶっこんでくるのは止めろ」
いやだってあんた、夢を追いかけて王都に栄転になったじゃないですか。
なんでこっちに戻って来たんですか。
夢を追わなきゃあんた死ぬでしょ。
そういう欠陥生物なんだから、戻ってきちゃいけません。
エラ呼吸生物は陸上で死んじゃうんですよ?
早く深海へお帰り?
「いや、まあ、色々事情があるんだよ……」
「天変地異で王都が滅んだとかですかね」
「流石にそれはあれだが……」
神殿は崩壊しかねないから、と何やら不穏なことを不良神官は呟いた。
「なるほど。かなりの事情があるようですね?」
珍しい真面目な表情で、フォルケ神官は顔を寄せる。
「前に、ナノボットについてお前に聞いただろ」
「ええ、古代文明の伝説的テクノロジーの一つですね」
それなんだがな、とフォルケ神官は一層声を潜める。
――神殿の教義にある三柱の神の正体は、その人造の極小機械なのだ。
そう、生活態度的に不良とはいえ、長年神殿に仕えた男は口にした。
「……どういうことです?」
「俺が持っていた前期古代文明の写本は、大昔の計画書だったんだよ。他の、考古学だ歴史学だの研究者も言っていることだが、後期古代文明は魔物で滅んだが、前期古代文明の崩壊は、人間が増えすぎて飯からなにから足りなくなったせいだって話は、知ってるだろ?」
つまりは、人口増加による資源枯渇が原因で、文明が崩壊したのだ。
それは知っている。それゆえ、強欲を戒める言葉が神殿には多い。
「写本に記された計画ってのは、その足りなくなった資源を復活させようとしたものらしくてな。詳しいやり方は理解が追っつかないが、そのナノボットとやらが何百年もかけて、大気だの鉄だのを再生しようって試みだそうだ」
「なるほど。ナノボットならそれも可能でしょう」
ナノボットの種類にもよるが、原子や分子を直接操作できるものもある。
そのために作られたナノボットならば、使いづらい状態になってしまった金属資源やバランスの崩れた大気環境を再生することもできる。
「金属の再生を担当する獣フェンリル、大気と土壌環境を再生する樹木ユグドラシル、そして人を導く鳥フェニックス――三柱の神とは、その三種の機械が元ネタらしい」
研究の果てに辿り着いた結論を、フォルケ神官は述べた。
確かに、これが事実なら神殿組織は大混乱に陥るだろう。
多分、分裂して無力化する。
「確かに、危険な研究成果ですが……まだ証明されていませんよね? 狼神と猿神の読みは一緒ですが、竜神が出てきませんし、全く違う存在を指している可能性もあるでしょう?」
「そうなんだが、それを調べるにしても、まずはこの研究内容を発表しなけりゃ議論もできない。実は神様が麦や筆と同じ人工物でしたなんて言ったら、神殿がひっくり返っちまうだろ。議論にならねえよ」
自分一人でさらに研究を続ける、という考えは、フォルケ神官にはないようだった。
この人なら、一人でどこまでも食いついていきそうなのだが。
そのことを指摘すると、フォルケ神官は鼻を鳴らして胸を張った。
「俺は自分の研究成果に自信を持ってる。正直、王都神殿にもない新しい古文書が見つからない限り、どれだけ時間をかけてもこれが覆るとは思えねえ」
「なるほど。一つの文献だけでなく、色々な文献を漁った上の結論ですか」
「俺だって神官の端くれだ。実は神様が古代人の造り物でしたなんて弾き出して、すんなり納得できるほど常識知らずじゃねえ」
お前と違うんだよ、とフォルケ神官はすかさず私を馬鹿にしてきた。
ひどい言いようだ。
しかも、人を馬鹿にしておいて、フォルケ神官は清々しい表情で、数年ぶりに帰って来たサキュラの空を見上げる。
「ま、そんなわけで、俺の研究成果を世の中が受け止めるには、神殿も、人々も成熟してないってんで、大神官長に封印された。おかげで暇になっちまったわけだ」
「フォルケ神官が暇とか、それろくなことになりませんね」
この人から研究を取ったら、今世を徘徊する亡者にしかならんぞ。
根拠はノスキュラ村に赴任した当初のこの人の有様からだ。
「正直、俺も他になにもすることが思いつかなかったから、大神官長の話に乗ったわけだ」
愛すべき研究馬鹿本人も、自分のことに多少の自覚が芽生えているらしい。
賢明な判断だと言わざるを得ない。
この人に孤児院を経営する手腕があるかどうかは議論が必要だが、少なくとも亡者神官として王都でうめき声をあげているだけよりはマシだ。
息をする価値を得られる。
「まあ、そう言うことでしたら、難民の中には孤児の方もたくさんいらっしゃいますし、いくらでもその手の仕事はありますが……しかし、大丈夫ですか?」
なにやらさっぱりした顔をしているが、あまりにさっぱりしすぎて明日の朝には死んでるんじゃないかという予感がしないでもない。
私の不安を他所に、フォルケ神官は力強く頷く。
「うむ、任せておけ。お前より厄介なクソガキなどいるわけがねえし、楽しみでもあるんだ」
「ほう、楽しみですか? あなたが、古代語の解読以外で?」
「ああ。ひとまず、俺は俺の夢を叶えた。古代語の解読を、俺は成し遂げたと思っている」
それを確定させるには、多くの研究者が同じように解読をして判断しなければならないため、個人の感想の範囲内の言い回しだが、不良中年は相当に自信があるようだ。
「とりあえずは、それで満足した。それで、次に考えたんだがな。王都の孤児院でやったみたくガキを多く育てれば、そん中から俺と同じように研究する奴が出て、俺の研究を証明してくれるんじゃねえかと思ってよ」
なるほど。
「実に私利私欲にまみれた神官にありうべからざる動機ですね。安心しました。本物ですね」
「なんでそこで偽物にならねえんだよ」
結局、この愛すべき研究馬鹿は、馬鹿のままなので、ちょっとだけ安心した。
夢を追いかける方法が変わっただけで、夢を追い続けるのは変わらない。
だったらまあ、亡者みたいなひどい有様になることもないだろう。
「まったく、変な心配をさせないでくださいよ、フォルケ神官」
「お前ぐらいだからな、そんな心配するの!」
「当たり前でしょう?」
同じ夢追い仲間なんですから。
ともあれ、必要な人材はそろった。
これで解決への仕事が始められる。
なに、この程度。皆でやればなんとかなる。
いや、もちろん、並大抵ではない難事であることはわかっている。
全てが終わるまでに、掌から零れ落ちていくものは多少では済まないだろう。
それでも、なに、この程度のことだ。
見果てぬ夢を仰げば、この程度のことと強がれる。
一歩一歩を進んでいくだけだ。いつだってそうして来た。
私だけではない。
皆、そうして来たのだ。
二足で立って見渡した時も、馬の走りに見惚れた時も、鳥の羽ばたきを見上げた時も、いつだって私達はそうして来たはずだ。
時につまずき怪我をして、時に迷って後戻りして、倦む者も弛む者もあって、悲嘆に倒れて天を仰ぐ者も、絶望に崩れて地に伏す者もあった。
それでもなお、誰かが次の一歩を踏み出すことをやめなかった。
勇者が一歩を踏み、愚者が一歩を踏み、名も無き者が一歩を踏みしめて来た。
その全てが歴史に残った足跡だと、遺した本が教えてくれる。
勇者の一歩が世界を小さくしたことを技術史が、愚者の一歩が人命を害したことを政治史が、名も無き者が確かに文明を形作っていたことを生活史が、本の形をして今に語り継がれている。
勇者の一歩を踏んだ者がいたことを本は伝える。
今まで誰もやったことがない? ならば今、お前がやるがいい。
いつか誰かがやるだろう? ならば今、お前がやるがいい。
なにを躊躇うことがある。目の前にあるのは人跡未踏の宝物庫、中にあるのは不朽の名声か、巨万の富か、知性の宝冠か。
知りたければ、手にしたければ、目の前の扉を押し開け。
前へ進め。
手を伸ばせ。
目も眩むような宝物がお前を待っている。
愚者の一歩を踏んだ者がいたことを本は伝える。
過ちが恐ろしい? 過つがいい、お前の後を行く者はその道を避けて正しく進むだろう。
全てを失いそう? 失ってもよい、お前の後に続く者は上手くやって全てを得るだろう。
なにを躊躇うことがある。お前は真っ暗闇の大迷宮に生まれたのだ。
崖へ踏み出すこともある。
罠を踏み抜くこともある。
得体の知れぬ怪物の巣へと転げ落ちることもある。
恐れながら進み、うろたえながら傷つき、悔やみながら倒れるがいい。
周囲の嘲笑は捨てておけ。お前の血の跡を見て、顔を引きつらせて続く賢者のみが成功の道筋を見出すだろう。
名も無き一歩を踏んだ者がいたことを本は伝える。
お前は誰だ? 名前は時に葬り去られた。
お前は何をした? 業績は時に焼き捨てられた。
ひょっとしたら、我々は勇者を養う麦を作ったかもしれない。愚者の過ちに手を貸したかもしれぬ。
あるいは、知られぬだけで勇者以上の偉業を果たしたかもしれぬし、なに一つできなかったかもしれない。
我々は不明の焼却炉の中、時の暴君の病的な勤勉さによって灰になった。
だが、それは躊躇う理由にならぬ。
名も無き我々は生きた。
生きている間に一歩を踏んだ。
今のお前の世界は、我々の一歩の先にしか存在しない世界だ。
良い一歩も、悪い一歩も、無数の一歩が入り混じった世界こそ、お前が生きる世界だ。
小さな一歩と侮らずに、その一歩を踏むがいい。
その一歩は、明日の世界の形を決める一歩なのだ。
ああ、そうだ。
どんな問題だって、まず解決しようとしなければ解決しない。
できるかできないかは、その後にしかやって来ない。
本に書かれた過去の営みは、私にそう教えてくれた。
だから、前を向いて、問題に取り掛かれる。
私の背中を押してくれたのは、いつだって本だった。
困難な事態を前に、お前は一人ではないのだと、力を貸してやると後押ししてくれる。
過去、同じように人は苦しんできた。乗り越えようとしてきた。
その成功、その失敗を未来へ繋げようとしてきた。
次も上手く行きますように。
次は上手く行きますように。
その最先端が私だと思うと、身が引き締まるし、胸を張らなければと思う。
かつての誰かが、ここまでやったのだ。
今の私も、できるだけやってやろう。
そして、私も未来へ繋ぐのだ。
誰かが受け取ってくれますようにと、精一杯掲げながら。




