灰の底17
後日、ユイカ夫人と打合せした結果、来春に養蜂の試験的運用を始めることが決定した。
これに携わる人員として、実働要員はターニャ嬢、アドバイザーとして私、資金提供がユイカ夫人となった。
実に小規模だ。
マイカ嬢もお手伝いをしてくれると申し出てくれたので、ありがたくターニャ嬢とそろってお礼を申し上げておいた。
こうして、教会での勉強会に、私とマイカ嬢の他、ターニャ嬢も加わることになる。
ターニャ嬢は読み書きの勉強ではないが、春までの間に養蜂の本を理解してもらわなければならない。ついでに、多少の読み書きや計算ができるようになっても、損はないだろうとは思っている。
父母の仕事を見ていたターニャ嬢の理解は早く、父母のしていたことの意味がわかると、嬉しそうに何度も頷くのが微笑ましい。
「う~ん……道具の類は、父さんが遺してくれたものがあるし、それを修理したり、簡単なものを自作できると思うなぁ」
「それはユイカ夫人も喜びますね。後日、しっかり確認して、足りない物はクイド氏に仕入れてもらいましょう」
「あとは~……巣箱を置く場所、かなぁ?」
ターニャ嬢は、少し不安そうな顔で首を傾げる。その辺りは、父親が一人でやっていたとのことで、ターニャ嬢も、その母親も、知識を引き継いでいない。
巣箱を置く場所は、ミツバチの行動範囲がかなり広いので、蜜を取るだけならどこでも問題にはならないと思われる。しかし、質の良い蜜や、大量の蜜を得ようとすると、しっかり吟味した方が良いようだ。本によると、季節によって巣箱の位置を変えることも、当たり前に行われている。
「第一候補は、村の畑の近くとして」
私が呟くと、向かい合っているターニャ嬢が頷く。私の隣では、マイカ嬢が少し考え込んだ後、ふんふんと納得している。
それぞれ、本の内容を理解している証拠だ。
農家が期待するミツバチの仕事は、畑の作物の受粉である。そのため、畑近くに巣箱を設置するのは確定と言って良い。夏に植えている野菜の収穫量の向上を切に祈る。
それに、村の周辺に半ば自生している野イチゴの類にも、収穫量増を期待したい。
「後は……森の中でしょうか」
「それはぁ……うん、間違いないと思う。父さんは、季節ごとに巣箱を持って森に入っていたもの。それが危なくてできないから、母さんはしてなくて、私にも養蜂をさせてくれなかったから」
「確かに、森の中は専門家でも危険ですからね」
この夏からバンさんと二人で森に入るようになったが、想像以上に大変だ。
森に入る人間が全く存在しないため、獣道しかないし、獣道すら使えないことばかりだ。
鬱蒼としげる草木やツルは、手掛かりになるどころか妨害にしかならない。足を滑らせ、背筋をぞっとしたものが走る感覚は、何度味わっても慣れない。
「とはいえ、村だけで行うと小規模な養蜂しかできませんね。だからこそ、ターニャさんのお父上は、危険を冒して森に入っていたのでしょうし」
「うん、そうだと思う」
「では、森の専門家であるバンさんに相談してみましょう。比較的安全な場所で、養蜂に使えそうな場所をご存知かもしれませんね」
まだ教えてもらっていないことのうち、果実の類が取れる場所があるらしいので、まずはそこが狙い目だろう。
他には、季節によってお花畑になるような場所だ。こちらは、すでに私も知っている場所があり、初めて見た時は感動的な美しさだった。
ただし、そこには巣箱を設置できない。見た目は大層可愛らしい花だったが、狩りに使う毒花の群生地として教わったのだ。そんな場所では蜜を集めて欲しくない。
「えっと、バンさんとは一昨日お会いしたから、今日は……」
バンさんは今日村にいただろうかと、猟師が森に入る日程を思い出していると、ターニャ嬢が物言いたげに私を見つめていた。
「はい、なんでしょう」
「えっとぉ……アッシュ君は、バン兄さんと仲が良いね?」
「ええ、大変お世話になっています……が、バン兄さん?」
あの人に妹的存在がいるなんて、無口な猟師本人からはもちろん、村の噂でも聞いたことがない。
「あ、違うの、そういうのじゃなくって! えっとぉ……そう! 小さい頃に、良く家に来てたから、ね?」
ターニャ嬢の顔が、熟したリンゴのように赤らんでいる。今までの彼女とはまた違う、大変魅力的な表情だ。
私がマイカ嬢に視線を移すと、彼女も好奇心を刺激されたように口を開けている。
「それは大変都合がよろしいですね。そうは思いませんか、マイカさん」
「うん! そうなんじゃないかな、アッシュ君!」
うむ。マイカ嬢との付き合いも深くなってきたものだと、こういう時に感じる。
「え? え? あ、だから、そういうんじゃないってばぁ!」
「ええ、わかっていますとも」
そんな乙女な顔を見せられたら、誰だってわかるというものです。その乙女心を素直に表せないらしいことまでわかりますとも。
別に不思議なことではなく、この村でのお付き合いというのは、おおよそ親同士の話し合いで決まってしまう。
本人の意思を無視する、というわけではなく、家庭内で娘や息子が、「あの家のあの子が良い」みたいな話をし始めると、相手の親に「うちの子どう?」とうかがいに行くのだ。
当人同士が、直接想いを告げあうことはめったにない。
そんな文化の中、ターニャ嬢もバンさんも、すでに両親がいない。
そうした場合、隣近所の村人が世話をしたりするのだが、バンさんはあの通り、口下手で人付き合いが少ない。ターニャ嬢はそうでもないのだが、弟のジキル君のこともあり、中々そういう話に前向きにならないという。
お見合いに前向きになれない理由は、弟君以外にもあったようだが。
「ターニャさんとバンさんは、昔からの顔見知りなのでしょう?」
「ま、まあ、そう、かなぁ? でも、なんていうか、親同士がっていうか、父さんも森に良く入るし、バンさんは猟師の家系だし」
「ええ、ええ。お互い森で仕事をする者同士、繋がりがあったのですよね。では、ひょっとしたらバンさんの方で、お父上が巣箱を置いていた場所をご存知かもしれませんね」
「あ、うん……そうかも?」
そういうわけなので、色々な事情をかんがみて、バンさんに様々なご相談をしなければならない流れになりました。
「私の方から、バンさんの日程が空いている時間をおうかがいしておきますね。話はちょっと長くなるでしょうか?」
ちらり、とマイカ嬢に視線を送る。聡い少女はこっくりと頷いてくれる。
「そうなりそうよねー。お母さんにちょっと相談してー、話し合いの席をどうしたら良いか、決めてもらうねー」
マイカ嬢は、演技が今一つのようだ。
村長家として腹芸も必要になるかもしれないので、これは私からユイカ夫人に報告しておこう。
美人で抜け目ないユイカ夫人は、近頃、私からマイカ嬢の様子を良く聞き出そうとする。
勉強の進行度はともかく、振る舞いや所作といったところまで気にするのは、都市での社交界も視野に入れているからだと思われる。
ユイカ夫人曰く、「アッシュ君が気になるところがあったら、何でも報告してね」とのことなので、私もなるべくマイカ嬢の言動を気にするようにしている。
都市での社交にマイカ嬢が乗りこむなら、この村への影響もあるだろうと見込んでのことだ。
村長家のご令嬢の社交スキルは別として、後日、報告を受けたユイカ夫人は、期待通りの通達をくれた。
「交渉ごとはゆっくりと食事をしながら進めるものですから、バンさんとターニャさんで、思い出話をしながら夕食でもいかがかしら」
そう言われた時のターニャ嬢の慌てた顔と言ったらない。不安げにしながらも、嬉しそうに緩んでいた目元が、実に幸せそうだった。
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バンさんに事情を説明すると、猟の手伝いを頼まれてしまった。
少し忙しい時期だったらしく、話し合いの席を設けるためには、若干きつい日程で森の中を見回ってしまわなければならない。無理ではないが、一人では少々つらいので、私について来て欲しいとのことだ。
私に否はない。
養蜂産業のためであるし、純朴なターニャ嬢のためでもある。あと、良い男なのに独り身のバンさんのためにもなると思っている。
ひょっとしたら余計なお世話かもしれないが、村の人口増加にご協力を頂きたい。
「今回は、助かった」
夜、焚き火を二人で囲んでいると、無口な猟師が話しかけてきた。
私の好きな時間だ。
「シカが罠にかかっていましたからね。中々の大物でした」
今日の晩御飯は、鹿の内臓の血鍋、初秋の山菜風味だ。
解体した鹿の内臓を、その血で煮込むという豪快な猟師飯である。これがまた、物凄く美味しい。
苦手な人は香りだけで逃げ出しそうだが、口に放り込んだ瞬間に自分の血肉に同化していくのではないかという濃厚さは、病み付きになる。
この満足感といったら、命を丸ごと食べている快感とでも言おうか。
「一人なら、鹿は狼辺りに……」
「食べられていたでしょうねぇ。昨日、猪を仕留めたばかりですからね」
こちらは罠にかかったのではなく、発見した痕跡を追跡し、槍で仕留めたものだ。
さして大きくはないそうだが、非常に獰猛で、猪突猛進のすさまじさを目の当たりにした。バンさんの的確な教えがなければ、私は槍を刺せなかったと思う。
こちらも、昨夜の晩御飯に内臓を頂いた。
ただ、毒槍で殺したので、血は食べられなかったし、内臓も十分に火を通して食べた。バンさんが狩りに使う毒は、火を通すと無毒化する。
前世でお世話になったことがないのではっきりとは言えないが、多分、バンさんが使っているのは、トリカブトの類なのだと思われる。
「お手伝いできて嬉しいですよ。大猟で何よりです」
お肉がたくさん食べられました、と本音混じりでおどけると、バンさんが頭をわしわしと撫でてくれる。
頭を撫でられて喜ぶような精神年齢ではないのだが、尊敬できる人物から褒められていると思うと嬉しい。
狩りの場においては、頼もしい上司ですからね。
「ターニャの……」
「ええ、ターニャさんのことで、なにか?」
私も大分、この人の会話に慣れてきた。
バンさんが何か言い出したら、ほぼ最後まで言い切らないので、こちらで誘導する努力が必要なのだ。
「蜂を」
「養蜂ですか? ターニャさんのご一族が素晴らしい本をお持ちでしたので、それを基にすれば、養蜂業がこの村に復活するでしょう。ターニャさんは、ぜひ自分がやりたいということですね。お父上や母上が行っていた仕事が、幼心に誇らしかったのかもしれません。あ、これは村にとっても重要なことに位置付けられ、村長からの支援も受けられますよ」
バンさんの様子をうかがいながら話していたのだが、どんどん話して欲しそうだったので、かなりの一人喋りになった。
この人は、他人の話をじっと聞いてくれる聞き上手だが、聞きたがるのは珍しい。
ん、とバンさんは満足そうに頷く。
「アッシュ」
「はい」
「ありがとう」
無愛想なバンさんは、やはり無愛想な表情のまま、とても優しい声音でそう言った。
それだけで、わかったような気がする。
この人が、どうしてずっと独り身だったか。
それならまあ、忸怩たる思いがあったのかもしれない。
ターニャ嬢は、養蜂をせずに、森から離れて畑での生活をしている。一方、バンさんは森での生活で、畑のことは詳しくない。
気にかけてはいても、この口下手な猟師に手伝えることは少ない。
そこに、ターニャ嬢が養蜂を志したという知らせだ。二人の人生が交差するのだ。
「ほんの少しでも、お役に立てたのであれば、何よりです」
帰ったらユイカ夫人に報告だ。村に新しい夫婦を誕生させるぞ。
今、私が手掛けているのは村の生産力の向上だ。
生産力を向上させれば、生活に余裕が出る。
その余裕で人口を増やせば、労働力が増え、生産力を向上させるという循環を生み出せる。
私の夢を叶えるための、大事な計画だ。
まあ、それを脇に置いたとしても、この二人を応援するのは純粋に楽しい。
「早くターニャさんと話し合いをしたいですね、バンさん」
バンさんは、ちょっと照れくさそうに首を傾げる。
「大丈夫ですよ。ターニャさんにとって、森の知識豊富なバンさんは大事な協力者になります。森で一緒に仕事をする立派なパートナーです。これは運命共同体ですよ」
ターニャ嬢の内心も知っているので、あえて言い過ぎておく。
「それに、ターニャさん一人で森に入るのは、どうしても不安ですからね。バンさんには、ターニャさんとなるべく一緒に行動して欲しいと、ユイカ夫人ともども考えているところなのですよ。村の発展のための養蜂業ですので、大事にしていきたいのです」
ユイカ夫人とはまだそんな話はしていないが、後で話すので問題ない。
バンさんとターニャ嬢は、一緒にいる大義名分があるのだから、さっさと一緒になって欲しいものだ。




