再生の炎3
それから二ヶ月が経ち、サキュラには冬がやって来た。
難民区でテント暮らしの難民達には厳しい季節ではあるが、アリシア嬢の行き届いた配慮のおかげでいくらかはマシな状況を保てている。
辺境から距離のある中央からの支援物資ということで、アリシア嬢は食料品よりも衣服や防寒具、寝具や調理器具などを中心に送ってくれたのだ。
中には木材も届いており、テントを囲む風除けに加工したり、燃料としても使わせて頂いている。
おかげで、風邪の発生率は状況の割には低い水準を保てている。
それでも、難民の一部を使った薬師集団がフル回転するほどに忙しい状況ではあるが、思ったよりひどくはない。
それだけでも十分な成果だ。
今年も冬が来たので地味に十八歳になった私は、そんな難民区の様子を眺めた後、辺境伯領の重鎮会議の席に、平静を心がけた声で話題を提示した。
「で? どうしてまだ、新任のヤソガ子爵が決まらないのでしょうね」
領地一つの壊滅という大規模な災害が起きたと言うのに、王都の連中は、一体なにを遊んでやがるのですかね。
これはちょっと納得のいく説明がなされないと、王都に殴り込みに行かざるを得ませんよ。
人狼の不思議パワーを大量ゲットして謎のレベルアップ(仮)した今の私なら王都まで馬より早く走れるはずだから、かなりマジだよ。
「マイカ、あれ、やばい時のアッシュじゃないか? 人狼の雄叫びより恐い声だしてんぞ」
「聞かなくてもわかるでしょ叔父上。この状況じゃ怒るのも無理ないし……」
「まあ、正直俺だって、というか全員腹が立ってるだろ。こっちは必死になって一万人を超える難民を受け入れてるからな」
一万人? とんでもない。先週の時点で一万二千三十七人です。
冬の間は、これ以上大きくは増えないだろうが、春になれば流れてくる難民がまた増えると想定されている。
秋の収穫を終えた村を襲った盗賊達が、次の活動を始めるのが春だからだ。あの連中は熊と同じような生活サイクルと思っていい。
秋のうちに腹一杯にして冬眠して、春になったら腹を空かせて起き出す。
逆に言えば、秋の収穫を終えても盗賊に襲われなかったところは、この冬の間は一安心していられる。
だから、次の難民の発生周期が春と想定されるのだ。
当然、サキュラとしては、その前に領内の負担を少しでも軽くする手を打っておきたい。
ヤソガ領で活動する許可さえ得られれば、領軍の護衛の下にヤソガ南部の放棄された村や街に難民の一部を連れて行くこともできたというのに、なんだってそんな簡単なことさえできないのだ。
無傷に近い集落のマーキングと護衛部隊の編成と移動プランまで作成しておいたのに……!
それもこれも全部ヤソガ子爵の後釜が決まらないせいだ。
前もっての根回しで、辺境同盟にとって問題のない候補者三人くらいに絞ってあったのに、なんだってこんな時間がかかっているのか。
私が説明を待っていると、姪との談笑を終えたイツキ氏が、ようやく会議の進行を始めた。
遅い。非常事態なのだから公私の分別はつけて頂きたい。
「あー。アッシュの疑問ももっともだ。他の者も、同じ考えだと思う」
領主代行殿は、重鎮の顔を一人一人確かめる。
私とだけは視線を合わせなかったけれどなんでですかね。
「王都の父、辺境伯閣下もこの事態をのんびり眺めているわけではない。思うように進んでいない事情を説明する手紙を送って来たので、諸君の疑問には閣下の言葉で回答できる。読むぞ」
マイカ、マジごめん。
お爺様も遊んでるわけじゃないから、そこんとこマジよろしく。
手紙は、そんな書き出しから始まっていた。
孫に対する不要な気遣いを除外してまとめると、ヤソガ子爵領に対する王都の対応は、サキュラよりしっちゃかめっちゃかになっているらしい。
一万人を超える難民を受け入れた現地よりまとまらないとかどういうことなのか。
元々、前回王都を訪れた際に、ヤソガ子爵の後釜を誰にするかはおおよそ決まっていた。
王都に集まる中央貴族にとって、ことは辺境の問題だ。
彼等にとっては、それまで王都の一大勢力であったダタラ侯爵の失脚の方が身近な大問題で、辺境の問題は辺境で勝手にどうぞ、というスタンスだった。
辺境は辺境で、最近同盟を結んで繋がりを強化する流れなので、その盟主的存在であるサキュラ辺境伯のご機嫌を損ねてハブられたくはない。
また、外圧の強い地域柄もあり、多少の仲の悪さや思惑はあっても、無難な選択に落ち着けるくらいの協調性もある。
余計な横槍もなく、地域のことに詳しい辺境貴族達によって、ヤソガ子爵家と血の繋がりのある適当な人選は済んでいた。
後は、国王陛下がその中の誰を承認するかの判断を仰ぐ。
そんな段階だった。
ところが、魔物の大発生によって状況が丸きり変わった。
魔物の発生もありうるなーと心配していた辺境貴族と違い、中央貴族はそんなことを全く考えていなかったらしい。
竜と人狼が数百匹と聞いて腰を抜かした軟弱者もいたのだとか。
ちなみに、その軟弱者は、サキュラで行われた人狼殲滅戦の完勝を聞いて卒倒したそうだ。
つまりはまあ、ヤソガ子爵領とサキュラ辺境伯領で起こった出来事は、それぐらいの衝撃を中央貴族に与えたのだ。
おかげで、それまで辺境の問題とタカをくくっていた中央貴族が、急にこの問題に関心を持ち始めた。
魔物がまだこれだけの規模で発生するとなると、辺境といえどおろそかにはできないぞ――というのが、まともな中央貴族の考え。
それだけの魔物を相手に、要塞一つで立ち回ったサキュラ辺境伯家の武力はすごい(危険)ではないか――というのが、面倒な中央貴族の考え。
なんか辺境が大事になっているから面白いことができそうじゃん――というのが、邪魔な中央貴族の考え。
中央貴族の反応は以上の三種類で、比率的には一対三対六である。
関心を持たれない方がはるかに良かった。
しかも、この三種類の中に、状況の認識が正しい者と正しくない者がそれぞれいて、さらに認識した状況への判断が正しい者と正しくない者とに分かれている。
それぞれがそれぞれの認識と立場からあーだこーだと口を出して来て、場が荒れるばかりらしい。
これは王国の大事である。
田舎の無知な者達の手に負える事態ではない。
新たなヤソガ子爵はしかるべき品格と伝統ある中央貴族の中から選ぶべきである。
いや、辺境に任せるべきだ。
こんなことに手を出したら財政的な大火傷を負ってしまうぞ。
全て辺境に押し付けて、我々は手を引くべきだ。
最近のサキュラ辺境伯の勢いは少々目障りだ。
ここは連中の力を削ぐ良い機会ではないか。
ついでに生意気な辺境同盟とやらが一緒に転んでくれれば言うことはない。
領地一つの立て直しとは一大事業だ。
何がどうなるかはさっぱり予想がつかないが、とにかく一枚噛めるようにしておこう。
なに、後々なにかの役に立つさ。よくわからんけど。
一例を挙げるとこんな感じらしい。
何一つとしてありがたい反応がない。
「色々なご意見があるのはわかりましたが」
一同を代表して、私は深々と溜息を吐き出す。
「それをまとめるのが国王のお仕事なのだと思いますが?」
今世の社会は専制君主制である。
国王がこうするんだと言えば、その影響力は絶対とまではいかないが甚大だ。
それゆえ、現国王は自身の言動に大変慎重らしいということは、アリシア嬢の一件でわかっている。
ただ、その現国王陛下に対して、サキュラ辺境伯家は結構な貸しがあるので、ある程度の強権発動を期待しても良いはずなのだが……。
「王族についてはなぁ……どうも、第一王子が面倒なことになっているようなんだ」
「第一王子?」
あの面白みのなさそうなイケメンがどうかしたのだろうか。
「あの方とは特に接触した覚えはありませんけれど?」
「それが逆にまずかったのかもな」
閣下からの手紙によると、アリシア嬢の活躍に第一王子が危機感を覚えているのだとか。
「どうも、今回うちに支援物資を送った手腕が、あまりに際立っていたらしくてな。第一王子派が、王位継承争いが起きたら万が一がありえるんじゃないかと警戒しているらしい」
「はあ? 何言っているんですか。万が一なんてありませんよ」
「そうか?」
私がきっぱりと断言すると、イツキ氏は少し面白そうにまぜっかえす。
「王女殿下は聡明で大変麗しい。民衆からの人気もある。彼女がその気になったら、継承順位をひっくり返すくらい、あり得ると思うが」
「はは、彼女がその気になったら王位強奪くらい楽勝です。万が一なんてとんでもない、万のうち万ですよ」
我等がアリシア嬢と第一王子じゃ勝負にもなりませんよ。
当然でしょ?
私が同意を求めると、イツキ氏は真顔で頷いた。
「……おう、流石だな」
ですよね。
「まあ、アリシア殿下が王位に興味を持つという意味なら、万が一にもありませんけどね」
彼女は私に言ったのだ。
自分の故郷はサキュラにあり、いつか自分が帰る場所だと。
そんな彼女に、王都の玉座なんて小さすぎる。
「ですが、それを察する洞察力も、理解するだけの器も、第一王子殿下がお持ちでないことはわかりました」
「王族相手でもお前は辛辣だな……」
これでもぐっとこらえて言いたいことの百分の一くらいしか言ってませんよ。
仮にもアリシア嬢のご家族のことだから、あまり悪く言うと彼女に申し訳なく思うのです。
「それで? アリシア王女殿下の相手にされるほどの力もないのに自分には力があると大いなる勘違いをなさって遊ばれている第一王子殿下とその手綱も上手く握れない王国の家長たる国王陛下のせいで多くの人々が辛苦に喘いでいる現状を解決するのに良いアイデアはその手紙に書かれていないのですか?」
これで言いたいことの百分の二くらいになりましたかね。
イツキ氏は、私よりも保守的な人物であることを表情の引きつりで表現した。
「そういや、ヤバイ時のアッシュだったな。止まる気がしない」
「私は緊急災害対応室の室長です。一万二千三十七人の難民の命を預かっているのですから、ちっぽけな玉座にこだわるお子様一人に気を遣う余裕はありません」
今この瞬間も風邪を悪化させて病死している難民がいると思うと、血反吐ぶちまけそうなくらい胃が痛くなるんですよ。
そんなことも想像せずに権力闘争ゲームにふけるやつはお子様で十分だ。
「そうだな。俺が不謹慎だった」
イツキ氏は、私に向かって頭を下げて手紙を差し出してくる。
「閣下はお前を王都に呼びたいと仰せだ」
「人使いが荒いですね」
外回りはマイカの仕事なのだけど、と私は手紙に目を落とす。
「やはり、時間的に厳しいか?」
「もちろん厳しいのですが……」
しかし、眼を通した手紙の中には、私が王都に行かざるを得ない文言が書いてある。
微笑とため息が同時に漏れる。
「私が動くとしたら、難民の受け入れが一旦落ち着いた今しかないでしょう」
春になればまた難民の動きが活発になり、次にいつ動ける時間ができるか不明だ。
それなら、今つらいのをこらえて行くしかない。
それに、王都はともかく、アリシア嬢に会うのは楽しい時間になる。
「マイカ、彼女に会って来るけど、なにか伝言はある?」
私の肩にもたれるように手紙を覗きこむマイカに尋ねると、彼女は手紙の一点をじっくりと確認してから、真剣な表情を私に向けた。
「彼女に伝言はないけど……アッシュに言っておくことはあるかな」
「私に?」
大事なこと、と口にするマイカは、いつかの王杯大会の授賞式と同じ、本気の眼をしていた。
「あの日あたしが言ったことを忘れないでね。あたしはアッシュの婚約者だし、絶対結婚するし、今すぐ赤ちゃんが欲しいけど――」
獲物を仕留める眼で、マイカはぽすんと私の胸を叩く。
「アッシュは、自分のしたいことだけやってていいんだからね。あたしのことは気にしないで。ちゃんと、アッシュの隣について行くから」
思い切りやって来い、ということだろうか。
アリシア嬢の親友らしい言葉――そう思えもするが、少しだけ違和感を覚えた。
書籍版『フシノカミ』、続刊が決まりました。
本当にありがとうございます。
詳しくは12/3の活動報告にて、ご報告しております。




