再生の炎2
要塞での戦闘から一ヵ月が経過し、秋が訪れた。
大勢の食客を抱えた現状、幸いなことに領内での収穫は順調に進んでいる。
それは辺境同盟の他領も同様だったらしく、支援物資をどれほど送れるかという目録が続々と届いている。
これで、当面の食料の心配は、とりあえずいらないだろう。
領地改革推進室が一時鞍替えした緊急災害対応室の一同は、不運の上に不運が重ならなかったことに胸を撫でおろすことができた。
これが良い方のニュース。
良いニュースがあれば悪いニュースもある。
悪いニュースは、ヤソガ子爵領での偵察任務を終えたマイカから届けられた。
「ヤソガ子爵領の状況は、半壊より悪かったよ」
帰還したその日の夜、報告書をまとめるよりも先に、ベッドの上で彼女はそう私に教えた。
普段は明るい笑顔で癒しを振りまく天使なマイカも、面白くなさそうな顔で私の手を握って意味もなく揉む。
実戦経験者の彼女をしてここまで気分が沈むとは、ヤソガ領の光景は相当にひどかったようだ。
ヤソガ子爵領の領都があった中央部より西南に、人はもうほとんど残っていなかったと、マイカは溜息を吐いた。
「生きている人は、南のうちか、東か北のヤソガ領内の被害を受けなかった地域に向かったみたい」
生きていられなかった人が、廃墟となった村や都市に大勢残されていたということを、マイカの重たい口調は想像させた。
「うちに来た人達は、運が良かったんだよ。なんたって、こうなることを予想していたアッシュが、受け入れようってすごく頑張ってくれたんだもん」
「北と東に逃げた人達は、大変そうだった?」
頭を撫でながら尋ねると、マイカは黙って頷いた。
「あっちに行った人達は、難民じゃなくて盗賊として扱われてたよ。それで実際に盗賊になった集団も多かっただろうね、あれじゃ」
人狼被災地より東部と北部の方が、集落が燃えていた。
拗ねた口調でそう呟いて、マイカは私の腰に腕を回して抱きついてくる。
胸に顔を埋め、目一杯甘えるモードだ。
そんな愛しい人を、私は誠心誠意をこめて抱きしめる。
「ありがとう、マイカ。おかげで難民の人を受け入れるのをもっと頑張れそうだよ」
胸元から返る、ん、と甘えた頷きがくすぐったい。
額にキスをして慰めながら、マイカからの情報を元に状況を整理する。
殲滅戦から一ヵ月、現在サキュラ辺境伯領で受け入れた難民の総数は六千人を超えている。
そのうち、領都では三千人、残りの三千人は領内の他都市と、近隣領にも数百人だが分担してもらった。
もう少し近隣領に負担して欲しいし、他領の領主からもっと大丈夫と温かいお声も頂くのだが、難民をこれ以上遠くへ移動させることは難しい。
近隣領まで行った方が扱いも良くなるのだが、彼等はすでに疲れ切っている。理屈だけで動ける状態ではない。
他にも、ヤソガ子爵領から直接難民が流れている領地もあり、辺境同盟全体で確認された難民の総数は、一万人を超えている。
そして、マイカの持ち帰った情報によると、この数はこれからさらに増えるだろう。
魔物被害の中心地に人はもう残っていないが、彼等が移動した東と北から、さらに難民が発生するからだ。
安住の地を得られなかった難民達のうち、自領をあきらめて他領に生きる道を模索する者達。
難民だった盗賊によって焼かれた村や町から逃げ出し、新たに難民となった者達。
彼等は、第一陣の難民達から遅れて、これからやって来るだろう。
「最終的には、もう一万くらい、かな? そのうちの半分がサキュラに来るとすれば……」
「もうちょっと、増えると思う」
私のざっくりした推定を、マイカが私の胸に顔を埋めたまま訂正する。
「うち以外の領地に逃げた難民の人達は追い払われてるから、そういう人もこっち来るよ」
「そうなの?」
そういえば、うちは難民を受け入れる方針だから忘れがちだが、今世の社会では難民は盗賊扱いが常識だった。
社会全体に、大量の難民を受け入れる余力がないのだ。
「難民の人達が言ってた。追い払われる時、サキュラなら受け入れてくれるからそっちを頼れって言われたって。あたし達がサキュラの人間だってわかったら、本当に受け入れてくれるのかって聞かれたよ」
「追い払う人達も、命からがらやって来た難民達を見て心苦しかったんだろうね」
やはり、社会全体がもっと強くならなければ、人としてよろしくない。
せっかく人類をしているのだったら、人類として明るく楽しく生きるべきだ。
少なくとも、目の前に弱った人間が現れた時、なんの不安もなく手を差し伸べられるような余裕は欲しい。
「アッシュは、やっぱりすごいよ」
「うん? マイカに褒められるのはすごく嬉しいけど、いきなりなに?」
撫でながら聞き返すと、私の胸元に押し付けられていた顔がひょこっと出て来て、太陽みたいな笑みを見せてくれた。
「困った顔の難民の人達に、あたしは大丈夫って言えたんだよ。サキュラに来れば大丈夫だって、きちんと受け入れる準備をして待っているからって言えた」
みんな笑顔になったよ、と彼女は笑顔で報告する。
「アッシュがいなかったら、あたしはそんなこと言えなかった。だって、これだけの数の難民を受け入れるなんて、普通は無理だよ。今まで誰もやったことがないし、誰もやろうって言わなかったよ」
「そう? 言い出したのは私だった気もするけど、皆もすぐ頷いてくれたよ。もちろん、マイカもすぐ頷いて、計画を練ってくれたじゃないか」
「アッシュが言ったからね。アッシュが言ったなら、できるんだって皆も思ったんだよ。やってみようって思えたんだよ。だって、やれるもんならやりたかったんだもん」
要塞で殲滅戦前の会議の席上、事後処理について話が及んだ時の面々の顔を思い出す。
そういえば、戦闘前ということを考えても、強張った表情が多かった気がする。
難民への対処の難しさからすれば当然と思っていたけれど、あれは良心に従うことの難しさから来ていたのだろうか。
「みんな、笑顔を奪うことしかできなかったのに、アッシュだけは笑顔をあげられたんだよ」
「私一人の力でもないよ。レンゲさんやスイレンさん、イツキ様やゲントウ閣下、ライノ駐留官やスクナ子爵、色んな人達が協力してくれると思ってなきゃ、とても提案できない規模だもの」
もちろん、マイカとアリシア嬢も必要だ。
頬を撫でて笑うと、マイカが頬を赤らめる。
「いつだって、アッシュはそう。無理だとか、できっこないとか、自分にはもう何もないって思う時、アッシュが平気な顔してやって来て、不思議な灯りで周りを照らしてくれるの。そしたら、すぐそこに何でもあるの」
不思議な灯りで見つけたものを、マイカは指折り数えだす。
「楽しい勉強、村を豊かにする植物、病気を治す薬、養蜂の技術、新しい農法、空を飛ぶ方法、消えるはずの村の再生……あと、親友の王女様も」
二人の思い出を楽しそうに数え上げて、再び私の胸に顔を埋める。
「アッシュの、そういう眩しいところが、あたし大好き。これからも、あたし達をその素敵な灯火で照らしてね」
「うん、それでマイカが安心できるなら」
それからすぐに、マイカの寝息が聞こえて来る。
こんなに疲れた彼女を見るのは久しぶりだ。
もう一度、ありがとう、とささやいて頭を撫でる。
****
さて、マイカが持ち帰ってくれた情報は大変貴重だ。
今後サキュラまでやって来ると予想される難民の数は、ざっくりとした計算で一万と四千人にもなる。
現在受け入れた難民と合わせた最終的な予想総数は、二万人。
「二万人、ですか」
「それは、流石に……」
完全に想定外の数字を聞かされ、計画立案者レンゲ嬢と、実働管理者スイレン嬢の頭部から血の色が抜けた。
彼女達の心的世界で、必死に組み立てていた一大構造物ががらがらと崩れ落ちていく様子が目に浮かぶようだ。
計画は壊れた。
「はい、なので計画を変更します。再検討ですね」
だが終わったわけではない。
終わっていないのならば、壊れたものを立て直せば良い。スクラップ・アンド・ビルドの精神である。
「大変なのは確定ですが、まあ何とかなります。頑張っていきましょう」
「な、なん、とか? なんとかで、なるん、ですか?」
レンゲ嬢が、膝を震わせながら、はるか天上を仰ぐように声を搾り出す。
最近また豊満になった胸元で握られた指が白い。これから登る険しい地獄坂に、今から力が入っているようだ。
そんなに力んだ状態では、あっという間にばててしまいますよ。
私はできるだけリラックスするように、自分史上一番柔らかい笑みを浮かべる。
「もちろんです。私達ならできます」
笑顔の効果はあった。
レンゲ嬢とスイレン嬢は、ほっとした吐息を漏らした。
「残念ながら、簡単なこととは言えません。相当に厳しい条件での計画になるでしょう」
なんたって都市二つ分の人口が、たった半年のうちに増えるのだ。
これから都市を二つ作るだけの苦労があると考えて良い。村の開拓も失敗する辺境で、とんでもない難易度だ。
「ですが、前よりやりがいのある計画になると思いますよ」
今度の再検討では、難民への対処の仕方が根本から変わる。
今回判明した数の難民の受け入れは、お客さんを歓迎するように、ではとても間に合わない。
かつてのアジョル村の人々同様、彼等自身で立ってもらわなければならない。
彼等自身で、彼等の生活をある程度以上支えてもらうのだ。
そのためにも、住む場所、食料を得る場所、つまり難民の土地が必要だ。
うちは辺境だけあって土地が広い。移住希望者がいれば、開拓して欲しい土地はたくさんある。
復興を願いながらも放置して、まだ果たせていない土地だってあるくらいだ。
そう告げると、スイレン嬢の顔色が変わる。
レンゲ嬢も、そんなスイレン嬢の顔を見て、かすかな期待が目に浮かぶ。
「正直なところ、これだけの数の難民を受け入れることは不可能でしょう。ですが、移住者を受け入れるとなれば話は違いますね」
丁度、人狼の遺骸が大量に手に入ったので、開拓に必要な金属製品が格安で生産可能だ。
アジョル村で実験したおかげで、開拓用の新型農耕器具の教導ノウハウだってある。
「もう一度言いますね? 私達なら、できます」
かつて、一つの農村を再生するために力を尽くして、最後の最後に果たせなかった私達だからできる。
あの悔しさを胸に、それでも前に進むのだと歯を食いしばった彼女達だからできる。
同じことが起きた時、今度こそは成し遂げて見せると、書物とペンを手に、牙を研いできた彼女達だからできる。
できるったらできるのだ。
「今度の計画は、難民の受け入れではありません。新しい人材の育成であり、新しい土地の開拓です。お二人とも、そっちの方が得意でしょう?」
私の問いかけに、二人は声をそろえて肯定した。
「素晴らしい。では、早速計画の作成に入りましょう。難民の受け入れ自体は、従来のものを流用して対応して行きます。その難民の中で、他領に移住を希望する方、移住してもいいという方から、抽出していきたいと思います」
レンゲ嬢が一つ頷いて、問題点をあげる。
「あの、希望しているといっても、いきなり移住、と言うことは無理ですよね?」
「ええ、彼等はあくまでヤソガ子爵領の領民です。新しいヤソガ子爵領の領主が決まるまで、好き勝手にサキュラ領に定住させるわけにはいきません」
故ヤソガ子爵もわめいていたが、他領の民を勝手に移住させると拉致だとみなされて外交問題になってしまう。
できれば計画を動かす前に話を通しておきたいのだが、移住について許可を出せるヤソガ子爵は、現在空席なので話が全く進められない状態だ。
「ですので移住のためではなく、あくまで難民として、避難中の食い扶持を稼ぐための労働として扱ってください。実際、畑を耕せば彼等の食料を増やせるのですから」
もちろん、実質は移住準備と言って良い。
難民の大量受け入れで受けたダメージの分だけ、発展の可能性を頂戴しよう。
「建前としてはそれで通すとして……周囲は納得するでしょうか?」
「そうですね。サキュラだけが難民の移住を受け入れれば、色々とうるさいことを言われる可能性はあります」
レンゲ嬢の懸念に頷き、ところで、と話を変える。
「辺境同盟では、技術交換を進めたいと考えているのですよ。特に農業技術なんか、うちの水準は非常に高いですよね。留学生の方からも、評判が良いのですよね、スイレンさん」
「え? うん、それはもう、我が領でも早く試してみたいと、留学生の方はどなたも……」
領地改革推進室の先端農業技術担当者は、そこまで口にして、かつての自分の村の住人達が、今どこにいて何をしているかを思い出したらしい。
それと今の状況を結びつけて考えるだけの能力を、今の彼女は持っている。
「うん、なるほど。確かに、サキュラの新型農法を覚えた最先端技術者であれば、辺境同盟の多くの領地で諸手を挙げて歓迎されるでしょう」
他領からの留学生達は、その立場上、農民や職人の生まれが少ない。
そのため、農学や工学に興味を持っても、中々理解が深まらないところがある。
彼等の能力は決して低くないが、やはり実践的な技術には、体験が伴わない学習は難しいようだ。
そんなお悩みを解決するのに、実地で新型農法を学んだ農民はうってつけの人材になる。
「話がそれましたが、レンゲさん。別に、移住希望者の受け入れについては、サキュラだけが独占する必要はありませんよね」
「は、はい。流石です、アッシュさん……あ、いえ、アッシュ室長。こ、これなら、問題になるほどの不満はでてきません」
「いえいえ、これまでの積み重ねがあるからこそですよ。レンゲさんやスイレンさん、ヘルメス君やレイナさん、領地改革推進室の実力ですね」
この移住する最先端技術者は、何も農業だけに限定する必要はない。
これだけの数の難民がいれば、鍛冶職人や木工職人だっているだろう。
特別な技術がなくとも、肉体労働が得意な若者だって多いはずだ。
今まさに、辺境同盟の間では交通網の整備を進めていく予定がある。
ならば舗装道路を作る技術を教えれば、彼等もまた農業技術者に負けず劣らずの人気が出る。
ついでに、舗装道路の作り方の研修で、うちの交通網の整備も進む。
彼等に関しては、ヤソガ子爵領に戻ったとしても、大いに復旧の助けになることだろう。いいことづくめだ。
「道路作りの方は、今領内の交通網整備をしているところに混ざって頂くとして……。農業の方は、スイレンさんにお任せしてよろしいですか?」
「もちろん! このために今まで頑張って来たんだもん! 任せてください!」
スイレン嬢は実に楽しそうに、どの土地を使って農業指導を行うべきかの検討を始める。
「難民の食料に回すことを考えると、領都近郊の試験畑を拡げるのが一つ、難民が集まりやすい要塞近郊のやりやすい土地、後は領内の農業に向いた土地の順番かな? とすると……」
ちらりと、スイレン嬢は私の顔色をうかがう。
自分からは中々言いだしづらいようなので、私はくすりと笑って口をはさむ。
「アジョル村なんかは、領内の農業に向いた土地の中でもかなり有望な候補地ですね。是非、リストに入れて検討しましょう」
「――うん!」
ひいき目を抜きにしても、ゼロからの開拓ではなく、廃村を利用できるアジョル村なら申し分ない。
あの村を再生するとなれば、領内に散った元村人達も戻って来るだろう。
とすると、アジョル村には多くの熟練した農業技術者が集まることになる。
アジョル村は、難民に集中的に基礎を教える教導用の場所にしてもいいかもしれない。
創造的な仕事は考えているだけでも楽しい。
楽しいとむやみやたらと上手くいくような気がしてくる。
後は、人材育成が成果を出すまで、いかに食料その他の物資を持たせるかだ。
これについては外交に関する問題が先なので、レンゲ嬢やスイレン嬢以外に振る仕事になる。
マイカは偵察任務から戻ってきたばかりだからまだ動いていないが、王都のアリシア嬢、ゲントウ閣下はどんな具合だろうか。
私が王都の方に向かって念を飛ばすことを未来予知していたのか、丁度そのタイミングで、アリシア嬢の手紙がドアを開けてやってきた。
「アッシュ、クイドさんからお手紙預かったよ。アリシア――王女殿下から」
手紙の代わりにドアを開けたのはマイカだ。
彼女に礼を言って手紙を開封すると、そこには、流石はアリシア嬢と感動すべき内容が書かれていた。
「皆さん、素晴らしいお知らせがもう一つできました」
心優しい王女殿下が、慈善組織の側面もある神殿に働きかけて、各種支援物資を送ってくれるそうです。
これは検討事項ではなく、決定事項である。
流石にどれをどれだけ送れるかは決まっていないが、神殿の組織力を使って現在物資を集積中とのこと。
人狼殲滅戦から一ヶ月、王都と辺境の距離を考えれば、また王都の政治が持つ鈍重さからすれば、驚異的なスピードと言って良い。
あとは、ヤソガ子爵領の次の領主が正式に決まってくれれば、おおよその道筋ができたと言えるだろう。
ヤソガ子爵との交渉ができれば、移住の件はもちろん、被害が少ない南部の村や都市を中心に復旧を進めて、難民の一部を帰すこともできる。
魔物の襲撃とは異なり、ヤソガ子爵の代替わりは前もって予定されていたので、こちらもそろそろ決まってくれるだろう。
そのための根回しも、前もってしておいたのですからね。




