再生の炎1
アポカリプス・シナリオとかリザレクショナーとかどうでも良いと思う。
いやね、ここに来て急に出て来たSFワードにトキメキを感じるとか、フォルケ神官との話でリザレクショナーって単語が出て来たなとか、色々思うところはあるんです。
管理者機能とやらの告知が私に聞こえた辺り、ひょっとして私ってひょっとすると前世らしき記憶ってひょっとしたりするんじゃないのっていう思いはある。
正直、かなりあるんですよ。
あるんですけど、忙しすぎてそれどころじゃない。
領地改革推進室の私の机の上に建築される書類タワーは、多忙を表現するに説得力十分な高層建築と化している。
しかも、この書類タワーは、これからまだまだ増えるのだ。
要塞での人狼殲滅戦の書類タワーはむやみやたらに増えたりしないだろうが、別な仕事、ヤソガ子爵領で大量発生した難民への対処に関する書類タワーはこれからどんどん増えていく。
なんたって要塞での人狼殲滅戦から二週間しか経っていない。
昨日も今日も難民が流れこんで来たし、明日も明後日も流れこんでくるだろう。書類タワーは建築法に違反すること間違いなしの増築っぷりを見せてくれるに違いない。
誰もそんな高層建築を見たいわけがなかろうに。
近年成長目覚ましいサキュラ辺境伯領とはいえ、すでに許容量はぎりぎりだ。
物資的には、まだ多少の余裕はある。
だが、それも隣領が半壊か、下手をすると全壊の被害を受けているとすれば、この先は全く不足することになる。
そして、それよりも喫緊で問題になっているのは、処理能力の問題だ。
被災した難民達を受け入れる。
言葉にすれば簡単だ。
だが、その難民は一人一人が生きている人間である。
商会が、仕入れた商品を倉庫に積んでおくようには管理ができない。
着の身着のままで逃げて来た者は、替えの衣服を欲しがる。
衣服に文句を言わない者でも、雨の日は屋根や壁のある住居を求める。
その両方に耐えられたとしても、食料の不足には我慢できないだろう。
治安維持と衛生管理の観点から、受け入れる側の我々はそんな難民の訴えに応えなければならない。
困窮しても清廉でいられる人格者は少ないし、清廉な人物だって死んでしまえば腐敗という生物学的現象から逃れられないのだ。
では、集まって来た難民一人一人に、衣服を配布し、住居を手配し、食料を用意しよう。
ここで問題がある。
この中には一つとして、無料で手に入るものはないし、手元に大量に余っているものもない。
どこから、どうやって手に入れるのか。
次に、どのように配給するのか。大量の難民達――彼等は、命の危機にさらされ疲れ果てており、平常心とは言い難い。
しかも、物資には限りがあり、今後不足することは明白だ。必要最低限の量を計算し、計画的に支給していかなければならない。
これは無理難題の類である。
現在、サキュラ辺境伯領の文官・武官が直面している状況とは、このように危険で繊細で複雑で泣きだしたい問題なのだ。
優秀な人材が多いと自負する領都の執政館でも、業務が炎上するぎりぎりのところでさばいている。
大体、この状況に対応するための部署が存在しない。部署がないということはマニュアルがなく、必要な権限を持った人間がいないということになる。
魔物で村や都市が壊滅するのが百年前まで当たり前だった社会において、それどうなんですかね。
そう思うのだが、現在の文明レベルで地方一つの壊滅に常備するだけの余裕があるわけないですよね、とすぐに答えが出た。
難民受け入れというより、盗賊討伐という対処になるのだろう。
私は徳の高い、慈悲深い人間なので、いきなり血みどろの選択肢までは思いきれない。
大体地方一つの人口が壊滅するって、それ地方一つ分だけ文明が退化するってことでしょ。そんなもったいない真似は私が許さん。
許さんので、我が領地改革推進室が、現在この問題の解決の歯車を担っている。
幸いなことに、と言って良いのか、アジョル村の一件でそれなりの経験を積んでいるので、全くの素人というわけではない。
私は、昨年度の生産量報告から、領内の他都市のどこにどれだけの難民を振り分けられるかを計算した報告書をまとめあげ、処理済みの書類タワーに叩きつける。
こちらの書類タワーは、悲しいほどに低い。
私が書類タワーを仰ぎ見ていると、ドアを開けて修羅場仲間がやって来た。
「あ、あの、アッシュさん、新しい報告が、あるのですけど……」
慎重に声をかけてきたのはレンゲ嬢だ。歯切れの良くない口調から、また仕事が増える類の報告らしい。
机の上に築かれた書類タワー越しに、申し訳なさと不安と心配が三種ブレンドされたレンゲ嬢の憂い顔が覗く。
仕事のできる部下にそんな顔をさせては、上司としての仕事ができているとは言えない。
私は溜息を吐いてから、苦笑を見せる。
「どうぞ、レンゲさん。聞かないと片付かないですから、遠慮せずに報告してください」
「は、はい……その、また難民が不死鳥要塞に保護を求めて来たそうです……」
二百名ほど、とレンゲ嬢は悪いことをした子供のように上目遣いで私の反応をうかがう。
彼女には私の辟易した気持ちが隠しきれていないので、いっそ素直に感想を述べて甘えることにした。
「また増えますか……。これで難民の総数は三千人を超えましたね。領都の受け入れも限界を超えそうです……」
現在、領都の市壁外に急造された難民居住区には、二千人以上が滞在している。
ちなみに、サキュラの領都の人口は元々一万三千人を割っており、平時の約六分の一の住人が一気に増えた計算になる。
六人家族の家計が、今日から急に一人増えて七人家族になったと思えばいい。掃除、洗濯、食事の用意、全ての計算が狂う。
それが二千倍の規模で起きるのだ。都市の循環がパンクしないわけがない。
一応、他都市に多少の難民を割り振ってはみたが、その受け入れには領都以上に苦労している。
政治の中心たる領都よりも文官・武官の数が少ないので、それも仕方あるまい。他都市にこれ以上の難民を送るのは待たなければならないだろう。
都市ではなく、村や町に少数、十人単位に分けた難民を送ることはできるだろうか。
私は少し考え、要塞近辺の地図に手を伸ばす。
「そ、それと、あの……今日の難民区からの報告で……」
地図に伸びた手も止まる、さらなる報告。
私は地図に伸ばした手を引き返して、額を押さえた。
「そちらもまた増えましたか……」
「五十人ほど増えていたそうです……」
難民の方々は、命からがら逃げだして来た人ばかりなので、サキュラ辺境伯領に逃げ延びた時には、家族・親戚と離れ離れなんてことはざらだ。
ひとまず安全を得て、どうやらここでは命の心配はいらぬと安心した彼等は、水より濃い液体の繋がりを求めて、自主的に移動を始める。
現在、領都は難民の七割近くを受け入れているので、自然とその親類縁者が集まってきてしまう。
結果、受け入れる余裕はもうないというのに、毎日のように難民区の住人が増えているのだ。
「今後のことも考えて、今から領都の負担を減らそうと各都市に割り振ったのですけどね……」
人の数が多くなると、計画なんてものは容易く破綻するのだな。
諸行無常を噛み締めながら、私はさっき処理済みの書類タワーの頂上に叩きつけた報告書をもう一度手に取る。
「今日の五十人程度ならまだなんとかなりますが、この調子では最も受け入れ許容量が大きい領都から破綻してしまいます」
「そ、そうですよね。対応できなくなるから駄目だとお伝えしているんですけど、もう二百人くらい無許可で増えていますから……」
「流石に計画外で一割も増えてしまうと、食料の備蓄もそうですし、配給体制だって限界になりますよ。そちらの方は、いかがです?」
「あ、はい」
レンゲ嬢は、手元の書類をめくって頷く。
「スイレンちゃんからの報告ですと、配給体制自体は、難民の方を順次組み込んでいますので、回して見せるとのことです。食料についても、今の倍くらいまで増えると想定して、冬までは備蓄品でやりくりしますので、その後の手配をなんとかお願いしますと」
「なんとも頼もしい報告ですね」
今日の報告で頭痛が起こらないたった一つの報告だ。
「そうですか。スイレンさん、とても頑張っておられるんですね」
初めて出会った時のことを思うと、僭越ながら我が子の成長を見るような心地になってくる。
寂れていく寒村で教えた食料管理の方法を、彼女は忘れていないどころか、はるかに大規模になった今の状況に適応してのけているようだ。
彼女は見事に、他人を助けるだけの力をその身につけている。
「しかし、食料自体が足りないと言うのは、もうサキュラ辺境伯領独力では対応しきれませんね」
「はい……。領地全体の生産量は間違いなく上がっているのですが、これだけの事態には対応できませんでした」
「領地一つの壊滅ですからねぇ」
こういう事態を想定して辺境同盟を作ったのは確かなんだけれど、こんなにすぐに必要になるとは思わなかった。
「同盟の中でも、特にうちに近い領からはすぐに食料やその他の支援の打診があったので、とりあえず冬まで持たせれば支援物資が間に合うでしょう。スイレンさんにもそう伝えてください。輸送は大変ですけどね……」
もうちょっと同盟が進んでいれば、各領地の生産量も増えていたかもしれないし、交通網も整備されていただろうに、今はまだほとんど効果が出ていない。
それでも、同盟を結んでいるから、またそれ以上に、サキュラ辺境伯領がこけると周辺領地の影響も馬鹿にならないから、辺境同盟の大部分は可能な限りの支援をしてくれるだろう。
もうちょっと効率的にできなかったのが無念だ。
「しかし、これは一年や二年で片付く問題ではありませんからね。辺境同盟の中だけでまかなうのも負担が大きいですよ」
中央貴族の懐から、上手くその辺を絞り出してやりたいところだ。
同じ王国の仲間なのだから、協力は義務ですよ。
協力してくれないなら仲間ではないし、仲間でないということは敵で、敵なら仲間にはできないようなこと、しても良いですよね?
まあ、中央からの援助をいかに引き出すかは、王都にいるゲントウ閣下とアリシア嬢頼みなので、ひとまず置いておくとして。
「難民がこの後、どれくらい発生するかが問題ですね」
これはヤソガ子爵領の被害状況によるので、向こうを見に行かなければ判断がつかない。
現状では、ヤソガ子爵領の西・南半分は壊滅的と聞いているが、東・北半分がどんな状況かは不明なのだ。
それによって難民の数は大きく変わるし、南半分にしても、まだ生きている人間がどれだけいるかを知っておきたい。
まだまだ仕事は取っ散らかっているが、一度偵察を向こうに出すべきかもしれない。
イツキ氏に相談してみよう。
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「偵察? ヤソガ子爵領にか?」
冬の地獄期と同じ顔色をしたイツキ氏が、覇気のない声で聞き返してくる。
疲れ果てた様子でもなお必要なことを確認して来るその姿は、まさに超過労働のプロフェッショナルだ。
「ええ、今後どれだけの難民を受け入れることになるか、その予想を立てるための情報が欲しいのです」
私が述べた理由に、イツキ氏はまだ難民が増えるという事実を再認識させられて、頭痛に見舞われたようだ。
「そうか……。いや、そうだよな。領地一つの壊滅だ。千や二千で終わる話にはならんよな」
イツキ氏は納得して、それから血反吐をぶちまけるような、それはそれは深い溜息を吐き出す。
今世の総人口は不明瞭だが、辺境の都市一つにおおよそ一万人前後が住んでおり、その周辺の村や町が五千ほど、サキュラ辺境伯領全体では十万人に届かないといったところだ。
かなり少なく感じるが、対魔物用の防御設備が必要なので、どうしても総人口に上限がかかるようなのだ。
ヤソガ子爵領の総人口は、三万人から八万人といったところと推定される。
上下幅が大きいのは、近頃のヤソガ子爵領がまともな運営をされていなかったので、税収などの判断材料自体に問題があるからだ。
多い場合にしろ少ない場合にしろ、そのうちのどれだけが難民となる可能性があるのかが、今後のサキュラの運営に関わって来る。
「気が重いのは全くもって同意しますけど、確認しなくても発生する難民の数は変わりませんよ。確認しなくてもデメリットは変わりませんが、確認すればメリットができます」
被害状況の確認をすれば、難民の受け入れ態勢への正確さを増した備えはもちろん、例えば、復旧案がどんなものになるかを考えることができる。
サキュラ辺境伯家がヤソガの復旧を担当するわけではないので、そこまで考える必要はないのだが、多くの難民を受け入れている時点で他人事ではない。
立地的にも、ヤソガの立て直しの成否はうちに様々な影響を与える。
がんばって調べて報告をまとめておけば、新しいヤソガ領主と良好な関係を作る材料にもできるかもしれない。
「特に、最後の点については是非ともその方向で進めたいですね。隣人とは仲良くするに越したことはありません」
私と同じく好意には好意を返してくれる文明人であれば良し。
話し合いが通じない輩であれば、最初に貸しを作っておいてマウント取って仲良くさせればそれで良し。
どちらに転んでも有利な手札を手に入れることができる。
「う~む、相変わらず面倒事の良い面を推してくるのが上手いな、アッシュは」
「面倒をする以上、それに見合ったリターンが欲しいと考えています」
「同感だ。わかった、偵察部隊を作ってくれ。任せていいな?」
「上司がそんな顔色で働いている以上、嫌とは言えませんね」
正直なところ、私の仕事が多すぎる気がするけれど、人狼殲滅戦で向上した身体能力のおかげか体力的にはまるで苦にならない。
それぞれの体力に見合った限界ラインを攻めている執政館の中で、体調を崩す心配が少ない私が多く働くのはやぶさかではない。
「ああ、そうです、イツキ様。ついでですので、今回の事態を担当する部署を立ち上げておきませんか?」
「部署? 新設か?」
私が口にすると、イツキ氏は首を傾げる。
「現在は、領地改革推進室が中心という流れですけど」
「推進室というか、要塞指揮官だったお前が中心なんだがな」
え、そうなの?
私の驚愕に、イツキ氏はちょっと笑いを誘われたらしかった。
「要塞指揮官の戦後処理の中に、当たり前のように難民への対処が混じって来たから、そのままお前が推進室に持ちこんでやってるって認識だぞ。多分、他の連中もそうなんじゃないか?」
「てっきり、アジョル村の一件があるから推進室にお鉢が回って来たものだとばかり」
「ああ、実際、適任の部署ではあっただろうよ。他にこれだけやれるところはない。だから、誰も文句を言ってないだろ」
イツキ氏の認識でも、どの道最後は推進室が担当することにはなったようだ。
それなら順序はどうでもいいですね。
「なんだかちょっと驚きましたが……ともあれ、今は推進室でやってはいますが、そもそも推進室の業務ではありませんよね」
「うむ、趣旨から外れているかな。ただ、新設するにしても、他にこの業務を任せられる人員はいないと思うが……」
「もう動いていますから、人員は推進室から選んでもいいのですよ。ただ、推進室の業務とは別物の案件ですので、あまり趣旨から外れた計画や決定に関わると、悪い前例になります」
今回の件では、領内の備蓄品の供出や人口移動などに口を出してしまっている。領地改革推進室では、本来複数の許可を得なければできない範囲のことだ。
「緊急時だからと言えばそうなのですが、前例を盾にして、領地改革推進室は人口移動の指示も出せる権限がある、なんて言い出す人が現れたら、後で困りますよ」
「そういえば、どこかの誰かさんが情報部の人事権を拡大解釈して、他領の人間を入れた事件があったな」
「お役に立ちましたでしょ?」
あの一件で、スクナ子爵領とはさらに友好的な関係を築けたと思う。
こちらが胸襟を開いて協力を仰いだことが、先方の心を開いたのだ。
私の自信満々の返しに、イツキ氏は肩をすくめる。
「まあ、今後お前の後を継ぐ人間が、そこまで信頼できるかという問題はあるな。わかった、今回の事態に対処する部署だな。案はあるのか?」
「こういうのはシンプルに、緊急災害対応室なんかでいいのでは? メンバーは、計画立案者をレンゲさん、実働管理者をスイレンさんでよろしいかと」
じゃあそれで、とイツキ氏はランチのお勧めを選ぶように気軽に頷く。
ただし、言い出しっぺの私に責任を負わせることを忘れはしなかった。
「室長はアッシュな」
「まあ、その覚悟はしていました」
推進室同様、マイカを室長にした方が良いとは思うのだが、マイカも忙しいので贅沢は言えない。
武力に優れるマイカは、ヤソガ子爵領への偵察部隊に組みこみたいし、また現当主の孫である身分を活かして外交もお願いしたい。どちらも外回りの仕事だ。
とすると、色々な決定を下して責任を取る役目は、ここを離れない私の方が向いている。
「ところで……私、現在何個の肩書持っていましたっけ?」
「たくさんだ」
任命した責任者に数える気がないとは、一体どういうことなんですかね。




