破滅の炎24
白兵戦になる。
「さて、そろそろ仕上げの時間ですよ、皆さん」
防塁の上、見張り台に陣取った二百の戦士達が、各々の武器を手に雄叫びを上げる。
サキュラ辺境伯領が誇る、精鋭の達人たちである。
防塁に到達した人狼達は、コンクリートや煉瓦の壁に爪を引っかけて次々と登って来る。巨体に見合わぬ身軽さだ。
時折、銃眼の中に腕を突っ込んで、中の小銃兵や砲兵にちょっかいを出そうとする物好きもいるが、大半は見張り台の上で姿をさらしている私達白兵部隊にまっしぐらである。
「ヤソガの時と違って、今回はあたし達の方が数的に有利だね」
私の隣で、わくわくした顔で抜剣したのはマイカだ。
「ふふふ、前は回避重視でほとんど攻撃できなかったけど、今度はこっちが袋叩きしちゃうんだから」
今回、マイカが持って来た剣は細身で、明らかに刺突を重視した拵えだ。前回の戦闘で斬撃・打撃の効果が薄いと見て、急所への刺突を中心に攻めようとしている。
私は槍を握りながら、小躍りしそうな婚約者をたしなめる。
「くれぐれも怪我には気をつけてよ?」
「それはアッシュの方でしょ。前みたいな大怪我しちゃダメだからね!」
「実績がある分だけ反論しづらい……」
でも、可愛いマイカのことが心配なんだもん。
私が肩を落として呟くと、がぜんマイカの気分が盛り上がったらしい。
「よーし! じゃあ、あっという間に片づけて、平気なとこ見せてあげる!」
「それは頼もしいけど――」
できれば落ち着いて欲しかったな。私の言葉は、掻き消えるように駆け出した、トップスピードのマイカに追いつくには遅すぎた。
俊足の踏み込みでもって、マイカは見張り台の上に登ったばかりの人狼を間合いに捉える。閃光のような刺突が二つ走り、両目を正確に潰された人狼の顔が、良く響くが力のない絶叫をあげる。
マイカの援護を務める衛兵の男がすかさず続いて、視界の消失と激痛に悶える人狼の足を長柄の大斧でひょいとすくう。
その動きは、同時に大斧にたっぷりの遠心力を乗せる予備動作に繋がっている。
「よっこいぃ、フンンッ!」
気負いのない言葉が、渾身をこめる呼気に変わると同時、衛兵の腕と背中の筋肉が二割三割増しでふくらむ。地面を断ち割れとばかりに全力で振り下ろされた大斧は、その間に人狼の頭蓋を挟んでいる。
鉄のように堅いはずの人狼の頭蓋を、大斧は見事にかち割った。
人狼の再生能力も、流石に脳にどでかい鉄板があっては再生しきれず、びくびくと不気味な痙攣をするばかりだ。
「おー、おじさんすごいね?」
「いやぁ、お嬢様の方がよっぽど凄腕でさぁ。あそこまで人狼を無効化してくれりゃ、後は斧を振り下ろすだけですんで」
第三者的に言わせて頂ければ、マイカのあの速攻に遅れずに連携できた時点で、衛兵さんも凄腕である。単なる力自慢にできるような武芸ではない。
なお、同様の光景は見張り台の上のあちこちで繰り広げられている。
大槌や大斧といった重量武器を構えた腕力自慢達はトドメ担当。槍や剣といった比較的軽量の武器を構えた技巧派は足止め担当。そういったコンビネーションで、一体一体、十人がかりで相手取っている。
こちらの人数が多いとはいえ、的確に相手を一体だけ釣り出して、他の味方グループの邪魔にならない距離に釘づけにして袋叩きにする手管は、熟練の戦士でなければできない。なにせ相手は多少の攻撃を物ともしない人狼なのだ。
流石に、マイカ組のようにあっさり戦闘不能にしてみせるグループはほとんどいないが、逆にやられてしまうようなグループもいない。
「このままなら、被害はほとんどなく――」
私はそう呟いたところで、戦闘中のグループの近くに別の人狼が這いあがって来るのを発見する。
あれを今あげるのは危険だ。
そう判断して、私は槍を腰だめに突っ込む。あわよくば、初撃で人狼を防塁の下まで突き落として時間稼ぎをするつもり――の一撃は、自分でも予想だにしない威力が乗ってしまった。
踏み出した足にこめられた力が普段と違う。それは、冷や汗が噴き出るほどの加速を生んで、あっという間に制御不能の速度に達する。
あ――と、声に出す暇もないうちに、気づいた。
今まで、魔物を倒した際、私の身体能力は若干の向上を見せていた。一体や二体の魔物でそれである。
さて、私の周囲ではどれほどの魔物が死んだでしょうか。
槍の穂先が、金属鎧にも勝るはずの人狼の腹筋に突き刺さり、豆腐のように貫通していく。それでも私の体についた速度は緩まない。物理法則の当然の結果として、私の体は人狼に正面衝突した。
ビリヤードのボール。私の頭に浮かんだのはそれだ。
私の――するつもりの全くなかった――捨て身のタックルを受けた人狼は、その巨躯をふわりと浮かせ、見張り台の上から落ちていく。
人狼というクッションによって慣性をゼロ近くまで失った私は、咄嗟に槍を手放して、そんな彼を見送る。
心なしか、狂暴な牙をそろえた大口が唖然としていたような気がする。私も似たような顔をしていると思う。
しばし、人狼が落ちて行った後の中空を見つめて、心を落ち着ける。
人狼の金属毛皮に思い切りぶつけた額を撫でてみるが、流血どころかたんこぶが出来た様子もない。
そうか。魔物狩りによる謎のレベルアップ(推定:私限定)は、ここまで強化されるのか。
正直、人類の限界を突破している気がする。
だって、全力疾走で二百キロオーバーの金属塊に激突して吹っ飛ばす、あまつさえ無傷とか、人類の所業じゃないでしょ。それもう魔物に近い存在ですよ。
私は出力が跳ね上がった体を確かめるため、掌をにぎにぎと開いては握ってを繰り返す。
本気を出すのが恐いとか、そんな台詞を口にできる状況が来ようとは……。
ちょっとした感慨にふけっていると、やはり鋭敏になった五感が、足元から飛び上がって来る気配を捉えた。
ひょっこり顔を出すのは危険だと悟ったのか、見張り台の縁から一気に飛び上がって現れたのは、腹から槍を生やした人狼だ。
槍は折れているが見覚えがある。私が今しがた突き刺したやつに違いない。
腹に穴開けてすぐにクライミング・アンド・ダイナミック登頂とかすごい根性だが、今の私なら同じことできそう、と脳裏を過ぎった感覚が恐い。
そんなこと間違えてやってしまった日には、完全に化け物を見るような眼が殺到してしまう。
そこまで考えているうちに、優に二メートルは上空に舞い上がった人狼が、重力加速を乗せて太い腕を振りおろしてくる。
その一撃の破壊力は、ほとんど砲撃に匹敵するだろう。一応、この防塁は砲撃に耐えられる設計になっているはずだが、万一がある。
自然の流れとして、せっかく造った要塞に穴が空くと嫌なんだけど――そう思った。
結果、私は人狼の一撃を受け止めることを選択した。振り下ろされた右腕を、掲げた左腕で掴み取る。
あ、めっちゃ重い。あと、めっちゃ堅い。だから、めっちゃ痛い。
足先から左腕までの全骨格、全関節、全筋肉がミシリと悲鳴を上げる。そして、次の瞬間には、治ったーとばかりに平気になる。
痛みが消える時と、力をこめる時に、体内で何かの力が流動する感触がある。
これがひょっとして、魔物を倒した時に得ている不思議パワーなのかもしれない。
試してみようと、私は右腕に力をこめる。
普通の筋力と連動するように、不思議パワーが動く感覚。なんというか、自分がもう一人体内にいて、そのもう一人の筋力とかエネルギーを引き出して使っているみたいだ。
試しに、動いた力を拳の形で人狼の腹にぶちこんでみる。
金属毛皮にめりこみ、筋肉を貫き、骨を砕く手応え。
人狼の巨躯が、トラックにぶつけられたように勢いよく背中から地面を滑って行く。
いかん。思いのほか人狼が軽かった。
このままでは戦闘中のグループに迷惑がかかりそうなので、慌ててトドメを刺そうとすぐそこに立てかけてあった槍を掴む。
槍といっても、これ不死鳥の旗をくくりつけた槍じゃないですか。思わず手に取ったけど、要塞の指揮が健在であることを象徴する超大事なやつだ。
具体的には、これが下ろされるのは敗北決定時だ。
あー、これ使うのは流石に問題がある気がするけど、人命には代えられないし、すぐに元に戻せば良いか。
うん、たぶん、だいじょぶ。
心の中で言い訳をしながらも、私は投擲体勢に入っている。
背面スライディングの勢いが止まり、起き上がろうとする人狼。そうはさせじと、私は人狼の頭部に向かって大口径フレッシェット弾を人力射出する。
刃渡り五十センチほどの穂先は、眼球から後頭部を貫通した勢いで人狼を後ろに引き倒す。
よし、狙い通り。
私はいそいそと人狼へ駆け寄り、槍を引き抜く代わりに佩剣を突き刺しておく。
オーバーキルだが、再生する人狼には脳の中に再生阻害用の異物入れておくのが一番だ。再生しても、大抵まともに動けなくなる。
人狼の始末よりも、今は旗だ。ないことに気づくと、戦っている皆さんが動揺してしまう。
要塞の象徴である旗を持って、急いで所定の位置に駆けていく。総指揮官が要塞旗を使って戦闘とか、前代未聞ですわ。
できればこっそり元通り――と考えていた私に、見張り台の上二百名の視線が集中していた。
どうしたんですか、皆さん。戦闘に集中してください。ほら、まだ人狼が――もういないですね。
「あー……うん、各部隊、状況を確認して報告をお願いいたします。伝令! 砲兵部隊と銃兵部隊にも確認をするよう――」
そう言いかけたところで、銃兵部隊と砲兵部隊からの伝令がやって来る。
伝令は、敬礼してから報告する。
現在、要塞から視認できる範囲に戦闘可能な敵は存在しないとのこと。人狼が相手ゆえ、復活して来ないか、しばらく警戒態勢を続けるという行き届いた内容だった。
「えー……白兵部隊各員も、警戒を怠らないように。銃兵部隊、砲兵部隊はそのまま待機をお願いします。ですが、まあ、どうやら……」
ぐだぐだの指示で誤魔化しつつ、私はこっそりと旗を元あった場所に差し込む。
こほん、とわざとらしい咳払いを一つ。
皆さん、わかっていますね?
私は上官、皆さんは部下。ここで必要なのはやらかした上司への優しさです。
私は一同を見渡して合図を出してから、声を張り上げた。
「私達の勝利です!」
わっと白兵部隊の皆さんが歓声をあげる。
そう、その反応です! 全てをなかったことにするベストリアクション!
白兵部隊の気遣いが聞こえたのか、あるいはこちらを注視していたのか、銃兵部隊、砲兵部隊のこもっている防塁の中からも一拍遅れて歓声が伝わってくる。
「アッシュ!」
歓声を押しのけて、マイカが私の胸に飛び込んでくる。
「やったね、アッシュ! 完勝だよ! 流石っ、常勝不敗の不死鳥!」
「いえいえ、皆さんのお力あってこそですよ。本当に、各部隊の皆さんは良く奮闘してくださいました。もちろんマイカも」
ぎゅぅっと内臓を搾り出すようなマイカの熱い抱擁に、背中をぽんぽんと叩いて愛情を返す。
****
これで終わり――と、私の大好きな物語なら大団円なのだが、大変なのはこの後である。
祭り前は楽しく、祭り中は夢中、そして祭り後が一番つらいというのは、良く聞く話だ。
軍事的な戦後処理は当然として、資源である人狼の遺骸の回収と分配、新兵器の実戦投入データの技術的還元、抽出した戦力の回帰――まあ、この辺も戦後処理の範疇だ。
これだけでも十分つらい。
しかも、今回はヤソガ子爵領の問題がある。
ダタラに繋がる旧来の外交上の対応もあるが、壊滅的な被害を受けたヤソガ子爵領の対処にかかる負担があまりに大きい。
ヤソガ子爵領から隣接領地――主にサキュラ辺境伯領――に今この時も流れこんでくる難民は、今後さらに増えていくだろう。
難民の一部については定住させる余裕もあるが、流石に隣接領地で全ての面倒を見ることはできないので、大部分は元いた土地に帰す必要がある。
それにはヤソガ子爵領の復興が必要だが、領主は今回の混乱で死亡したし、ろくな文官・武官も残っていなければ、秩序だった体制も崩壊済みだ。
ヤソガ子爵家自体、周辺を占める辺境同盟からは大いに嫌われていたので、そのまま復興するとなっても協力するところはどこもないだろう。
サキュラ辺境伯領も正直協力したくない。だが、このまま放置しておくわけにもいかないのだ。
多数の難民が生きるために盗賊化して、周辺の治安を長期間かつ大規模に乱すだろうし、それに比例して衛生状況の悪化による疫病が心配される。
予算、人材、計画、警備――頭が痛い問題ばかりだ。
これらを何とかするために働く日々は、勝利した瞬間から始まっている。
11/20の活動報告にお知らせを掲載いたしました。




