破滅の炎23
夢に目覚めて、もう八年になる。
八年間、ずっと走り続けてきたと言える人生だった。
立ち止まったのはただ一度、マイカに強引に奪われたその瞬間だけだ。
辛く、厳しく、楽しい八年だった。
その八年の集大成が、今はこの要塞にある。
竜鳴山脈北部―ヤソガライン防衛要塞――断じて不死鳥要塞とは呼んでやらん――は、元からあった小高い丘を利用して、周囲を見下ろすように作られている要塞だ。
その中でも高く作られた見張り台の上から、森と平野の境界線を見やる。
そこには、夏の日差しを受け、金属製の毛皮という異常なものをきらめかせる人狼の群れがいる。
この要塞が見えたと同時にバラバラに襲いかかって来るかとも思ったが、やはり群れとして統率は取れているらしい。
昨日の夕方からちらほらと現れ続けた奴等は、周囲にいる全ての同胞がそろうまで、森と平野の間をうろうろしていた。
そして、現在目に見える数は、二百と数十。
今日は、森の中へと下がっていく人狼はいない。獲物を見定めるように、二メートルに達する巨躯でこちらを睥睨している。
「想定した中では多い方ですね」
見張り台の上で、私は事実として呟く。
「ですが、想定以上ではありません」
四百になると厳しい。三百ならば犠牲が増える。だが、二百ならば?
二百を超える人狼が、咆哮を轟かせる。
そして、音にならない、私の脳内にしか伝わらない謎の思念が咆哮の意味を教える。
『来タゾ、我ガ、同胞ヨ!』
『疲レタ……』
『長イ、長スギタ』
『同胞ヨ、頼ム』
『我ニ眠リヲ』
『同胞ヨ』
ええ、何もかもわかりませんが、良いですとも、我が同胞よ。
眠りが欲しいのならば、そこから前に走り出すが良い。
最後の瞬間まで、全力で駆けるが良い。
それがあなた達の死に様ならば、同胞よ、それは私の生き様だ。
なればこその同胞よ。
共感と、尊敬と、親愛をこめて、私の人生が用意した全力でもって、永劫の眠りを与えてやる。
「来なさい、同胞よ、私はここです――!」
そう宣言して、私は風に向かって槍を振るう。
槍に括りつけられたものが、晴天に舞う。
イツキ氏が残していった置き土産、不死鳥が刺繍された赤旗が、人狼相手に標的を示した。
こんなものを残して行っても、私はここを不死鳥要塞なんて絶対に呼びませんからね!
****
私の思念も向こうに伝わっているのかどうかは知らないが、人狼達は一斉に駆け出した。
金属の塊が、重低音を響かせながら要塞に向かってくる。
だが、簡単にはたどり着けない。
獲物の進行方向が予測されているのであれば、狩人は一体何を考えるか?
答えは簡単、罠を仕掛ける。
罠設置済みを示す赤く着色した木の棒で区切られた一角に、人狼達は無警戒に踏み込んだ。
次の瞬間、一瞬の閃光と、耳をつんざく爆音――そして、音より速く飛び散った鉄片と鉄球が、人狼を襲う。
私は爆薬の生産に成功している。
硫酸があるから、ニトログリセリンとニトロセルロースも作った。起爆薬まで作ってしまった。
それらを組み合わせて、閃光手榴弾が作れるのならば、殺傷能力を鉄片・鉄球の形でたっぷりつめこんだ破片手榴弾だって作れる。
破片手榴弾が作れるならば、踏んだ拍子に起爆薬に衝撃を与えて炸裂させる地雷だって作れる。
だから一杯作って、一杯仕掛けた。要塞の前方二百メートルから四百メートルは、立派な地雷原だ。
鉄花が咲き乱れる地獄の平原にようこそ!
金属製の狼さんにはとってもお似合いですよ!
私の大歓迎の意図が伝わったのか、猪突という言葉が似合いそうな勢いで、人狼達は次々と地雷原に乗り出し、爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされ、その五体を打ち砕かれていく。
流石に、音速を超える鉄の剛速球を打ちこまれては、天然毛皮金属鎧を着用していても無傷では済まない。
千切れ飛ぶ手足、粉砕される骨肉、中には口から上が砕け散って崩れ落ちる人狼もいる。
だが、群れは止まらない。
えぐれた肉を再生させ、失った牙を再生させ、中には手足の一本や二本を再生させながら、人狼の群れは地雷原を走破していく。
「ううん、前に見た時と変わらない、でたらめなファンタジーっぷり。相変わらずお元気そうで何よりです」
脱落したのは、五十から六十といったところ。連中の再生能力からして、そのうちの半数は追々復活してくるだろう。
眼球も再生するし、脳を傷つけても生きているくらいですからね。地雷原で片付くなんて甘いことは考えていなかった。
だが、勢いは削いだ。
本来なら一塊の金属土石流として要塞にぶつかるはずの人狼達は、爆風という緩衝材を投げつけられて、突撃の勢いが失われる。
減速した人狼達を絡め捕らんと待ち構えていたのは、鉄条網の蜘蛛の巣だ。
幾重にも幾重にも張り巡らされたそれは、要塞まであと二百メートルの地点で人狼達にぶつかった。
初めに触れた鉄条網は引きちぎられた。二つ目の鉄条網は、数体の人狼に押されて支柱がへし折れた。
流石のパワフルさである。
だが、鉄条網は十本や二十本ではないし、一本ずつしか絡まないわけではない。
へし折れた支柱に巻き付いていた鉄条は、一頭の人狼の胴に絡まった。すると、別な人狼が鉄条の一端を踏んでしまう。同族の体重で胴を引っ張られた人狼はバランスを崩して転倒したし、その間にいた人狼も、突然ピンと張った鉄条に足を取られる。
そんな光景があちこちで発生して、たちまち人狼の大渋滞を引き起こす。
もう一度言うが、そこは要塞から二百メートル地点である。
そして、私は火薬を開発してあり、この要塞は新兵器の運用に適した造りになっている。
私が立つ見張り台の下、コンクリ製の防塁に、煉瓦製の掩体壁と掩蓋に守られた砲塁――簡単に言うと、コンクリと煉瓦でガチガチに固めて砲撃を受けても大丈夫にした大砲の射撃場――から、砲兵達の声がする。
「狙いは良いか」
「大丈夫だ。あそこは試し射ちの時に当てた場所だからな。この位置で良い」
「そのための試し射ちだから当然だ。よし、砲弾装填!」
「あいよー!」
「尾部閉鎖」
「閉鎖了解、完了!」
よし、という砲兵指揮官の満足げな声が聞こえたので、私は耳を押さえた。
次の瞬間。
「発射!」
その言葉をかき消す、四十の砲口の大合唱。
その音と同時に見えて、それより早く、二百メートル先のキルゾーンで渋滞していた人狼達が、まとめて撃ち抜かれた。
使用している砲弾は、無数の鉄球を撃ち出す砲兵の散弾だ。
二度目の鉄球の剛速球に撃たれて、しかも鉄条網に絡まった人狼達は、さらに足が鈍る。ほとんど停止してしまった集団もいる。
砲兵には、そういった集団を狙って、第二射を撃つように指示をしてある。
「次弾装填、開始ぃ!」
「尾部開放するぞ、薬莢に気ぃつけろ!」
「そこどけ、弾こめるぞー!」
「慌てるな! 落ち着いてやれ! 連中はあんな遠くですっ転んでるんだからな!」
うむ、砲兵指揮官の怒鳴り声は適切だ。
イツキ氏に言った通り、火器の運用には練度に若干の不安があるのだ。
現在この要塞にいる兵の数は約七百名。
火器の運用訓練が一通り済んでいるのは、常備兵である二百名ほどに過ぎない。
緊急徴兵をかけた徴集兵五百名は、常備兵から新兵器の使い方を習ったばかりなのだ。
この七百名のうち、砲兵には二百名を割り当てている。危険性の高さから、砲兵には常備兵を多めに入れて、少数の未熟な徴集兵を監督する形にしている。
そのかいもあって、無事に二度目の砲撃が人狼達に襲いかかる。しかも、中々の速さだ。
この速さには、後装式の火砲の開発まで辿り着いたことも大きいだろう。
弾を発射する砲口から弾を装填する前装式は、火薬と砲弾を奥まで押し込まなければならず、再装填に時間がかかる。場合によっては、重い弾を装填するために、砲の向きを変えてから再装填しなければならない。
これでは照準からやり直しになるため、矢継ぎ早に発射とはいかない。
その点、砲の後ろに装填用の開閉機構をつけた後装式は、再装填が非常に楽だ。開閉機構である尾栓を開けて、そこに弾を入れれば良い。
普通、砲兵は発射時に火砲の後ろにいるのだから、必要な動作は格段に少ない。
後装式の欠点としては、製造に技術が必要であることと、製造コストが高くなることが挙げられる。うちでも製造には大分苦労した。
この数をそろえるために、砲撃時の反動を軽減吸収する機構や、反動でノックバックした砲塔を自動で戻す機構、自動装填機構等々を泣く泣くあきらめたくらいだ。
理想と実用は、常に厳しい綱引きを強いて来る。
ともあれ、支出と引き換えに速射性を高めた砲兵部隊によって、人狼は次々と叩き潰されていく。
自然災害のように怒涛の勢いで迫るはずの人狼軍は、今や火力によって分断され、精々十体程度の小集団として、バラバラの突撃を強要されている。
砲兵によるキルゾーンを最初に突破できたのは、先頭集団を走っていたがゆえに大渋滞に巻き込まれなかった人狼、八体ほどであった。
彼等は、二百メートルの鉄条網地帯を抜け、百メートル地点まで迫った。
距離が良く分かるのは、百メートルごとに目印になる旗があちこちに設置されているためだ。
さて、この要塞につめている兵の数は、約七百名と述べた。そのうち、砲兵は二百名。では、残りの五百名はどこにいるのか。
もちろん、古馴染みである槍や剣、弩砲を手にしている者達もいる。それらはおよそ二百名ほどだ。
あと、三百名ほどが余っている計算になる。
彼等は、砲兵と同じように防塁の中にいて、銃眼から目を凝らして百メートル地点のキルゾーンを狙い澄ましていた。
「撃て――!」
八つの標的に対して、およそ五十の銃撃音。
周囲の地面ごと全身を満遍なく撃ち抜かれた哀れな標的は、百メートル地点で前のめりに倒れ伏した。
三百名の兵が今手にしているのは、ライフル銃である。
大砲が作れるならば小銃も作れる。ましてや、我が研究所には飛行機を飛ばそうなんて夢の大きな技術者がいるのだ。
金属加工技術の向上はちょっと驚くほどに速い。
改良に改良を重ねて安定した各種動力機関を利用した旋盤技術は、ライフリングを切ることさえ可能としている。
もちろん、このライフル銃も後装式であり、自動装填機能付き――とまでは流石に無理だったが、ボルトアクション一つで次弾装填が可能だ。
つまり、五十の銃撃を受けてなお再生を始めた人狼を見て、もう一度五十の銃弾が降り注ぐのは当然の光景だった。
先頭の八体にトドメを刺しているうちに、次に小銃兵キルゾーンにやって来たのは五体の群れだ。その次は六体、次は三体と五体、次は十一体――まるで射撃練習の的のように、人狼達はライフル銃の餌食になっていく。
そこに、二百メートル地点に標的がいなくなった砲兵も加わり、要塞を押し流そうとやってきた鋼鉄の獣が、鉄火の波頭に呑まれて消えていく。
それでも瞠目すべきことに、一部の人狼は鉄火の波に揉まれながら、小銃兵キルゾーンを泳ぎ切った。
本当に魔物というやつは規格外の存在だ。対人戦なら余裕のオーバーキルでいけたと思う。
二十体ほどは白兵戦になりそうだ。




