破滅の炎22
竜鳴山脈北部―ヤソガライン防衛要塞に到着できたのは、ヤソガの領都を脱出してから七日後のことだった。
「めっちゃ疲れました」
到着早々、要塞中央に造られた作戦会議室に呼び出された私の第一声がそれである。
それに対し、(サキュラの重鎮は最悪の中の最悪として想定していた)ヤソガ領異常事態発生の報を受け、前線要塞まで駆けつけていた領主代行殿は、重々しく頷いて見せた。
「やっぱアッシュってすげえよな。数百の魔物に襲われた都市から、自軍全員を生還させて疲れたで済むんだぜ」
「一応死ぬかと思いましたよ?」
「死んでないじゃん?」
死んでたら疲れなんて感じてませんよ。
まったく、それが決死の逃避行を乗り越えて、汚れた格好で御前に馳せ参じた部下に対する態度ですか。ひどい上司だ。
「それに、味方が無事なのはマイカの手柄ですよ。領都の門を突破する時の立ち回りがもうすごかったですよ」
あの勇姿は劇場化決定ですね。
「それについては、後日詳細な報告を頼む」
「物語調で良いですか?」
「許可する」
わーい、やったね。遊び心のある良い上司だ。
「ともあれ、生還してくれて心底喜ばしいぞ、アッシュ。一週間前より倍、いやさ、万倍だな」
「少しくらいは休みたいのですけどね。そう言ってはいられませんか」
私は溜息をついて、卓上に広げられた周辺地図に視線を向ける。
「魔物の動きはわかりますか?」
「おおまかなものなら。逃げてきた避難民や行商、偵察部隊の報告からすると、人狼の群れはこっちに流れて来そうだ」
イツキ氏の指が、ヤソガ子爵領の領都からサキュラ辺境伯領の領境に向けて、一本のラインを引く。
「この間にある村や都市が襲われている。それ以外の方面の動向は不明だ。人の流れが少ないし、遠すぎて偵察も出せん」
「一部にしろ全体にしろ、それなりの群れがここに来るのは確実ですか」
「良い報せもあるぞ。竜はもういないそうだ。人狼だけだな」
なんか竜も言っていましたしね。同胞は兄弟の手によって眠りたいって。
あれ、「人狼が私のところに行くから」予告だと思うのだ。
「まあ、やることは変わりません。陣地構築は順調ですか?」
「俺もここに来たばかりだからな、昨日の報告では順調だと聞いている。今日の報告でお前から確認した方がわかるだろう」
「要塞に入る時に見た感じでは問題なさそうでしたから、そう心配はしていませんけどね」
「そうなのか?」
疑わしい、というよりも、不思議なものを見るような口調で、イツキ氏は確認する。
「今まで見たことがない種類の備えだから、どういう状態が問題なのかわからないんだが」
「新機軸の要塞ですからね」
なんたってこれまで剣と槍、弩砲がメインという戦争技術に爆薬を追加したのだ。戦場も一気に近代化する。
相手が近代化していないので、この戦術で合っているのか確証はないけれど。
「いずれにせよ、人狼がいつ来てもおかしくないので、今やっている作業で準備は終了です。後は実際に戦ってみないことにはわかりませんね」
「どれだけの数が押し寄せてくるかもわからんしな」
人狼の場合、三十体いれば都市が落ちると言われる。
この数字は、弩砲の対応能力を超えるかどうかにかかっている。
人狼を足止めすること自体は、歩兵でも難しくはない。私やマイカがやったように、それなりに心得のある人物ならば一人でも防戦は十分に可能だ。
しかし、仕留めるとなると途端に難易度が上がるのが、人狼の厄介な点だ。
弩砲のような大火力、というか、ストッピングパワーあふれる攻撃でなければ効果が非常に薄い。
弩砲の運用は、あれで仕留めるというより、槍のような矢で地面に縫いとめる(そこを袋叩きにする)効果の方が重要視されているのだ。
しかしながら、弩砲は連射が効かない。
数台並べて運用しても、一度に相手にできる数は決まっている。おまけに人狼は石壁の登攀が得意ときている。
結果、人狼の群れの動きにもよるが、十体を超えると都市内に侵入を許す可能性は高く、二十体を超えると市壁を占領される可能性が上がり、三十体を超えると都市内を蹂躙される可能性が出てくる。
ちなみに、ヤソガの領都では逃げる際に見かけただけで三十体を越えていた。
咆哮の数からして、その五倍はいただろう。これはかなり少なく見積もった数字で、竜は数に入れていない。
なお、人狼の数が百を超えると、領地が滅ぶレベルの話になる。
実際、ヤソガ子爵領は現在進行形で半壊していっている。
「アッシュ、率直なところを聞きたいのだが……」
恐らく、他のどの領地よりそのことを肌で知っているサキュラ辺境伯の地、その領主代行が私に深刻そうな顔を寄せる。
「――厳しいか?」
最悪の場合、領地を捨てて逃げる決断に必要な問いかけを、無数の命を切り捨てる重責にある男が問う。
私は、非常に珍しいことに、領主代行殿の顔に陽気さや豪快さとは正反対のものを見つけて、慎重に答えを出すことにした。
「いえ、それほどでもないかなと」
うん、大丈夫そう。
ああ、絶対とは言えませんよ? 言えませんけど、大丈夫だと思うんですよねー。
後期古代文明の要塞を壊滅せしめたという、竜が数百頭規模、人狼が数千頭規模で群れて来たというなら流石に打つ手がなさそうだが、人狼が百や二百ならばこの要塞でも十分に持ちこたえられる。
「にひゃく」
「ヤソガ子爵領である程度の数を減らしたとして、百以上は来るでしょうし、二百もありえそうなんですよ。流石に三百はないとは思いますが」
「さんびゃく」
ここ百年、三桁以上の魔物の群れは一度しか観測されていないので、これ以上は増えないと思う。
なお、百年に一度の観測はつい先日のヤソガ子爵領の出来事だ。
「で、それくらいならここの装備の想定範囲内です。不安なところを挙げるとすれば、新兵器を使った新機軸の戦術ですから、練度がどうしても低いところですかね」
「だが、それは要塞の効果でカバーできるという話ではなかったか?」
「そうなんですが、それくらいしか心配がないんですよ」
あと心配するとしたら士気だが、サキュラの兵はプロフェッショナルぞろいだから安心だ。
トレント戦の時も、ただの輸送任務が魔物討伐戦に移行したのに適切に対応してくれた。
多数の敵に怖気づいて戦線崩壊、などという危惧がいらないというのは、指揮官として非常にありがたい。
「やっぱりアッシュってすげえよな。この状況で、虚勢でもなく大丈夫って普通に言える奴、他におらんぞ」
「この状況だから言えるんですよ?」
今の私は、私の人生の全力の上にいるのだ。
恐れるモノなど何もない。




