破滅の炎19
田舎の中のド田舎、寒村農民の息子として生まれて十七年。
まさか自分が王宮の舞踏会に参加することになるとは、人生わからないものだ。
紛れもなく、人類最高峰の高貴な場である。
舞踏会なので、お相手のいる参加者は当然パートナーを連れて歩くことになる。
私の隣のマイカは、マーメイドタイプのドレスというか、スリットの深いチャイナドレスに似た衣装を着ている。
日頃の鍛練で引き締まったラインが引き立って、実に綺麗だ。
「へえ、これが王宮のホールかぁ」
私と腕を絡ませて歩くマイカが、きらびやかな会場に淡白な感想を漏らす。
その素っ気なさといったら、設計者や施工者が聞けば崩れ落ちそうなほど、どうでも良さそうである。
多分、豪奢な会場に感嘆するよりも、足元で踏みつけている石材の有用性について納得がいかないのだろう。辺境に住む者の共通の貧乏性、石材を見ると市壁に使いたくなる衝動が湧くのだ。
見栄えよりも防御力。辺境の合言葉である。
「あんまり珍しい物はないかな」
豪華さだとか細工の美麗さだとかは無視して、使用されている技術の程度でマイカはそう判断を下した。
私も同感だ。お金はかけてあるし、職人技や芸術としては一流なのだろうが、古い技術の組み合わせばかりで科学的先進性は見当たらない。
我が家である第二領主館とは真逆といった感じだ。
マイカが期待外れ、という表情をしているのも無理はない。
ちょっとつまらなそうに唇を尖らせた後、マイカは私を見て頬を緩める。
「でも、王宮でアッシュと踊るのは、思い出としては良いかも」
「そうですね。土産話に丁度良さそうです」
絡めた腕にぎゅっと力を込めてくるマイカに、私も軽く体を傾げて寄り添う。
マイカってば体幹がしっかりしているから安定感がすごい。見た目は細いのに大樹にもたれかかっているかのような頼もしさがある。
「あ、今アッシュに頼られてる感がある。すごい、プレミアム感が半端ない……」
「あ、バレました?」
私が認めると、マイカは恥ずかしそうにほにゃりと笑顔を蕩けさせる。
そんな感じで時間を潰していると、段々と身分の高い人物が会場に入ってくる。
そう、入場の順番にも礼儀作法があるのだ。身分が低い者は早め、身分の高い者は遅め。
元はと言えば、目上の人物を待たせないようにという目下側の気遣いから始まったらしいが、今は強制である。
これについて、我等が辺境伯閣下は、面倒、と一言だった。
そりゃあ伝令も前触れもなしで、早く会いたいという理由だけで温泉まで単騎駆けするような人物である。こういった実のない習慣は、一等嫌いだろう。
そんな当人の趣味で、我等が辺境伯閣下の入場は、かなり早い。
田舎者扱いされていても、下手すると公爵と同格、国王の次かその次くらいに偉い人物としては、破格の早さだ。私やマイカと一緒でないだけ我慢した方、と思う私も、閣下側の人間だと思う。
いつも通り早い入場のサキュラ辺境伯に、中央貴族側の出席者の何人かが、鼻で笑う光景が会場で散見される。
だが、そんな彼等の嘲笑は、サキュラ辺境伯と並んでやって来た人物によって吹き飛ばされた。
「お、ビルカン大神官長。うちの孫娘とその婿はあちらのようですぞ」
「おお、そのようですな。閣下、お二人にご挨拶をさせて頂いてもよろしいですかな?」
「もちろんですとも。私の許可など不要ですぞ? あの二人はしっかりしておりますからな、自分達で判断できましょう」
国王の次くらいに偉い人と、国王と同じくらい偉い人が笑いながらこっちへやって来る。
マナー的なことを考えると、二人ともめちゃくちゃ早い。
今パーティ会場にいるのは、それぞれの派閥の取り巻きクラスや、主人の代理人クラスで、大神官長と真っ向から話せるだけの度胸――あるいは教養――がある人物はいないようだ。
一部の者は、大神官長の足止めをしなければならないと思われるのだが、あわあわした顔をさらすだけで、誰も行動に移せなかった。
「こんばんは。マイカ殿、アッシュ殿」
大神官長は、身分の高い順に私達に声をかけた。
私の呼び方が役職に対するものではないのは、友人と呼べるまで仲良くなったからだ。
そこまで友好度を稼いだ秘密は、トマトにある。ここまでいうと、秘密でもなんでもないが、やはり食欲は偉大ということだろう。
友人になった余禄として、大神官長立会いの下、という条件付きではあるが、神殿にある全蔵書の閲覧許可を得られたのが一番嬉しい。
「お会いできて光栄です、ビルカン様」
「こんばんは、ビルカン様」
マイカと二人で挨拶して、ずいぶんとお早いですね、と苦笑してみせる。
「アッシュ殿と、その婚約者にして名高い首狩り姫マイカ殿がパーティに出席されると聞いて、年甲斐もなく気が早ってしまいましてね、お恥ずかしい」
全く恥ずかしくなさそうなにこやかさで、大神官長は応じる。
「まあ、嬉しいです。でしたら、今度はアッシュと一緒に、ビルカン様のところへお邪魔してもよろしいですか?」
「もちろんですとも。アッシュ殿から、マイカ殿の才媛ぶりも聞き及んでいますよ。神殿を預かる者として、知者との会話は何物にも勝る喜び、楽しみにしています」
一気に地位的平均値が上がったチームで、やあやあようようと会話を転がす。誰がどう見てもお仲間ですよアピールに、私達に敵対している派閥の顔色が悪くなる。
そうですよ。大神官長はこちらの味方です。
どうやら派閥の主人に報告に行くらしく、下っ端貴族が出口の方へ大股で向かう。作法的には全力疾走というところだ。
しばらくして、ダタラ侯爵が会場入りした。その隣にはアリシア王女殿下の姿もある。
二人は表面上にこやかな体裁を保っているが、ほとんど誤差のような極薄の表面のみだ。
ダタラ侯爵は、会場に入ってすぐに足先を自分の派閥を固めて置いてある方向へ向けたが、アリシア嬢が笑顔でインターセプトして大神官長がいる方を手で示す。
あら、ビルカン大神官長だわ。ご挨拶しなくては。ダタラ侯爵もご一緒しましょう。
本当ですな。しかし、あちらの者が私を呼んでいるようですが……。
まあ、そんなことより、あちらにフェネクス卿もいらっしゃるわ。ダタラ侯爵は近頃体調が優れないようだから、一度ご相談してみたら? フェネクス卿の医学知識は王都でも一目を置かれるほどと聞くもの。
聞こえて来た二人の会話は、こんな感じだ。
逃げの手を打とうとしたダタラ侯爵の襟首を掴んで引きずりこむような力強さで、アリシア嬢は今回のターゲットを連れて来る。
「ビルカン大神官長、サキュラ辺境伯、マイカさん……それに不死鳥さん。こんばんは」
アリシア嬢は、一仕事終えた爽やかな笑顔で挨拶してくれる。もちろん、私を含む四人も同じ顔だ。
逆に、敵地に孤立したダタラ侯爵は、気のせいか笑顔が固い。こんな序盤で顔色を悪くするなんて、そんな有様ではこの後の展開に心臓が持つかどうか心配だ。
「早速だけれど、不死鳥さん、こちらのダタラ侯爵のことでお話を聞いてもらっても良いかしら?」
「私でよろしければ何なりと、殿下」
ありがとう、と笑うアリシア嬢は、獲物にかじりつく前の猫のようにも見える。
マイカ? 猛禽の眼光でダタラ侯爵を睨みつけていますよ。殺気に物理的な干渉が可能だったら、とっくにダタラ侯爵は死んでいるってくらいの目つきだ。
「近頃、ダタラ侯爵は体調が悪いようなの。前までは頻繁に開いていた宴席も行わなくなったし、他の家の宴席にも参加しない。今日だって欠席しようと考えていたみたいだし、ついさっきも急に体調が悪くなったようで、帰ろうとしていたの」
それを察したアリシア嬢が、出口で捕まえて会場入りしたらしい。
ダタラ侯爵は知らなかったようだが、王女からは逃げられない。
「なるほど。ダタラ侯爵もお年のようですし、ある程度は人の身では避けられぬ老いの影響もあるでしょうが……」
「ああ、いや、フェネクス卿。ご心配をおかけするに及びません。我が領にも腕の良い医師はおりますので」
「ああ、ご侍医がいらっしゃいますか。それも当然ですね」
そういった身分の人ですからね、と会話をかわそうとしたダタラ侯爵に頷いてみせる。
もちろん、かわした先に追撃を送り込むのはやめない。
「ということは、心因性の原因も多いのかもしれませんね。いわゆるストレスが、お体に負担をかけているのでしょう」
「……ほう、ストレスと」
ダタラ侯爵の言葉に、ちょっと苦い口調が混じった。いい気味だ。
こっちはおかげさまでもっとストレスを感じているのだから、たっぷりと心を痛めて欲しい。
「侯爵という身分になりますと、色々とご心労も多いでしょう。領地の経営、周囲の領地との関係、遠方の領地との関係……気を回すことも、実際に手を回すことも多いのではありませんか?」
「ええ、まあ、そうですな。立場上、そういったことが職務ですから」
特に最近は、遠方の領地の関係が手こずっているんですよね。知っています。
「そういった積み重ねが、お体に負担をかけているのですよ。体調が崩れやすくなったというなら、思い切ってお休みを取られるのがよろしいそうですよ」
「他領の領主に、そんなことを口にするのは感心しませんな」
ダタラ侯爵の言葉の中に、鉄針が入る。戦闘態勢に入ったらしい。
「お若いフェネクス卿がご存知ないのも無理はないが、そのような言動は内政干渉と言ってね」
「あ、解説は結構です。十分に存じ上げております。つい先日、私も内政干渉に対応したばかりなのですよ」
ひょっとしたらお耳の良いダタラ侯爵ならばご存知かもしれませんが、と私は断りを入れる。
「サキュラの領都で武装蜂起がありましてね」
「……おお、聞いたことがありますよ。風の噂で、内乱ということでしたが」
「確かに、現場の実行者の大半はサキュラ領の人間だったので、内乱といえば内乱ですね」
風の噂どころか、密偵からの報告で知っているだろうダタラ侯爵に、彼が知らないだろう情報を教えて差し上げよう。
私は親切なのだ。
「ですが、領外の人間の実行犯も捕らえたのですよ。密偵をざっと二十人ほど、生け捕りです」
捕殺ではない、生け捕りだ。
ダタラ侯爵もこれは知らなかっただろう。
そういった状況を知ろうにも、内乱発生時に領都にいた密偵の大部分を捕らえたので、情報を持ち帰るべき人間がいない。
ダタラ侯爵が知り得たのは、内乱を遠くから傍観する立場にいた密偵か、内乱決行前に領都を離れた密偵からの情報だ。
どれだけの密偵が生きて捕まったかまで詳細に把握することは難しい。
つまり、二十個の口が情報源となっていることをダタラ侯爵は知らない。だから教えてあげたのだ。
思った以上に、あなたの情報は頂戴していますよ、と。
親切でしょう?
「色々と情報を整理したところ、サキュラ領の実行犯を他領の人間がそそのかしたようでして……これは立派な内政干渉でしょう?」
「詳細はわかりませんが、そうかもしれませんな」
とぼけたことを言っちゃって、私以上に良く知っているくせに。
「ああ、密偵がどこの人間かも気になりますよね?」
「そうですな」
あまり気にならなそうな口調で、ダタラ侯爵は頷いた。
口調はともかく、肯定したのだから気になることを教えてあげる。
「それを解明したかったのですが、言葉遣いや身なりなど、かなりサキュラ辺境伯領に合わせていましてね。答えはわからなかったのですよ」
「それでは、どこの手の者か調べるのは困難でしょうな」
心なしか、ダタラ侯爵は満足そうだ。
「密偵としての程度が高かったことは間違いありません」
ダタラ侯爵に相槌を打って、そこでお知恵をお借りしたい、と微笑む。
「それでも長年慣れ親しんだ習慣というのは、ふとした時に漏れるものでしてね。疲れた時にコワイと漏らしたり、郷土料理の漬物の名前、お守り代わりに短剣の柄に入れていた香木などから、おおよその出身が割り出せるのではないかと思っています」
何かこれらの風物をご存じありませんか。辺境では聞かないものばかりであることは確認を取っているので、中央側のものだと思うんですよ。
ダタラ侯爵は、当然言葉につまった。社交の大ベテランにしては珍しい失態だ。
そんな彼に、ビルカン大神官長が助け舟を出す。
「それでしたら、私も聞いたことがありますよ。王都の西方の領地で見られる習慣ですね。確か、そう……ダタラ侯爵? あなたの領地でもそうですよね?」
「まぁ、そうですな」
否定はできず、かといって大っぴらに肯定もしづらいという様子で、ダタラ侯爵は短く曖昧な言葉で返す。
「ああ、やはり中央貴族の手の者でしたか。そうではないかと思ったのです」
貝のように口をつぐむ体勢に入ったらしいダタラ侯爵に代わり、第三者(味方)のビルカン大神官長が、その根拠を問うてくる。
「おや、どうしてでしょう」
「辺境に生きる者にとっての大敵は魔物です。それを放って人間同士の争いを起こそうとするなど、辺境に生きる者の考えではありません」
「なるほど。名高いサキュラ辺境伯家の人間が言うと説得力がありますな。ですが……」
「はい?」
「いえ、言いにくいのですが、最近は辺境の方でも揉め事を好まれる方がいらっしゃるように思いますので」
ビルカン大神官長は、一見ダタラ侯爵へのフォローにも聞こえることを口にする。
もちろん、トマト大好き大神官長は私達の味方だ。
「ああ、わかります。ただ、その方自身はほとんど王都にいて、辺境の領地の実情には疎いのだと思われますが、いかがでしょうか?」
「なるほど。確かに、言われてみれば一年を通して王都で見かけます。ダタラ侯爵の眼から見て、いかがです?」
お宅のところのヤソガ子爵のことですよ。よくわかっているでしょ?
私と大神官長のダブル笑顔で問い詰めると、実際よくわかっていらっしゃるようで、返事がなかった。
図星を指されてだんまりなんて、それをやって許されるのは普段の行いが良い人だけですよ。
例えばマイカとかアリシア嬢とか、想像しただけで可愛いので無罪だ。
ダタラ侯爵は可愛くないので有罪。
「まあ、そんなこんなで、やはり領地の経営に関わると心身に負担が大きいでしょう」
話の前後が全く繋がっていないが、それはどうでも良い。
つまるところ、ここまでの会話はダタラ侯爵に、お前の悪事はまるっとお見通しだけど、何か反論ある? そう問いかけていたのだ。
黙りこんだということは、反論はない、ということになる。
社交界ではこれを、己の罪を認めた――とは言わないが、負けを認めたとは言う。
「内政干渉と言われるのは不本意ですが、ご体調を崩されているというお話を聞きますと、ダタラ侯爵にはお休みが必要のようですよ」
それも長いお休みがね。
アリシア王女殿下も、慈愛に満ちた笑み――アリ地獄に落ちたアリを見送るようなそれ――で、幼少の頃から世話になった人物を諭す。
「無理は良くないわ、ダタラ侯爵。後継者も育っていると聞くのだから、無理をせずにお休みしても問題はないでしょう?」
いや、しかし、とダタラ侯爵に屁理屈をこねる暇も与えるものかと、アリシア嬢は会場の別な方向に手を振って行ってしまう。
ほんのちょっとして戻って来た彼女は、国王陛下とご一緒だった。
「陛下からもおっしゃってあげてください。最近体調を崩しがちのダタラ侯爵には、お休みが必要ですわ」
こういった案件については、事前に根回しが済んでいるのが社交界である。
国王陛下は、一応ダタラ侯爵の反論を待ったが、サキュラ辺境側が優勢であることを確認しただけだった。
「ダタラ侯爵、そちももう良い年だ。少しばかり後継者に仕事を任せておかぬと、代替わりの時に困るであろう」
大人しく引っ込め、という国王陛下の裁定に、ダタラ侯爵は口元にかすかな引きつりを見せてから頷いた。
腹芸が甘い。ユイカ女神なら顔色一つ変えずに頷くところだ。
なお、その女神の娘は、腹芸をする気は欠片もないとばかりに舌打ちを響かせる。
「せっかく動きやすいドレスで来たのに、決闘騒ぎの一つも起きなかった」
合法的に貴族を始末する望みを抱いていたらしい。
遠慮のない声量だったので、聞こえてしまった中央貴族が引きつった表情で、聞きなれない冗談だと笑って見せる。
もちろん、マイカ流の威嚇だ。うちはいつだってやる気があるぜ、という恫喝をすることで、不満を抑え込む目的がある。
たとえ、受付でマイカが愛用の剣を三本も預けていたとしても、ドレスを選ぶ時に武具を選ぶ時のように熟考していたとしても、本気ではない。
威嚇のポーズに過ぎない。あくまで本当にそうなっても対応できるように準備しただけだ。
大体、私の婚約者が本気で殺ると決めたら、今頃王都に神出鬼没の暗殺者か殺人鬼の噂が大流行しているよ。
うちの婚約者はとても優しい。
女神の娘、すなわち天使ですからね。
書籍化情報について11/1の活動報告にてご報告させて頂きました。




