破滅の炎18
それからおよそ一月後、今度は王女殿下の格好のアリシア嬢が、辺境伯家の屋敷にやって来た。
表向きは、アリシア派の代表格であるサキュラ辺境伯家のごく私的な晩餐へ、王女殿下が親愛と重用を示すご臨席という形を取っている。
辺境伯家と双璧をなすもう一方の代表格、ダタラ侯爵家にはそんなことをしていないので、王女殿下がどっちをひいきにしているかわかるよね?
そういう催しだ。
全然私的じゃない。
「そうは言っても、このお屋敷での食事は本当に気が休まるわ。王宮での食事なんて完全にお仕事だもの。それに比べれば、サキュラのお屋敷への訪問は本当にくつろぎに来ているようなものよ」
デミグラスソースハンバーグをぱくりと食べて、アリシア嬢はふにゃりと表情を緩める。
「お~いしい! アッシュの手料理を熱々で食べられるのも、すごい贅沢だわ」
王宮での食事は毒見役がまず食べて、問題がないか経過を観察してからようやく食べることができる。どんな熱々料理も冷めて出てくるそうだ。
どこぞの侯爵が王族暗殺をしたとみられる現状では、特にその辺りが厳重で、理由はわかるが美味しくないと、アリシア嬢はハンバーグをお代わりしながらぼやく。
「アリシアちゃん大変そう。あたしがその立場だったら三日も我慢できないかも」
ぼやく王女殿下の隣に座るマイカが、想像した王宮生活にげんなりした顔でハンバーグをお代わりする。
一応、王族の血を引いている辺境伯家の孫なのだから、マイカも王宮生活ばりの毎日を送っていても不思議ではないのだが、当人にその自覚はないようだ。
「実際、わたしも王宮に戻って三日くらいで限界だったわよ? そこで諦めるしかなかったから、今は慣れたけど……せめて自分で厨房に立てれば良かったのに」
厨房に立つ王女殿下とか、人気が出そうなのだが、王宮的NGだったのだろうか。
少なくとも、サキュラ辺境伯領でなら大人気間違いない。
たまに、マイカがヤック料理長の指示の下に領主館の厨房に立つのだが、「流石ご当主のお孫様だけある」とか感心されますからね。
マイカが時折でも厨房に立つのは、私がご飯のリクエストをした時に料理の腕を落としていたくないから、という私にとって大変幸せな理由による。
「ヤック料理長のご飯も恋しいわ。サキュラのご飯はすごく美味しかった」
思い出補正もあるのだろうが、アリシア嬢は切ない吐息を漏らして、お代わりのハンバーグを頬張る。
情感たっぷりに頬をもぐもぐさせる――上品な所作と旺盛な食欲の合わせ技ですごく愛らしい――アリシア嬢に、マイカが不思議そうにしながら笑う。
「なんか、生まれ故郷の手料理を懐かしんでるみたいだね?」
「そう?」
アリシア嬢は、自分の内面を振り返って、そうかも、と笑った。
「マイカの言う通り、わたしにとってサキュラはそういう場所なのかもしれないわね。良い思い出も、生きる目的も、それから大切な人も、全部そこでできたから」
言葉と同じ意志を、それ以上にこめられた視線が、私に伸ばされる。
私は、返事に迷わなかった。
「もし、帰って来たくなったら、いつでも言ってください。お迎えに上がりますよ」
この宣言は、気休めでも冗談でもない。
その必要があるならば、本気の全力で、ありとあらゆる障害を排する決定を含めた誘いに、アリシア嬢は表情を抑えこんで視線を伏せた。
「そういうことは、婚約者さんのいる人が言ったらダメじゃないの?」
「問題がある気がしないでもありませんけれど……それを言えない人間にはなりたくありません」
今はもう懐かしいくらい昔、二人で過ごしたあの寮室での宣言。
ただの口約束に過ぎないが、約束したのだ。
彼女が私を助けたいと願う時、私は必ず彼女の手を借りに行くと。
いつでも履行する覚悟があり、それらしい理由をつけて逃げるような人生は送りたくない。
「マイカも、嫌ですか?」
「複雑なところはあるかな?」
口調とは裏腹に、マイカは優しい笑顔で赤らんだ頬を押さえている。
「でも、そう言えるアッシュだから好きだし、言ってる相手がアリシアちゃんだからね。アリシアちゃんならしょうがない。むしろ、言ってあげなきゃダメだし、言ってくれたアッシュに惚れ直しちゃうよね」
私に応えるというより、アリシア嬢に教えるように口にする。
付け加えて、奪われるアリシアちゃん良いなーという呟き。
まあ、その、なんですか、奪って頂いてありがとうございます。
一方のアリシア嬢は、しばらく、恥ずかしそうにもじもじしていたが、再び私に向けられた表情は、満開の花より明るかった。
「やっぱり、サキュラはわたしの故郷なんだわ。いつか、わたしが帰る場所……」
待っててね、と彼女は私を見つめて言った。
早くしてね、と応えたのは、なぜかマイカだった。
****
食事も一通り済んだところで、この屋敷の主であるサキュラ辺境伯閣下が、今日の集まりの理由の一つを持ちだす。
「では、主にアッシュががんばった根回しの結果を話し合うとするか」
なお、ついさっきまでの青春的甘酸っぱいやり取りについては、「領主的に問題を感じた部分は多々あったが、女同士の結束はようわからんから」と実に含蓄のある見解を示した。
領主の権力は、女性の権力より高いとは限らない。これが辺境伯家のスタイルだ。
「アッシュはうちの身内だから、俺のところにも神殿からの挨拶回りは来ているぞ。基本的に良い話しか言わないが……これは社交辞令に見せかけた嫌味なのか? それとも、額面通りに捉えて良いのか?」
「閣下、その中間というものが世の中には存在すると思うのですが?」
「俺の世の中には不要だな」
うらやましいくらい清々しい意見だ。そしてわかりやすい。
ゲントウ閣下のこういうところは嫌いじゃないので、私は苦笑しつつ、その辺の本音を掴んでいるであろうアリシア嬢に頷く。
「全員とは限らないけれど、挨拶に来るくらいならサキュラ辺境伯家に好意的なのは本音よ。今の神殿で大勢を占めているのは、不死鳥さんのファンの人達だから……どうしてアッシュが一番意外そうな顔をしているの?」
「いえ、議論の場に出ると食ってかかって来る方が多いので」
「その代わり、傍聴席が満席でしょう?」
議事堂を使用した議論は、回を追うごとに観客の皆さんが増えて行って、今では満員御礼なのは見ていて分かる。
「傍聴席に詰めている人達は、大神官長派が多いの。若い顔が多いでしょう? 今の大神官長は、前にも言った通り改革推進派で、神殿では若い人が乗り気だわ。そういう若手を、今の大神官長が積極的に登用しているからなんだけど」
議事堂で突っかかって来るのは、そういう若手を抑えつけている上役なのだそうだ。
傍聴席が満席なのは、普段は自分達のやることなすこと全部に小馬鹿にしたように小言を挟む邪魔な上役が、若い論客に翻弄されているのがストレス解消に最高なのだとか。
「大神官長も、若手のやる気が上がる一方、保守派が静かになって非常に助かると言っていたわ」
「ビルカン大神官長が好意的なのは知っていましたけど、傍聴席の皆さんも味方側だったとは」
道理で、良いタイミングで笑ったり、拍手・歓声を上げたりしてくれると思った。
音響効果というか、私の発言の後に観客の反応が大きいと、説得力が増したり、相手の反論の意志をくじく効果がある。
「まあ、普通に考えて、大神官長があれだけ好意的という時点で神殿は味方についたと思って良いわ」
組織が大きいから反対派もそれなりにいるが、大神官長になるというのは、神殿において多数派をまとめあげる人望と政治力がある証左なのだという。
「それにしても、流石はアッシュというか……大神官長にずいぶんと気に入られたのね? 議論が終わると、毎回必ず個人的な時間を取られるそうね?」
「大変気さくな方ですからね。話が弾むんですよ」
あとあの人、トマト料理が大好物なんですよ。
私が手土産にトマトソースを作って持って行くと、ひっしと抱きしめてくる。
最近はトマトソース欲しさに声をかけているのでは、という疑惑を私は抱いている。
「そんな扱いは異例だから、大神官長はすっかりフェネクス卿の虜だという噂があるわ」
「トマトの虜ではありますかね」
「トマト?」
アリシア嬢は不思議そうな顔をしたが、さして重要ではないので流すように促す。
味方といえる大神官長の株を下げる必要もない。
「よくわからないけれど……とにかく、この前会った時もアッシュのことをべた褒めだったし、力になってくれると約束してくれたわ。これなら、ダタラ侯爵を相手にしてもまず勝てると思う」
「とすると、そろそろ決着だね」
マイカが、獲物の喉笛に噛みつく準備のように舌なめずりをする。
「そうね。これが終わると、アッシュもマイカも帰ってしまうから、残念な気持ちはあるけれど……」
アリシア嬢は、切なそうに溜息を漏らした後、すっと目を細めて呟く。
「アッシュに手を出そうとしたあの人達を放置しておく理由にはならないね」
「その通りだよ、アリシアちゃん!」
「任せて、マイカ」
二人とも、ぎゅっと互いの両手を握り合って熱い気持ちを固めている。
二人の間では熱気がみなぎっているのだが、周囲の空気は不思議と冷え込んだような気がする。
ゲントウ閣下が言っていた通り、女性同士の結束は爆発物の作り方より難解なので、私はコメントを差し控えた。
「後は、どうやって決着の場にダタラ侯爵を引き出すかですか」
私としては、神殿の好感度を稼ぐよりこちらの方が難しい。
ダタラ侯爵だって相応の政治力を持っている。
というより、政治力はかなり高い。お金で人を殴るような強引なやり方がまかり通っているのも、その政治力のせいだ。
現状では不利だと悟っているはずなので、迂闊にサキュラの人間と鉢合わせるような席には出てくるまい。
この場合、裁判だとかそういった文明的な解決法は候補にすら上がらない。
権力者同士の争いというのは、そう綺麗さっぱり結果が見える形で勝敗がつかない。
というより、綺麗さっぱり勝敗がついてしまった状況というのは、ひどい事態を指すことになる。
具体的には、敵領主の首を取ったとか、敵領都を制圧したとか、そういう戦争レベルの話だ。
浪費される資源が大ごとだ。
もっとも、領主の首を取るだけなら決闘という命がけスポーツ文化もあるので、必ずしも戦争になるわけではない。
ダタラのやり口を見ていれば、そんな血と汗の爽やかスポーツ的な期待は薄いと言わざるを得ないが。
裁判でも戦争でもなく、権力者の勝った負けたを決めるのは、社交の場だ。
前に王都に来た際、ダタラ侯爵主催のパーティ会場でアリシア嬢の奪い合いをしたが、あれが貴族流の喧嘩である。
パーティ会場では、力の強い人物を中心に人が集まる。それはそのまま、会場以外でも何かあった時の人手の数になる。
実際に何でもありの闘争状態になった時、敵の勢力がどれほどのものかを測れるのだ。
ざっくばらんに言うと、軍事演習を国境線で行って見せることで「うちに手を出したらどうなるか、わかったな?」と圧力を加えることと同じだ。
前回のパーティでは、最重要人物であるアリシア嬢を辺境同盟で確保することで、もう今までのように好き勝手にさせませんよ、と力を誇示したのだ。
途中、ヤソガ子爵とかいうチンピラをコテンパンに叩きのめす、なんて実際的な武力行使もしたが、効果は一緒だ。
あれ以降、アリシア嬢はずいぶんと自由に動けている。
神殿と繋がりを強めたり、辺境同盟の集まりを重視したり、どんどん王女としての力を強めていく。
それが面白くないダタラ派が干渉しようにも、パーティ会場の一件を知っている者達は、「ダタラ派から内々の指示があったけど、辺境同盟の機嫌を損ねたらまずいことになるのでは?」と考えて、以前のように王女殿下の行動に邪魔が入らない。
このように、権力者にとってのパーティとは、鉄火によらない戦争の一面なのである。
戦争なので、「戦場に立たない」という選択肢もある。ダタラ侯爵が取っているのは、その選択肢だ。
失う物の少ないスポーツならともかく、財産も命もごっそり失う勝負なら、誰だって負け戦はしたくない。
私だって劣勢ならそうする。
逃げる相手には、無理に追わず、自軍の勢力を増やして展開して、相手の勢力を真綿で絞めるように削っていくという攻略法も考えられるのだが、そういうのはサキュラ辺境伯領には絶望的なまでに向かない。
「うろちょろする虫のように目障りだ。早く潰そう」
「羽虫が近くを飛び回っているようで耳障りだよ。すぐ潰そう」
とある貴族当主と、その孫の発言である。
まあ、その感想に全く理がないわけではない。ダタラ侯爵は裏工作が得意なので、逃げながら密偵やら何やらを送り込んできそうで、つまりはきちっと叩き潰しておかないと邪魔だ。
そんなわけで、いじめられる亀のように引きこもりがちなダタラ侯爵を、どうやって引きずり出すかが問題だ。
「どうしましょうか」
「それなら、わたしが役に立てるわ」
マイカとの友情を深めていたアリシア嬢が、任せて、と微笑む。
「これでも王族の端くれだもの。宴席の一つや二つ、用意できるわ」
「それは頼もしいですね」
この前の王都訪問では、そんなことさえできなかったというから、いかにダタラ侯爵の妨害が激しかったかがうかがえる。
逆に考えれば、妨害できなくなった途端に反撃を受けるダタラ侯爵は因果応報である。
「後は、どの程度の人間を集めた席にするかが問題だけれど……」
アリシア嬢が、頤に指を当てて首を傾げてみせる。
「アッシュの名前を使えば大神官長も呼べるんだから、一番良いランクになりそうね?」
「ほう。それは一度で片が付きそうだな」
ゲントウ閣下が満足げに頷くが、王女殿下が口にする一番良いランクってちょっと恐くない?




