破滅の炎17
「ではやはり、神官の皆さんが主体となって書物の内容を検証するというのは、行えないのですね」
話し合い、というより、確認した結果、得られた答えは全く残念なものだった。
落胆する私に、大神官長は思いやりに満ちた頷きを打ってくれる。
「ええ、残念ながらその通りです。少なくとも、向こう五十年は難しいでしょう。神殿の制度をそのように決めてしまいましたから」
「残念です。神官の方々は、その知識水準はもちろん、好奇心もあり、論理的な思考をしてらっしゃるので、大きな力になって頂けると思ったのですが」
「フェネクス卿にそのように評価して頂けるのは、神殿の人間として素直に嬉しく思います。その分、ご期待に応えられずに心苦しいですが」
大神官長は、知の番人たるに相応しい落ち着いた口調で嘆いた。
その服装は、一般の神官や神官見習いと大差ない。
一応、生地は地位に応じて上等なものを使っているようだが、派手な意匠を凝らしたり、金銀宝石を身につけていたりはしない。
もちろん、これが正式な会食や祭祀ではないこともあるのだろうが、個人的には質素な姿に非常に好感が持てる。
実際、めちゃくちゃ話しやすいですよ、この人。
誰ですか、こんな良い人と話し合うのをびびっていた人は。
全く、よく知りもしない人に対して偏見を持つなんて許されざる悪徳ですよ。
「神殿がこのように非合理的な組織となったのも、一部の強欲な神官のおかげです。今は商人や領主一族に名を連ねてはいますが、彼等は間違いなく、神殿の者だったのです」
誰の話で盛り上がっているかというと、石鹸豪商やバツカ伯爵家の話である。
この辺りの人物は、神官として活動をしていた経歴から、それぞれの独占技術を入手した背景があるそうなのだ。
失礼、〝元〟独占技術でした。
「単に、自身の力で研究をしたもので財を築いたというなら、我々もここまで自制を効かせる必要はなかったのですが……」
「他人の研究成果を盗用したというのは、研究をする一人の人間としても許しがたいですね」
「フェネクス卿のお立場であれば、そう思うのもごもっともです。それゆえ、神官は自ら研究をできないように制度を改めたのです」
現在神殿関係者でなにがしかを研究している人達は、それぞれに裏技を使っている。
例えば、ルスス医師やトリス女史は、神官ではなく、神官見習いである。
神殿からお金をもらって生活し、神殿からお金をもらって研究をしているが、神官ではない。あくまでも神官見習いだ。
一方、不良中年ことフォルケ神官は、まごうことなき神官である。
そのため、彼は研究をしていない。神官の職務は、書物の維持・管理だから研究はできない。
フォルケ神官が古代語の解読を試みて四苦八苦しているのは、書物の維持・管理上で必要だからだ。
何の本かわからないと管理もできないし、いざという時のために写本もできない。研究と同じことをしていても、維持・管理のための通常業務だ。
そんなものは詭弁だと言ってしまえば、その通りとしか言えない。
それぞれ規則の隙間を突いているのだ。
その制度の元締めたる大神官長は、深々と溜息を吐く。
「これが健全な状態だとは、とてもではありませんが申し上げられません。ですが、一部の不心得者のために、神殿という組織の存在意義が揺らいでしまいました」
当時は相当に神殿が批判されたそうで、いくつかの神殿は襲撃まで受けた記録が残っている。
襲撃したのは怒り狂った民衆ではなく、攻撃の大義名分を得た強盗みたいな奴等だったらしいけれど。
神殿の財産が奪われたり、ダタラ侯爵みたいな連中が保管されていた研究成果を奪っていったそうだ。
神殿の存在意義が揺らいだというのは、書物を守護するべき神殿が攻撃対象となったせいで、結構な数の書籍が失われたことを指している。
「神殿が管理する莫大な量の蔵書、そして唯一無二の蔵書を守るためには、こうするしかなかったのです。その代償があまりに大きかったことも、我々なりに自覚しているつもりです」
大神官長はそう述べた後、私の顔を見て苦笑した。
「それがつもりでしかなかったことを、フェネクス卿が頭角を現した最近になって思い知りましたけれどね。いや、あなたの数々の発明・発見に圧倒されています」
「そうなのですか? これだけの蔵書があるのです。こういったこともできる、ああいったこともできると想像はついたでしょう。実際、私の知識も神殿の蔵書より持ってきたものですよ」
一部、自前のものもあるが、それはほとんどが着想段階だ。
例えばセメントを形にするとなった時には、どのような素材を、どのような分量、どのような手順で混ぜ合わせるかは神殿の書物を見た。
わかりませんでしたからね。書物を調べるしかなかったのだ。
「そう言われてしまうと立つ瀬がないといいますか……。不心得者が一人出る度、片腕を縛り、片足を縛りと、長い年月をかけて自縄自縛を重ねていくうちに、我々も空想と事実の区別がつかなくなったのですよ。一部の研究者を除いて、ですが」
そういうものなのだろうか。
まあ、長い年月も百年単位の話だから、無理もないのかもしれない。
やはり、前世らしき記憶があり、「それができる」とわかっていることは大きなアドバンテージなのだな。
そのアドバンテージによらず夢を追いかけていたヘルメス君がどれほどすごいかもわかる。
「ともあれ、フェネクス卿」
全神殿の統括者、領地の垣根を超えた組織を率いているという意味では、国王に匹敵する影響力を持つ人物は、私に手を差し出す。
「神殿を預かる者として、あなたには一度お会いして感謝をお伝えしたかったのです。元来、神殿がなすべき使命として持っていた、古代文明の知識の継承と解放、それを推し進めてくださったことにお礼を」
「光栄なお言葉、恐縮です」
大神官長の握手に応えながら、中々興味深い神殿の起こりについて思い出す。
宗教の体をなしている以上、やはりその起源には神秘的存在が関わっているのだが、三神は登場しない。
登場するのは一本の大樹だ。
世界樹とも言われる巨大な樹が、一千年以上前の人々に告げたのだ。
『これより大きく世は乱れ、多くのものが失われるであろう。それに備えよ。できる限りの知識を集めて保存せよ。かつて、それが失われる前にそうしたように』
樹が言った、という点では神秘的だが、内容としては世俗的というか防災的な見解だ。
それも、「かつて、それが失われる前に」というのは、ひょっとして後期古代文明に対する前期古代文明のことを指しているのだろうか。
ひょっとすると、純然たるファンタジーではなく、歴史的な要素が濃い伝承なのかもしれない。




