破滅の炎16
王都の神殿の中でもこった造りの議事堂に、中年達のアッパー気味のテンションで咆え声が響く。
「では、フェネクス卿は神殿の教えが役に立っていないとおっしゃるのですか!」
「落ち着いてお聞き頂ければ、大神官の皆様ならその辺りも十分にご理解できたかと思いますが」
そんなこと言ってねえから落ち着けバカと伝えると、禿頭の大神官は頭の先まで真っ赤になった。
肝心なところで話が通じないくせに、不要なところで言葉は理解できるらしい。
議事堂内のメンバーの平均年齢が高いのは、集められた神殿関係者がほぼ大神官だからだ。
一般神官を束ねる役職、いわば管理職なので、それぞれ年かさのメンバーが多いのは当然である。
一応、観客席にあたる場所には若い神官や神官見習いも着席しているが、基本的にそちらは発言権がないものと扱われている。
見かけたルスス医師やトリス女史は、実に面白い見世物だと言わんばかりの笑顔だった。
「では、逆にお聞きいたしますが、えーとアグリ大神官?」
名前合ってますかね、と私の隣に座っているフォルケ神官に視線を送ると、大丈夫合ってると頷きが返ったので続ける。
「アグリ大神官は、どのような状況を指して、教えが役に立っているとお考えなのです」
「人々が日々の悩み少なく、安心して暮らしているならば、三神のお導きと言えるだろう」
神に祈るのと神殿の教えは別物だろう。ヤエ神官から聞いて知っているぞ。
だが、議論の本筋とは関係ないので、そこはスルーして差し上げる。私が理性的な話し合いができる人間で良かったな。
「もう少し具体的な内容でお話し頂けますか。例えば、どのような生活が、悩みが少なく、安心した状況なのです」
餓死寸前の人間は、多分腹が減った以外の悩みを考えられないから、ある意味悩みが少ない生活をしている。
そんな時に一食分を手に入れたら死ぬほど安心するぞ。
つまり、おたくの言っていることは何も言ってないのと一緒なんだよ、って話です。
「笑顔で生活を――」
「もう少し具体的に」
世の中には他人が苦しんでいるところを見て笑顔になれる人格破綻者だっているんだから、そんな曖昧な表現で答えるんじゃありません。
今話し合っているのは、大昔にサキュラ辺境伯領の神殿から上申された、地方神殿に収めるべき蔵書の内容についての再検討だ。
なんだって未だにそんな概念的な問答をしているのか。仕事が遅すぎる。
そんなだから地方の現場がどうなっているかも気づけず、無意味な活動を繰り返してばかりになるのだ。
「では! フェネクス卿はどのような状況を、教えが役に立っているとお考えか!」
「ご飯をお腹一杯食べられる状況です」
美味しい、と頭につくご飯ならなおのことよろしい。
議論白熱の議事堂に、きっぱりはっきり即決で意見を開陳したら、空気が固体化したように沈黙した。
例外的に、私の見知った顔からは堪えた笑いが吹き出す。
観客席はそんなに目立たないけれど、隣のフォルケ神官とか超目立つ。
約十秒、これまでの喧々諤々が嘘のように静まった議事堂に、ようやく(吹き出し笑い以外の)音声を取り戻したのは、禿頭のアグリ大神官だった。
禿頭は勢いを取り戻すように、机を叩いて立ち上がる。
「そ、そのような低俗なことは神殿の教えではない!」
あ。それカチーンと来ましたよ。
いや、もうちょっとクリティカルだから、カッチーンかな。
私の中の戦争準備命令を告げる鐘の音である。
「ほう? 今、なんとおっしゃいました?」
もう一度言ってごらん。それが私の総攻撃命令の合図だ。
にっこり笑顔で、見えている地雷を右足で踏み抜くように促すと、アグリ大神官はびくりと肩を震わせる。
おやおや、今さら脅えたってもう遅いじゃありませんか。
左足ではすでに地雷を踏み抜いているのだから、もう助かりませんよ。
「ご飯が低俗とおっしゃいましたね」
アグリ大神官が総攻撃命令の合図を出してくれないので、私が出す。
れっつ聖戦。貴殿の首は断頭台の露と消えるのがお似合いだ。
「では、三神への信仰篤い大神官の方々は、低俗なご飯などお口になさらないのでしょうね。高尚なあなた方の口は、神々を讃えるためと、その御言葉を人々に伝えるばかりなのですね」
実に素晴らしい。
食費がかからない人類だ。エネルギー保存則をぶち抜いた進化をした人類を、とうとう見つけた。
「神殿がそのような驚異的な能力者をお持ちとは存じ上げませんでした。ぜひ、その能力を広めてはいかがです? 飢えて苦しむ人々はそれこそ泣いて喜ぶでしょう。私もぜひ知りたい。ちょっと秘訣を教えて頂けますか?」
やはり信仰心ですかね?
それとも何か秘密の儀式でもするの?
ん?
「い、いや、なにも食事を取らないという意味では……」
「おや? では、あなたはご自分も毎日摂取しなければならない物を、低俗と、そうおっしゃったのですか? 私には良くわからない理屈なのですが、低俗な物を必要不可欠とするあなたは、高尚な存在なのですか?」
口をもごもごさせてないでさっさと答えてくださいよ。
さっきまではぺらぺらと良く回る舌だったのに、急にどうしたんですか。
アグリ大神官が答えあぐねていると、最も上座に座っている大神官――つまり大神官長が、何か動きを見せようとした。
だが、私の隣の不良中年神官が、それを制した。
「大神官長、アグリ大神官の発言は軽率でしたな」
議事堂の発言者の中では、最も身分が低いフォルケ神官は、一番偉い大神官長相手に余裕たっぷりに首を振って見せる。
相変わらずチンピラチックな素振りが似合う。
「フェネクス卿の発言が少々砕けた表現であったことは私も認めますがね、彼の生まれ故郷では食料難から栄養状態が悪化し、病没する者が毎年のように出ていたのですよ」
私の生まれ故郷で数年間過ごしていた神官の言葉に、議事堂は先程とは違った沈黙に包まれた。
大神官長に先んじて場を制したフォルケ神官は、私の背を軽く叩く。
あんまりやり過ぎるなよ、ということらしい。
むう、もうちょっといじめてやろうと思っていたのに、不良中年も王都生活で丸くなったようだ。
とはいえ、フォルケ神官が流れを作ってしまったので、しょうがなく私もそれに乗っかる。
「失礼しました。少々熱くなってしまいました。アグリ大神官殿も、失礼しました」
そっちの方が悪かったんだからね、と言った直後に、こちらから一歩退いて見せる対応。
期待できる効果は、相手に罪悪感を抱かせたまま話を進めることで、マウント取って殴り続けられることだ。
「私が申し上げたいのは、衣食住を十分な水準で安定させることこそが、神殿の教えの目的ではないか、ということです。とりわけ食事、つまりはご飯です。家が多少ぼろでも、服が多少ぼろでも、なんとか生きて行けるでしょう。しかし食事は欠かせません」
そうですよね、低俗なご飯を食べて生きているアグリ大神官殿。
私が、和解を表現した表情で視線を送ると、禿頭の大神官は素早く頷いてくれた。
素直でよろしい。マウントを取ることに成功したようだ。
「私の故郷であるノスキュラ村にある教会には、神殿の教えの通りに様々な本が置いてありました。私はその全てを読破しましたが――」
フォルケ神官が、懐かしそうに何度も頷く。
「農村にいる時にその中の何冊が役に立ったかと聞かれると、ほとんど役に立ちませんでした」
植物図鑑が一番役に立ったんじゃないですかね。
「あの本を役に立てるためには、現在の農村には前提になる知識が足りませんし、物資がありません」
窒素系の化学肥料のまき方が書かれた先進的な農業ハウツー本があっても、化学肥料自体存在しないんだからどうしようもないということだ。
途方に暮れた日々が懐かしい。
「これは農村の例ですが、都市においても、事態は同様。これでは宝の持ち腐れです。ですので、神殿の教えを最大限に活かすために、制度の再検討が必要であると、そう意見を申し上げます」
卓に手をついて前のめりに大神官長ビルカンに訴えると、私の熱意が伝わったのか、大神官長は大きく頷いて立ち上がった。
「非常に有意義な意見であると考えます。最優先の課題として検討する価値があると」
全ての発言が記録される議事堂において、最終決定権を持つ大神官長の言葉はことさら重い。
書記官の手が一瞬止まったということは、それだけ強い言葉だったのだろう。
「王都の神殿を預かる我々でさえ、多くの書物が示す内容を理解できていないのに、それをそのまま各地へ送り出すというのは、問題視してしかるべき状態です」
大神官長の言葉に、少し慌てたように別な大神官が挙手をする。
「大神官長、確かに難解な書物は数多くありますが、えー……我々の職務は書物の維持と管理ですから、その……いや、そうですな。制度を再検討するとなれば、各地の、特に辺境などでは、書籍を置いても読めもしない者が多いという問題があるかと。そちらから先に対処すべきではありませんか」
微妙に大神官の言動が怪しい。
言葉の最初と最後の内容が、繋がっているようで繋がっていない。誤魔化すように早口で流れて行った。
王都の神殿でも書物の内容が理解できていない、という発言が記録に残るのが恥ずかしかったのかな。
無知を認めるのも立派な賢者の態度だと思うのだが。
それともっと不思議なことがあるので、率直に聞いてみた。
「神殿の教会制度が十全に機能すれば、読めもしない、などという事態は避けられると思いますが?」
私の発言に、大神官長が苦笑する。
「その教会制度にどれほどの有効性があるか、ということも話し合わねばいけないでしょうね」
「すでに各地に教会があるのですから、すぐに識字率の向上くらいはできると思いますよ」
先程の言動の怪しい大神官が、それができれば素晴らしいですな、と子供の素朴な意見を聞いたような笑いを見せた。
ひょっとしなくても、今馬鹿にしましたね?
自称都会人どもが、一体どんな根拠で私の発言を侮ったのか予想がつくので、ばっさりと斬り捨ててやることにした。
「私の生まれ故郷の村では、私と同年代より若い世代の識字率は、七割を越えています」
どうしました。物を知らない子供を見るようだった笑顔が、無残に硬直しているではありませんか。
どうせ大都会住まいの高慢さから、田舎者は無学だと思いこんでいたのだろう。
ちょっと思い出して頂きたいのは、いくつかの独占技術を崩し、新たな独占技術を開発・発見した領地がどこかということだ。
王都ではないことはご存知だと思う。
「フォルケ神官が、村にいた頃から熱心に教会の役割を果たしていらっしゃいましたからね。きちんとした指導力がある人物がいれば、教会は十分に機能します」
「いやいや、アッシュ――じゃない、フェネクス卿、君の力も大きいよ。まず先頭に立って学んでくれた君がいたから、他の子供達も寄って来てくれたんだよ。どうしても勉強というと毛嫌いされるから」
フォルケ式教育について宣伝したら、すかさず謙遜の反撃が来た。
なし崩し的に教会制度の検討委員会に放り込んでやろうという企みを察したか。
まあ、事実を見れば識字率の高さにはもう少し理由がある。
例えば、私が領都でめっちゃ活躍したのを見て教育熱が高まったとか、食料事情が領地全体で改善したので子供の余暇が増えたとか。
幸運や一朝一夕では不可能な積み重ねがあったことは間違いない。
この場で言うと話が終わらないので、そこまでは口にしないけれど。
「まあ、いずれにせよ。その辺りも含めて教育について検討をされるのであれば、我が領がどのような試みを行っているか、ご報告するのもやぶさかではございません」
その見返りは当然頂けますよね、という部分は音にならない言葉で伝えておく。
その後も、自称都会人の謎のプライドの高さをポキポキへし折っているうちに、会議終了の時間となった。
別に王都を作った張本人でもない人達が、どうしてこう王都生まれの王都育ちに誇りを持っているのか不思議だ。
長々とした会議が終わった後、ビルカン大神官長からお声がかかった。
「フェネクス卿。今回の議論は非常に有意義なものでした。あなたの溌剌としたご意見は、今の王都には貴重なものです」
「私も神殿には色々とお世話になっておりますので、お役に立てたのであれば光栄です」
大神官長は、会議中は中立を保ちつつも好意的な対応だったので、こちらとしても好意的に挨拶しておく。
「この後、お時間があれば少しお話できませんか。少々プライベートな席でお話したいのですが」
今回、神殿との仲介に立ったアリシア嬢の事前情報によると、大神官長は制度改革に意欲的な人物だという。
長時間の議論で疲れたけれど、気合を入れ直してもう一勝負をしなければならないようだ。
緊張しちゃいますね。




