灰の底15
私が判断を丸投げしたところ、経営者ユイカ夫人は、アロエ軟膏の増産を決定した。
軟膏作りは全て人力であるからして、この決定は必然的に雇用を生み出すことになる。とはいえ、雇えるのはごく少数ということで、ユイカ夫人は経済的に特につらい村人にその枠をあてがうことにした。
例えば、働き盛りの家人が亡くなってしまった家庭や、病人を抱えた家庭、その中でも力仕事に向かない女性が中心だ。
これなら他の村人からも文句が出づらいし、社会構造の弱いところから連鎖して全体が崩壊していくという事態を防げる。公共事業と同じ発想だろうか。
やはり、ユイカ夫人は有能だ。
そんな感銘を受けた私は、新たなアロエ軟膏事業従事者の人達に、製造方法を教えるべく招集に応じた。
新たに募集された人達は文字を読めないため、まず私とユイカ夫人が中心となって教え、その後はマイカ嬢の監督の下に製造する計画だ。
その第一歩として、手取り足取り教えながら、村人達に実際に作ってもらう。台所仕事以上の危険はないので、何も問題はなかった。
問題は、作り終えた後に起こった。
試作品を興味深そうに手に取っていた村人の一人が、何気なく呟いた言葉を、私は聞き逃さなかった。
「そういえば、母さんが似たようなの作ってたなぁ」
ほほう。今、なんとおっしゃった。
私が目を光らせた先にいたのは、ターニャ嬢だった。本当はもう少し長く、フィルターニャという名前らしい。誰も正式に呼ばないし、本人もターニャとしか名乗らないので、私も良く知らない。
年は十代後半の、そばかすが素朴な印象の少女だ。
「ターニャさん、それはどういうことか、詳しくお聞かせ願えますか」
「え? あ~……ううん、似ていると言っても全然別物だから、気にしないで」
いえ、そうは参りません。それはどれくらい似たもので、どのように作っていたのか。実に興味深い。
このアロエ軟膏、軟膏にする手順は完全オリジナルなので、そこを改良できる可能性が高いのだ。私のレシピを簡単にいうと、刻んだアロエを獣脂と煮て混ぜて固めただけだったりする。
薬の作り方の本でもあれば、こんな苦労もないのに……。
「残念ながら、とても気になります。似ているのに別物というのは、一体どうしてでしょう」
「えと、どうしてって言われてもぉ……」
返答に困って、ターニャ嬢が苦笑する。
「ふむ。質問が悪かったようですね。……まず、ターニャさんが見たことのある似たものとは、なんでしょう?」
「え~っとね」
ターニャ嬢は、ゆっくりと首を傾げて、じっくりと言葉を搾り出す。
ちょっと思考がのんびりした人なのだ。ただし、行動は小気味いいほど俊敏だ。熟考して、即行する人なのだと思う。
「母さんが良く、こういう塗る薬を作ってたの。傷薬にも使ってたけど、どちらかというと肌荒れに塗る薬だったと思う」
「ほほう、それは素晴らしいですね。確かに、アロエ軟膏と良く似ています。それで、別物というのは?」
「ん~と、材料がね、違ったかなって」
「何の材料を使っていたか、ご存知でしょうか」
うん、とターニャ嬢は笑顔で頷く。
「蜂の巣で作ってたのは覚えてるわ」
「蜂の、巣? 蜂蜜、ではなく?」
「そう、巣の方よ。蜜は別に使ってたもの。巣の他にも何か入れてたと思うけど、それは忘れちゃった」
蜂の巣、と驚きながらもう一度呟く。蜂蜜ではなく、巣の方で軟膏ができるのか。
なんで? だって巣ですよね? あれ、堅いんじゃないの?
だってあれ、素材……巣の素材……何で出来ているか私知らない。
巣が軟膏に使われると聞いてものすごく不思議だったが、原材料を知らないのであまり驚く必要がないことに気づく。
私が蜂の巣で知っていることといえば、あの形状がハニカム構造と呼ばれていて、非常に優れた機能を持つデザインだということくらいだ。何で出来ていて、どうやって作られるのかは全く知らなかった。
ひょっとしたら、蜂蜜同様に、蜂がひと手間加えた素敵な生成物なのかもしれない。
「蜂の巣で、アロエ軟膏に似たものができるとは、なんとも不思議です」
「あたしは、変な葉っぱで似たようなものができる方が不思議かなぁ」
「ふふふ、そうかもしれませんね」
「あはは、そうだよぉ」
ものすごく面白い。
そして、ものすごく気になる。だが、ターニャ嬢は詳しいことを知らないらしい。
ターニャ嬢の母親なら知っているのだろうが……彼女の両親は、すでに他界している。だから、彼女はこの場に呼ばれたのだ。
「そういえば、ターニャさんも、蜂蜜を集めていますね」
「うん、そうよ。うちは、父さんが養蜂をやってたから。でも、あたしはてんでダメ」
養蜂技術を持っていたのは、父親の方だったらしい。
父親の死後は、母親がいくらか引き継いで行っていたようだが、その母親もほどなく亡くなってしまう。
残されたのは、ほとんど養蜂の知識を教われなかった、ターニャ嬢とその弟だ。
彼女は、見かけた蜂の巣を取って、蜜を取り出すくらいしかできない。蜂の巣は、そのままクイド氏が買い取ってくれるそうだ。それだけでは大した収入にならないので、現在は畑が主な収入源、蜂はお小遣い稼ぎの副業とのことだ。
恐らく、古代文明が持っていたであろう高度な知識や技術は、こうやって枝葉の先から途絶えていくのだろう。
「なんとも、もったいないですね」
「ごめんね、あたしがもっとお手伝いをしていれば良かったんだけど。母さんから止められて……父さんみたいにできないから、畑仕事を覚えなさいって」
申し訳なさそうに苦笑するターニャ嬢だが、もちろん彼女が悪いわけがない。
過酷な農村の生活が悪いのだ。
ターニャ嬢は、両親を奪われた被害者だ。
「とんでもないです。ただ、蜂蜜は美味しいですし、栄養価も素晴らしいものです。さらに蜂の巣まで有用となれば、養蜂についてもっと知りたくなってきたのです」
「なにやら、また面白そうなことを話しているわね」
私の高まるテンションをかぎつけたか、ユイカ夫人がやって来た。
「ユイカさん、ちょうど良いところに」
「ふふ、聞こえていたわよ。確かに、養蜂は農村では欠かせない産業よね。ターニャちゃんのご両親がお元気だった頃は、蜂蜜はもちろん、ロウソクなんかも作っていて、ずいぶんと助けられたわ」
養蜂業はロウソクまでまかなえると聞いて、さらに気分が盛り上がる。
実に素晴らしい。もし、安価にロウソクが手に入るなら、長い夜の時間を削り、もっと活動できるではないか。
それは生産力向上の可能性だ。超過労働の危険性でもある。
「ユイカ夫人、いかがでしょう? 馬や牛といった畜産を目指すにはお金が足りないですし、養蜂業、手を出してみるには手頃ではないでしょうか」
「ええ、私もそう思うわ」
一つの産業で、複数の効果が狙えることが素晴らしい。
それに、蜂蜜は保存しやすく、商品価値が高い。多少の出費を強いられたところで、取り返すのは容易だろう。
甘味は、異世界でも強力な武器なのだ。
「では、村の生活向上のための次の一手は、ひとまず養蜂が第一候補ということで、調べてみることにしましょう」
「頼りになるわね、アッシュ君」
それはちょっと気が早いですかね。
神殿教会では養蜂関係の本を見たことがない。フォルケ神官に確認してみるが、まずこの村にはないだろう。
「本を手に入れるところから始まるでしょうし、それまでは無力な子供です」
「無力とはとても言えないけど、確かに一歩目が遠いわね。私も、実家の方に連絡して、養蜂についての情報を集めてみるから」
実際に動けるのは、いつ頃になることやら、とユイカ夫人と苦笑する。
ミツバチが動き出すのは春頃だが、来年のその時期にはとても間に合わないだろう。再来年には、ぜひ実働させたいところだ。
そう、思っていたのだけれど。
「そういえばぁ……」
ゆっくりと首を傾げて、じっくりと言葉を搾り出す人物が一人。
「父さんが大事にしていた本に、ミツバチの絵が書いてあったけど」
私とユイカ夫人の視線が、そばかすの浮いたターニャ嬢の顔に吸い寄せられる。
彼女は、自信なさそうに笑って尋ねる。
「役に、立ちそうかなぁ?」
すごく立ちそうだと思います。
この村に、神殿教会以外で本があるなんて想像もしていなかった。
私は懇切丁寧に、誠心誠意、そして情熱的に言葉を尽くして、ターニャ嬢にその本を見せてもらえないか頼みこんだ。
許可自体は、「どうぞー」と軽く出たのだが、今すぐ見たい、という方に中々頷いてくれずに手こずった。
少し散らかっているとか何とか言っていた。そんなこと本に一体なんの関係があると言うのだ。雪山で読んだって、嵐の海で読んだって、本は本だ。本は、何の変化もなく、その身に秘めた知恵を、物語を私に語ってくれる。
まあ、生命の危機に瀕しながらでは、読み手の方が変化しまくって読めないだろうけれど。
そんなことを切々と説いていたのだが、ターニャ嬢だけでなく、ユイカ夫人とマイカ嬢もいきなりはダメだと私の邪魔をする。
こうなると多勢に無勢だ。私は涙を呑んで、諦める――
「では、外でも良いので読ませてください」
わけないだろう! 徹底抗戦だ! 野郎ども、出会え出会え!
「そ、外?」
「ターニャさんの家の外です、すぐ外、庭先で読ませてください」
「そ、そんなにすぐ見たいものなの……?」
ターニャ嬢の問いかけに、私はむっとする。
「当たり前ではないですか。わざわざ答える必要がありますか、そんなこと」
なぜかターニャ嬢が私から顔をそらした。
ユイカ夫人がそっと首を振っているのはなんだろうか。
マイカ嬢までちょっと視線を泳がせている。
「なんですか、それもダメですか、ええいならばどうすれば読ませて頂けるのでしょう! さあなんでも言ってみてくださいなんでもしますよ!」
「わ、わかった、わかったよぉ!」
よし! ようやく観念しおったわ! 初めからそう言えば良かったものを。
むふーと荒い鼻息をついて、私は説得に使った情熱を散らす。
「えと……じゃあ、とりあえず、うちまでついて来て……?」
「ええ、すぐに行きましょう。それでは、ユイカさん、マイカさん、失礼いたします」
説得に時間を使った分、さくさく行きたい。
私はターニャ嬢を置いて、さっさと外に出る。小さな村でのことだ。遊びに行ったことはないが、ターニャ嬢の家は知っている。
「アッシュ君って、物静かな印象があったけどなぁ……」
「多分、村の皆がそう思っていたでしょうね」
「あ、あれも魅力だから。……えと、私もついて行って良い?」
後ろで女性陣がなにやら話している。どうでも良いから、早く来てください。