破滅の炎12
それから一月、新たに迎えたスパイマスター率いる情報部から、状況の分析完了の報告が上がった。
それを軽く確認した私は、領内の上層部の面々に声をかけ、対策会議を開くことを提案し、即座に開かれることにした。
議長は領主代行のイツキ氏である。
「えー、そういうわけで、現在情報部をまとめてくれているスクナ子爵閣下の孫娘であらせられるセイレ嬢より、緊急性の高い状況が確認されたということで諸君には集まってもらった。――いやもうこれ案件に入る前に問題点がある気がするのがすごいよな」
イツキ氏が私の目を見つめて何かを言ってくるが、私には何が問題なのかわからない。
「気のせいなので早く案件に入りましょう。情報部からの報告でよろしいですね?」
「あー……マイカ、これは、あれか?」
「うん。言っても無駄な時のアッシュだね」
「そうかぁ、無駄かぁ」
お仕事中に姪っ子と親睦を深めるという公人にあるまじき上司の姿に、私は溜息を漏らす。
まったく普段は有能なのに、今回に限って何を遊んでいるのだろうか。
上司が頼りにならないので、私が会議を進めることにした。
「それでは、セイレさん。報告をお願いいたします」
「あ、はい? え、いえ、その、よ、よろしいのでしょうか……?」
セイレ嬢は反射的に立ち上がった後、遠い眼をしているイツキ氏に戸惑いがちの視線を送る。
「ああ、うん、まあ……よろしいよ。アッシュがやったことだ。恐らく、それが良い判断だったのだろう」
そういや情報部の人事権を渡したまんまだった気もするし、とうちの上司はようやく思い出したらしい。
アジョル村の一件辺りからもらったまんまなのですよね。
あっさり許可を出したイツキ氏に、セイレ嬢は驚きを隠さず呟く。
「フェネクス卿の信頼は、ものすごいのですね。普通、こんな独断専行したら叱るとか怒るでは済みませんよ」
「まあ、確かに普通なら済ませられないけど……アッシュだからなぁ」
「アッシュだからね!」
叔父に続いたのはマイカ――だけではなく、
「アッシュだからな」
ジョルジュ卿と、
「アッシュさんですから」
リイン夫人まで。
領内の上層部の面々は、そのままがやがやと雑談を始める。
「独断専行の常習者というか、今さら罰しようとしたらどこから手をつけたら良いものか」
「いや、あれでちゃんと許可はもらってるよ? もぎ取ってるとか、だまし取ってるとかいう類だけど」
「アッシュが来てから、気がつくと何かしら新しい物事が決まっているのが日常茶飯事になったな……」
「しかも、出している結果が圧倒的にプラスなのがまた、今さら止めるに止められない理由ですよね」
良い大人達が、〝緊急性の高い状況〟を放置してこの有様である。全く嘆かわしい。
「皆さん、開始早々雑談は流石にどうかと思いますよ。早くセイレさんの報告を聞きましょう」
なぜか、全員からお前のせいだと口をそろえて責められた。
理不尽である。
理不尽には屈しない主義を発動して、私は断固として会議を前進させた。
「では、セイレさん、どうぞ」
「ほんとすごいですね……。わ、わかりました、情報部からご報告をさせて頂きます」
軽く咳払いをして、セイレ嬢はこの一月でまとめた、サキュラ辺境伯領の不穏な情勢の説明を始めた。
「まず、現在サキュラ辺境伯領に対し、ヤソガ子爵領が工作活動を仕掛けていること、その後ろで糸を引いているのはダタラ侯爵領であることは間違いないでしょう。最も表立った動きは、難民を押しつけることで領内の不安定化をはかっていることです」
これについては上手くいっていないと、セイレ嬢は分析した。
サキュラ辺境伯領全体の農業生産力の向上が、難民の受け入れを可能にしているためだ。
腹がふくれれば、人はそこまで無秩序に身を任せずに済む。
かつて、アジョル村の放棄という悲劇があった。
彼の農村は病に侵され、腐ってしまったのだ。
だが、その種の全てが無駄になったわけではない。
アジョル村から飛び出した種――最新の農業技術を学んだ村民達は、各地の農村に散った。彼等は、その各地で農業生産量の向上という実りを結んでみせたのだ。
一度は生まれ故郷を放棄しなければならなかった彼等が、今は生まれ故郷を放棄してきた難民達を受け入れる土台の技術者である。
彼の悲劇を乗り越え、アジョル村の種は理不尽を跳ね除ける力を育んでいたのだ。
良い話だ。こういうの大好きである。心が熱くなって蒸気発電できそうだ。
次に露骨なのは、難民に見せかけた兵を使った、偽装盗賊による破壊工作。
留学生の馬車も狙われたように、こちらは重要性の高い目標を的確に襲いに来る。
この件について情報部の出した結論は、マネラとドルウォの汚職役人組が密偵に情報を漏らしている、という見解だ。身内の裏切り、内通者とは恐ろしい。
ただし、こちらもあまり効果はない。
重要な対象にはしっかり護衛をつける――それが魔物との遭遇が洒落にならない辺境の嗜みである。携行食が苦痛にならなくなったこともあり、巡回部隊の士気は高い。
魔物との遭遇戦も覚悟している巡回部隊の前に、のこのこと現れる難民風に偽装しなければならない工作兵。戦闘能力差がひどい。大抵は鎧袖一触である。
ここまでは、すでに目に見えて起こっている出来事で、皆さんご存知のことである。
そして、セイレ嬢の本題はその先、まだ起きていない企みについてだ。
「他に密偵との接触が確認された対象をご報告します。ゴチエ商会と、領軍所属のモルド・レデアート、その周辺です。先のマネラ・ドルウォを含め、現在の領政について強い不満を周囲に漏らしているとの証言が多数あります」
「つまり、大袈裟に言うと、反体制派が抱きこまれたと言うわけか」
流石にここまで話が進むと、イツキ氏も真面目に相槌を打つ。
「抱きこまれて反体制派になった、そう表現した方が的確かもしれません」
「なるほど。続けてくれ」
「はい。彼等が漏らしていた不平不満の内容と、密偵と接触したと思われる時期以降の動きを追って分析すれば、彼等の……ひいてはダタラ侯爵の企みの推測が成り立ちます」
一番わかりやすいのは、モルド君一行だ。
彼等はどこかの誰かさんに、若い嫉妬心からとはいえ、やっちゃいけないレベルのちょっかいを出してしまった結果、領主代行殿から不興を買って閑職に回されている。
完全に自業自得なのだが、当人達はそう思っていないようで、どこかの誰かさんが領主一族に取り入り、自分達を不当に抑え込んでいると考えているようだ。
そのため、自分達が正当な立場を取り戻すには、どこかの誰かさんを抹殺する必要があると信じ込んでいる。
つまり、私が狙いだった。
この点については、セイレ嬢が断言してから、補足する。
「一応、フェネクス卿の巧言令色にたぶらかされてご乱心されている――と彼等が主張している領主一族の方々を確保し、正気に戻るまで自分達が主権を握るというところまで考えてはいるようですが……それはダタラ侯爵側が吹き込んだ付け足しのようです。彼等の本心ではなく、副次目標ですね」
その次にわかりやすいのが、マネラ・ドルウォの汚職役人コンビだ。
彼等は、彼等独自の基準で大したことがない悪事、というより当然の権利とさえ考えている横領を罰せられたことを全く納得していない。
そんな些細なことで役人の仕事に言いがかりをつけていては、領政は破綻してしまう。それもこれも農民上がりで道理がわからないくせにでかい顔をしている下郎が悪いに違いない。
領政を正道に戻すため、かの下郎を成敗せねばならぬ。
そんな良くわからない義憤に見せかけた逆恨みをしているとのことだ。
つまり、私が狙いだった。
この点についても、セイレ嬢は断言して補足する。
「一応、先と同じく、ご乱心しているという設定の領主一族を確保し、正気に戻るまで自分達が主権を握ると、ダタラ侯爵側に吹き込まれているようです。やはり本心ではなく、副次目標ですね」
最後になるゴチエ商会は、このままでは潰れるのを待つばかりの現状を打破しようとしている。
つまりは経営改善が主目的だ。
そこでどういうわけか、現状を打破するには自分達をここまで追い込んだ張本人を抹殺するしかない、そう思い込んでいると分析結果が出た。
困窮していると人の思考はそこまで短絡的になるものなのか。私は、敵ながら嘆かわしいという感情が湧いてくるのを止められなかった。
ただし、セイレ嬢の見解によると、処罰する際に徹底的にやり過ぎた結果から見れば妥当な目的だと思われるとのことだ。
解せぬ。
まあ、つまり、ここも私が狙いだった。
セイレ嬢は三度断言してから、やはり補足した。
「一応、領主一族を確保して主権を握った前二者が、ゴチエ商会を御用商人にするという約束を、ダタラ侯爵側の人間が取り付けているようです。やはり副次目標と言って良いでしょうが……」
そこまで報告を終えて、セイレ嬢は私を見た。
イツキ氏も、ジョルジュ卿も、リイン夫人も私を見ている。
「なんか、これだけ聞くとアッシュが諸悪の権化――もとい、全ての原因みたいな印象があるな」
「しかも、これだけ恨みを受けていると聞いても、連中がアッシュに何かできるとは全く思えないこの奇妙で絶大な安心感」
「まるで物語の魔王のような存在感ですね。勇者と聖剣なしでは討伐不能と言いますか」
三人の良い大人達が、わかるーとか言い合っている。
情報部から状況の説明を聞いただけで、まだ対応策も何も立ててないのに、なんでもう全部片付いたみたいな空気なのこの人達。
例外は可愛いマイカただ一人である。流石、可愛いだけのことはある。
私の婚約者は、事態を非常に重く受け止めた様子で、俯いて対応策の捻出に集中している。それはもう集中した様子で、ぶつぶつと小声で呟いて考えをまとめているようだ。
「私とアッシュの結婚の邪魔をしたばかりか、私のアッシュを殺す計画? は? なんの冗談? どれだけ罪深くなれば気が済むの? ひょっとしてと思ったけど、ひょっとしなくてもあれかな? 頭悪いのかな。可哀想なのかな。全然同情できない。どうしよう。今あの連中が呼吸してるってだけで許せそうにない。生きてるだけで腹立つくらい邪魔だけど死体が出るのも邪魔ってもうどこまでいっても頭に来るんだけどなんなの?」
マイカの手が無意識に腰のあたりをさまよっているのは、多分今ははいていない愛剣を求めているに違いない。
どんよりと漏れ出した殺気を受けて、良い大人達も軽口を叩くのを止めたようだ。
「あー、そうだな。どうやってダタラ侯爵の企みを潰すのが良いかを話し合おうか」
イツキ氏の会議を進めようとした発言に、マイカがゆらりと立ち上がって、一言で結論を述べた。
「全力」
「マイカ?」
姪っ子を溺愛する叔父が、ひどく苦労しながら声を絞り出す。
それに対し、姪っ子は、鋼でできた舌で鳴らしたかのように無機質な声で応じる。
「全力で、潰すの」
「あ、はい」
それ以上の議論がいるのかと断じた口調の姪に、叔父は逆らうことを試みなかった。
賢明な判断だったかもしれない。今のマイカは、触れる者皆殺す妖刀みたいな空気をどぎつく放っている。
賢明なイツキ氏は、必死の目線で私に何かを訴えてきた。
『うちの姪、恐い。お前の婚約者だろ、なんとかして』
もう、しょうがないですねぇ。
私は、私のためにマイカが怒ってくれているという嬉しさに頬を緩ませながら、殺気を全方位に放出している彼女に微笑む。
「マイカ、怒ってる顔も可愛いけど、いつもの明るいマイカの方が好きだよ?」
「やっ――やっだ、アッシュってば! もう、今はお仕事中だよ? やぁ、も~、しょうがないな~。え~、そう~? えへ~、やぁ、も~みんなの前でそんな~」
デレデレに笑み崩れた超可愛いマイカのできあがり。
こんな婚約者に愛されて、私は本当に果報者である。
なお、対応策はその後一週間ほどでまとまった。
拙作をお読み頂き、ありがとうございます。
皆様のおかげで、本作がオーバーラップ様より書籍化いたします。
詳しくは2019/10/1の活動報告にて、ご確認をお願いいたします。




