破滅の炎11
「おや、アッシュじゃないか」
軍子会同期の三人組が、領主館の廊下でそう声をかけて来た。
領軍側の執務室が集中している方面からやって来たところを見ると、領地巡回の計画書でも提出した帰りと思われた。
「お久しぶりですね。これから外へ?」
「明日から三日ほどな」
「またヤソガ子爵領から難民の一団が流れて来たそうですよ。気をつけてくださいね」
「俺達なら気をつけるまでもないさ」
見事な慢心っぷりを響かせて、三人組は去って行く。
入れ替わりに、文官の執務室が集中している方からセイレ嬢がやって来る。
彼女は、自分とすれ違う際、軽い会釈だけをした騎士姿の三名に眉根を寄せる。貴人の湯治客をもてなす場で、完璧な接客をしていた少女には珍しい表情だった。
「フェネクス卿。あの方々は? フェネクス卿に対してずいぶんと……親しげな様子でしたが」
口の利き方がなってないという発音で聞こえた彼女の言葉は、三人組の態度が友好的というより侮蔑的だったせいだろう。
「あの三人は軍子会の同期でして、まあ色々と問題提起が得意な方々でした」
「軍子会の。では、親しいのも当然ですね」
セイレ嬢は、わざと前半部分のみを抽出して、一般論を口にする。
「近頃はほとんど話をする機会もなかったのですけれどね。五年くらい?」
とある秋、領都の武芸大会でマイカ相手に徹底的に痛めつけられて以来、私と会うことを避けまくるようになった三人だ。
声をかけられたのなんて本当に久しぶりのことである。別に感動はしなかったけれど。
彼等のグループ名は、モルド君ご一行という。
モルド君一行は、出世コースからは完全に取り除かれているが、騎士の端くれとしてあまり重要ではない地方の巡回を任されている。
食うには困らないように、という領主代行殿の温かい心配りだ。当人達はそれに対し、精励とは反対の態度で応えてくれている。
職務に満足しているとは間違っても言えない人物。
これまでまともに顔も合わせようともしなかった彼等が、かつて文字通り叩き込まれた恐怖を忘れたように話しかけてきた。
注意事項が一つ増えた。そう考えた私が見たのは、私より少ない情報で同じ結論に達したらしいセイレ嬢の、知的な眼差しだった。
「フェネクス卿、いくつか耳にした噂で気になることがございます。立ち入った事情に口を挟むことになってしまいますが、意見を述べてよろしいでしょうか」
他人の家の揉め事に苦言を呈して良いか。スクナ子爵から派遣された若手官僚は、慎重な態度を示す。
その気遣いと、何より「噂」から私と同じ結論に至った彼女の能力を嬉しく思い、私は笑顔で許可を出す。
「もちろんです。我がサキュラ辺境伯領と、あなたのスクナ子爵領との間には、すでに辺境同盟の盟約が結ばれています。あなたが必要と思った時、私に意見を述べることになんの問題もありませんよ」
とはいえ、廊下でするには問題があるので、領軍側と文官側、その中間辺りに設けられたある部署へと向かう。
そこにあるのは、紙の形をした情報と情報と情報と、そしてひたすら情報だ。
ここには、本来の所属は別な部署として登録されている侍女や、召使、あるいは衛兵が耳にした情報が、日々集積されている。
この部屋をあてがわれた部署の名前は、情報部。
非常に簡素な名前とは裏腹に、領主直属の機関であり、近年急速にその重要性を増している組織である。
その特質上、部外者を簡単に入れて良い場所ではないが、セイレ嬢の話を聞くならここの方が話しやすい。
「それで、セイレ嬢が耳にした気になる噂というのは、どのような?」
「私は、前に働いていた部署の特性上、少々耳が良いのですが」
セイレ嬢は、スクナ子爵領のVIP対象宿泊旅館で磨いた能力を、そう表現する。
「気になったのは、経済的、あるいは立場的に没落傾向にある役人や商人が、ここ数か月動きが派手であるらしい。そういった噂です」
「素晴らしい耳をお持ちですね」
人を振り返らせるほどの魅力を持つ彼女の顔、その脇についている耳を思わず確認して頷く。
「それで、どのような事態になるとお考えです?」
「端的に言えば、領内の治安に問題が生じるような事態かと」
「そう考えた根拠は?」
「経済的に余裕のない彼等が目立つほどの活動をするには、どこからか金銭的な援助が必要なはずです。ですが、少し調べたところ、噂に上がっている役人や商人はいずれも領内で好意的な評価を受けていませんでした」
その点に関して、そこまで追い詰めた誰かさんの手腕を、彼女はずいぶんと徹底的に叩いたのですね、と採点してくれた。
「領内に援助をする繋がりが見出されないとなれば、他に考えられるのは領外の存在です。時期同じく、難民や難民を装った武装勢力をサキュラ辺境伯領に差し向けている集団がいるのですから、まず怪しむべきはそちらでしょう」
「つまり、外部の敵対勢力が、内乱を誘発しようと領内の不満分子をあおっていると」
「はい。彼等にはそれを邪推と言わせない前例があります」
ヤソガ子爵領で内乱を起こして領主になった人物と、その内乱を助長したダタラ侯爵家の当主ならば、確かに大看板にしても良いくらいの前例をお持ちである。
邪推だと反論してきたら、かなりの人間が失笑すること間違いない。
「以上をかんがみて、まずは警戒に値する状況かと判断いたします」
順当な結論だろう。私は素直に賛意を示して、情報部に集積された情報、その一部を彼女に差し出した。
「同じ結論に達した情報部が、関連する情報をまとめた文書です。あなたなら、これをご覧になればさらに詳細を分析できるのではありませんか?」
少し躊躇った彼女――他領の治安維持に関する諜報文書なので当然だ――の手に、私は文書を少し強引に手渡す。
「あ、あの、これは流石に……。イツキ様……いえ、辺境伯閣下は了承されているのですか?」
情報組織に関して至極真っ当な感性を持っているらしいセイレ嬢に、私は頷く。
「イツキ様からは、この業務に適した人材を見つけたら、私の裁量で配属しても良いと許可を頂いています」
まあ、その「適した人材」には、他領の人間が含まれるなんて考えていなかったと思いますけどね。
でも、制限をつけなかったイツキ氏が悪い。
「いえね、正直なところ、もう面倒なのですよ」
いらだちをぶつけまいと、可能な限りにこやかな笑顔で言うと、セイレ嬢の表情が引きつった。
「あの人達は、私の大切な友人にちょっかいをかけてきた頃から考えれば、もう十年は私の邪魔をしているのです。十年ですよ、十年。その上まだ私に手間をかけさせようなんて、ねえ?」
ああ、私は忘れていませんよ。ダタラ侯爵がアリシア嬢に一体何をしたのか。
連中がサキュラ辺境伯領に妨害工作を仕掛けているということは、向こうはこちらを邪魔だと思っているのだろう。
良い度胸だ。
あの連中は、自分達の方が上手だと思っている。
軍事能力も、諜報能力も、資金力も、政治力も、敵に対する怒りでさえも。
実に、いい度胸だ。
私が、連中より濃く深く強く熱く邪魔だと呪っていることを知らせてやるべき時が来たようだ。
ただし、邪魔者を片づけるのに用いる労力は最低限にする。
邪魔者は邪魔者らしく邪魔にならないように排除しなければならない。
そのための能力を持っているなら、他領の人間だって使わなければ損だ。
なに、建前はいくらでも用意できる。
例えば、セイレ嬢を我が情報部に迎え入れることは、辺境同盟の繋がりを強化し、ついでに情報活動のノウハウを持っているスクナ子爵領のやり方が勉強できる。
その報酬は、留学生の目的である技術交換で支払えばいい。何も手間はかからない。
セイレ嬢がわざわざ立ち入った話を持ち出して来たのも、技術交換の対価を情報能力で支払う目的があってのことだろう。
良いですよ、どんどんやりましょう。
私がこの地で築いた技術をあなたにあげましょう。
その代わり、私はあなたの能力を頂戴します。
「丁度、うちの情報部に優秀なスパイマスターが欲しかったところです。スクナ子爵閣下のご手腕、期待してもよろしいですね?」
老子爵の孫は、その教育を受けているはずだった。
観光地、療養地としての立場を確保しながら、やって来る客人が交わす会話から情報を拾い集める。
それを分析し、組み合わせ、評価し、優先順位をつける。
気の遠くなるような情報のパズルだ。やれと言われてできるものは少ない。
正直なところ、対魔物戦に重きを置いてきたサキュラ辺境伯領には、その手のパズルが得意な人材は乏しい。
この部屋に集積された紙を見る通り、情報収集にかけては優秀な人材はいても、それを分析する能力に欠けているのだ。
これからますます必要になる能力だ。お買い得なうちに買い占めてしまおう。
こちらの技術を買い叩きに来ただろうセイレ嬢に、私は同じ買い物客の笑顔を向けた。




