破滅の炎1
ようやく領都に帰って来た。
初めはただの温泉休暇の予定が、ずいぶんとスケジュールを逸脱してしまった。
なんせ、行きはただのアッシュだったのに、帰りはマイカの婚約者アッシュになってしまったのだ。
これには、推進室一同もびっくりだろう。
しばらく騒がれてしまうな。そう思って帰って来たのだが……なんだか皆の反応が違った。
「王都ですったもんだありまして、この度、婚約することになりました」
推進室で留守番をしてくれていたレンゲ嬢と、その補佐をしていたスイレン嬢が、互いに顔を見合わせる。
「ええっと……はい、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
レンゲ嬢はちょっと困った風に、スイレン嬢は率直に嬉しそうに一礼する。
それだけだった。
レンゲ嬢は、ささっと机の上から書類を手に取って、私に差し出してくる。もう婚約の話題は終わってしまったらしい。
あれ? あっさりし過ぎじゃないですかね?
「それで、アッシュさん、留守の間の業務で、わたしでは判断がつかないことがありまして」
私の方が驚かされ、こちらです、と差し出された書類をなすすべなく受け取ってしまう。
おかしいなと思いつつも、よくまとめられている書類は、すぐに意識を集中させてくれる。
「煉瓦やコンクリートの使い方を学びたい希望者が増えたのですね」
「そうなんです。ただ、予算はもう一杯一杯なので、受け入れたとしても肝心の素材を扱えるかどうか」
「それなら大丈夫です。今回、私達も王都で遊んでいたわけではありませんから」
せっかくだから、と辺境諸侯を中心に顔つなぎをした結果、色々と寄付を頂いたのだ。
この寄付の大きい順に留学生を受け入れるつもりなので、皆さん競うようにあれこれくれた。
武芸大会で派手な婚約パフォーマンスをした影響で、お祝いも兼ねて出資してくれた人もいる。ネプトン男爵家とか、スクナ子爵家とか。
「え? あの、それでは、一部はアッシュさんとマイカさんの婚約祝いなのでは?」
「ええ、そうですね」
おかげで旅行帰りなのに、行きよりお財布が重くなっているのです。
いや、実際はこの後に各領地から届くので、まだ財布は軽いんですけどね。
「あの、婚約祝いを、推進室の業務に使って良いんですか?」
「ダメですかね?」
レンゲ嬢が「ダメでしょ」という顔で、私は「良いですよね」という顔で、それぞれマイカに視線を送る。
私の婚約者にして推進室室長は、大会優勝の褒賞を得た後からずっと継続している上機嫌さで応えた。
「良いともー!」
流石マイカ。即答である。
「え、あの、マイカさん、流石にそれは。婚約で色々物入りだと思いますし」
「良いの良いの。これが一番アッシュが喜ぶ使い道だもんね」
「でも、結婚するとなると、今のマイカさんは結構大規模なお披露目が必要になるんじゃ……」
お金かかりますよ、というレンゲ嬢の心配に、マイカも同意する。
「確かにね。あたしの名前にサキュラがついたと知れ渡ったし、辺境伯家の一員として派手な結婚披露宴を開かないといけない立場になったね」
領政の中で確固とした存在感のある地位、サキュラの名前にくっついてきた責任だ。本来重たいはずのそれを、でも、とマイカは軽く弄ぶ。
「そのお披露目が、アッシュの夢に必要ならね?」
不要ならばそんな社交など知ったことかと、マイカは陽気に笑う。社交を馬鹿にしているわけでも、侮っているわけでもない。
ただ、マイカは決めているだけだ。邪魔をするならば、自らの手で蹴散らすと。
「文句があるならいくらでも相手になるよ。あたしがね」
だから、とマイカは満面の笑みを私に向ける。
「アッシュはやりたいことやってて良いからね。それにお金が必要なら、好きなだけ持って行って」
それを支えてみせると。
支えるためにここまで積み上げて来たのだと。
私を奪った女性は、簒奪者の決意を見せる。
やばいですよね。何度惚れ直しても足りない。
もちろん、私とて惚れた女性に無暗に負担をかけるつもりはない。
夢を譲るつもりはさらさらないが、マイカと一緒に邪魔するモノを蹴散らすつもりは満々である。
「すごい、なぁ」
ぽつりと、レンゲ嬢が呟く。
なにか苦いものが、その表情の面に現れ、さっと拭い去られていく。
「アッシュさんとマイカさんは、やっぱりお似合いの二人ですね」
「ええ、ありがとうございます」
私もそう思いますが、他人から言われると照れちゃいますね。
「では、アッシュさんとマイカさんが今回入手した寄付について、後で報告を頂けますか? それに応じた補正予算を組みますから」
「報告書は作ってありますよ」
王都にいるうちから、作っておきましたとも。
こういうのはその場その場で作っておかないと、後でまとめてやろうなんて考えでは痛い目を見るのだ。
コツコツ型のレンゲ嬢も、この意見には大いに賛成の様子で、流石ですね、と微笑む。
「これなら、すぐにでも新規希望者を受け入れられそうですね。やはり、例の要塞に送りますか?」
もちろん、と私は頷く。
例の要塞と言うのは、煉瓦やコンクリートを使って改修している防衛施設のことである。
元は、魔物の巣窟である竜鳴山脈に対する備えとしてあった小さな砦で、最近評判の悪いヤソガ子爵領への備えとしても有用であることから、一大改修が決定された。
決定したのは、大体私である。おかげで、この要塞の改修責任者にされてしまった。
どんと来いである。
私は責任者の権限でもって、領内で煉瓦やコンクリートの扱い方を学びたいという意欲的な土木関係者を、要塞改修のために送りこんでいる。
いつ起きるかわからない悲劇を防ぐため、彼等は非常に熱心に予算を使って、新技術の習熟に努めている。
軍事的脅威を強調することで、予算の増額を要請するのは常套手段であるな。
今回の王都行きで、実際に使用する可能性がちらついてきたのは、頭が痛いが。
レンゲ嬢の用件が一段落したところで、スイレン嬢も書類を差し出してくる。
「スイレンさんの書類も、よくできていますね」
私達が王都に行っている間も、真面目に勉強を重ねたことがよくわかる。
「ありがとうございます。レンゲちゃんに教えてもらって、グレンと一緒にやったんです」
「なるほど」
それは、さぞ張り切ってこなしたことだろう。親友と恋人の最強タッグですもんね。
スイレン嬢の書類の中身は、各地に散っていったアジョル村の農民達が、その土地でどう動いているかを調査したものだ。
グレン君を護衛に、スイレン嬢が巡察の旅に出たらしい。
私達より先にこの二人が結婚しそうですね。
「アジョル村の人達は、それぞれ苦労しながらも元気にやっているようですね」
「はい。今年の収穫で目に見える成果は出ないでしょうけれど、いい刺激になっているようでした」
良いことだ。私は、かつての苦労が報われた心地良さを覚えながら報告書を読み終える。
それで、思い出した。
なんか、私達の婚約がずいぶんとあっさり受け入れられすぎていません?




