煉理の火翼25
「フェネクス卿、この度は、我が領の騎士を助けて頂き、ありがとうございました」
大会最終日、観客席にやってきたライノ女史が、折り目正しく一礼をする。
最近は私に対してかなりフレンドリーに接してきた彼女だが、今日は外交担当としての意識が高いのか、指先から視線にまで丁寧さと敬意が行き届いている。
こちらも、刺激されて丁寧に返す。
「はい、友好関係にあるネプトン男爵領のお力になれて光栄でした。術後一夜明けましたが、アルゴス卿のご容態はいかがでしょう」
「吐き気と目眩がすると訴えておりましたが、朝に診察に見えたルスス医師のお話では、手術の際に使用した薬の副作用であるとか」
「ええ、人体の痛覚を麻痺させる薬を用いました。やはり、強い効果の薬には、それ相応の反動がありまして」
痛覚麻痺という言葉を聞き慣れないのか、ライノ女史は不思議そうな顔をしたが、後半の台詞には理解が追い付いたようだった。
「畑には晴れの日も雨の日も必要なものですが、どちらもあまりに続き過ぎると畑が荒れると聞きますわ。薬も、それと同じということなのでしょうね」
「ええ、効果が強い薬は、それ相応に危険が伴います。アルゴス卿は、つらそうでしたか?」
「はい、我が領でも豪胆で鳴らす騎士なのですが、流石にこたえているようでしたわ」
真面目な顔で頷いた後、ライノ女史は口元に手を当てて笑う。
「ですが、本人はこの程度なんてことないと鼻息荒く強がっておりまして……ええ、あれなら、死神も近寄れないに違いありませんわ」
「流石はアルゴス卿ですね。大会終了後に、お見舞いにうかがってもよろしいですか?」
「ええ、ぜひ。アルゴス卿も喜びましょう、私どもも歓迎いたしますわ」
昨日の一件に関して、ひとまずのやり取りを終えると、ライノ女史はそわそわと試合場の方へ視線を送る。
「それで……今日も、こちらで観戦させて頂いてよろしいかしら?」
それについては私に回答権はないので、ゲントウ氏に視線でうかがうと、今さらという感じで首肯した。
「連日一緒に観戦して、最後だけ仲間外れにするわけにもいきますまい。うちの孫を良く応援してくださったしな。最後まで応援して頂けるかな?」
「もちろんですわ! 感謝いたしますわ、閣下!」
極上の甘味を食べた少女のような笑みで、ライノ女史は私の隣に腰かける。
「こんな間近で、優勝のやり取りを見られるなんて素敵だわ! マイカ様もフェネクス卿も、見目が良いから本当に絵になって……最後にどうなるか、楽しみねぇ」
劇のクライマックスを特等席で見られることが決まり、早くもご満悦のようだ。
今日ばかりは、流石に私も緊張している。
マイカ嬢が優勝した瞬間、私の将来も大きく変わらざるを得ないだろう。
それは、決して嫌な予感ではないことが、また私を複雑な気持ちにさせる。
ちなみに、マイカ嬢が優勝を逃す可能性については、この場の誰も心配していなかった。
マイカ嬢を知って期間の短いライノ女史からして、優勝を確信しているのだから相当だ。
****
準決勝の呼びかけに応じて入場したマイカ嬢は、万雷の喝さいで迎えられた。
第一試合が始まるまで全くの無名選手に過ぎなかったにも関わらず、その容姿と鮮やかな剣術から、すでに観客の心を鷲掴みにしている。
男性ファンはもちろん、女性ファンも多いようだ。
彼女の戦いでは、なんとこれまで敵味方双方に怪我人が出ていない。
治療室が連日にぎわっているように、刺激が強すぎる試合が多い中で、安心して見られる清廉な剣士として評価されているようだ。
このまま終わると良いですね。
私の脳裏に、懐かしいモルド君一行の記憶が蘇る。あの秋の武芸大会は、すごかった。
準決勝の相手は、ダタラ侯爵家の騎士らしい。中央貴族の騎士としては、唯一の上位入賞者である。
地方の兵の強さが良くわかる。
なお、この準決勝の相手も、元は地方貴族に仕えていたところを引き抜かれたとのことなので、実質的にはオール地方戦士である。
一部の中央貴族が、この大会を蛮族祭りと罵る由縁だ。
中央貴族が中心である運営が、客席から見えないところで手抜きをしている理由が分かった気がする。
「フェネクス卿、今度の対戦相手は、どうかしら。今までと比べて、腕が立ちそう?」
「ううん……見たところでは、そうでもないですね」
普通に歩いている姿で、重心がずれているのがわかる。あれは基礎稽古をサボリ気味の人間っぽい。
これなら、第四試合の相手の方が腕は上だったろう。
「そう、なら後は決勝だけね」
ちょっと気は早いが、私も同意する。
ただ、少し気になることがある。
ダタラ家の騎士は、鎧の首部分と兜が噛み合わさり、首を堅く守るタイプの防具を身につけていたのだ。
ひょっとしてだが、首に剣を当てられた時のための対策なのだろうか。
そうでないことを、私は戦神であられる龍神様に祈っておいた。
私の不安をあざ笑うように、試合開始の合図と同時に、ダタラ家の騎士は斬りかかった。
観客がわっと声をあげる。これまでの試合を見て、躊躇なく先手を取った動きに驚きと興奮が起こったのだ。
何か策があるのだろうか。
観客がそう思う間もなく、マイカ嬢はいつも通り背後を取って、相手の首筋に切っ先を当てた。
だが、相手は降伏しなかった。迷うことなく、背後を剣で薙ぎ払ったのだ。
一瞬のこと、多くの観客は、マイカ嬢の攻撃より早く、あるいは同時に、反撃が行われたように見えただろう。
今大会、初めて首狩りから逃れたダタラ家の騎士に、拍手が起こる。
それとは打って変わって、渋面を作った者や、皮肉げに口の端を釣り上げた者達もいる。いずれも一定の段階にいる戦士達だった。
彼等、武芸の練達者にとっては、マイカ嬢の攻撃の方が遥かに速いことは明白だった。
もし、彼女が寸止めする気がなければ、首筋に一撃が叩きこまれて、反撃どころではなかったはずだ。
マイカ嬢は、相手の行動にわずかに眉根を寄せて、敵手と改めて睨み合う。
その表情は、相手がそんなことにも気づかない腕前なのかどうか、訝しんでいるようだった。
マイカ嬢が悩むうちに、相手が再び切りかかってくる。
先程と大差ない剣速に、マイカ嬢は再び首狩りで応じる。
今度は寸止めではなく、軽くではあるが首を守る防具に当てた。流石にこれなら気づいただろう、というマイカ嬢の無言の台詞が伝わるようだ。
相手がまたもや背後に剣を振って来たのは――咄嗟にそう動いてしまうということは考えられるので――良いとして、その後も降伏する様子がない。
互角に切り合っていると錯覚して盛り上がる歓声とは裏腹に、表情を平坦にしたマイカ嬢が、相手に向かって口を開く様子が見える。
顔を兜で隠している対戦相手が何を言い返したのかはわからないが、マイカ嬢の口の動きから、どんな会話がなされたか、私は見て取った。
「これは、ひどいことになりますね……」
「ど、どうしたの、フェネクス卿? マイカ様、何かまずいことになったの?」
下馬評を覆す敵の健闘に、ライノ女史は困惑している。
ライノ女史の疑問に頷きながら、私は、自分の表情が沈痛に歪むことを止められなかった。
「あの人、マイカさんを怒らせました。もう寸止めしてもらえません」
マイカ嬢は、相手に向かってこう言ったのだ。
『私の剣に斬られたことは気づいたと思いますが、まだ続けますか』
それに対して、相手が何と応えたかは、その後のマイカ嬢の台詞からの推測になるが、恐らくはこんな感じだ。
『寸止めしておいて斬ったとは片腹痛い。どうせ血を見るのが恐くて、寸止めなどで誤魔化しているのだろう。所詮は小娘の浅知恵よ、そのような軟弱な剣で、俺が降参などするものか』
素晴らしい挑発である。
これを聞いた時のマイカ嬢の心中を想像しただけで、背筋がぞくぞく震える。
マイカ嬢は、月のない夜の死の谷の底のような眼で、相手に宣告した。
『良いでしょう。なら、絶対に降伏しないで下さい。私の軟弱な剣で真っ赤に染めて差し上げます』
本当に申し訳なく思う。
我が女神に祈ればあるいは希望があったかもしれないが、敵だからいいやと龍神に祈祷したのがまずかったのかもしれない。
もはや私から彼にできることは、ただ一つだ。
グッドラック。冥福を祈る。
マイカ嬢は剣を一振りして、自分の中のスイッチを入れ替えたようだ。
今までは、楽しい試合用の戦闘態勢。相手も自分も、怪我をしないように十分に手加減していた。
ここから先は、完膚なきまで敵を叩き潰す、処刑用の戦闘態勢である。
昔、これにさらされたモルド君一行は、そろって真っ赤に染め上げられたものだ。
敵がこりずに自分から斬りかかってくるので、マイカ嬢は三度目の首狩りを用いた。
ただし、今度は寸止めしない。踏み込んだ足首から全身を巻きこんで捻り、遠心力をたっぷり乗せた鉄剣を振り抜く。
適切な角度から首に打ち込めば、衝撃だけで頸椎を破壊しただろう、威力を凝集させた一撃だ。
だが、マイカ嬢はそこまで敵に優しくはなかった。
彼女は、わざと兜の頑丈な部分を選んで剣をぶつけた。多分、兜の中は轟音と衝撃で大変なことになっているだろう。
横に吹っ飛ぶように倒れた敵に、マイカ嬢は追い打ちできた。
だが、しない。
剣をだらりと下げたまま、相手が悶える様子を、冷たい目で見下ろしている。
その目が伝えているメッセージは、明確だ。
早く立て――立ったらまた斬り倒す。
マイカ嬢の言いたいことを、敵が察したかどうかは不明だ。
多分、ひどい耳鳴りと脳震盪でまともに思考は働いていないはずだ。
だが、彼は立った。
自分より年下の少女を挑発したプライドがそうさせたのか、戦士としての本能かはわからない。
だが、立ったのだ。
マイカ嬢は、ほぼ棒立ちの敵に対し、今度は右脇腹に剣を振り抜いた。
そして、倒れた敵を、再び見下ろす。
早く立て、と。
また斬り倒す、と。
「ううん、やっぱりマイカさんは優しいですね」
六回目に倒れた敵が、立ち上がれないままうな垂れる様子に、私はほっこりした気持ちで呟く。
「え?」
ライノ女史が、地獄で天使を見たような顔で目を見開く。
「ど、どこが?」
あるいは、彼女は天国で悪魔を見出したのやもしれぬ。
「どこがもなにも、あれだけ滅多打ちにされてまだ動ける辺り、きちんと手加減ができている証拠ですよ」
あれだけ動けるなら骨も折れていない。
まあ、打撲や裂傷で全身赤いでしょうけどね。
「心をへし折る以上、肉体的には手加減してあげるなんて、マイカさんはできた人ですよ」
「それ、つまり生殺し……」
十回目に倒れたダタラ家の騎士は、とうとう立ち上がることをあきらめ、降伏した。
降伏の言葉を吐く前にぶっ叩いて、延々と降伏を受け付けないこともできたのに、やっぱりマイカ嬢は優しい女性だ。
優しい彼女は、あそこまで自分を侮辱した敵に対して、親切な忠告までしてあげた。
「あなたが、寸止めで済ませた私の手加減に甘えた結果がこれです。命をも失う場に立って、敵の手加減に頼るなど恥を知りなさい!」
二度と油断するなという、ありがたいお言葉である。
感銘を受けたのか、ダタラ家の騎士はその場を立ち去ることもできずに崩れ落ちる。
気のせいか、嗚咽の声が聞こえてくるようだ。感涙に違いない。
「いや、あれ、どう見ても生きる気力まで潰されてるわ……」
試合場を去っていくマイカ嬢に、私は彼女を讃える拍手を惜しみなく送るが、なぜか他の拍手はまばらだった。
ゲントウ氏やイツキ氏はスタンディングオベーションなのだが、他のファンは一体どうしたのだろう。
力ない拍手を送るライノ女史は、私の顔を見て呟いた。
「フェネクス卿……あの、がんばってくださいね……?」
何をです?
魅力度が女神に近づいてきたマイカ嬢の魅了効果に、圧倒されないことをがんばれば良いのだろうか。
それは確かに難しい。
すでに惚れてはいますからね。
なお、この準決勝の相手が、実質一番長くマイカ嬢と戦ったことになるのだが、寸止めされても降伏しなかったという逸話がなぜか巷間に広まり、「首狩りマイカ姫と最も善戦した戦士」という栄誉は、別な者の頭上に輝くこととなった。




