煉理の火翼21
ルスス氏に連れられて行った治療室では、簡易ベッドが並べられ、数名の医療従事者がそれぞれの仕事にかかっていた。
ここは比較的軽傷の者が運ばれる場所で、重傷者は別途個室に運び込まれる仕組みだと、ルスス氏が説明してくれた。
早速、敗者らしき若者が運ばれてきたので、ルスス氏と頷き合って診察する。
どうやら右脇腹を、防具の上から剣で打ち抜かれたようだ。青黒くはれているのが痛々しい。
「呼吸をする時、痛みはありますか。ない? なるほど。少し触りますので、痛みの具合を伝えてください」
普段よりも柔らかい口調で、ルスス氏が問診と触診を行う。
そばでそれを聞きながら、どうやら肋骨が折れている心配はなさそうだと判断する。
すると処置としては、痛み止めに腫れと熱を取るための薬になるだろう。
ルスス氏の医療道具の中からそれらを取り出しておくと、診断を終えたルスス氏が頼もしそうに頷いて感謝を示してくれる。
今回用意したのは、柳の皮を煮こんだ痛み止め兼解熱剤の薬湯と、患部に直接貼る湿布用の薬草だ。
ルスス氏が胴体に包帯を巻いていると、次の患者がやって来る。中々忙しいようだ。
というより、他の医療従事者が遅いのかもしれない。傷薬を塗るだけの怪我に一体どれくらい時間をかけているのだろう。
仕方ないので、私が患者のところへ伺う。
「左足を引きずられているようですが、どうなさいました」
「うむ? 卿も医者なのか? 見たところご同輩とお見受けするが……」
私の騎士服を見て、その患者は首を傾げる。
確かに、医療現場の人間には不似合いな格好だ。
「今日はルスス医師のお手伝いですね。少し時間がかかりそうですので、ひとまず簡単な問診をさせて頂こうかと」
「ふむ……まあ、同じ騎士なら、外傷にも慣れているか」
何やら納得して、相手はズボンの裾をまくって、左足首を見せる。
「少しひねったようでな。ひどく痛むと言うわけではないのだが、次の試合のこともある。看てもらいたいのだ」
「なるほど。そちらのベッドにおかけください。どの程度のものか確認しますね」
足首を取って、ゆっくりと回して痛みの具合を尋ねる。
「うん、軽い捻挫ですね。大事ないです。とはいえ、この後も試合となると、悪化するのは避けられませんね」
「そうなのだ。無論、まだまだ勝ち上がるつもりなので、万全を期したいのだが、どうだ?」
休むのが一番良いのは間違いないが、そうもいかないという事情は察せられる。
多分、治療を受けなくても次の試合に出るつもりだろうから、できるだけ良い状態で送り出すしかないだろう。
「そうですね。怪我を推しても戦い続けるとおっしゃるなら……多少、マシにする程度ですが」
湿布薬草の上から、包帯をきつめに巻くことを提案する。
足首の動きがある程度固定されるが、悪化する速度を緩やかにする効果が見込める。
「どの程度、足首は固定されるだろうか?」
「そうですね……一度巻いてみた方が早いでしょう。なるべくきつく、がっちり巻いた方が効果的なのですが、ご希望に合わせて緩めましょう」
最初にガチガチに巻いたら、流石にこれではまずいと顔をしかめられてしまった。
そうですよね、と頷いて、少し緩めに巻く。
「むう、やはりきついが……確かに痛みが楽になったようだ」
「結果的に、包帯が足首にかかる負担を肩代わりしてくれますからね。ご不満はおありでしょうが、そんなところでいかがですか?」
「そうだな。怪我をした以上、多くを望むのは贅沢だ。できる範囲で戦うより仕方ない。その点――」
何度か左足首の状態を確かめて、男は気合を入れ直した顔で頷く。
「これならば十分に戦える。治療に感謝する」
「いえ、お力になれたのなら何よりです。痛みがひどくなるようでしたら、またご相談ください」
「うむ、そうさせて頂こう」
男は、なるべく左足に負担をかけないようにしながら立ち去ろうとして、はたと立ち止まった。
「おう、失礼をした。某はネプトン男爵家に仕える騎士、セウス・アルゴスと申す。卿の名も頂戴できるだろうか」
ネプトン男爵家の方だったらしい。
ライノ駐留官もそうだが、中々気の良い人が多いところのようだ。
「ご丁寧にありがとうございます。私はサキュラ辺境伯家の騎士、アッシュ・ジョルジュ・フェネクスと申します」
「フェネクス卿? ……ライノ殿が話していた名のように思うのだが」
「恐らく、私のことかと。先程も、観客席の方でお声をかけて頂きましたよ」
「ほう! ライノ殿がずいぶんと卿を評価しておいでであったゆえ、一度お目にかかれればと思っていたが……」
アルゴス卿は、左足に一度目を落として、頭をかいて笑う。
「よもや、試合場ではなく、治療室でお目にかかるとは思わなんだ」
「どうもライノ駐留官は、私が参加者と勘違いをしていたようですね。サキュラ辺境伯家からは、私より強い方が参加していますよ」
「それは楽しみだ。では、改めて失礼する」
はっきりした物言いに、きびきびとした動作、爽快な武人気質といった風情のアルゴス卿は、頭を下げて足早に去っていく。
それを見送ってから、私は次の患者に目を向けた。
****
大会初日、最も試合数が多い一日が過ぎて、治療室も店じまいという時間になる。
幸い、今日は死者が出なかった。
一番大きな怪我で腕の骨折、それも比較的処置の容易い骨折だ。
本人はものすごく痛そうだったが、命には関わらないものと思われる。
これが、折れた骨が皮膚を突き破って体外に飛び出す、いわゆる開放骨折であった場合、今世の治療技術ではかなり致命的だった。
折れた骨がいくつもの破片に分かれる粉砕骨折の場合も、完治は無理と思われる。
骨折の中でも一番対処しやすいものであったことに、治療室一同は、ほっとした空気を共有したものだ。
さて、そんな一日を終えて、今日一日で同僚として連帯感を高めた皆さんは帰り支度をしている。
だが、待って欲しい。
治療室は、一日の活動で大分汚れている。砂埃にまみれたシーツから、血まみれのシーツまで、非常に不衛生だ。
「この治療室は……どなたが清掃されるのです?」
大変な苦労になるので、何か労いの品が必要だなと思っていると、ルスス氏が隣で眉を寄せる。
続いた彼の言葉は、泥の塊のように苦々しかった。
「明日もこのままなのだよ、フェネクス卿」
「なんですって?」
私の中で、何かがガラガラと音を立てた。
多分、容赦とか自重とかそういった類の理性構造物だったと思う。
中から現れたのは、情け容赦を知らぬ戦争機械だ。
「こんな不衛生な状況で、明日も治療をするのですか?」
「我々も毎年対応を願い出ているのだが、大会運営側が、そこまで手が回らないそうだ」
ルスス氏の渋面に、他の方々も疲れた顔にやるせなさそうな色を浮かべる。
刃引きしてあるとはいえ、今日は結構な数の裂傷患者が出た。当然、明日も出るだろう。
その傷口から黴菌が入ればどうなるか。知らぬ医療従事者達ではない。
今世の医療技術は未熟だが、古代文明の持ちこみ分があるので、衛生観念はある。
あるにも関わらず、それを無視させられるのだ。
許せん。
私は当然のごとく激怒した。
これは連綿と受け継がれてきた知識に対する反逆であると同時に、医療従事者の良心と道徳を踏みにじる大虐殺である。
アッシュ帝国最高裁判所は、このおぞましい悪行に大逆罪を適用した。大逆罪に執行される刑罰は死刑ただ一つだ。
「よろしい。ならば、清掃です」
私の力強い宣言に、皆さんは困った表情を浮かべる。
今日一日の治療で疲れ切った彼等に、そんな余力はないのだろう。
大会は明日も明後日も続き、怪我人は尽きることがないので、威勢よく応じられないのも仕方ない。
だが、私のことをある程度知っているルスス氏は、期待するように尋ねてくる。
「なにか名案があるのか、フェネクス卿」
ルスス氏のご期待通り、無闇やたらに根性論を振り回して徹夜をするのは私の趣味ではない。
「要は人手があれば良いのでしょう。協力者を募って助けを得られれば解決します。ひとまずは――その前に、この大会の運営とは、一体どちら様ですっけ?」
先にそちらに話を通さなければ、協力者を得られても、お掃除に入れない可能性がある。
私の問いかけに、誰かが、王家だと応えた。
言われてみれば、王杯大会なのだから、国王主催に決まっている。
つまり、王族に打診すれば解決できるということだ。
なんだ、話は簡単ではないか。
「ちょっとアリシア王女殿下に話してみます。皆さんはゆっくりお休みして、明日の治療に備えてくださいね」
コネがあるって素晴らしい。私は早速、サキュラ辺境伯閣下のところへと駆け出した。




