煉理の火翼17
会場内の空気が、少しずつ辺境優勢の色を帯びていく。
そんな空気に、面白くないのはダタラ侯爵である。恐らく、彼はこう思ったのだろう。
自分が主催したパーティで、田舎者にしてやられるなどあってはならぬ。
彼は、実に彼らしい品のない力を使った。
「やあやあ、そこのサキュラ辺境伯家の!」
人垣を強引に割り開いて来たのは、がっしりした筋骨に、脂肪で肉付けした二十代後半の男性だった。元はきちんと戦闘訓練を積んでいただろう体つきだが、すっかり崩れている。
上等な貴族服に、金や銀の装飾品をつけているが、それらを着こなすには少々表情が卑しい。相手への敬意を持たず、初手から見下してかかる芸風は、貴族というより山賊だ。
同じ山賊顔でも、ヤック料理長は歴戦の山賊頭風だったが、こちらは三下の山賊風である。我が方の料理長は格が違う。
さて、そんな三下風の男が誰か、私はすぐにわかった。
社交慣れしていない私でも、隣領の領主の名前くらいは確認している。それが評判のよろしくない領主とくれば、なおさらである。
「これはこれは、わざわざご挨拶を頂き恐縮です、ヤソガ子爵閣下」
「ふん? 感心ではないか、俺の顔を知っているとは。流石はサキュラ辺境伯家が見込んで、農民から騎士に取り立てただけのことはある」
農民の部分を強調して、ヤソガ子爵は大声でのたまう。
多分だが、威嚇しているつもりなのだろう。
声が大きければ偉い、高圧的に話せば偉い、相手の弱みをがなり立てられれば偉いと思っている輩は意外と多い。
私は恐怖心辺りの耐性が無駄に高いし、農民は文明の基本だと思っているので、効果はない。「これは駄目な為政者ですわ」と、相手の評価が片付くだけだ。
この小物臭が漂う人物は、サキュラ辺境伯領の東側に位置するところの領主だ。
立地は辺境地方の貴族なのだが、魔物被害は少ない。自己申告によると近年は年に数回と、サキュラ辺境伯領並に討伐報告があるそうだが、嘘っぽいというのが地方貴族の間でもっぱらの噂である。
なんたって、先代の頃は十年に二回か三回だったのだ。いきなり増えすぎである。
私も、クイド商会から入ってくる情報を元に、噂の方を信じている。
隣なのにずるいくらいに魔物が少ない。
竜鳴山脈から魔物が下りて来にくい地形なのか、サキュラ辺境伯領よりも中央側に存在するためか、あるいは両方か。
ともあれ、そんな恵まれた領地にあぐらをかいて、油断しまくっているのが現在のヤソガ子爵と言われている。
どうしてそんなひどいことを言われているかというと、このヤソガ子爵、先代である父が病に臥せっている間に、次期領主であった兄に権力闘争を仕掛けて、領主の座を奪い取ったのである。
家臣団は、先代とその嫡子である長兄をごく普通に支持していたので、本来なら弟に勝利の見込みはなかった。
それくらいは弟もわかっていたらしく、その対策として、外部勢力を手札として呼び込んだ。
ちょっと歴史を知っている人や、想像力が働く人ならわかるが、自領の混乱時に外部勢力の手を借りようなどという発想は、盗賊に火事場の救援をお願いするようなものだ。上手くいくはずがない。
案の定、ヤソガ子爵領としては上手くいかなかった。
長兄と家臣は猛反発して断固として抵抗、領主一族の争いが赤く染まるまでさほどの時間は要さなかった。
為政者の混乱は、行政活動に停滞をもたらし、領民の生活は荒んだ。
ヤソガ子爵領では、都市民の収入が減り、農村で困窮者が現れ、生活困難者は盗賊へと職を変えて軍事費の負担を増やし、さらに税金が上がるという見本のようなマイナススパイラルが発生した。
これを見ると、嫡子相続という決まりも、穏当な権力譲渡手段として平和時には筋の通った部分がある。権力者を争わせるとろくなことにならない。
なお、荒れたヤソガ子爵領を見て、実に上手くいったと考えた者もいる。
領主の権力を手中にした簒奪者本人と、その簒奪に手を貸した外部勢力である。
簒奪者である現ヤソガ子爵は、自分の欲しかったものが手に入って満足。
簒奪を後押しした外部勢力は、扱いやすい傀儡を辺境地方に手に入れて満足。
彼等にとっては、どちらも損をしない良い取引だっただろう。特に外部勢力はご満悦に違いない。
現ヤソガ子爵が、ダタラ派としてこのパーティに参加していることからもわかるように、ご満悦の外部勢力とはダタラ侯爵のことである。
ダタラ侯爵の扱いやすい手駒は、私をふんぞり返って見下ろす。
「以前よりサキュラ辺境伯家の勇名は聞き及んでいるが、近頃の我が領でも、魔物を数多く討伐する機会に恵まれている。その数は、サキュラ辺境伯家にも負けてはおらぬ」
「そうなのですか」
クイド氏の商売情報によると、ヤソガ子爵領では「農具を持った盗賊」のことを、新手の魔物と認識しているとのことである。
この新種を含めれば、確かにサキュラ辺境伯家にも負けないだろう。うちは環境の割に盗賊がすごく少ないことが自慢だ。他の地方貴族の皆さんも褒めてくれる。
「それは災難ですね」
新種の魔物に認定された方達がいることが。
まあ、本当の魔物が現れたとしても、やはり災難と言うしかない。
盗賊でも魔物でも、いなければいない方が良い。軍人さんは暇なくらいが丁度良いお仕事なのだ。
辺境の貴族は大体この考えに頷いてくれる。
だが、ヤソガ子爵は違うようだった。
「災難? とんでもない。我が領の兵達は、戦功を立てて名誉を得る機会と勇んでおるぞ。てっきり他の土地の兵もそうだと思っていたが、かのサキュラ辺境伯家の騎士が、魔物を栄達の機会ではなく、災難と考えているとは!」
我が領の兵の勇敢さに気づいたわ、とヤソガ子爵は大声で笑う。
私を臆病と罵倒しているつもりらしい。
臆病は猟師にとって大事なものなので別にそれは構わないが、話題がそれしかないなら失せて欲しい。アリシア嬢と会話ができない。
もちろん、ヤソガ子爵は、私とアリシア嬢の会話を邪魔しに来たのだから、失せてくれない。
サキュラ辺境伯に捕っている、ダタラ侯爵からの指示だろう。
このように、ヤソガ子爵は自分の領地を放って、王都でダタラ侯爵の番犬をしている。
この扱いやすい番犬は、自領の兵の手柄自慢を大声でした後に、領主になる前の自分の手柄自慢をさらなる大声で続ける。
内容はひたすら血なまぐさい。
盗賊を血祭りに上げただとか、大猪を狩ったとか、人狼三体を相手に大立ち回りをしたとか。
大声に比例した力強さで、行政手腕はないと言っているようなものだ。
アリシア嬢が、やんわりと邪魔だと言ったのだが、全て無視された。それも三度も。
完全な作法違反である。空気を読めない奴は強い。
こんな光り輝く広告塔のような田舎者代表がいるのなら、中央貴族から地方貴族が馬鹿にされるのも納得してしまう。
「おお、そういえば、お前も人狼を倒したのだったな」
他家の家臣を「お前」呼ばわりも、立派な作法違反である。
スクナ子爵やネプトン駐留官はもちろん、王女であるアリシア嬢だってしない。
「いいえ、閣下。私は人狼を相手にしたことはありますが、時間を稼いだだけですよ」
「なんと! それは失礼をした。俺は三体を相手にして二体を仕留め、一体には逃げられたのでな。てっきり、辺境伯家の騎士ともあれば、楽々と平らげたものとばかり思っていたわ!」
「私はそこまで武芸の腕は良くはありませんね」
二体を相手にしたら一分も持たない自信がある。三体相手なら一瞬だ。
「いやいや、人狼を相手にしのいだだけでも大したものだ。俺が特別だったのだろう!」
「そうですね」
本当の話だったらね。
魔物の被害と向き合う地方貴族の中には、私と同じことを考えた人物がいたようだ。
「人狼相手に一対一で生き延びただけでも信じがたいものだが……」
いやね、そう口にしたくなるのは良くわかりますよ。でも、それを言ったら面倒になるなってことで、皆さん黙っているわけなんです。
案の定、ヤソガ子爵はさらに声を大きくする。
「今の発言は聞き捨てなりませんな! 当家の武勇と、サキュラ辺境伯家の武勇を疑問視するものと受け止めましたぞ!」
ほら、面倒臭くなった。
誰ですか、さっきの声の主は。怒るから出て来なさい。
私が嘆息する間もなく、ヤソガ子爵は何かを勝手に決めたようだ。
「よろしい! ならば、我が武勇をこの場に示そうではないか!」
決闘だ――と、ヤソガ子爵は腕を振り上げて叫ぶ。その動きに、顎についた肉が揺れる様が少し滑稽だ。
「とはいえ、俺の相手は並の騎士では務まらぬな。それでは武勇を示すことにならん」
ぎろりと、ヤソガ子爵は私をロックオンする。
「よもや、名高いサキュラ辺境伯家の騎士が、決闘を申し込まれて逃げはすまいな」
犬歯をむき出しにしている笑顔には悪いが、私はその手の野蛮な習慣は持っていない。
「条件によっては尻尾巻いて逃げますよ」
ざっくりした答えに、周囲の地方貴族の何人かが吹き出して笑う。
私を馬鹿にしたというより、会話の温度差が衝撃的だったようだ。
「そ、それでもお前は騎士か!」
立派なプロ騎士ですよ。お給料頂いていますから。
「閣下の領地ではどうか知りませんが、サキュラ辺境伯領における騎士の仕事は、力の誇示でも、名誉の積立でもありません。領民の守護です。魔物が相手であれ盗賊が相手であれ、勝てないとわかったらあらゆる手を使って逃げ、危険を報せることが務めです。不要な危険を冒すことを避けることも、騎士の務めですね」
負けてはいけないのが、サキュラ辺境伯家の騎士だ。
どんな手を使っても負けない。そして、最後まで粘って絶対に勝つ。
もし、サキュラ辺境伯領の武勇が誉れ高いというならば、必要とあれば剣も鎧も、名誉も捨てて逃げ切る潔さにその秘訣があると思う。
軍子会で教わるからね、これ。
ヤソガ子爵は、勢いで申し込んだ決闘をすかされて、物凄い形相で歯噛みしていたが、やがて余裕を取り戻した。
赤みが残った顔に、嘲笑を浮かべる。
「ふん! 名高いサキュラ辺境伯家の騎士だと期待していたが、とんだ腰抜けであったな! かの地の武名も地に落ちたものだ!」
「おや、なぜです?」
問い返すと、ヤソガ子爵の嘲笑が固まる。
「なぜ、だと? お前が決闘から逃げたからに決まっているだろう!」
「別に決闘を受けないと申し上げた記憶はございませんが?」
何を言っているんだという顔で睨まれたので、何を言っているんだという顔で微笑み返す。
「逃げはすまい、と尋ねられましたので、条件によっては逃げますとお答えしたまでです。その条件を何も提示されないうちに、勝手に逃げたとおっしゃられるのはいささか不本意です」
人の話をちゃんと聞きましょうね、いい年なんだから。
私のとぼけた言葉に、周囲の貴族達の忍び笑いが大きくなる。
アリシア嬢など顔をそらして肩を震わせている。かすかな呟きによると、久しぶりにアッシュの舌戦を聞くと破壊力がすごい、とのこと。
楽しそうで何よりです。
「それで、閣下、決闘はどのようなルールで行われるのですか? 体重の多い方が勝ちといったルールでは、流石に私ではお受けしかねますが……」
脂肪分の体重差が歴然としていますので。
「俺を太っていると言いたいのか!」
「とんでもございません。私はルールの例を挙げただけですよ。以前にそのようなルールの決闘を仕掛けられたことがありましたので、ええ、惨敗してしまいました」
真面目な顔で告げると、周囲の皆さんが笑ってくれる。
こういう席での口喧嘩というのは、このように婉曲的に行い、周囲の反応で勝敗を決めるものなのだ。
開戦を決断する人々の集まりなのだから、直接的すぎると水に流すことができずにすごいことになる。
「武芸の腕を競うに決まっている! 剣だ、剣で勝負だ!」
「一対一ですか?」
「もちろんだ!」
助っ人の乱入なしと言質を取った。多分、ヤソガ子爵は勢いで認めたのだと思う。
「剣で、一対一ですか。剣の扱いは苦手なのですが……」
「今度こそ、逃げると言うか!?」
私は眉根を寄せて考えてから、ヤソガ子爵の体つきを観察する。
体つきは分厚く、中々の偉丈夫だ。恐らく、昔はきちんと鍛練を積んでいたのだ。
今はというと、その上から数年分の脂肪がたっぷりと乗せられている。領主になってからさぞいい暮らしをしているのだろう。
そこから想定される戦力は、リスクとしては無視できる範囲と判断する。
「まあ、この条件なら、尻尾を巻いて逃げなくても良いでしょう」
あなたになら勝てます宣言。
これには、周囲の皆さんも大盛り上がりである。ヤソガ子爵も大層な興奮の様子。
「これはこれは、どうしました」
そこに、サキュラ辺境伯を連れて、ダタラ侯爵が顔を出す。
流石にこれだけ騒げば、主催者として確認のために来なければならず、サキュラ辺境伯の名をもってしても止められない。
この乱暴な筋書きを、ダタラ侯爵は考えていたのだろう。
主人の登場に、番犬ヤソガ子爵は尻尾を振るように顔色が良くなる。
「丁度良いところに、ダタラ侯爵殿! これよりパーティの余興として決闘をお見せしたい!」
「おやおや、若者は元気が良いですな」
「つきましては、このパーティの主催者であり、第三者でもあるダタラ侯爵殿に立会人を務めて頂けないかと」
第三者であるらしい侯爵閣下は、この突然の提案に表情一つ変えず、即座に頷いた。
中央貴族の間では、第三者という単語の意味はどうなっているのか。興味深いですな。




