煉理の火翼15
この国の王女の立場は、複雑で微妙なものと言える。
その原因は、今から遡ること六年前、この国の第二王子が事故死してしまった一件に始まる。
この時、「事故ではなく暗殺されたのでは」と噂が立ったのは、権力の濃い血が流れた際の必然と言える。
だから、時の社交界は噂を噂として砂糖菓子の上に並べた。
問題は、誰がその不名誉を受けたかだ。
初め、そのありがたくない名誉は、第三王子の身に降りかかった。母方の家の事情もあり、第二王子と第三王子は仲が悪いという社交界の認識があったためである。
順当な邪推であった。
当の第三王子の派閥も、これを仕方ないこととして苦笑して、そんな非道は王道ではないとやんわりと否定するに留めて、噂の鎮火を待った。
この時、王族もその取り巻き貴族も、理性的な反応を示している。
これには、王位継承権の第二位がいなくなったとて、第一位が安定していたことが大きい。いわばこの噂は、安全が約束された火遊びのようなものだった。
第三王子の不名誉な噂は、間もなく鎮火した。
だが、それは第三王子派(それと多くの上流階級)が望んだ穏当な形ではなく、燃える屋敷を丸ごと吹き飛ばすような形であった。
第三王子も、事故死したのである。
事ここにいたって、噂は噂では済まなくなった。
一人だけなら、事実事故であったかもしれない。
だが、それが短期間に二人となれば、事故とばかりは言い切れない。
死傷率の高い社会でのこと、当然、王族は不慮の事態に備えて、王位継承可能な血筋を――言い方は悪いが――複数用意している。
だからといって、最後の一人までなら失っても問題ないと言う者はいない。
第二王子と第三王子の死について、暗殺や謀略を視野に入れた調査が行われることになった。
調査対象は、犠牲者の血によって最も利益を得る者から始められるのは、基本的なことだ。
そこで、王位継承権の第四位、つまり、第四王女(王女としては第一)が不名誉な噂の第一候補となった。
彼女は、当時八歳の少女である。
王にとって最初の女児ということもあり、王の寵愛厚いことも、あるいは噂の対象となる理由だったのかもしれない。
第四王女の派閥を作る貴族は、さして有力とは言えない。
これは、王都周辺での実力という直接的な意味と、王都の権力争いへの関心という間接的な意味、両方を含む。
そういったものに力のある貴族は、第一王子や第二王子の旗の下にさっさと集まっている。
王族として一定の力を持つとはいえ、八歳の少女一人では、力の振るい方もわからない。
結果、第四王女への噂は歯止めが効かず、噂は人が信じる真実の皮をかぶり始める。
そんな王女の前に颯爽と現れたのが、ダタラ侯爵である。
王国の金属資源を支える中央貴族の侯爵は、こんな年端もいかぬ殿下が、まともな支持基盤も持たない身で王族たる兄二人の暗殺などできるものかと至極真っ当な理屈を振り回して、噂を噂として一蹴した。
ここまでなら、王家への忠誠厚い臣下であると、彼を嫌う諸侯も不承不承に感心したことだろう。
だが、ダタラ侯爵は、彼を嫌う諸侯の期待通り、舌打ちの賞賛に値する人物だった。
彼は王女にかかった暗殺疑惑の鎮静化を意図するどころか、その火をさらに延焼させるべく論陣を張ったのだ。
「王女殿下が兄二人の暗殺をしたと疑うならば、第一王子殿下の方も疑うべきではないか。王位が盤石だからとて、他の理由で良からぬことを思いついた可能性だってある」
こう言われては、第一王子派も黙ってはいない。
お互いにお互いを暗殺犯として非難してから、調査し、疑わしいとも思えないささいな行動を咎めだす始末である。
この間、第一王子はともかく、第四王女は完全にダタラ侯爵の傀儡と化した。
王女自身は何も口にしていなくとも、ダタラ侯爵が勝手に自分の名前を使ってあちこちに言葉をばらまいていくのだ。
幼い王女にできるのは、なるべく利用される幅が小さくなるよう、可能な限り口をつぐみ、大人しく自分の部屋に閉じこもっていることくらいだ。
ところで――。
第四王女は、王の初の女児なので寵愛が厚いという話があった。あれは事実らしい。
第一王子と第四王女との争いが日に日に激化し、口頭だけで済みそうにないと諸侯が予想し始めた頃、ようやく王が動いた。
あるいは、そこまでになったので、ようやく動けたというべきか。
王は、すっかり薄くなってはいるものの、自身と血縁関係があり、王都での権力争いに全く興味はないが、物理的な実力だけはやたらとある地方貴族に相談を持ちかけた。
「余の娘のことだ」
「ああ、ひどい有様ですな」
地方貴族は、王の前でも無造作に言葉を吐いた。
「中央貴族どもがどうなろうと知ったことではありませんが、民と、年端もいかぬ少女が哀れでなりませんなぁ」
あまりに率直な物言いに、王は安堵をない交ぜにした苦笑を漏らした。
本当ならば、自分もその率直な言葉を大っぴらに口にしたいと望んでいる表情だったという。
「お主がそう口にできる人物で良かったと、今心の底から思っているよ」
「おや、この田舎者にお役目ですかな」
ここに呼ばれた時点で、そのことを知っていただろうに、地方貴族はとぼけた顔で顎を撫でる。
「うむ。今の王族の争いを、これ以上は放っておけん。どうにも良からぬ虫が内に入って悪さをしているようだからな」
「金切り声がうるさいあの虫ですな」
「王子と王女の名声を落として、誰が利益をあげるかと言えば、王家以外の有力貴族だろう」
恐らく、ダタラ侯爵の筋書きは、王位継承者の争いをとことんまで大きくし、その間隙に自分の権勢を強化することだろう。
第四王女を傀儡に国政に根を張るのは当然の目論見として、ひょっとするとその先、王位の簒奪まで狙っているかもしれない。
名分は、私利私欲の争いで王都を荒廃させた現王族には、国家の大事を任せられぬ……とか何とか、その辺だろう。
盗人猛々しいことこの上ない虫である。
というか、王位にあっても、やはりうるさくて面倒で嫌いな相手を例えるのは、虫のようだ。
虫。本当は重要な役割も果たしていて、生態系に欠かせない存在なんですけどね。
「それで、王よ。どのように事態を片付けるつもりです?」
「悪い虫は引き剥がすのが良かろう。もはや迂遠な手を使っている状況ではない」
「まあ、そうでしょうな。王がもっと早く動ける存在ならば、そうはならなかったでしょうが……」
地方貴族の物言い、もっと早く動けよ、という実に人情味ある指摘に、玉座にある男はありがたそうに頷いた。
口から出たのは、それができない己の立場の説明だったが。
「言ってくれるな。王などというモノは、いつも変わらず椅子に座っているのが丁度良いくらいの存在なのだ。竜が毎日空を飛べば、国が亡ぶだろう?」
「確かに、流石に毎日では、うちの領の者も耐え切れないでしょうな」
「お主のところが耐えられぬのであれば、他に耐えられる所などあるまい」
だから、相談する相手に選んだのだと、王は笑う。
「そんなお主の懐に、余の娘を匿ってはくれぬか」
「可愛い愛娘を、うちのような田舎にですか?」
「悪い虫がついているのが、娘の方だからな。名目はお決まりの病気療養、療養地は表向きスクナ子爵のところで良い。流石に、あの虫も王女がいなければ騒ぎようがなくなろう」
王は感情を見せなかったが、地方貴族は同じ男親として、愛娘を顔が見られない遠方へと送り出すことを惜しんでいることを察する。
だから、地方貴族は膝をついて臣下の礼を取り、父親である王に応えた。
「委細承知つかまつりました。ご息女は、我が家が全身全霊をもってお守りいたします」
そんな臣下の手を取って、王は喜んだ。
「お主の言葉、誠に嬉しく思う。よろしく頼む」
小さくだが、王としてはありえない頭を下げるという所作をしてから、父親は微笑んだ。
「あるいは、今回の件はあれにとって良い経験になるやもしれんな。あれは……どうも好奇心が強い子なのだ」
そうして、王女殿下は地方貴族の子供に化けて、地方の領へとやって来た。
話の流れから当然のことであるが、この地方貴族の男がサキュラ辺境伯家当主、ゲントウ氏である。
王を相手取ってもこの調子、精神防御力は王国随一といっても過言ではあるまい。
そして、ゲントウ氏の子供に身分を変えて、サキュラ辺境伯領にやって来た、好奇心旺盛な王女殿下の正体といえば――。
ようやく、彼女にこっそり教えてもらった本当の名前で呼べると思うと、ほっとした気持ちになる。




