灰の底12
しばらくして、行商人のクイド氏が村にやって来たので、早速交渉を持ちかけてみる。
「ちょっとご相談したいことがあるのですが、お話を聞いていただけますか?」
「お、おぉ、アッシュ君か。一体、なんだろうか?」
あれから特に接触をせずにいたのだが、クイド氏の反応が固い。ひょっとしたら、以前のネタでいよいよ脅迫されるとでも思っているのかもしれない。
そんな良心に反するようなことをするつもりはないのだが、相手が脅迫に取ってしまうことは避けようがない。
私の問題ではなく、彼の問題ですからね。まったく、人の心とはままならないものです。
「実はですね、こういう植物を発見しました。クイド氏は、これをご存知でしょうか?」
アロエを見せてみるが、クイド氏は知らないらしく、首を振る。
生命力が強い植物だし、たくさん種類がある植物なので、ひょっとしたら都市で手に入るかもしれないと思ったのだが、この辺りでは知られていないようだ。
「なんなんだ、これは。なんか垂れて来て、ちょっと気持ち悪いな……」
「それは植物の葉っぱですよ」
「葉っぱ? これが? 茎とかじゃなくて、葉っぱ?」
肉厚だから、確かに葉っぱというより、茎や幹のように感じるかもしれない。変わったものであることは間違いない。
「実はこの植物、本で調べたところによると、薬になるらしいのです」
「へえ……。まあ、これだけ変わったものなら、なんか効き目がありそうな気はするな」
そういう感覚で作られた薬は、とても危険だと思う。
これだから、クイド氏が持ってくる薬は安心できないのだ。
前世でも、猛毒の水銀が秘薬だと思われていた時代が、かなり多かったはずだ。他にも、人間を含む動物の糞尿とか、死体の一部とか……。
「で、これで薬を作ってみようと思うのですが、実験をして、効果があるかどうか、問題がないかどうかを確かめる必要があります」
「どうしてだ? 本に薬だって書いてあるんだろう?」
どこかの偉そうな誰かが効果があると言っているのだから、そうなのだろう。
この考えが、結構当たり前の社会だから困る。
「確かに書いてありますが、ひょっとしたら使いすぎると問題が出るかもしれませんし、使い方によっては効果がないかもしれません。実験は絶対に必要です」
「なんだか面倒だな」
「クイドさんだって、初めて取引する相手のことは良く観察したり、情報を集めたりするのではありませんか?」
それと同じだと言うと、少しは理解されたようだ。
「ご理解いただけたようで何よりです。では、薬の実験のために、ペンと紙を手に入れたいのでよろしくお願いいたします」
「あぁ、それが目的だったか……」
クイド氏は、少し安心したように苦笑する。
どんな脅迫が来るのかわからないより、わかった方が良いということだろうか。悪い結果でも、出ないよりは出る方が良いという言葉もある。
「しかし、紙とペンか。当然、インクもだろう?」
「あ、そうですね。それも必須です」
「うぅん……」
悩みこんでしまった。
やはり、そこそこ高い代物なので、タダで譲るのは難しいようだ。弱みがあるとはいえ、クイド氏には二度とこの村に来ない、という手札もあるのだ。
それは、お互いにとって不利益しかないので、私としてもそこまで追い詰めるつもりはない。
「ひとまず、ちょっとだけで良いので、都合がつきませんかね。お金をちゃんとお支払いできれば良いのですが、流石に自由にできるお金がなくて」
「自由にできる金があったらびっくりするよ。……いや、アッシュ君なら、納得もできるけど」
いたいけな子供の私は、どういう認識をされているのだろう。
「薬の開発が上手く行けば、クイド氏にも融通します。ひょっとすると、都市でも売れるかもしれませんよ」
出世払いの提案だ。つまりはツケである。
ちゃんとがんばるから、踏み倒しちゃったらごめんね。
「う、うぅん……」
クイド氏は唸るばかりで、頷いてくれない。ダメか。
実験のような科学的手法には理解がないとはいえ、行商人として生活するクイド氏は現実主義者だ。おまけに零細企業だから、おいそれと儲け話に手を出せない。
すると、我が父をだまくらかして金を搾り取る方法を考えようか。
私とクイド氏がうんうん唸っているところに、猟師のバンさんがやって来た。
「おや、バンさん。こんにちは」
挨拶すると、相変わらず無口のバンさんが頷く。
彼は、猟で得た燻製肉や毛皮をクイド氏に売る代わりに、必要品を買いに来たようだ。バンさんは必要なものを指さして、クイド氏に計算をしてもらう。
以前にぼったくられていたことがあるが、私がいるので今回はそれもないだろう。
一通り買い物を終えたバンさんが、私を見て首を傾げる。
「どうした?」
「え、ああ。ちょっと紙とペンが欲しいので、いくらくらいか確認をしていたのです」
そうか、という風にバンさんが頷く。
クイド氏は、バンさんの声に驚いた顔をしているが、この人はどれだけ無口なのだろう。というか、今まで良く買い物できていたな。
「いくらだ?」
「ええと、結局いくらでしょう?」
バンさんと一緒に、首を傾げてクイド氏を見る。
「そう、だな。アッシュ君の頼みだし、ちょっと傷んだ紙で良ければ一式セットで……鉄貨十五、いや、十三……じゅ、十二枚で、なんとか……」
鉄貨十二枚か。クイド氏にとって完全赤字の価格なのだろうが、それでもおいそれとは手を出せない。必需品の塩が買える値段だ。
「払おう」
バンさんが、信じられない言葉を発する。
「え? バンさん、こんな安くない物、申し訳ないですよ。ついこの間、命を助けてもらった恩人ですし」
本音を言えば、ありがとうございますお願いしますやりました、と話を畳みかけてしまいたいところだが、そこまで面の皮が厚くない私は恐縮する。
だが、バンさんは、私に無言で首を振る。クイド氏には、その鋭い目で頷いて見せる。
「本当に良いのかい、バンさん? こっちとしちゃ、あんたが良いなら、構わないが……」
クイド氏もずいぶん驚いた様子だが、バンさんは再び頷くと、自分が買った分を持って、さっさと行ってしまう。
なに、あの人。
「滅茶苦茶カッコイイですね……」
「ああ、滅茶苦茶カッコイイな……」
二人そろって後姿を見送ってしまう。
ただ、お釣りがちょっとあったので、クイド氏からお預かりしてしまった。
紙とペンのお礼と共に、後日しっかり渡そう。
****
日一日ごとに、夏の気配が濃厚になっていく。
季節が過ぎても、私の生活はあまり変わっていない。畑仕事をして、森の浅いところで山菜を取り、教会に行って本を借り、マイカ嬢に勉強を教えている。
春から変わったことといえば、バンさんが猟のついでに野草を取って来てくれるので、お礼に簡単な手伝いを始めた。
バンさんの家で、槍や罠といった狩猟道具の手入れを行い、持ち帰られた獲物の解体や処理を手助けしている。
とはいっても、手伝いになれたのは、ようやく最近のことだ。初めの頃は教えてもらわねば何もできないので、むしろお手数をおかけしました、と頭を下げなければいけない。
おかげさまで、猟師の基礎知識がついてきたと思う。そのうち、山にも連れて行ってもらえることになっているので、実に楽しみだ。
バンさんの本職が猟師であるので、持ってきてくれる野草も大した量にはならないのだ。私もついていければ、収穫量が増える。
夏にはかなり食いでのある山菜も出てくるそうなので、食卓のもう一皿に期待している。
もう一点、変化があったことがある。
ネズミを飼い始めたことだ。名前は一ひねりしてモルモット君。ペットでないことは、名前でお分かりいただけるだろう。
今のところ、アロエの薬効確認の実験にお付き合いして頂いている。ゆくゆくはもっと別な薬にもお付き合いいただく予定だ。奴等に拒否権はない。
前世らしき記憶がある私としては、捕えたネズミをわざと傷つけて傷薬の効果を確かめたり、明らかに危険と思われる量のアロエを無理矢理飲ませたりすることに罪悪感を――全く感じない。
奴等は敵だ。
憐れむべき弱者ではなく、油断ならない強敵である。
慈悲をかける余地がないほど、憎たらしい怨敵だ。
前世ならここまで憎しみを抱かなかった。だが、ひもじさと生活する日が多い今世では、畑の作物も倉庫の作物も食い荒らす害獣たるネズミは、抹殺対象だ。
駆除にかこつけて拷問まがいの処分をしようとは思わないが、必要な実験の上でなら心が痛まない程度には憎しみに染まってしまった。
人間、飢えると心が貧しくなってしまうのだなと思う。
そんな憎たらしいモルモット君のおかげで、アロエのことが大分わかった。
食べる場合、やはり食べ過ぎはよろしくないようだ。死亡したネズミもいたのには、少し驚いた。また、塗り薬として使っても、肌がかぶれることもある。つまり思った以上に効能が強く、注意点を理解していれば、その分だけ非常に有効な植物である。
切り傷、火傷、虫刺されなどなど皮膚・肌の問題全般に効果があり、少なくとも化膿しての悪化を防いでくれる。服用しても効果があるようで、胃腸が弱った時に助けになる。あと、便秘にも効果があるようだ。
モルモット君で実験した後、自分の体での実験を始めたのだが、試しに右手だけにアロエ軟膏を使ってみたところ、赤子のような……とまではいかないが、日夜の労働で荒れた手から、ささくれやひび割れがなくなったし、すべすべになった。塗らなかった左手がいじけて見えるほどの違いだ。
この効果だけでも、十分に売り物になるのではないだろうか。特に女性には。
我が母は、ものすごい勢いで食いついてきたので、人体実験の被験者二号になってもらっている。水仕事が楽になったと明るく笑う母の笑顔が、嬉しい。
もう少し軟膏化の手順を煮詰めたら、クイド氏に話をして、都市の方で試験的に販売してもらおうと思う。
実験が足りないが、農家がこれ以上本格的な治験を行うのは無理がある。その辺りもクイド氏に相談して、上手く購入する相手を選んでもらおうと考えている。
もっとも、何か起きても問題にはならない気もする。今世のその辺りはいい加減というか、自己責任という考えが強い。
その収益を貯めたら、農作業が楽になるよう、農具を買うか、馬や牛を買うか。あるいは、他にもっといいものがあるだろうか。最善の一手を調べねばならない。
そのために必要なものは知識、つまり本だ。もっと本を読もう。
「また難しそうな本を読んでる。今度は何を読んでるの?」
教会で本を読んでいた私に、にこにこ話しかけてきたのはマイカ嬢だ。教会に一人で来るのもすっかり慣れたらしく、緊張した様子はない。
マイカ嬢は、私の隣に腰かけて本を覗きこむ。
「かち、くの……じ、つ、ようしょ……家畜の、実用書?」
「正解です。よくできました」
ぎこちないけれど、マイカ嬢もかなり字を読めるようになった。
もう少し読む経験を積めば、普通に話すような速度で本を読めると思う。現在は、書く方に重点を置いて勉強しているところだ。
読めたことが嬉しいようで、マイカ嬢ははにかんでくれる。
「でも、なんで家畜? 家畜って、馬とか牛のことだよね?」
「そうです。私達が飼うことができる動物のことですね。他には鳥なんかも、飼えれば家畜になります」
「つまり、お肉だね」
「そう、お肉です」
何一つ間違っていないマイカ嬢に同意する。育ちざかりの子供としては、他の認識はありえないと断言できる。
「アロエの軟膏が上手く行けば、お金が手に入ります。どれくらいになるかはわかりませんが、まとまったお金になってくれれば、何か新しいものをこの村で始められないかと考えていまして」
「それで、家畜?」
「一案ですね。ただ、少し調べただけでも家畜は難しいので、よほど大金が手に入らないと無理だということがわかりました」
必要な専門知識が多すぎるし、労力もかなり取られる。
現行の村人で行うのに無理があるとなれば、そういった専門知識を持つ人間に村に移住してもらわなければならない。移住してくる人間の家屋が必要だし、家畜のための獣舎もいる。もちろん、初期の番の家畜もどこからか購入しなければならない。
とてもではないが、アロエ軟膏程度で賄える額では間に合うまい。
二年前に亡くなった農耕馬は、この村を新たに開拓するために特別に与えられた馬の生き残りだったらしい。あらかじめ使い潰されることが前提であったために、初期投資だけで安く済ませたものと思われる。
開拓初期の、目前の困難を乗り越えることが大事な時は、そういった短距離走的な発想で良いだろうが、今必要なのは長距離走的な発想だと思う。
そう考えると、使い潰す前提の家畜より、農具を新品の鉄製にした方が、コストパフォーマンスに優れるのではなかろうか。
鶏ならかなり手軽なのだが、森から狼や魔物が出てきてしまうので、防壁のない農村で育てるのは大変なのだという。
この調べものにより、魔物は、狼等の害獣とは明らかに区別されているということがわかりました。
本当に何物なのだろうか……。
ちなみに、牛や馬にも狼や魔物は寄ってきそうだが、鶏がてき面に引き寄せるらしい。
これは古代文明からの品種改良の結果ではないかと思われる。
牛や馬は大型なので、都市内での飼育にはどうしても限度がある。餌の都合からも放牧できた方が楽だ。一方、鶏はその小ささから、都市内でもかなり我慢できる。
結果、鶏は都市内で害獣を気にせず世代を重ねたが、大型の家畜類は都市の防壁の外で、害獣に脅かされながら世代を重ねた。
自然の淘汰圧により、害獣に発見されやすい、良く鳴き、体臭の強い血統は薄れて行ったのではないか。一方、鶏はそんな圧力にさらされないので、毎朝必ず鳴く。それはもう野生には美味しそうな鳴き声だろう。
本当かどうかはわからない。
私が生きている間に証明できることはないだろうが、そのうちこうした考察をまとめて本に残しておきたい。
後世、生まれてくる時代を間違えた偉人だなどと讃えて欲しいものだ。
そういった考えの、ごく実務的な部分を、マイカ嬢に話す。
彼女はまだ幼いのに、さして面白くもないだろう私のよもやま話に、楽しそうに付き合ってくれる。
良い人だ。将来は素敵な家庭を作れるに違いない。
「すごい! やっぱりアッシュ君はすごいね!」
「そんなことないですよ。まだ何にもしていませんから」
「そんなことないよ。アロエのお薬、あたしもすごいと思う。お母さんもお父さんも、すごいって言ってた」
ほら、とマイカ嬢は両手を広げて私に見せてくれる。
「ほほう。ちょっと失礼しますね」
私は断ってから、マイカ嬢の両手を引き寄せて、裏も表も眺めて、指でなぞる。
決してセクハラではありません。私はロリコンでもありません。肉体的には同い年だし、精神的にはそういう対象として見られませんからね。
これは純粋なる観察、そう実験観察なのだ。実は、マイカ嬢は、アロエ軟膏の被験者三号なのだ。
私が右手だけに塗っていた頃、勉強を教えていたマイカ嬢が私の左右の手の違いに気づいて、理由を話したらものすごく使いたがったことがきっかけだ。やはり、幼いといっても女の子ということだろう。
私自身の人体実験が終わった後、母と共に実験に参加してもらっている。
「うん。かぶれや赤くはれるような異常な反応は、見られませんね。使っている本人としてはどうでしょう。痛みがあったり、かゆみがあったりしませんか?」
肌触りを確かめた後に、問診もどきを試みたが、マイカ嬢から返事はなかった。
どうしたのかと思ったら、真っ赤な顔の緊張状態になって、自分の手と、手を握る私の手を見つめている。
「あ、すみません。無遠慮に触りすぎましたね。私としたことが、女性に対して、大変失礼なことを……」
やはり、幼いとはいえ女性ということなのだ。私が悪かった。
言い訳をさせてもらえれば、実験段階ということで、悪い影響がないかどうか心配だったのだ。
「う、ううん、だ、だ、大丈夫……大丈夫、だから……」
マイカ嬢が優しい人で良かった。
ただ、次からは、きちんと女性として対応できるよう心がけよう。せっかくなので、前世より上の人間を目指して、今世では完璧な紳士が目標だ。
女心がわかるとは思えないけれど、できるだけ努力したい。
「えと、それで……アッシュ君が、初めに注意してくれたことは、なんにもないよ? うん、お肌すべすべになって、すごく嬉しい」
「そうですか。それは良かった」
世界が変わっても、女性の美容に対する意識というのは共通するもののようだ。
この調子なら、売りに出した時に期待しても良いのではないだろうか。
「それで、その、お母さんも使ってみたいって言うんだけど……」
マイカ嬢は、申し訳なさそうに上目遣いに私をうかがう。
問題ない、被験者四号をゲットしただけだ。
「ええ、構いませんよ。ただ、マイカさんに初めに言った通り、ひょっとしたら副作用や、体質的に合わない可能性がありますので」
「痛かったり、かゆかったり、おかしいなと思ったら、すぐに使うのを止めればいいんだよね?」
「そうです、そうです」
それを守ってくれるのなら、いくらでも使って欲しい。
マイカ嬢の母上、ユイカ夫人は、私に本を読み聞かせてくれた恩人であらせられるゆえ。
「さて、では今日の勉強を始めましょうか。今日も書き方の練習をしますか?」
「その前に、読んでいてわからない言葉があったから……」
「では、そちらからにしましょう」
なお、マイカ嬢の勉強は、ほとんど私が見ている。
フォルケ神官、仕事しろ。




