煉理の火翼9
「さて、今回こうして集まってもらったのは他でもない」
気を取り直して、ゲントウ氏が辺境伯として仕切り直す。
ただし、遥か彼方に第一宇宙速度で飛んで行った威厳は、そう簡単には帰ってこない。大体、マイカ嬢を隣に座らせた辺りからもう台無しである。
これで話の内容は非常に真面目なのだから、性質が悪いと思う。
「近年の我が領で起こった、いくつもの技術的な発展についてだ」
一同、なんとか気合を入れ直して真面目な顔で頷く。
「まずは、この一連の成果について、計画を担当した領地改革推進室の皆と、領主代行として推進室の設立を訴えたイツキに、サキュラ辺境伯として礼を述べる。見事な活躍であった」
「推進室一同、閣下のお言葉に喜ぶことでしょう。室長として部下一同を代表し、お礼を申し上げます」
お仕事モードのマイカ嬢は、凛としながらも穏やかな微笑みを浮かべて、上司の労いに応える。
孫の立派な姿に、せっかく引き締めたゲントウ氏の表情が、ただのおじいちゃんになってしまう。
孫を見習って欲しい。そこのおじさんもです。
「う、うむ。それで、だな。領地の発展につながる、数々の成果は喜ばしいが、いささか駆け足で物事が進んだことは否めん。王都で手紙を読むだけでは理解が追いつかないこともあり、この席を設けたのだ」
そう言いながら、ゲントウ氏は用意された酒杯を手に取って掲げて見せる。
「まあ、叱ろうだとかなんだとか、そういったつもりは全くない。さっきも言ったが、美味い物を食べながら、今後の辺境伯領のために話し合おうではないか」
気さくすぎる我等が主人に合わせ、私もお酒を手に取る。
「では、サキュラ辺境伯領の前途を祝して、乾杯!」
サキュラ辺境伯重鎮会議は、こうして軽やかに始まった。
「まあ、一番の問題になるのは、これだけの技術をどのようにさばいていくかだ。石鹸の時は、実に上手くさばいた。今後もこのようにいきたい。その打ち合わせだな」
まずは盃を一つ干したゲントウ氏が、議題を場に提示する。
前もって知らされていた検討事項であるため、鳥つくねを頬張ったマイカ嬢が、もぐもぐと良く噛みながら頷く。
「開発元の領地改革推進室としましては、現在開発してある工業系、農業系、建築系の全技術を放出しても良いと考えています」
この祖父にしてこの孫ありだ。
マイカ嬢は、言葉遣いは真面目だけど、美味しい物を食べながら、という辺境伯閣下の指定を遵守する所存らしい。
一応確認するけれど、今この場は、辺境伯領の最重鎮会議の席です。
「ほう。それはまた、剛毅な話だな」
ゲントウ氏が、顎鬚を撫でながら面白そうに呟く。単純に、孫娘にデレているだけの可能性も否定できない。
「だが、いささかそれは大盤振る舞いが過ぎるのではないか?」
マイカ嬢は、軍事技術以外全部あげちゃおう、と言ったのである。
為政者としてはそう言いたくもなろう。
実際、領都で話し合った時も、イツキ氏は渋い顔をした。ゲントウ氏も、息子である領主代行と同じ懸念を示した。
「領地改革推進室の成果は、どれか一つを取っても実に大したものだ。いずれも、領の発展に大きく寄与するだろう。だからこそ、他領に手に入れられると困る、とまでは言わんが、もったいないと考えてしまうな。そこはどう考えている?」
「はい。これは、我が計画主任の言葉ですが」
そう言って、マイカ嬢は隣に座る私に、自慢げな笑みを見せる。
その可愛らしい唇から紡がれたのは、かつて、私が語った言葉だ。
「今ある技術は、ほんの土台に過ぎません。これから先が本番なのですから、この程度で惜しむ必要は何もありません。土台をもっと拡げて、そこに乗せられていくさらなる未来を、より高く、より早く積み上げられるようにしましょう」
マイカ嬢は、自身の発言の結果を見て、花がほころぶように笑う。
ゲントウ氏は、孫娘の言葉を受けて、瞠目して後ろに倒れこむように仰け反ったのだ。それは、満天の流星雨を見つけた子供の仕草に見えた。
「これはたまらん」
やがて、そう呟いた中年の男性の頬が、にんまりと緩む。
「王都では、推進室からの報告が一番の楽しみであった。書面でさえそれほどの力があったということを、俺はもっと真面目に考えるべきであった」
つまり、と男は悪ガキのような笑みをむき出しに、話し合いのテーブルに戻ってきた。
「俺の人生で一番の楽しみは、まだまだ続くし、もっともっと面白くなるのだな」
「もちろん!」
マイカ嬢が、祖父とよく似た笑みで応えた。
「アッシュ君がいる限り、あたし達に退屈している暇なんてないんだよ!」
「ううむ、素晴らしい! 生きていて良かったと心の底から思うぞ!」
ノスキュラ村発、領都が誇るびっくり特産品扱いが、とうとう領主公認になった瞬間だった。
「で? 具体的には、どんなものを今後開発していく気なのだ?」
目をキラキラと輝かせたゲントウ氏が、前のめりになって尋ねてくる。
それに渋い顔をしたのは、イツキ氏だ。
「父上、あまり詳細は困るぞ」
そう囁きながら、イツキ氏は視線をドアの方へ送る。
それの意味するところは、部屋の外で用命を待っている女中達こそが、スクナ子爵の誇る情報網ということだろう。
まあ、それも当然の話で、こんな都合の良いリゾート地を持ちながら、諜報活動に力を入れていないわけがない。
重鎮会議を始める時には自分から退出して行ったが、ここで行われる会話は全て、あの老子爵の耳に届くと考えた方が良い。
「だがな、イツキ。お前達は領に帰ればいくらでも聞けるかもしれないが、俺はそうもいかんのだぞ。なんとかならんか」
「なんとかって……。スクナ老がそんな甘い相手ではないことは、父上の方が知っているだろう」
「むう……」
息子の返しに、ゲントウ氏が渋い顔で黙り込む。
ちょっと話した感じでも、スクナ子爵は有能なやり手ですからね。
でも、それならそれで、やりようはある。
「では、子爵閣下をお味方にしてしまえば良いと思いますよ」
「味方?」
イツキ氏とゲントウ氏が、親子らしくそろって首を傾げる。
「スクナ子爵閣下を部外者と思えばこそ、内緒話をする必要もありますが、味方と思えば一緒にお話を聞いて頂いたって良いわけですよね」
私の発言に、イツキ氏が呻く。
「それはまあ、そうだが……しかし、他領の人間だぞ」
「同じ人間ではないですか」
話の通じない魔物ではない。
それだけで、まずは話し合って、味方に引き込めないか試してみるだけの価値がある。なにも、初手から敵視する必要はあるまい。
私はそう思ったのだが、為政者二人にとっては、あまりに大雑把な区分けだったようだ。大口を開けて驚かれてしまった。
マイカ嬢だけは、からころと楽しそうに笑っている。
確かに、領地の進退に関わる機密事項という前提からすると、ちょっと大雑把すぎたかもしれない。
「私は、スクナ子爵閣下なら問題ないと考えています。機密情報が多数手に入るこの地で、これだけ領政を安定させているということは、入手した情報の扱いも確かと言うことですよね」
情報の扱いが下手なら、とっくの昔に周辺諸侯の恨みを買って攻め滅ぼされているはずだ。情報を使って利益を得つつも、損害は回避するという堅実な使い方だ。
力を持ち、なおかつ、その振るい方を心得ていることがわかる。
その点でも、取引相手として非常に信頼のおける相手だと思う。駆け引きはしてくるだろうが、一線は守ってくれるはずだ。
「先程のマイカ室長のお言葉の通り、推進室としては現在手持ちの技術はどんどん公開していきたいと考えています。理由の一つとして、石鹸技術を独占していた豪商をお考えください」
現在、各地から一斉に石鹸生産の報せを受けた豪商は、ずいぶんと右往左往している。
恨みを持つ誰かが背後に忍び寄り、復讐を誓っていた誰かが前に立ちはだかっているらしい。
これまでは、持ち前の財力を盾、権威を武器として振り回して追い散らしてきたが、今はその権威に陰りが見えている。
権威の源である石鹸が、他の商人からでも手に入るようになったのだから当然だ。
他の商人が持ちこむ石鹸は、それぞれに個性があり、しかも豪商のそれよりかなり安い。
独占状態にあぐらをかいた価格設定をしていたからだ。財力の方にも不穏な影が差し始めている。
ざまあない。
かように、独占という状態には、大きなデメリットがつきまとう。特に人の恨みが恐ろしい。
「そのデメリットを考えた場合、技術の独占は、消費される労力と予算に対して、釣り合いが取れていると言えるでしょうか。私は、そうは思いません。そんなことに割く労力と予算があるなら、気前よく差し上げて、代わりに協力を頂戴しましょう」
私はどこぞの石鹸豪商とは違う。
いずれ漏れるだろう技術を後生大事に抱え込み、文明の発展を停滞させつつ、恨みを買って敵を増やすような真似をするつもりはない。
むしろ、恩を売って、協力者を増やしていく所存だ。
脅迫よりも利益供与の方が、最終的な手間がかからず、メリットも大きい。
これは、レイナ嬢の時に証明済みである。
「そして、有力な相手には、その分だけ早く多く技術情報を渡して、有力な味方になって頂くべきではありませんか」
協賛会員になられた方限定の、先行プレミアム特典みたいなものである。
お金さえ払えば他者より先んじられる。この誘惑に弱い方は、特に貴族に多いのではなかろうか。
払えるならお金以外でも受け付け可、資源とか人材とか大歓迎だ。
どうでしょう。領外にも広めよう好意の輪(利益供与こみ)作戦の基本骨子です。
ゲントウ氏は、最初は驚いた顔をしていたが、私の説明が進むうちに真剣な為政者の顔になって頷く。
「大したものだ。アッシュの話を聞いていると、それが一番良いように思えてくる。実際、敵が一人増えるより、味方を一人増やせるならば、多少の損はむしろ利になったと考えて良いだろう」
それに、と顎鬚を撫でた辺境伯は、大人への悪戯を相談する悪ガキの表情を見せる。
この人、いい年してそんな表情が似合いすぎる。髭の生えた不良少年だ。
「気前の良い大盤振る舞いの裏で、中々に悪党だ。うちに多く協力するところほど、最新技術がもらえるとなれば、味方の間で競争が起きるな」
「おや、考えてみれば、そうかもしれませんね。私としてはただ単に、好意には好意をお返しすべきであるという考えに基づいているだけですよ」
大きな好意には、当然大きな好意をお返しするだけだ。等価交換である。
その結果として、課金合戦みたいなものが起きたとしても、私が意図したものではない。遺憾の意くらいは表明しても良い。
別に、頬が緩んでニヤニヤしているのは、悪だくみを共有しているからでありません。
「良かろう、気に入った。この場で話が出たということは、イツキも技術の公開に賛成したのだろう?」
「ええ、まあ……アッシュの説明を聞くと、どうも納得するしかできなくて……」
「ふははっ、無理もない! そういえば、お前からの手紙の中身も、推進室からの提案の打診が多かったな!」
「頼もしい部下ができたと思うことにしているよ。とはいえ、その相手を誰にするかまでは、全く話し合っていませんでしたが」
イツキ氏が、心臓に悪いだろう、と私に軽口を叩く。
「流石に、人となりを知らない他領の為政者ですから、具体的に誰にしましょうとは私には言えませんよ」
「で、人となりを確認したから、早速勧めて来たのか」
「ええ、大変素晴らしい方でした」
あの情報能力は魅力であるし、技術だけでなく、開発者を引き抜こうとする視野も持っている。物の価値がわかる相手は大好きだ。
あと、温泉地を休暇先として常時確保できる。
「できれば、後継者や重鎮の方ともお会いしておきたいですね」
口にするのははばかられるが、スクナ子爵はかなりのご高齢だ。
何かあった時、後を引き継ぐ周囲が、老子爵と同様に信頼できるかを確かめなければ、好意の大サービスはできない。
この宿につめるセイレ嬢のような女中を見る限り、周囲の教育にも熱心な人物だとは思うのだが。
そんな私の懸念に、ゲントウ氏は満足そうだ。
「一見、無造作なほど大胆なようでいて、要所はしっかり押さえているのだな」
「私は猟師の修行もしていましたから。猟師は臆病な気持ちを、慎重と言い換えて大事に持って歩くものです」
「人狼と一騎打ちをして、トレント八体を討伐した勇者が臆病とな?」
「ええ、臆病ですよ。死んでしまったら、ここまで進めた夢の計画が大崩壊ですからね」
私は古代文明の復興という夢のためなら命なんて惜しくないが、夢は惜しい。
夢とは生きて追いかけるものだ。つまり命は惜しくないが、とても大事だ。うっかりミスで大事な命を落とすなんて冗談じゃない。
私のこの理路整然とした結論に、ゲントウ氏はなぜか宿中に響くような大笑で応える。
「なんとまあ、愉快な男だ! 命を惜しまぬ蛮勇の持ち主は何人も見てきたが、命を大事にする勇者とは!」
そんなに笑えるほど変ですかね。
「なるほど。この者が見えているものと、我等が見えているものとでは、全く違うのだろうな。であればこそ、人間不信になりかかっていたあの者、アーサーも、ここまで懐いたのであろう」
ゲントウ氏は、腕を組んで感心した後、マイカ嬢を見て頷き、私を見てもう一度頷く。
「うむ。このままアッシュの話を聞きたいところだが、その前にスクナ子爵と話をつけるのが良いだろうな。楽しみは後に取っておくことも一興だ」
今日はここまでにしよう、とゲントウ氏は場を締める。といって、解散の命令は出さない。
その意図するところを考えて、私一人が席を立った。
「では、ご家族でつもる話もあるでしょうから、私はこれで失礼いたします」
後は家族水入らずでどうぞ。
一礼する私に、ゲントウ氏は意味ありげに唇を釣り上げる。
「気を遣わせてすまんな。次は、アッシュも一緒に楽しむことにしよう」
フレンドリーな言葉遣いに似合わぬ、肉食獣みたいなその笑みはなんでしょうね。
光栄です、と応えておいて、私はドアをくぐる。
すぐに控えていたセイレ嬢が付き添ってくれて、私の部屋までの道を案内してくれる。
そのルートが少し遠回りであった理由は、脇道から自然と合流してきたスクナ子爵の指示だったのだろう。
「フェネクス卿、しばらくご一緒してもよろしいですかな」
「ええ、構いませんよ。私は暇を頂きましたから、お望みのままに」
なんなら、どこかの個室で打ち合わせしても良いですよ。
そう意味を含ませて水を向けると、老子爵は髭を撫でて首を振る。
「いえいえ、それにはおよびませんよ。サキュラ辺境伯家の重鎮を相手に、二人きりで密談をしてはいらぬ誤解を招きそうですからな」
怒らせると恐い一族なのだと、老子爵は笑う。
「なるほど、お心遣いに感謝いたします。それで、ご用件は?」
「ええ、これは後程、正式にサキュラ辺境伯殿に打診する予定なのですが、せっかくお会いしたのでフェネクス卿にも先にお知らせしようと思いましてな」
「ほう? なんでしょうか」
「フェネクス卿を含めたサキュラ辺境伯家の方々と、スクナ子爵家の面々で、一席を設けさせて頂けないかと考えたのですよ」
「ほほう」
私の「スクナ子爵の後継者や重鎮の人となりを確認したい」という発言を受けて、その機会を作ろうというらしい。
対応が素早い。
先程の会談が聞かれていたことは、あの場の全員が承知の上だが、それを子爵家が公に認めることはまずない。
それを内々にだが認める形で、スクナ子爵家として、辺境伯家の提案内容に大いに前向きな姿勢を見せてきたことになる。
結構な好感触だと思う。
「それは楽しみですね。サキュラ辺境伯領で最近作られたお酒を持って来たのですが、ぜひその席でご感想をうかがいたいと思います」
私個人としては大歓迎の提案であることを伝えると、スクナ子爵は手を叩いて破顔することで、私の返事への感謝を返す。
「おお、それは楽しみですな。こちらとしましても、精一杯のご馳走を用意しましょう」
早速段取りを組もうと意気込みながら、老子爵は足取り軽く廊下の向こうへと去っていく。
その様子に、私は孫であるセイレ嬢に感想を述べる。
「なんとも精力的な御仁ですね」
「いえ、あんなに楽しそうな子爵様、私も初めて見ます。フェネクス卿のおかげですね」
祖父のことを敬愛していることが良くわかる笑顔で、孫は頭を下げた。




