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フシノカミ  作者: 雨川水海
煉理の火翼

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煉理の火翼6

 スクナ子爵は笑みを浮かべてはいるが、先程までの好々爺の仮面ではなく、長年領地を切り回してきた統治者の笑みだ。


「フェネクス卿の有能さは、私の老いた耳にも良く聞こえてきておりますよ。飛行機ばかりでなく、新たな建築素材や農法、農機具、そしてもちろん、我々が大いに恩恵を受けた石鹸といった数々の技術を開発しておいでだ。驚嘆に値します」

「がんばりましたからね」


 当たり障りなく応えつつも、老子爵の情報収集能力に心の中で眼を見開く。これを心眼とは言わないであろうな。


 さらっと言われてしまったけれど、新たな農法を試していることは基本的に秘匿している。

 人の口に戸は立てられないと承知しているけれど、二つほど別な領地を挟んだ老子爵の耳に届いているとは思わなんだ。


「その叡智だけでも余人を寄せ付けぬと言うのに、フェネクス卿は武勇にも秀でているとか。お体を見れば、それも納得させられます」


 スクナ子爵の視線が、私の体を眺める。

 念のためだが、いやらしい意味はない。


「あまり人様にお見せできるような体ではないので、お恥ずかしいのですが」


 結構傷だらけなんですよ、私の体。

 熊殿と人狼殿が散々やってくださいましたからね。爪痕やら牙痕やらが、肩や腕に深々と残っている。地味にトレント戦でも傷が増えた。


 他人に見せると気を遣われるので、今回の温泉旅行もなるべく一人で楽しむようにしている。


「とんでもない。魔物と戦って生還した戦士の体ですぞ。大いに胸を張るべきです」

「それについては、スクナ老に賛成だ」


 イツキ氏が、隣から口を挟んでくる。

 美女二人はどうしたと思ったが、スクナ子爵の話し方が変わったと見て、おふざけを止めたようだ。

 他領のトップもくつろぐこの場で女中を任されているだけあり、空気に聡い。


「その手の傷は、下手に隠そうとすると良からぬ行いでついた傷と見られるぞ。お前の場合は、魔物から民を守るために受けた、名誉の負傷だ。その傷に比べれば、サキュラ辺境伯領が与えた勲章など飾りにもならん」


 イツキ氏は、強い口調で訴えた後、自分もそのように派手な勲章が欲しいものだと付け加える。

 次期辺境伯ともあろう方が、恐ろしいことを言わないでください。戦場においては指揮官を守るために、衛兵は戦闘訓練を受けているのですから。


「イツキ殿の仰る通りですぞ。戦士の傷跡は勇猛さの証明。この土地の事情から、私は多くの戦士の体を見て来ましたが、サキュラ辺境伯領の方々は、実に勇猛な方が多い。常々うらやましいと思っていました」


 魔物との遭遇率が最も高い地域の証拠である。だからこその、辺境伯の称号だ。

 スクナ子爵は、しみじみと私の傷口、特に肩についた人狼殿の牙の痕を眺める。


「しかし、その中でも、フェネクス卿の勇猛さは図抜けておりますなぁ」

「いえいえ、私より勇敢な方は、大勢おられますよ」


 少なくとも、私はローランド曹長や侍女団のように、領主一族に殴り込みをかける勇気はない。説得なら赴けるけれど。


「そうかもしれませんな。ですが、その勇気を発露して、生き延びられる者はやはり少ないでしょう?」


 スクナ子爵の問いかけは、イツキ氏に向けられていた。


「もちろん。我が領には、民や仲間のために盾となる忠勇な兵は多い。が、盾の役目を果たし、かつ生き残るとなると、残念ながら稀有なことだ」


 イツキ氏の断言に、スクナ子爵は我が意を得たりと満足そうに頷く。


「まさに、文武両道、知勇兼備の類まれなる人材です」

「お褒めに与り光栄です。ただ、当事者にしてみると、知勇よりも悪運の方が我が身に備わっているかなと」


 いや、本当に。一年に一回ペースで命がけです。


「それに、文武いずれの功績も、周囲に良く恵まれました。文においては自分一人ではまるで力が及ばなかったでしょう。武においては、ジョルジュ卿や優秀な衛兵がいなければ、私は呆気なく死んでいたはずです」


 今世は災難に良く出くわし、そもそも生活そのものが艱難辛苦の塊だが、人の巡り合わせは最高に良いと思う。

 ユイカ女神を筆頭に、私のわがままを優しく受け止めてくれる有能な人がたくさんいる。

 ここまで人に恵まれると、もっと信心深くなっても良い気がしてくる。

 ユイカ女神教を広めても良いかもしれない。


 研究室の話題は、外部の人間に漏らすには機密が多いので、辺境伯領の衛兵の優秀さを説明する。

 農村出の子供の指示にもきびきびと動いてくれるし、細かな指示を出さなくてもやってくれるし、トレント戦の時は本当に助かった。

 スクナ子爵は、私の話に熱心に相槌を打ってくれる。


 やはり、人の上に立つ者として部下の優秀さは興味深いのだろう。


「うむ、やはりフェネクス卿は素晴らしい」


 と、思ったらまた私ですか?


「有能な人材は、得てして人付き合いが苦手なことが多いようでしてな。いや、無理もありません。有能であればあるほど、他人と話が合わないことや、嫉妬を向けられることも多いでしょう。孤高の天才、と呼ばれる人物像ができあがるのも無理もありません」


 ちょっと前のヘルメス君なんか、そんな感じだった。

 あれは今世では夢見る才能が大きすぎたのだ。


「ところが、フェネクス卿ときたら、それだけの優秀さを持ち、同年代には類を見ないほどの功績をあげながらも、気さくに振る舞い驕ったところがまるでありません。周囲への思いやりと感謝を示す度量も大したものです」


 流石にそれは褒めすぎである。

 段々とどう対応して良いかわからなくなってきた。


 老子爵の笑みは、相変わらず統治者のそれだ。

 こちらをもてなすより、別な目的を持っている気がする。


「実は私、すごい恥ずかしがり屋と怖がり屋でして、周囲の影に隠れたいのですよ」

「このように稚気にも富んでいる」


 老子爵にかかると、何を言っても褒めるネタになってしまうらしい。どうしよう。

 老子爵は生き生きとした笑みで、言葉に詰まった私に真っ直ぐに踏み込んでくる。


「これほどの人材、天に二つもありますまい。ぜひ我が領にも欲しい逸材ですな」


 ど直球の引き抜き勧誘を叩きこんで来た。

 私より先に慌てたのはイツキ氏である。


「スクナ老! いやスクナ子爵殿、その発言はいささかお遊びが過ぎます。フェネクス卿は我が領で大任を預けている騎士なのですよ」

「ほっほ、わかっていますとも。何も彼を引き抜こうと思っているわけではありませんぞ。うらやましい人材であると、素直な気持ちをお伝えしたまでです」


 嘘であることは明らかだが、スクナ子爵の言い回しは中々返しが難しい。

 辺境伯領の男達が口をつぐんだ隙に、スクナ子爵はさらに畳みかけてくる。


「フェネクス卿ほどの人材なら、我が領も可能な限りの待遇をお約束するのですが、いかんせん他にいないようでは空事ですな。我が領は、ご覧の通り風光明媚が売りでして、心身を癒すという点では、王都よりも自信があるのですがの」


 嘆き節に見せかけた条件の提示である。


「温泉は健康に良く、また美容にも効能がありましてな。おかげで我が領の女達の美しいこと、王国一とも評判がありますが、フェネクス卿の目から見ていかがです?」

「ええ、大変お美しいと思いますよ」


 さっき美女二人を「お綺麗なお姉様方」と言った口で否とは言えないので、隣のセイレ嬢を見て素直に褒めておく。

 会話の流れから褒められるとわかっていただろうに、セイレ嬢は初々しくはにかんでみせる。

 実際、かなりレベル高いですよ。


「おお、そうですか、そうですか。このセイレなどは、実は私の孫の一人なのですよ。そろそろいい年なのですが、生憎と良縁には恵まれませんで。フェネクス卿ほどの人物がいれば、ぜひにとお勧めしたいところですな」


 これは、一族に迎える用意がありますよ、という意思表示だ。

 ずいぶんと高待遇である。それに応じて、イツキ氏のあわあわっぷりが目に見えて上がっていく。


 もうちょっと自分の領地に自信を持って良いのに、と私は微笑む。


 私があれだけやりたい放題やれる領地、他にそうそうあるとは思えませんよ。

 そして、私がやりたいだけやった領地なんて、今世には他にない。唯一無二である。


「優秀な人材は、どれだけいらしても足りませんからね。閣下もお誘いするほどに優秀な人材がいるなら、いや、少しでも優秀な人材がいるならば、我々も勧誘しなければいけません」


 やんわりと拒絶の意志を口調に乗せて押し出すと、老子爵は残念そうに苦笑した。

 同時に、少し意外そうな顔をする。


「そのおっしゃりようですと、フェネクス卿ほどご活躍をなさっていても、まだ足りませんか」

「全く足りませんね。いえ、現状では理想以上の状態であるとは感じています」


 これはマイカ嬢のおかげだ。

 軍子会時代に勉強会を開いたおかげで、都市神殿が評価したように、歴代最高水準の人材が同期にそろったのだ。


 都市に残った仲間は、領地改革推進室で働く者以外にも、各方面で仕事の効率化をもたらしている。

 村へと帰った仲間も、年間の生産量を上げつつ、その報告書を実に整理された形で提出しに来てくれた。

 中には、自分達で過去の生産量との比較を作成して来てくれた仲間もいる。


 その結果、この冬の地獄期は、アジョル村の移住計画という一大プロジェクトを並行しながらも、切り抜けることができた。

 私一人では、軍子会の同期を大きく巻き込んだ勉強会を開こうという発想は出て来なかったので、マイカ嬢の大手柄だ。


 私が惚れるのも無理はない。


「ですが、私の夢にはまだまだ、とても足りません。伝説の夢幻の中にしか存在しない、古代文明の豊かさを今世に創り出すには、とてもとても足りません」


 水道の蛇口をひねれば、いつでも清潔な水が出てくる。

 手紙を出せば、国の端から端でも一週間とかからず、しかもほぼ確実に届く。

 一ヶ月平気で品質を保つ普通の食品、数年の品質を保証された保存食が当たり前に買える。


 そんな前世的、古代文明的な便利生活を求めるなら、この先どんどん研究分野が増えて行く。

 当然、現在の推進室の面々では、技術者も研究者も全然足りない。


 また、技術の研究や開発だけでは、生活に反映されない。

 生み出したものを社会に流通させなければならないのだ。


 それには、経済活動の大規模化が伴い、経済の拡大に伴って行政の領域拡大も行われる。

 その時には政財界に明るい人材が大量にいなければならない。


 現在の、上流階級のみが読み書き計算を覚え、官僚的な職務を支配している状況ではとても手に負えない規模となるだろう。

 とすれば、身分を問わない(それは同時に金銭的な負担の軽い)、教育機関が必要とされる。

 公立学校の概念だ。


 私が、領地改革推進室が、今後手がけていく計画について語る。

 それを聞かされたスクナ子爵は、その老獪さでも隠し切れない戸惑いを露わにした。


「それほどのことが……本当に起こると、フェネクス卿はお考えか」

「起こる、とは少し違います」


 老子爵の表現は、私の歩速に合わないので、明確に訂正する。


「起こすのです。私が夢を追い続ける限り、それは起こさなければならない変化なのです」


 私は、もう奇跡が起こるのを待ちはしない。

 何故なら、すでに一度は奇跡を賜った身だ。二度目があるなどと思い上がることはできない。


 奇跡――九年前、ユイカ女神が、私に本を朗読してくれたあれこそが奇跡だ。

 ただひたすら絶望する私を蘇らせた、女神のご加護だ。


「可能な限り大勢に行き渡る教育の確立、これは今はまだ遠い先の話です。十年や二十年では、そこまでは届かないでしょう。ですが、五十年や六十年をかけるつもりはありません」


 実は、現在のサキュラ辺境伯領では、大変小規模ながらも、この公共教育機関の試みが始められている。


 領地全体が、人材の不足に気づいたのだ。

 それは、はっきりとでは、ないかもしれない。

 ただ、経済の発展、行政の要請、地方農村の現状が、それぞれ影響し合い、今までの人材集めの方法では間に合わないと思われるほど、教養のある人材を必要とし始めたのは間違いない。


 私が五年間好き放題やった結果、サキュラ辺境伯領は、ここまで来たのだ。


 夢の土台が、着々と、その上に乗せられる途方もない重みに耐えられる堅固さになろうとしている。


 その土台は、サキュラ辺境伯領にのみ存在する。

 イツキ氏が慌てる必要などないのだ。時代の最先端は、サキュラ辺境伯領にある。


 大言壮語を吐くことを許されるのであれば、私達が、サキュラ辺境伯領に創り出した。


「サキュラ辺境伯領は、これから大いに人材を必要とします。そして、その時には、有為の人材を待つなどという歩みの遅いことはしません。自ら、有為の人材を作るでしょう。それはもう始めているつもりです。例えば――」


 私は、攻撃的な微笑みを浮かべて、傍らの少女を見つめる。


「セイレさん」

「は、はい!」

「もし、貴方が何か新しい物事を知りたいと願うなら、また新しい何かを生み出したいと願うなら、サキュラ辺境伯領は貴方を歓迎するでしょう」

「い、いえ、私なんてそんな、まだまだ未熟な身で」


 突然の勧誘に、セイレ嬢は背筋が痺れたように慌てた様子で首を振る。

 大丈夫ですよ、例え話ですからね。ええ、あくまで例え話です。


「それで良いのです。今のセイレさんが、特別に優秀な人材であることを、我が領地は求めません」

「そ、そうなのですか? いえ、ですが、フェネクス卿は若き英雄で、そんな方のいらっしゃる場所へ行くとなると……」

「その時の貴方に必要なことは、学ぼうとする意志だけで十分です。貴方が望むのであれば、必要な知識は我々が教えましょう。そして、我々も知らないことを貴方が望むのであれば、その時は我々も共に学びましょう」


 自分で口にしておいて、現在最先端である我が領地改革推進室でも知らないことを知ろうとする人材、というのは、非常に心躍る概念だ。

 つい、交渉用ではない、素の感情で頬を緩めてしまう。


「今、私達が行おうとしている人材の育成とは、そういうことです。意志がある人、夢を持つ人の願いを叶える。そんな仕組みを作っているのですよ。もし、興味がおありでしたら、セイレさんも一緒にいかがです?」

「そ、そうですね、ありがたいことと思うのですが……そ、その、こ、困ってしまいますね」


 私の勧誘に、セイレ嬢は困った困ったと言いながら、頬を上気させて感嘆の吐息を漏らす。

 さほど困った様子がない。


 一方、ほっほっほ、と穏和な笑い声をあげている老子爵の方が、よっぽど困った顔をしている。

 どうやら、スクナ子爵のからかい勧誘への反撃としては、中々成功したようだ。

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― 新着の感想 ―
時々思うけど、かなり負けず嫌いですよね、アッシュ君(笑)
この主人公本当に話が進むほど英傑っぷりに磨きがかかってる
[一言] ミイラ取りをミイラにしようとしている(笑)。
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