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フシノカミ  作者: 雨川水海
煉理の火翼

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煉理の火翼5

 私が楽しく義父上とお話していると、複数の気配が脱衣所からやって来る。

 男性用の脱衣所からと、女性用の脱衣所の両方からだ。


「おう、アッシュ、バレアス。親子でくつろいでいるところ悪いが、邪魔するぞ」


 振り向けば、男性用の脱衣所からやってきたのはイツキ氏と、もう一人、細身の老人だった。

 老人は、長く伸びた白い髭が印象的だ。

 私とジョルジュ卿は、急いで体ごと老人に振り向いて一礼する。


「これはスクナ子爵閣下」

「失礼をいたしました」


 この湯治場を含めたスクナ子爵領を治める、大物の登場だ。

 御年なんと六十四歳、今世では立派な化け物である。


 領主代行であるイツキ氏よりも偉い人物の登場に、ジョルジュ卿と二人そろって頭を下げると、老子爵は鷹揚な笑い声をあげる。


「ほっほ、そんなにかしこまらなくても結構ですよ。ここは風呂場、入浴の作法さえ守れば、何も失礼はありませんぞ」


 目元に優しげな笑みを浮かべ、口調も温和そのもの、完璧なまでの好々爺っぷりである。


「それに、皆さんは私が招いたお客人ですからな。もてなす側の私が気を遣われては、本末転倒ですぞ」


 気さくな言葉と表情に、まるで自分の祖父を見ているかのように緊張が解れる。湯治場として栄えるスクナ子爵領に相応しい役柄を演じているのだろう。


 見事な人心掌握術だ。

 どこからどこまでが演技か、私にはわからないが、演じているのだけは間違いない。

 どうして断言できるかって?

 スクナ子爵の体つきが答えだ。老いでも奪いきれない、戦う者の名残がある。


 短時間なら、今でも十分に剣を振れそうなご老人だ。

 舐めてかかって良い相手ではない。


「さあ、スクナ子爵領のおもてなしを楽しんでくだされ」


 スクナ子爵が手を叩くと、女性用の脱衣所から四人の女性が一礼して入って来る。

 四人の女性は、それぞれ男の隣にやって来て、綺麗な営業スマイルを見せる。どうやら接待係であるようだ。

 彼女達は、女性用のワンピース型の湯着を着用しているが、お湯に濡れれば当然肌に張り付くので、結構な色気がある。


 人によっては裸より好きとか言い出す者もいるやもしれぬ。

 私も嫌いじゃないです。


 私の接待役は、同じ年頃の少女だ。


「女中のセイレと申します。冷えたお水は、いかがですか?」


 ジョルジュ卿と入ってからも結構経っているので、ありがたく頂こう。


「では、一杯頂けますか」

「はい、どうぞ」


 ガラスの徳利から、これまたガラスの器に透明な水が注がれる。ガラスの生産地が限られる今世では、かなりの高級品だ。

 それを一口含んで、少し驚く。良く冷えている。

 恐らく湧き水か何かなのだろうが、ここまで冷えた状態で運んでくるのは中々に手間がかかるはずだ。おまけに、柑橘系の果汁を搾ってある。


「素晴らしい。心憎いまでの細やかなご配慮ですね」

「あ、ありがとうございます」


 接待役の少女が、はにかんで応える。

 私の周りには美形率が高いが、その中に混じっても負けないくらいの美少女である。


 ちなみに、イツキ氏とスクナ子爵には二十代前半くらいの美女が、ジョルジュ卿には十代になるかならないかくらいの幼女がついている。

 ジョルジュ卿の相手だけ、犯罪レベルで年が低い。

 その理由については、スクナ子爵がきちんと断った。


「ジョルジュ卿には申し訳ないが、見習い女中の練習に付き合っては頂けませんかな」

「構いませんよ。ええ、私は全く構いません」


 老子爵の言葉に、かぶせ気味でジョルジュ卿が了承する。

 その表情がほっとしているのは、既婚者特有の事情によるものだろう。


 恐らくだが、スクナ子爵は、わざと幼い女中を混ぜておいたに違いない。新婚の旦那が、妙齢の美女と混浴したと聞けば、新妻が面白く思うわけがない。

 その辺りの気配りに感心しつつも、この庭園内のどこに誰がいるか、逐次把握できていると思われる情報網も興味深い。


 川の向こうの衛兵の皆さんのお仕事かな?


「スクナ老、うちの家臣にそこまで気を遣うのなら、私にも多少は気遣いを頂けないだろうか?」


 イツキ氏が、右肩に寄り添ってくる美女を持て余し気味に、スクナ子爵に抗議する。

 なお、スクナ子爵の隣の美女もイツキ氏の左肩に寄り添っているので、どう見ても我が領主代行殿は狙い撃ちにされている。


「ほっほ、何を世迷い事を。それだけの男ぶりで、男やもめをやっているイツキ殿が悪かろう。お父上も、跡取りに跡取りができんと嘆いておられましたぞ」

「父がどう言おうと、スクナ老がからめ手を使って良い理由にはならないでしょう」

「そうですかな? わしがからめ手を使ってはいけぬ理由にもならんと思いますがなぁ」


 ほっほっほ、と老子爵は朗らかに笑う。

 少し口調が砕けている辺り、この二人は冗談が通じる間柄のようだ。

 イツキ氏は、老子爵の話術に自分一人では対抗できないと悟ると、援軍を要請してきた。


「おい、我が家臣よ、主人が卑劣な敵の罠にかかっているんだぞ。加勢して忠誠を示すのだ」


 領主代行殿の命令に、私とジョルジュ卿は顔を見合わせる。


「アッシュ、すまないがこの状況では俺は力になれん……」

「そうでしょうねぇ」


 なんたって、お相手が薄着の美女である。何とかしようとしたら、後で新妻には言えない秘密が増えそうだ。

 美女達の艶やかな笑みからは、その程度の細工をこなす力量が見える。


「とすると、私一人ですか」


 私が顎に手を当ててイツキ氏の方を見ると、美女達はむしろ、誘うように笑みを蕩けさせる。

 百戦錬磨って感じですね。


「イツキ様、そもそも独り身をしている貴方が悪いと諫言いたします」

「おい!?」


 いやー、だって勝てる気がしないですよ、貴方の両肩の美女。

 私は紳士だから、女性に手荒な真似はできませんしね。


「この際ですから言わせて頂きますが、現領主代行であり、次期辺境伯ともあろう方が、三十路前で独身ですよ? それほど野心がない人物だって、綺麗どころを送り込んで隙を突こうとしますよ」


 平均寿命が短い今世とはいえ、二十代は二十代、生物学的に子作り可能な年齢には違いない。

 子供ができてしまえば、それを担ぎ上げて権力争いに乗り出せるのだ。

 ちょっと前に、王族でそれをやらかした輩もいる。


 つまり、独身の権力者はそれだけで罠を仕掛けられやすい弱点ということになる。


「この際ですから、スクナ子爵閣下の悪だくみにたっぷり揉まれて、身を固めるお覚悟を決めるまで追い詰められてはいかがですか」

「それが主家に対する家臣の物言いか!」

「時には耳に痛い言を囁くのも、忠臣の務めと存じます」


 にっこり笑顔で、わざとらしいくらい礼儀正しく一礼する。


「大体ですね、昔の恋を忘れられないと一途な想いを貫く忠臣であり親友であるバレアスさんには、さんざんお見合いを勧めてとうとう結婚までさせた貴方が、自分はかつての恋を忘れられないと一途を貫くなんて、道理が通ると思いますか」


 ええ、そうなんです。

 イツキ氏も恋をこじらせて独身しちゃってるんです。マイカ嬢を可愛がるわけだ。


 騎士であるジョルジュ卿も、それ立場的にどうなのよって思うけど、イツキ氏はもっとどうなのよって立場である。

 まあ、イツキ氏の場合は、結婚後に奥様を亡くされたんですが……。

 それを考慮しても、やっぱり辺境伯家の正統後継者に跡継ぎがいないのは大問題だ。


 イツキ氏の次となったら、血縁的にはマイカ嬢が第一位の継承権保持者になる。

 王都の辺境伯に後妻の子ができたと聞いても、誰も計算が合わないと言い出さないわけである。いた方が助かるという共通認識だったのだ。


「いや、それはだな、今後のことを俺なりにきちんと考えて、マイカに仕事を教えているだろう? それに、バレアスはヤエと結婚したじゃないか。二人の子ならきっと優秀だ、いざとなればそっちの手も」


 ヤエ神官、領主一族の血筋だったらしいですね。 本人にその気はないけれど、継承権もあるんだそうで。

 そういえば、初対面の時にユイカ女神に似ているなと思ったものだ。発言権の強さも、領主の血のなせる技だったのだろう。


「で、他に言い分は何かあります?」

「え、いや……」

「イツキ様が独身のままでいることを許されるほどの理由ではありませんね」


 次期辺境伯だという自覚がなさすぎである。

 この純情一途な男ども、物語になるから好きか嫌いかで言ったら大好きなんですけどね。


 私は内心で嘆息しつつ、心を鬼にして、忠臣としての義務を果たす。


「さ、お綺麗なお姉様方、思う存分やっちゃってください」


 私が笑顔でゴーサインを出すと、美女二人は楽しそうに権力者の男性をからかいにかかる。


「おわ! こらっ、あまりくっつくな! アッシュ、後でひどいぞアッシュ!」

「暴れないでください。お湯が波打ってくつろげないではありませんか」


 私は一入浴客として、入浴の作法に反するイツキ氏に苦情を言っておく。

 そんな主従のやり取りを見て、老子爵や他の女中が肩を震わせて笑っている。


「いやはや、実に愉快な方ですなぁ」

「イツキ様のお人柄ゆえですよ。家臣の進言を喜ばれる、お仕えのしがいのあるお方です」

「ふむ。確かに、イツキ殿は話していて気持ちの良い人物ですからな」


 良いところなしだったイツキ氏をフォローすると、老子爵は表情を隠すように髭をしごく。


「君とは中々話す機会が取れなんだが、アッシュ君……いや、フェネクス卿でしたな」

「はい。この冬にサキュラ辺境伯より騎士位を賜りました、アッシュ・ジョルジュ・フェネクスと申します」

「噂はかねがね聞いていましたよ。サキュラ辺境伯に模型飛行機を見せつけられた時から、お名前は忘れられません」

「閣下のご記憶に留まったとなれば、私の仲間も喜びます。あの飛行機は、元はと言えば、物心ついた頃から飛行機を作ろうと、一人夢見ていた私の仲間がきっかけをくれたものでして」


 この旅にも同行しているヘルメス君のことを、老子爵にアピールしておく。

 ぜひ、声をかけて褒めてあげて欲しい。

 あの模型飛行機を作るまで、ヘルメス君は周囲からずっと馬鹿にされていたのだ。それでも折れず曲がらず、今も夢に向かって進む彼には、どれだけ励ましがあっても良いだろう。


「ふぅむ……素晴らしい」

「ええ、ヘルメスさんがいてくれたおかげで、どれだけ私達が助けられたことか。あの情熱と堅実さは、実に得難いものです」


 飛行機狂いの癖に、きちんと土台の工業力向上計画に付き合ってくれるんですよ、あの人。

 ヘルメス君を見ていると、私は自分の欲望にちょっと素直すぎる気がする。


「うむ、そのヘルメス君の優秀さも、無論褒めるに足ることではありますが……私が感心するのは、貴方ですよ、フェネクス卿」

「私ですか?」


 自己アピールをしていたつもりがないので、意表を突かれる。

 今後の計画に向けて、スクナ子爵領からも協力を引き出したいと思っていたので、褒めて頂けるなら都合がよろしいとは思う。

 しかし、お風呂場ということで、立場に見合わぬ気さくな接し方を許してくれた老子爵に礼儀を払って、この場では仕事絡みのお話し合いは止めておこうとも考えたのだ。

 スクナ子爵が気分を害されたら元も子もないですしね。


 そんな人物が、髭をしごきながら私を見つめてくる。

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