煉理の火翼1
冬の冷えた空気は、張りつめた弓の弦にも似ている。
清冽で厳粛な気配を振りまいて、その寒々しさの射程内にいるものに沈黙を強いる。
おかげで、冬の森の中は非常に静かだ。
そんな静けさの中で、私は周囲の気配を注意深く探る。
姿勢は膝立ちで、湿った地面から湧き上がる冷気が、容赦なく集中力を削っていく。
しんどい。
お家に帰ってお布団に入りたい。
休暇を取って温泉に行きたい。
根源的な欲求をぐっと堪えて、教わった知識と培った経験から、周囲に感知なしの応答を得て、私は細く息を吐きながら立ち上がる。
「怪しい気配はないようです。もう少し進みましょう」
私の指示に、部下である衛兵の皆さんは、安堵と面倒臭さの入り混じった表情で了解した。
安堵は、危険な野生動物や魔物、とりわけ、トレントが近くにいないと知って。
面倒臭さは、この寒さの中、さらに森を分け入ると知って。
そりゃあ複雑な表情にもなろうというものだ。
気持ちはよくわかる。私だって、もう帰りたい気持ちなら絶対に負けない。
しかし、この森は特別だ。
一月と少し前、アジョル村を襲ったトレント八体が出て来た森が、今の私達のいる場所である。
他にトレントは残っていないか。
残っていないとしたら、その後の野生動物の動きはどうなっているか。
確認しないことには、アジョル村を犠牲にした、あのトレント戦は終わらない。
なんたって、この森の直近にある集落は、大変優秀な生産力を誇るアデレ村ただ一つになってしまったのだ。
そして、今のアデレ村には、アジョル村を失った人々が身を寄せている。
辺境伯領の経営面から言っても、私の感情面から言っても、ここで手を抜いて再び犠牲を出すわけにはいかない。
私は漏れそうになる不満を、ぐっと顎に力を入れて噛み砕いて、衛兵の皆さんを見回す。
彼等は、私以上のプロフェッショナルである。
私が何か言うまでもなく、今回のつらい任務がなんのために行われているか、骨の髄まで染みている。
私が一つ頷くと、彼等も表情を引き締めて頷きを返してくれる。
つらいとは感じている。
不満が湧き出てくる。
人間だもの、どうしようもない。
だが、彼等の鍛えられた職業意識や持ち前の人柄が、それらを踏み潰して前進することを是とする。
辺境伯領の民を守るための職につき、実際にそうであろうとする彼等の、なんと頼もしいことか。
見た目は冴えないおっさんや、やんちゃをこじらせたあんちゃん達だが、その中身は熱い男達だ。
私も見習わなければ。仮にも、上官の立場として彼等を率いているのだ。
少なくとも、こんな上官についていく気にはならないなぁ、なんて部下の我慢の種を増やさないようにしたい。
これが人の上に立つ重責であるな。
私は自覚を背負いながら、黙々と、我慢強く、森の中を探索していく。
一月の時間でも森が癒せなかった、トレントの行進跡を辿っていくと、途中で奇妙な匂いに気づく。
「この匂い……」
一般的に、腐った卵のような匂いと表現される、この森にはありうべからぬ刺激臭だ。
だが、事前の情報によると、トレントがいた場所ならありえるらしい。
「こっちですね。皆さん、トレントに関連する物質の匂いがします。警戒してください」
衛兵の皆さんは、了解しながらも、不思議そうに鼻を鳴らしている。私以外は感じ取れないらしい。
ここで、ちょっと怖い話をしよう。
トレント戦以降、私の五感はさらに鋭敏になった節がある。
そればかりか、気のせいだったら良いのだが、傷の治りも早いかもしれない。
トレント戦で受けた負傷、肋骨と右腕の骨にヒビが入ったと思ったのだが、すでに完治済みである。
アジョル村の移住計画のため、大したことないですよーと笑って誤魔化しながら働いていたのだが、一週間で痛みが引いて、二週間でかなり激しい運動でも問題なくなった。
その時は、都合がよろしい、ユイカ女神のご加護に違いないと喜んでいたのだが、忙しさが過ぎてみるとちょっと暢気すぎる感想だ。
形のない事物なので他人と比較が難しいのだが、流石に今世の人間離れしていると思う。
軽くファンタジーだ。
人類に不利じゃないファンタジーというか、私に有利なファンタジー。
本当にレベルアップ制があったりするのだろうか、今世。
もちろん、そんなことはない、はずだ。
魔物について調べた時、討伐方法や討伐例が載っていた。
つまり、魔物を倒した人は、当然のように私以外にもたくさんいる。
なのに、特別肉体が強化されたという記述は、伝承や伝説としても存在しない。
ファンタジーしているのは、私だけなのだろうか。
トレント戦の時の、謎のメッセージの件もある。
そういえば、すっかり気にしなくなったが、私は前世らしき記憶を保持している。これだって大概、珍しい事象だ。
そろそろいい年になったし、我が身の不思議について、どなたかに教えて頂けないだろうか。神様がいるのなら、多分そっちの専門分野だと思う。
悩みつつ、匂いを辿っていくと、森にありえない色彩が出現した。
森の中、薄い陽光が乱反射しては、鉱物的な黄や赤、銀の色が暗緑の世界に拡がっていく。
多彩の光源は、ガラス質の表皮を持つ樹皮だった。中には、色とりどりの物質が透けて見えており、キャンディをつめたガラス瓶のように見えなくもない。
ただし、残念ながら、食欲が湧くような彩りではない。
赤は透明感のない淀んだ色だし、銀色もくすんでいる。黄色はまだ透明感があるが、腐った卵のような刺激臭はこの黄色が発生源だ。
万が一、これらに食欲が刺激されても、口にしない方が良い。少量ならむしろ体に良い場合もあろうが、多分、毒になる。
「卿、これは……」
衛兵の一人が、ぽかんと口を開けて、巨大なガラス瓶のような物体に目を丸くしている。
無理もない。とてつもなくファンタジックな光景だ。お金を取って見物にできるくらいである。
「皆さんも話には聞いたことがあるでしょう。これが、トレントの樹家ですよ。と言っても、私も見るのは初めてですけどね」
「お、おぉ、これが……」
魔物との戦いを第一義とする衛兵の皆さんは、魔物絡みの知識が豊富だ。トレントの樹家と言われて、納得と感心の眼で、不可思議な光景に見入る。
サキュラ辺境伯領は、辺境の文字に恥じず、かなり魔物との接触が多い地域である。竜鳴山脈とその大森林から、魔物が流れて来るためだ。
特に、人狼は行動範囲が広いのか、接触機会が多く、実際に戦ったという者はかなりの数がいる。
それほど接触の多い人狼の関係事案でも、人狼の墓場と呼ばれるモノを目にする衛兵は少ない。
これは、寿命を迎えた人狼が集まる場所らしく、人狼の遺骸が金属の塊として集積している。今世の貴重な鉱脈だ。
墓場がサキュラ辺境伯領内で発見された事例は、十件未満と多くない。それも、墓場としては小規模らしく、潤沢に金属が採取できるとは言い難い。
世の中には、巨大墓場と呼ばれる規模のものもあり、そこから得られる金属資源は王国を支えるほどの量だとか。
実にうらやましい。
王国の勃興期、当時の辺境伯として、対魔物最前線を担っていた現ダタラ侯爵領の権勢を支える大金庫なのだそうだ。
一方、トレントは、その動きの遅さからか行動範囲が狭く、実のところ遭遇件数は格段に低い。今回のアジョル村の案件は、とんでもない不運である。
トレントという種からしてそうであるためか、トレントの樹家は、人狼の墓場以上に発見報告が少ない。
家とついていることからわかるように、あの木製全身鎧を着こんだゴリラの死骸は、この珍奇なガラス瓶じみた樹木の中で、普段はじっとしている――らしい。
私は実際に見ていないから信じがたいが、文献にはそう書かれていた。
今目の前にしている樹家も、ウロというには大きすぎる穴が空いており、そこにはトレントがすっぽり入れそうなので、説得力を感じないでもない。
実際に目撃するまで信じられないけれど。
ともあれ、そんな貴重なトレントの樹家であるが、摩訶不思議なガラス質の樹皮は、ずばりガラスである。
マジかよって思いましたよ。もはや樹皮と言って良いかも怪しい。
ただ、ガラス産業が有名な地域は、このトレントの樹家から、ガラス樹皮を採取して再利用している。だから、他ではできない規模のガラス産業が維持できるとのことで、マジらしいです。
人狼の死骸から金属資源を入手する、という流れを聞いた時もそうだけど、妙なところで人類に優しさを見せるファンタジー要素である。
それと、優しさはそれだけではない。
ガラス瓶につめられたキャンディのような彩りの(悪い)様々な物質である。
王都のアーサー氏が、博物学者から聞き出した話によると、あのキャンディのうち、黄色は硫黄の可能性があるという。
マジかよって思いましたよ。
でも、実際に微妙に漂う匂いが硫黄のそれなので、多分、マジです。
他にも、王都の博物学者が調べた分析結果から推測すると、赤はリンの一種、銀はマグネシウム辺りのようだ。
嘘か真かは、実物を使って慎重に調べる。
もし、実際にそれらの物質だったら、ものすごく助かる。
特に硫黄。
もう、本当に助かる。
古代文明がどれだけ使い込んだか知らないが、今世では硫黄がさっぱり見つからない。
温泉地で微量に取れるらしいが、そんな些細な量だけあってもどうしようもないくらい重要なのが、硫黄だ。
正確には、硫黄から作り出せる硫酸が重要なのだ。
直接硫酸が手に入るなら硫黄は不要だが、そんな入手法が今世にないのだから、やっぱり硫黄が重要となる。
その硫黄が、今、目の前にある。
これで、今まで手をこまねいていたあれやこれやがついに実現できると思うと、私の脳内麻薬がお花畑を展開する勢いの幸せを分泌する。
この幸せの前では、なんでトレントがこんな謎のお家を作るのかなんてどうでも良い話だ。大切なのは、いつも事実である。
今回の幸せな事実は、人狼からもトレントからも、文明に有用な、今世では枯渇気味の資源が採取できるということだ。
あ~、私の前世らしき記憶にもこんな魔物がいてくれたら、色んな人達が救われただろうに。
いつだって資源は足りなかったですもんねぇ。
こんな特性を持った存在がいたら、神格化されていてもおかしくない。
災難も運んでくるけど、多神教の神様なんてそのようなものだ。精々拝んで祀って、よろしくやって頂くしかない。
ありがとう、ファンタジー。
ありがとう、ファンタジーの神。
ところで、あなたはどこの神様です?
とりあえず、わからないので我が加持神ユイカ女神に感謝の祈りを捧げておく。
では、周辺の安全を確保して、貴重な資源を回収できるように準備をしよう。
他にトレントがいないと良いのだが。
でも、もっとトレントの樹家ができているならもう一匹くらい……いやいや、不謹慎か。




