魔法の火種29
トレントの先頭が、防壁の低い場所を目がけて歩いてくる。
防御が薄い地点とわかって狙ってきているのか、はたまたそこに人が集中しているから本能的に向かってきているのか。
トレントの行進が、縦列というおよそ戦闘には向かない隊形を為していることから考えると、後者の可能性が高い。
いや、それは私に都合の良い願望だろうか。
どっちだろう、とトレントの進行方向に立ちながら考える。
多分、今、トレントが目指しているのは私だ。
一応、そうなるように火矢を放って誘導している。
効果がどれくらいあるかは不明だが、あと五歩くらいで先頭のトレントが私を踏み潰せる距離に入るくらいには、有効なようだ。
トレントが、残った距離をつめようと一歩を踏み出して、転んだ。
うん、転んだのですよ。
そりゃあ、のっそりのっそり歩いている足元に、急に横から丸太が突き出されたら、足が引っかかって転ぼうというものだ。
トレントも歩けば丸太に当たる。
派手な転倒音と共に舞い上がる砂ぼこりの向こうで、任務を果たした男達が慌てて離れていく。
彼等は、トレントの横合いから、丸太を固定した荷車を突撃させた勇士である。
そう、トレントを転ばせたのは彼等だ。あと、丸太・オン・ザ・荷車。
丸太といっても、その辺の家屋をばらして取り出した大黒柱とかである。
巨体の転倒に巻き込まれた荷車と大黒柱は、ひっくり返ってしまっているが、その役目は十分に果たした。
その姿に、大黒柱として長年家を支えてきた存在の、なにか意地のようなものを感じるのは気のせいだろうか。
気のせいですね。
ともあれ、前のめりに倒れたトレントに私は駆け寄って、絶対に外さない、という距離から、陶器の瓶を投げつけた。
この陶器の瓶には、ピッチをたっぷり詰めてある。その口の部分をふさいでいるボロ布には、火がついている。
もうお分かりだろう。私が投擲したのは火炎瓶である。
この作戦が上手くいったら、火炎瓶のことをトレントカクテルと呼んでみよう。
私の他にも、同じ役目の衛兵達が、頭部めがけてぽいぽい景気よく火炎瓶を放る。
割れ物が砕ける背徳的な快音が響いて、トレントの頭部が炎に包まれる。
期待通りの燃えっぷりだ。
トレントは、見た目が樹木である。弱点属性を突こうとしたら、最初に試すのは火属性に決まっている。
ファンタジー的に考えて。
まあ、見た目が木っぽいといっても、相手は生木である。
火であぶったところで簡単には燃えない。炭になるまでどれくらいかかるかわからない。
なので、この火炎瓶の狙いは、焼き殺すことではない。
今回の作戦で大事な点は、トレントの弱点が頭部ということである。
頭部で命に関わる重要な器官といえば、脳だ。トレントは、脳が破壊されれば殺せる、と私は考えた。
いや、脳を破壊されて生きていられる生物ってなんだ、と言う話ではあるが、人狼殿は割と生きていたから……。
ともあれ、死骸に寄生しているトレントといえど、寄生対象の脳が破壊されれば死ぬ。あるいは活動不能になるのだと私は考えた。
脳を破壊するにはどうすれば良いか。
弩砲は持ってこられない。斧や槍でちまちま攻撃していたら、どれくらい被害が出るかわからない。
そこで、火である。
火は、周囲の酸素を燃焼と言う形で消費してしまう。つまり、一定範囲を酸欠にできる。
では、その火で頭部を覆えばどうなるか。頭部で呼吸している生物なら、酸素を補給できなくなる。
酸素が補給できなければ、窒息する。
そう、私の狙いは、火による窒息死である。
いや、もう、死骸の脳をどうやって維持しているかさっぱり見当がつかないので、成功するかどうかものすごい不安ですよ。
酸素不要なのだよ、って言われたっておかしくない。だって魔物だもの。
ただ、頭部破壊で倒せるという報告がある以上、寄生対象の死骸に由来する肉体的な制限が、ある程度以上かかっていると思うんですよねー。
どうだろう?
私が観察している目の前で、頭部に火のついたトレントは、もがくでもなく、苦しむでもなく、黙々と立ち上がろうとしている。
これは、残念な結果だろうか。
私が撤退について考えたところで、トレントはのっそりと上半身を起こしかけ、再び倒れ込んだ。
そして、今度は動く素振りを見せない。
「ふむ? 成功しましたか?」
念のため、別の個体でも実験してみたいですね。
では、二つ目の大黒柱・オン・ザ・荷車、行ってみましょう。
はい、どーん。
二体目のトレントも呆気なく転んで、待ち構えていた火炎瓶部隊に集中攻撃される。
知能はさほど高くない、と見て良いのだろうか。動きも遅いし、ただ目の前の獲物を追い続けるだけという習性は、ゾンビを思わせる。
そういえば、ゾンビみたいなアンデッド系も、火は鉄板の弱点属性だ。
私は二体目のトレントの頭部を火だるまにしながら、そんなどうでも良いことを考える。
結果、トレントは火が弱点だと結論が出た。
よし、作戦続行である。
三体目までは、足を引っかけてからの火炎瓶コンボで完封できたが、その間に他のトレントがずんずん進んで来て、急造の防壁に到達されてしまう。
少しは足止めできるかと考えていたのに、トレントはその鈍い動きに反して、予想以上の怪力を見せた。
のそのそと歩く動きそのままに、防壁を破壊して突き進んでいく。
「これは予想以上ですね。第一陣地はもう放棄しなければ」
ちょっと、今後の作戦についての不安要素も発見してしまった。
指笛を鳴らして陣地の放棄を伝えると、戦闘部隊は不要な荷物は放棄して、村の中央を通って反対側へ撤退していく。
その後を、トレント達の重い足音が追いかける。
あちこちに移動経路を示すランプを用意しておいたが、追われながらの、家屋を解体した廃材があちこちに点在する暗がりの移動である。
私は部隊の皆さんが怪我をしないか、少しはらはらしながら集合場所へ急ぐ。
「全員、無事にいますか。怪我人や不明者は?」
トレントを振り返りながら確認すると、ローランド曹長が嬉しそうに応える。
「点呼済み、欠員なしであります。防壁の破片でちょいと怪我した者はおりますが、問題ありません」
「それは何よりです。それと、的確な確認、助かりました」
「こういったことはお任せください。倉庫の点検より楽ですからな」
備品と違って、声をかければ自分で返事してくれますもんね。
さて、作戦の第二段階である。そして、最終段階でもある。
時間と物資の関係で、これ以上に手の込んだことはできなかったんですよね。
「では、皆さん、ここから先はバラバラでの行動になります。各自、ペアになった仲間は覚えていますね? 自分用の灯りもそれぞれが持っていますね? 最終集合場所は覚えていますね?」
部隊員がそれぞれ、松明を取り出してはっきりと頷く。
流石はプロフェッショナル、頼りになる。
「最後に、この作戦を成功させようとして、無茶はしないでください。これは決死の覚悟で挑むような、切羽詰まった作戦ではありません。決死で行うべきだったアジョル村の村人救出については、すでに完了しています。これはいわば、そのおまけの作戦です」
失敗したとしても、のらりくらりとトレントを相手しながら、領都の弩砲の前まで誘導すれば良い。万一の時の準備を、ジョルジュ卿が進めているはずだ。
「おまけの作戦成功より、優秀な人材である皆さんの命の方が大事だということを、しっかり覚えておいてください。よろしいですね」
プロフェッショナルな皆さんは、気合の入った声をあげて、それぞれのパートナーと配置に移動していく。
「アッシュは、人を使うのが上手いよな」
私のパートナーであるグレン君が、松明を手に笑う。
「そうですか?」
「ああ、今の声かけだって、防壁が破られた後で、ちょっと緊張したところを上手くほぐしたと思う」
「緊張してましたか? 防壁が破られるのは、ちょっと早かったですけど、作戦通りですよ」
「それでも、やっぱりちょっとは怖いもんだよ。……アッシュは平気そうだけど」
「全部が上手く行かなくても、逃げて良い戦いですからね」
後方がしっかりしている、というのは大事だ。
これが、戦術的勝利で戦略的敗北を覆せない理由なのだろう。
「では、グレンさん、私達も行きましょうか」
「ああ、気を引き締めて行こう」
私達を追いかけて来たトレントが、広場の中央に足を踏み入れる。
人より大きくて、乱雑な足運びで歩いているトレント達は、私達が設置した移動経路を示すランプを無視して、広場のあちこちに散った部隊員を追いかけようとした。
あくまで、そうしようとしただけである。
彼等は試みた。しかし、できなかった。
だって、松明の誘導をそれたところには、廃材がごちゃごちゃと積み上げられていたり、穴が掘られていたりで、足場が非常に悪い。
鈍重なトレントは、余計に歩みが鈍り、転倒する者まで現れる始末だ。
そして、散開していた部隊員達は、まごつくトレント達を嘲笑いながら、あちこちに松明の火をつけていく。
火が上がるのは、積み上げられた廃材であったり、ピッチが流し込まれた溝であったりする。
赤々と燃える火炎は、トレント達が踏み込んだ中央から始まり、取り囲むように外縁へと連鎖して広がっていく。
最終的には、広場を囲んだ防壁まで赤々とした火に包まれ、鈍足のトレント達を火炎の中に閉じ込めた。
おまちどうさまです、火計一丁あがりました。
放棄しても良い防御地点を使い、相手に圧倒されたと見せかけて中に誘い込む。
その後、防御地点にあらかじめ仕掛けておいた可燃物に点火して、一網打尽にするというオーソドックスな計略だ。
これくらいシンプルなものなら、私でも使える。
あとは、集合地点まで下がって、どれくらい効果があるか観察するのが戦闘部隊のお仕事である。
燃えやすいように細工をしておいたとはいえ、離れている私達でも熱いくらいの猛火まですぐ成長してしまった。
トレントの窒息を狙った計略のつもりだったけど、普通に焼き殺せそうな熱量だ。
ちょっと燃料が多すぎたかもしれない。
まあ、失敗するよりは良いですよね。お金で命が買えるなら。
お金はがんばって稼ぎましょう。
「にしても、よく燃えますね……」
これ、どれくらい燃え続けるんでしょうね。
それに、トレントの死体はどれくらい残るんでしょう。できれば、回収して魔物の生態についての研究用に確保したいのですが……。
ひょっとして、朝までキャンプファイヤーしてなきゃいけないのだろうかと、ちょっとした危機感を覚え始めた頃、火炎の中から黒い影が飛び出した。
それは、トレントとは似ても似つかない俊敏な動きで、休憩していた私達の下へと突っ込んでくる。
どう考えても、友好的な勢いではない。
「総員散開!」
指示を出しながら、咄嗟に構えた弓を試しに一発放ってみる。
標的の動きの速さにも関わらず、矢は頭部に突き立った。
私の腕前は自慢できるくらい大したものだったが、無意味だった。
謎の影はわずかもひるまず、太い腕を振り上げて叩きつけて来る。
「アッシュ!」
多分、グレン君だろう声に、軽く弓を振って応える。
大丈夫、かわしていますとも。
無事を伝えるよりも、私は相手の正体を見極めることに集中していた。
炎の逆光で見えなかったものが、少しずつ見えて来る。
筋肉質な分厚い体に、焼けただれているが、わずかに黒い体毛の名残が見える。
矢が突き立っている頭部は、かすかに焦げた木がヘルメットのように巻きついている。
「ほほう。ひょっとして、トレントの中身ですか?」
火事から逃げて来たただのゴリラらしき何かの可能性もあるが、頭部の木製メットを見ればトレントとの関連を疑ってしかるべきだ。
あの火の中に、野生の類人猿が偶然いたとも思えないですしね。
木の全身鎧を脱ぎ捨てて、身軽になった姿だと思えばしっくり来る。
などと観察しているうちに、そいつはメットの下から雄叫びをあげて、私に再度突進してきた。
「速いですね!」
弓を捨て、剣を抜きながら、振るわれる棍棒のような腕を回避する。
さっきまで亀より鈍重に見えていたトレントの中身とは思えない速さだ。
あの木製パワードスーツ、どれだけ重いのだろうか。実は修行用の重りだったりします?
二発、三発と連続で振るわれる腕は、確かに速い上に、当たればただでは済みそうにないが、大振りで軌道が簡単に読める。
マイカ嬢の稽古相手としては、こんなバレバレの攻撃に当たるわけにはいかないですな。
炎の中から推定トレントが飛び出して来た時は驚いたが、これならなんとかなりそうだ。
私は横薙ぎの一撃をかいくぐった後、一歩前に踏み込んで足を斬りつける。
転ばせたら、一斉攻撃で袋叩きにしてやろう。
そう思ったのだが、前のめりになった推定トレントは、腕を地面について転倒を防いだ。
そればかりかくるりと振り返って、雄叫びと共に攻撃に転じて来る。
「本当に俊敏になりましたね!」
それに、雄叫びもあげられるんですね、とさっきまでのトレントとの相違点を思う。
さっきまでの知性の欠片も感じない、ゾンビのような動きとは全く違う。油断できない野生の本能を感じる。
アーマーパージ後の、リミッター解除的な何かなのかもしれない。
そういえば、他のトレントも、死骸の割に腐敗している匂いがなかった。
全身鎧やパワードスーツに見えた木の覆いは、武装というより、死骸の状態維持のための保存容器だったりするのだろうか。
重くて動きが遅いというより、動きを遅くすることで消耗しないようになっているとか。
実に興味深い。
私の命が狙われているのでなければ。
前世らしき記憶にも、そういった医療技術があったものだ。
進行性の病気に対して用いる、ナノマシンを利用した延命措置だった。
何度か手や足を斬りつけ、援護として他の隊員も横から槍や剣で斬りこんでくれるが、推定トレントは全く意に介しない。
死骸らしい特性なのか、痛みがないようだし、出血も少ない。分厚い肉を多少傷つけた程度では、らちが明かない。
やはり、狙うとすれば頭部か。
しかし、その頭部にだけは、木製メットがしっかり装着されているんですよね。
火炎瓶はもうほとんど残っていないので、槍や剣で何とか破壊しなければならない。
チェーンソーでもあれば簡単そうなんですけどねぇ。
まだないものをねだっても仕方ない。文明の利器が使えない分は、危険を冒してカバーしよう。
「こいつを何とか転ばせます! 隙ができたら、首を攻撃してください!」
推定トレントの剛腕を回避しながら、勝負を賭けるタイミングを選ぶ。
浅い斬りつけで転倒しないことはすでに判明しているので、強撃を打ちこむ必要がある。
それは当然大振りで、踏み込みも深くなり、反撃への対応が難しい。
……やっぱり、止めておこうかな。
そこまで危険を冒す必要はありませんよね。
思いついた作戦案を撤回しようとした矢先、推定トレントが空振りによって良い感じに体勢を崩した。
「あ」
作戦の撤回を正式通達されていなかった私の体は、その待ちかねた隙に思考する間もなく、踏み込み、体重をかけた一撃を敵の膝に突きこんだ。
会心の手応えが、推定トレントの膝を砕いて抉る。
やりました、という感想と同時に、やってしまいました、という感想が浮かぶ。
痛覚のない推定トレントは、悪い予想通りと言うべきか、膝の損傷に構わず、片手を地について上体を支え、残った右腕をフルスウィングする。
「~~~っ!」
回避は間に合わない。
両腕を交差させて防御としながら、私はもう半歩推定トレントの内側に潜り込む。
最も威力のある拳の直撃は避けた。その代わり、ラリアット気味の剛腕に薙ぎ払われて、足が地面を離れる。
滞空時間が、冷や汗が吹き出すほど長い。
地面に叩きつけられ、訳の分からないうちに転がって受け身をとった私は、転倒した推定トレントを確認する。
膝がぶっ壊れた状態で、あんなフルスウィングをすれば倒れるのも当然。計画通りですよ。
右腕と脇腹からミシッて音がして脂汗だらだらですけどね! すっごい痛いです!
「首を狙え!」
痛みのひどさに地面を叩きながら声を絞り出すと、特に力自慢の武闘派が推定トレントに飛びかかる。
そこからは袋叩きだ。
推定トレントも腕を振り回して抵抗するが、膝の損傷のせいで力が入らず、まともに動けもしない。
次第に抵抗も抑えつけられ、とうとう、その首に剣が振り下ろされる。
大きめの剣を扱うグレン君が、大上段から全身の筋肉を使って、推定トレントの頸椎に刃を食い込ませた。
「どうだ!」
声を荒げるグレン君に、推定トレントは大きく巨体を跳ねさせた後、弱々しい痙攣を見せる。
「まだ動くか、もう一撃……!」
グレン君が推定トレントの頭を踏みつけながら、再度剣を振り上げる。
その前に、推定トレントの木製メットの中から、弱々しい声が漏れ聞こえて来る。
『ミゴ、ト……ワカギ、ヨ……』
私は思わず首をひねる。
それは、さっきまでの雄叫びと違い、私にわかる言葉で聞こえたのだ。
『ワレハ……リザレ、ショ……ワカギヨ……』
鈍い音を立てて、グレン君の剣が、推定トレントの首を断ち切った。
「あ……」
何かを言っていたようで気になるが、これではいかに魔物でも声を発せないだろう。
声帯の機能が破壊されたのだから、物理的に無理だ。
なのに、頭痛を伴う高音が、耳の奥で鳴り響いた感覚と共に、
『ワガモトヘ。ソノトキ、ワレハ、ワカギニ、タクス』
そう、言葉の続きが聞こえた気がした。
変なところでファンタジーするのやめません?
脳内に「この辺です」って感じのマーカー付きの地図が思い浮かんだ件については、ファンタジーというよりもはやホラーですよね。




