魔法の火種28
村人達は、持てるだけの荷物を第二陣の荷馬車に積んで、領都の方角へと歩き出す。
その最後尾の荷馬車に乗ったスイレン村長が、悔しそうな表情で、頭を下げる。
「ごめんなさい。あたしの村の問題で、皆さんを危険な役目に追い込んでしまって」
そんな少女の健気な言葉に、村に残る戦闘部隊の誰かが、口笛を吹いた。
巡回隊だろうか。それとも、ジョルジュ隊の誰かかもしれぬ。
いずれにせよ、私の背後で陽気なからかいの声が上がり、ジョルジュ隊の新米隊員が背を押されて前へとやって来た。
無論、指揮権を預かる私は、隊員の誰かの悪戯に対し、厳格な態度で臨まねばならない。
「グレンさん、何かご意見があるのでしたら、発言を許可します」
「え? あ、ちょ……いや、今のは先輩に押されてっ」
「グレンさん、発言は明瞭な言葉で、上官の指示に従って行うように」
「うぐ……」
突然、舞台の真ん中に押しやられたグレン君は、ちょっとだけまごついた後、スイレン村長の眼差しに気づいて、咳ばらいをする。
「あ、うん……そういうことは、気にする必要はない、です。我々領軍は、そして騎士は、あなたのような民を守るために、剣を手に取っているのですから」
中々格好良く決められたじゃないか。
私はニヤニヤしながら、ニヤニヤしている後ろのおっさん共に、無言で視線を送る。
ほら、皆見てくださいよ。言われた女の子のあの「惚れました、いや惚れ直しました」って言わんばかりの表情。
しばらくお酒のつまみには困りませんね!
「こほん。とまあ、我が部隊随一の騎士、騎士の中の騎士との呼び声も高いグレンさんの言う通りです。ここから先は、私達にお任せください」
「え、いや、そんな言われたことない……」
グレン君は黙ってて。
「では、スイレン村長。後日、領都でお会いしましょう」
「はい。皆さん、どうか、ご無事で」
スイレン村長は、手を組み合わせた祈りの姿勢を取る。
馬車が動き出し、見えなくなっても、少女は一心に祈り続けていた。
「おい、野郎共、あんなに必死に祈られたんだ、神様の名誉のためにも死ねねえぞ」
振り返ると、禿頭のローランド曹長が、大笑いしている。
ちょっと目元が赤いのは、まあ、見た目はあれだが結構繊細な人なんですよ。
かなり危険な状況なのに、空気は非常に明るいので、私も指揮官として、それを維持するよう心がける。
「ええ、全くその通りですね。特に、誰かさんは絶対に死ねませんよ。神殿の権威が損なわれます」
その誰かさんに、全員の視線が集中して、皆が心を一つにして笑った。
ただし、笑われた誰かさんを除く。
****
村人の避難が無事に済んだ。
なお、ここで良い報せがある。
森に入った村人は約二十名、帰って来たのはほんの数人――とのことだったが、その後、ちらほらと生還した村人がいたのだ。
トレントに追い回され、散り散りになって道を見失ったが、なんとか方角を見出した村人が十一名。
彼等は、農作業に力を入れていた真面目な優良村民で、団結力があった。
トレントに追われながらも、数人ずつ集まって逃げるようにしたらしい。
不慣れな森で魔物に襲われるという絶望的な状況で、互いに励まし合い、知恵を出し合うことで、か細い生存の道を見出したと言う。
中には、グレン君が連絡に赴いたついでに、森に入って食料を多少なりとも補充しようと頑張っていたところに同伴して、森林内行動のイロハを教わっていたという意欲的な村人もおり、生存率が高まっていたようだ。
彼等が森の中で逃げ回っていたおかげで、トレントの村襲撃が遅れていることも推測される。
グレン君のひたむきな献身を、どこかの神様が見ていたのだろう。
「大手柄ですよ、グレンさん」
「いや、はは……。アッシュのおかげだよ」
「とんでもない。ただでさえつらい連絡役をこなしながら、さらに村のために力を振り絞って動いた、グレンさんのおかげですよ」
おかげさまで、貴重な人材の大半が生きて帰って来てくれた。私がどれだけ喜んだことか。
だが、グレン君は頭をかいて笑う。
「アッシュに言われて、自分でやれることをやろうって思ってさ。森での行動の仕方も、自分でできることを探したのも、アッシュの教えがあってこそだ。流石は〝不死鳥〟アッシュだよ」
自分はまだまださ、とグレン君は謙遜する。
これだけの手柄の上に立っても、爽やかな向上心にあふれる、快男児であるな。
そんな良い報せに励まされつつ、戦闘部隊は村に戦闘陣地を築いていく。
トレントに、執拗に追いかけて来るという性質がある以上、ここで撃退しておきたい。
馬車で逃げるだけなら簡単だろうが、領都まで追いかけられると困る。領都には頑丈な石壁があるが、そんな都市でも魔物の群れで滅ぶのが今世である。
万一、トレントの矛先がアデレ村に向いた場合、さらに困ったことになる。
領都は辺境伯領で最高の防備を固めてあるが、アデレ村にそんなものはない。あの豊かな農村には、壊滅の恐れがあるのだ。
よって、トレントが戦闘部隊を最優先の敵とするように、この場で戦闘。可能であればこれを撃滅する。
「そういえば……森の様子がおかしかったのは、トレントのせいだったんじゃないかな」
私の隣で穴を掘っていたグレン君が、額の汗を拭いながら呟く。
「恐らく、そうなのでしょう。トレントによって大型獣が追い払われ、その一部がアデレ村に獣害をもたらしたと考えると辻褄が合います」
「迷惑な話だな」
「ええ、全くです」
穴を掘る私達の周囲では、民家を壊して取り出した廃材を組んで、簡単な防壁が作られている。
本格的な工兵はいないので、日曜大工程度なのが不安だが、ある程度の効果は見込めるだろう。
本命は、クイド氏から譲ってもらった秘密兵器だから、防壁があまり役に立たなくてもまだ何とかなるはずだ。
アルコールランプ――本来の用途には役立たなかったが、意外なところで救世主になりそうだ。
商品化していたクイド氏には、どう感謝すれば良いのかわからない。この恩返しになるような有望な商品の開発が出来れば良いのだが。
いつトレントがやって来るかわからない中、私達は黙々と戦闘準備に励んだ。
そこに、森の見張りをしていた衛兵が、緊迫感をまとった表情で駆け寄って来る。
誰もが、彼が何を言うか知っていた。知っていたが、彼の口から発せられる言葉を聞こうと、静まり、顔を向ける。
「森の中を移動するトレントを確認。こちらに向かっています。目視で確認できたのは八体です」
二桁はいかなかったか、と私は一つ肩の力を抜く。
いや、そうと決まったわけではないか。現在、確認できたのがその数と言うだけで、まだ森の奥にいる可能性もある。
気は抜けない。十体未満だから楽勝という訳でも、もちろんない。
私は、頭上を見る。
夕暮れの、赤い空だ。
「トレント達は、あとどれくらいでこちらに到着しそうですか?」
「確認した移動速度のまま変わらないとなれば、一時間はかかるかと」
「とすると、接敵は日暮れ後ですね」
夜目の効かない人間には不利だ。
そういえば、トレントはどうなのだろう。
夜間でも行動できるのだろうか。一体、どんな感覚器を使って、村人の後を追ってここまで来られたのか。
村人の足跡? それとも匂いだろうか?
いずれにしても、かなり精度の高い知覚を持っていなければできない芸当だ。
夜間でも行動可能と見ておこう。
「松明と火矢の用意を。できれば、松明はトレントの通り道にも等間隔で仕掛けましょう。そうすれば、闇の中でもトレントまでの距離を測りやすい」
距離感まで掴めれば、人狼戦以降、五感の鋭さの増した私の腕の見せどころだ。
「火矢をトレントに打ちこんで、目印をつけます」
私の声に応じて、荷馬車に積まれてやってきた、クイド商会印――いえまあ、不死鳥印なんですが――の樽が用意される。
中身は、ピッチと呼ばれるタール状の物質だ。というより、タールを分留して抽出された成分の一つである。
可燃性が高く、松明に使うには丁度良い。今回は火矢にも用いる。
このピッチの樽が、まだゴロゴロ並べられている。
アルコールランプの燃料を作った副産物としてクイド商会が溜めこんでいたものを、今回は供出して頂いた。
この分の代金は、後程、領軍からお支払する予定である。
一体いくらになるか、空恐ろしい。
どうしよう。領軍の財布を司るジョルジュ隊としても頭が痛い。
ついでに、研究所やクイド商会にある、余り物の陶器の瓶もあるだけ持って来た。
余り物と言っても、相応にお値段のするものなので、これも頭が痛い問題になる。
いかん。最近は領の財政を圧迫する一方だ。
もう少し控えるか、あるいは、新しい儲け話を見つけねばなるまい。
お金がもっと一杯あればなあ。
いつの世も変わらぬ人の欲に想いを馳せるうちに、アジョル村を、夜がその大きな腕で包み込んだ。
夜の向こう、暗い暗い森の淵から、重い足音が響いてくる。
「ほう、中々に迫力のある行進曲ですね」
思わず感心するほど、想像を刺激する音色だ。
夜の底から這いあがってくるような、多数の重低音。
姿は見えず、しかし刻々と近づいてくることを報せる行進音は、恐怖をあおるためにあつらえた楽曲のようだ。
村人を避難させたのは正解であった。
この音の中、村人を守ることになっていたら、恐慌状態になった村人の対処に集中力を割かねばならなかっただろう。
幸いにも、今この場所にいるのは騎士と衛兵のみだ。
今世における戦闘のプロフェッショナルである彼等は、対魔物戦のプロフェッショナルでもある。
恐怖はあれども、それに呑まれるような軟弱者は、彼等の中に存在しない。
そんな彼等に、私は振り返って笑う。
「領都へ帰ったら、劇作家や吟遊詩人にこのトレントの足音の迫力をしっかり伝えましょう。ぜひ、物語で再現して頂きたい迫力ですね」
私が立っているのは、民家の屋根の上に付け足した、ちょっとした櫓である。
そこから見渡した戦闘部隊の面々は、ある者は弓を構えて私と同じように櫓から、ある者は廃材を利用した防壁の影から、私を見上げる。
彼等は、夜中に太陽を見つけたような顔をしていた。
あれ、思っていた反応と違う。
「おいおい、指揮官殿は、もう凱旋した後のことを考えているらしいぞ」
「よっぽどこの作戦に自信があるに違いねえ」
「当ったり前だ。うちの副官殿は、〝不死鳥〟の異名を取る、あの神童なんだぜ」
「おうとも。巡回隊は畑仕事やってるとこばっか見てただろうが、舐めちゃいかんぜ。副官殿は、戦闘一種銀功勲章の人狼殺しだからな」
ジョルジュ隊の皆さんの褒め言葉に、巡回隊から、おぉ、と感嘆の声が上がる。
いえ、人狼を殺したのは私ではありませんよ。
そう訂正したい私をよそに、皆さんは明るい調子で雑談を始めてしまう。
「そういえばそうだった。指揮官殿はあの〝不死鳥〟アッシュだったな」
「畑の働きが見事なもんだから、うっかり忘れてたぞ」
「そういえば、村人もトレントに襲われても生きて帰って来た。これが〝不死鳥〟の力か」
いえ、絶対に違います。そんな力ありませんから。
「こりゃ、この戦いもしっかり気張らんといかんな」
「おお、全くだ。吟遊詩人に歌われるんだぜ、みっともねえ真似はできねえ」
「それどころか劇に使われるかもしれんぞ。都市へ帰れば、酒場でモテるな」
さらに盛り上がった感嘆の声が巻き起こる。
なんかよくわからない上に間違いだらけだけど、士気が跳ねるように上がったようだ。
ていうか、思っていた以上に緊張していたのですね、プロフェッショナルの皆さん。
気づいてあげられなくてごめんなさい。
ううん、私が楽観的すぎるのだろうか。
もし失敗しても、一度接敵さえしてしまえば、私達が囮になってトレントを引っ張り回して、領都から追加の戦力を派遣してもらえば良いと思うのだ。
今頃領都では、追加の戦力が編成されている。領都の最終防衛戦力と、その前に撃滅すべく領都を出撃する決戦戦力の二種類だ。
もちろん、ここで撃退してしまった方が色々と都合が良い。
だが、それはほとんど無理な話――と、ジョルジュ卿とイツキ氏が言っていた。時間稼ぎをしたら、無茶をせずに戻って来いと言われている。
まあ、とりあえず思いついた作戦があるので、それを試してみることにしよう。
私は、櫓に立っている弓兵に合図をだし、自分でも火矢を手に取った。
木の鎧を身にまとった巨人達は、すでに弓の間合いまで近づいて来ている。
初めて見るトレントは、大きい。それ以上に分厚い。
全身鎧を着た猿やゴリラというより、SFにあるパワードスーツを着たようなフォルムになっている。
装甲となっている木も、人工的に切り出した板のように組み合わさっているのではなく、枝や根が肉体に絡みついてできている。
中身を知らなければ、樹木が歩いていると思ったことだろう。
動きは、話で聞いた通りに薄鈍い。これなら、簡単に矢を当てられる。
体格が良くなったおかげで、私の弓も大分強いものが使えるようになった。背中に力を入れながら、弓の弦をキリキリと鳴かせて引き絞る。
放った矢は、夜の真ん中に当たったように、空中に刺さった。
「本当に簡単に当たりましたね」
空中で停止した矢が、再び動き出す。ゆっくり、ゆっくりと、トレントの頭の動きに合わせて。
「さ、どんどん当てて行きましょう」
次の矢を構えると、他の弓兵も次々と矢を放って行く。
外れたり、当たっても刺さらなかった矢もあるが、的は分厚く大きな巨体である。全身に次々と火矢は刺さり、闇夜にトレントの動きが浮き上がる。
その数は、報告通りに八体。念のため周囲を警戒しているが、これ以外のトレントは発見されていない。
「では、敵を八体と定めて、作戦を開始しましょうか」
指笛を鳴らして、火矢の終了を合図。
まずは村の入り口で、トレントを迎撃する。
なお、この段階で今回の作戦が成功するか失敗するかが決まるので、いきなり撤退の指笛を鳴らす可能性もある。
流石に緊張しますね。




