魔法の火種27
夜間をおしての行軍により、早朝に辿り着いたアジョル村は、静けさの中にたたずんでいる。
まだ無事だったことに、遠征隊あらため緊急即応隊は、行軍の疲労の中で安堵の息をついた。
トレントの足の遅さに助けられたようだ。
なお、即応隊は二陣に分かれて編成されている。
第一陣は、騎馬中心の速度重視の戦闘部隊。第二陣は、荷馬車中心で、村人の護送が主任務となる。
先駆けとなった第一陣には、村人への避難準備を促すため、最重要人物のスイレン嬢が同行している。
具体的には、グレン君と相乗りしている。
この緊急事態の真っ只中での初相乗りに、二人は無駄に引き締められた無表情で臨んでいる。
彼等の自制心に免じて、その内心を探るのは止めておく。
村に到着してすぐに、スイレン嬢はグレン君の手を借りて下馬し、村の真ん中で声を張り上げる。
「皆さん! スイレンです、ただいま助けを連れて戻りました! もう大丈夫です、出て来て話を聞いてください!」
響く声に、あちこちの家から、村人達が青い顔で出て来る。
その間に、私は一部の衛兵を、村の森側へと見張りに出す。トレントが出て来たら、すぐに村人を逃がして、私達も逃げ出す算段だ。
第一陣が戦闘部隊とはいえ、戦闘準備もなしにトレントの群れに襲われてはひとたまりもない。
「え? 父さんがいない? ど、どこに行ったの?」
いくらか血色の戻った村人と話をしていたスイレン嬢が、口を押えて驚いている。
また、ルイス村長が疫病神ぶりを発揮したのだろうか。
「あの、アッシュさん、重ね重ね恥ずかしいんですけど、父さん……村長は村を出て行ったそうです」
「ほう」
思ったより悪い話ではない。現村長がいなければ、スイレン嬢の指示が通りやすくなる。
問題は、ルイス村長がどこへ何しに行ったかだ。小悪党の行動原理に忠実ならば、と私は尋ねる。
「一人で逃げ出したのですか?」
「そうみたいです。あ、いえ、一応、アデレ村に避難しなければと、村の皆に説明して……それに従った人を連れて」
「従った人ですか」
広場に集まった村人達の顔を見回し、見当たらない顔を思い出す。
「ひょっとして、森に入った人を除けば、農作業がお嫌いな人ばかりですね?」
この確認には、村人の何人かが頷いて教えてくれた。
なるほど。いない方がマシな人材がいなくなったようだ。
「なら、問題ありませんね」
本当に、世の中、何が良い方向に転がるかわからない。
アデレ村の方ではちょっと苦労するかもしれないが、マルコ村長ならしばらく預かるぐらい何とでもするだろう。
私は、スイレン嬢に頷いて見せる。
「スイレンさん、今、このアジョル村の責任者は、あなたになります。これはサキュラ辺境伯の名において承認された、正当なものです。その権限をもって、村人への避難指示をお願いします」
「は、はい、わかりました!」
胸の前でぎゅっと拳を握りしめ、スイレン嬢は力強く首肯する。
その眼差しは、一年前には見られなかった、頼もしい強さが宿っている。
その強さを、少女は村人へと向けた。
「皆さん! この村を離れる用意をしてください!」
村人達の反応は、硬く、冷たいものだった。
それも当然で、今ここにいる村人達は、ルイス元村長の避難という提案を蹴って残っている。
ルイス元村長の人望のなさも相当な原因となっているだろうが、それ以上に、この村を、自分達の畑を離れたくないという意志がある人々だ。
「皆さんの気持ちは、よくわかります。三年前、アデレ村から移住受け入れの提案があった時、あたしもそうでした。この村を離れたくない、皆と離れたくない。そう思いました」
そのことを今でも後悔していることを、スイレン嬢は肩の震えで表現し、それ以外は抑えて見せる。
今のスイレン嬢は、弱さを見せられない立場にいる。そのことを自覚している者の強さだ。
「どうして、三年前はそう思ったのか。一年前まで、生きていくのもやっとの毎日でした。ご飯がなくて、ひもじくて、それでもこの村を出て行こうとは思えませんでした。この村が好きだから? 皆と一緒にいたいから?」
村人と同じ境遇を物語る少女に、一人一人が頷きを返す。
この村の、新しい指導者を、村人達は受け入れ始めている。
「そういう気持ちも、あったと思います。でも、一番大きい気持ちは……不安、でした。この村を出て行って、どうやって生きていくのか。同じ立場の皆と離れて、誰と生きていけるのか。不安だったんです。ここにしか、あたしの生きていける場所がないんじゃないかって」
かつての自分の弱さを、今の少女は続く言葉で否定する。
「ですが、今のあたし達は違います。この一年、あたし達は何をしていましたか。ただ飢えて苦しんでいただけでしたか? 誰かが助けてくれるのを待っていただけですか?」
問いかけに、村人達は互いの顔を見合わせ、頷き合う。
その仕草に、一年という時間に対する誇りが漂う。
自分達は、何かを成し遂げた今日に立っている、と。
「そう、あたし達自身が誰より良く分かっている通りです。今のあたし達は、この村を出て行っても生きていける力がある。あんなに荒れていた畑を、こんなに立派に立て直したあたし達です。その力がないはずがありません」
それから、この村の責任者は、私に顔を向ける。
「そして、その一年を支え、助けてくれた人達がいます。三年前にも、あたし達を支え、助けてくれた人達がいました。村の皆と離れても、あたし達と一緒に生きてくれる人達がいるんです」
私は、その言葉に敬意をこめた一礼で応えた。
今の彼女の言葉には、こちらから感謝したくなるくらいの熱がある。
「もう、あたし達に不安はありません。だから、この村を離れましょう」
再度の提案に、反対のざわめきは上がらない。
「村の皆を、あたしは失いたくない。自分の不安を隠すために、そう思うんじゃない。今まで支えてくれた皆のことが、本当に大切だってわかったから、誰一人死んで欲しくないの」
だから、と息を吸って、少女は命令した。
「アジョル村の村長として、命令します。この村を離れる準備をしてください」
スイレン村長の言葉に、村人達は肯定の声をあげた。
つらいものを振り切る、大きな声だった。




