魔法の火種24
農業試験計画の二年目の季節が流れていくうち、アジョル村からの報告は安定し始めた。
荒れ果てた畑は、最初の耕作こそつらいものの、一度従えてしまえば人に寄り添ってくれる。
無論、半ば以上は自然に属する土地である。従え続けることには苦労も伴うが、失われた農耕知識と技術を取り戻し、立派な農民となりつつあるアジョル村の人々は上手くやっているようだ。
この秋を一つの節目として、農業試験計画は一段落としていいかもしれない。
そんな皮算用をどこぞの神的存在が見とがめたのか、不穏は向こうからやって来た。
「ルイス村長が回復して、村長として復帰しそう、ですか?」
私の確認に、村と領都を甲斐甲斐しく往復しているグレン君が、恐い表情で頷く。
「病気の回復自体は、喜ばしいことと思いますが?」
「一年以上も寝込んでおいて、こんなタイミング良く病気が治るものか」
吐き捨てる口調からは、病人の回復を良く思っていないことが、乱暴な言葉以上に良く伝わって来る。
基本的に、グレン君はあまり他人を悪く言わない美徳の持ち主だ。
恐らく、嫉妬が尊敬に転化しやすい性格なのだろう。人の良いところを見つけるのが上手で、それを素直に態度で示す。
改めて、騎士の中の騎士といった精神性だ。グレン君は、彼自身の理想像に順調に近づいている。
そんなグレン君が、はっきりと嫌悪感を露わにするのは珍しく、それだけに深刻だ。
「ルイス村長は、どんな動きを?」
「まだ目立って動いていないが……ああいうのを、不穏な動きと言うんだろうな」
アジョル村の人々の中で、農作業をやる気のない連中が、ルイス村長のところに集まっているという。
それを聞いただけで頭が痛くなってくる私だ。
農作業で手抜き、サボタージュしている不良村民達は、これまで村で孤立状態にあった。
これは、そうなるように仕向けた面がある。
人間、どうしても隣でだらけている存在がいると、自身のやる気も失せてしまうものだ。少なくとも、頑張り続けることがつらくなる。
だから、不良村民側が少数派、真面目に仕事をする優等生村民こそ多数派にして主流という風潮を、アジョル村に作ろうとしたのだ。
仕事をする者だけに厚く食料支援していれば、当然、食料をろくにもらえない輩は肩身が狭くなる。
何故なら、不良村民達と付き合っても、恩恵がないからだ。
逆に、食料支援を受けている優等生村民達と付き合えば、どんなコツがあるか教えてもらえるし、食料だって分けてもらえるかもしれない。
皆、どっちとお仲間になりたい?
アジョル村の人々は、素直に優等生村民についた。
そんなこんなで、不良村民達を集落で孤立させ、力を持てないように配慮を頑張った。
そこに、ルイス村長と不良村民達の結託の報せである。
この一年、まともに働いてすらいないルイス村長だが、その肩書きはアジョル村での最高権力者のままだ。
不平分子と権力の結託とか、字面だけでもう嫌な予感がする。
私は、こめかみを押さえて頭痛をなだめながら、確認する。
「スイレンさんの様子は、どうですか?」
「大分、やりづらそうだ。ルイス村長は、俺の方には話しかけても来ないが、スイレンにあれこれと勝手な指示を出しているみたいだ」
「ほほう?」
今、温厚な私の中の温厚さを司る何かが緊急停止した音色が響いたぞ。
けたたましい警報音だ。
「農業試験計画の管理下に置かれているアジョル村では、例え村長といえど我々領地改革推進室の指示に従わねばなりません」
当然である。
こっちは村長を任免する力を持つ領主の命令で、村一つの管理を任されて計画に当たっている。村長より一つ上の立場だ。
「その上位の指示に従っているスイレンさんに、勝手な指示を出していると言うのですね」
権力上位者に逆らうとは良い度胸だ。
権力で合法的に踏み潰される覚悟はお済みかな?
私が脳内の処刑台を組み立てていると、グレン君は彼の心配事最優先事項を口にする。
「そうなんだ。それも、俺から見ても畑に良い影響になるとは思えない指示だ。スイレンや他の村人は、収穫量を減らしたくないだろ? スイレンも説明したり、反論したり、色々してるんだが」
「ほほう。それは良い報せですね」
一年がかりの農業指導で、自分達の力で自分達の食卓を増やす体験をしたスイレン嬢達は、着実に自分達の足で立つことを覚えてきたようだ。
一年以上も見て来たので、私もスイレン嬢達に愛着を抱いてしまったらしい。
成長の兆しに、ちょっと心が和んだ。そして、その分だけルイス村長に怒りがたぎる。
和みと怒りの温度差で膨張爆破が起こせそうな勢いだ。
「次の遠征隊の予定を、少し早めましょうか」
「お、おう。アッシュのその笑顔も、今回ばかりは頼もしいな」
上に立つ者が余裕のある態度を見せることは、士気を保つ上で大事なことですからね。
グレン君も、そんな引きつった顔をしていないで、笑い返してくれて良いのですよ?
****
そんなわけで、私の非常に貴重な休みを潰してやってきた臨時遠征隊は、いつも通りにスイレン嬢に出迎えられた。
その出迎え場所が、いつもより村から離れた場所であることに、今のアジョル村の問題が見える気がする。
「あ、あの! ア、アッシュさん、その……!」
何かを口にしようとするスイレン嬢の顔には、焦燥が色濃く浮き出ている。
グレン君の報告から受けた印象より、スイレン嬢の負担は大きかったらしい。
頑張っている様子がわかる味方の人物に、私はいつもより気を遣って穏当な笑顔を選んだ。
「お久しぶりです、スイレンさん。グレンさんから、あなたが大変だと聞いて参りました。もう大丈夫ですよ」
「あ……ありがとうございます!」
まだ最初の言葉のフォローだけだが、スイレン嬢は眼に見えて安堵したようだ。
「お礼ならグレンさんに仰ってください。私は彼の報告があってようやく事態を把握したわけですから」
「は、はい!」
沈んでいた表情も、一瞬で幸せそうに華やぐのだから、この一年間良いお付き合いをしたようですな。
少しその辺りも聞いてみたい気がしたが、今は急ぎのお仕事がある身だ。
「では、早速ですみませんが、ルイス村長とお会いできますね? 病気で臥せっている間、何もお話しできませんでしたから、色々とご報告しなければいけないでしょう」
「は、はい、その……」
スイレン嬢は、不安な面持ちで私を見上げてから、よろしくお願いします、と深々と頭を下げた。
案内された先の村長宅では、一年以上病床にあったはずのルイス村長が、意外としっかりした姿勢で椅子に座って待っていた。
おまけに、気弱そうな笑みを浮かべる顔は、ちょっとふっくらしている。
多分、この村で一番太っているだろう。
やはり、長期に渡った闘病生活が、都合の良いタイミングで治ったという話は怪しい。
「やあ、あなたが領地改革推進室の担当者ですな。いや、室長さんもそうでしたが、実にお若い」
上座から手を伸ばして握手を求めて来るルイス村長に、私は下座に立って握手を返す。
ちなみに、アデレ村のマルコ村長は、この逆で挨拶をしてくれた。
「ご挨拶が遅れました。領地改革推進室の計画主任を務めます、アッシュと申します」
手を握った感触から、ルイス村長は苦労知らずであることがすぐにわかった。
タコや肌荒れがない。絶賛恋する乙女をしているスイレン嬢の方が、よっぽど働き者の手をしている。
顔合わせして十秒。この時点で、ルイス村長は信用できないと私は判断した。
農民としても、文官としてもである。
「それでは、早速ですがルイス村長。今後の農業試験計画について確認をしたいのですが、よろしいですね」
いきなり事務的な話に進んだことに、ルイス村長は面食らったのか困ったように笑みを変化させたが、すぐに頷く。
「ええ、もちろんですとも。長く病気でいたおかげで、すっかり娘や皆さんにご迷惑をおかけしてしまった。その分を取り戻していきますよ」
うん、やはりこの人は自分の立場をわかっていない。
あるいは、わかっていないのは、領地改革推進室の立場かもしれない。
すでに自分が村長の実権を取り戻し、村長代理であるスイレン嬢に与えていた権限を失効させたつもりでいる。
現在、村を管理下に置いている推進室の側には、そんなことをさせるつもりがないということを教えて差し上げよう。
「病み上がりに無理をなさるのはよろしくありませんよ。それに、スイレンさんは村長代理としてこの一年、しっかりと実績を重ねました」
「おぉ、娘は大層な活躍をしたようですな。軍子会に送ってやることもできなんだが、今回の件で立派に成長したようで」
「ええ、ですから、我々としてはこのままスイレンさんに計画の現場管理をお任せしたいと考えています。現場管理者を別な方に変えると、少なからず混乱が起こりますから」
実際、今の村では混乱が起きているようですしね、ルイス村長のせいで。
だから、仮病だと思うけど、大人しく寝てて良いんですよ。
すっこんでいろ、と穏当な表現でお伝えすると、ルイス村長は意図に気づいているのか気づいていないのか、気弱な印象の笑みで何度も頷く。
「どうやら、娘は本当に頑張ったようですな。村人からも聞いていましたが、こうして領都の人材から聞くと、強く実感します」
ただ、とルイス村長は同じ笑顔のまま、私の言い分に真っ向から逆らう言葉を続ける。
「娘には娘なりの欠点があり、それは村長として見過ごせないものでもあります。部外者の方にはわからないかもしれませんが……」
「ほう」
ルイス村長は、きちんと軍子会に出て学んでいた――その時にマルコ村長と知己を得た――という話であるから、角を立てない上流階級用の口喧嘩も心得ているはずだ。
であるならば、間違いようがない。
村の誰より太った見てくれの自称病み上がりの中年は、気弱そうな顔をして、余所者は口を出すなと仰せのようだ。
穏和で知られる私もブチギレそうな物言いの仕方に、思わず笑みが深くなる。
「どのような欠点か、お聞きしてもよろしいですか?」
「申し訳ない。他人に話すには少々……私の病気が異常に長引いたことをお考えください」
「その言い方は穏当ではありませんね」
村長の実権を奪おうと、実の娘が監禁か何かをしていたと言いたいらしい。
とんでもなさすぎる言い訳ですな。通用すると思っているのか。
「そのような不穏な話があるのは由々しき事態です。領都から衛兵を呼んで詳細を調べましょう」
「それはありがたいのですが……」
ルイス村長は、表情だけは申し訳なさそうに動かして、首を振る。
「事情が事情ですので、そっとしておいてくださいませんか」
「それはできません。この村は大事な計画を進めている場所です、計画の管理に問題が生じては困ります」
下手な言い訳をしても、有罪が重罪になるだけなのだが、ルイス村長は素直には頷かない。
「そうですか、困りましたな」
「ええ、非常に困るのです」
領主と次期領主そろって乗り気の大事な計画だ。落ち目の村長ごときの意見が反映できるわけがないだろう。
だというのに、目の前の村長をしている男は、そのことを全く理解していなかった。
「では、計画そのものを一度中止するしかありませんな」
とんでもなさすぎる言い訳の楔に、とんでもなさすぎる意見が打ちこまれた。
とんでもなさすぎて話し合いという舞台が崩壊しそうだ。
「本気ですか?」
交渉中にあるまじきことに、本気で驚愕した声音で問い返してしまった。
軍子会で交渉を教えてくれたヤエ神官に知られたら、ものすごく怒られるくらいの失態だ。
案の定、ルイス村長はかさにかかって言葉を重ねて来る。
「ええ。そもそも、村人の一部から話を聞いて、今度の計画には問題があると考えていたのです」
「問題、ですか?」
いかん。驚愕が大きすぎてオウム返ししかできない。
「村人の一部は、不当に少ない食料しか得られていないはずです。知らないわけではありますまい。あなた方の指導の結果と聞いています」
「はあ」
働いていない・働きが足りない人物が、良く働く人物と比べて報酬が少ないことを不当と言うのなら、心当たりはある。
「領都で恵まれた衣食住を得られる方にはわからないかもしれませんが、この貧しい村では、全員が全員、助け合って生きて来たのです」
「はあ」
助け合っているのは、その不当に食料の少ない「村人の一部」ではなく、正当に食料の多い村人の大部分だろう。
「村人の一部」はそのおこぼれに与かっているだけなので、助け合いをしているとは、私には認識されない。
私の認識によると、彼等は寄生虫の仲間である。
私、寄生虫って大っ嫌いなんですよね。もう概念レベルで嫌い。
ひたすら食い違う見解に、目の前の人物がどこまで正気か、私が慌てて計算し直しているうちに、ルイス村長の語り口調はクライマックスへと盛り上がっていく。
「あなた方の計画で、その大事な村人の一部を見捨てなければならないのであれば、我がアジョル村はその計画を受け入れられません」
「……そうですか」
とりあえず、向こうの言い分が終わったようなので、私は相槌を打ってから、確認する。
「正気ですか?」
「無論です。私は決して村人を見捨てません。むしろ、少数とはいえ、人を見捨てるあなた方の方が――」
気弱そうな顔を精一杯引き締めた表情で、ルイス村長はまた何かを言い出したので、私は手をあげて止める。
「いえ、そうではなく、今回の農業試験計画は、村長代理との交渉で正式に結ばれたものです。その計画を、一方的にそちらから破棄すると、ルイス村長は申し上げているように聞こえましたが?」
計画中止となると、そういうことになる。
もし他領との間でそんなことをすれば戦争だし、領内であれば反逆だ。
そんな大問題を起こすつもりかと聞けば、
「とんでもない」
違うらしかった。
「計画はあくまで中止をお願いするだけです。確かに、娘には一時的に村長の権限を預けていました。しかし、それも私が病気で、情けないことに意識も朦朧としている間のことです」
「……つまり?」
「村長である私が、正常な判断ができなかった間に交わされた契約だったということを、思慮深い領主様ならご配慮くださると思うのです」
いや、思慮深い領主様はご配慮しませんよ。
こんな苦しい、というより、見苦しい言い訳を聞かせたら激怒するタイプだと思う。
少なくとも、領主様より先に耳にする領主代行殿は、即決で敵認定するタイプだ。
「まとめますと……」
私は徒労感に伴う頭痛に見舞われながら、なんとか気力を振り絞る。
「我々とアジョル村との間で交わされた計画実施の契約について、契約そのものを交わした人物、つまり村長代理スイレンさんの正当性に疑問があるので、なかったことにしたい、と?」
「いえいえ、中止です。そこはお間違いなく。中止して、改めて検討するお時間をもらえればと……。それ以外は、ええ、その通りです」
先程の会話で、娘のことはお察しくださいと、目の前の男は言い切った。
自分の娘に全責任を押し付けて、テーブルをひっくり返すつもりだ。
正気とは思えないが、本気のようだ。
ものすごい問題が山積みなことを、この男はわかっているのだろうか。
「そうすると……中止している間、食料支援や農機具の貸し出しも中止になりますが、よろしいのですか?」
「それは仕方ありますまい」
苦し気に首を振るルイス村長は、意外と深刻さをわかっているようだ。
「ですが、今ある食料や道具は、すぐに持ち帰られないでしょう? そうしてしまうと、多くの村人が困ってしまいます。領主様は慈悲深い方ですし、もし計画が再開された際に、村人の感情として問題があるかと」
「ほう。それは意識していない問題でした。ご指摘ありがとうございます。中々、余人には思いつかない視点をお持ちですね」
寄生虫の視点かな?
目の前の村長という肩書の寄生虫は、この上で支援をたかろうとしている。
しかも、今回の計画で真面目に働いた村人を盾にしての要求だ。他者を利用する術は上手いと言って良いのかもしれない。
無能より許し難い。
にこやかに返したつもりだったが、こらえきれなかった殺気が、視線に含まれて排出された。
それを感じ取ったのか、ルイス村長は慌てて言葉を重ねる。
「それに、飢えた村人が、家族を養うために良からぬことをする可能性もあるでしょう」
「それはもちろん、問題ですね。近くにはアデレ村という、有望な農村もありますから」
野盗化の心配解消も、一応この計画には含まれているのだからわかっていると頷く。
だが、ルイス村長は、墓穴は深く掘り下げたい性分らしく、私の予想を上回る見解を再度披露してくれた。
「そればかりでなく、何でも今回村人が学んだ農法は、最新のもので秘密にされているとか。そうした情報が外部に漏れてしまうと――」
「ああ、それは深刻な問題ですね」
この寄生虫、寄生する対象を脅す能力まで駆使してきた。すごい多芸な寄生虫である。
だが、相手を怒らせる辺り、寄生生物として取り返しのつかない失態をしたな。
「お話はわかりました。そうなりますと、私がこの場で判断するわけにはいきませんね」
細く息を吐きながら、私は席を立つ。
「上司とイツキ様に、ご報告をあげなければなりません。短い時間でしたが、これで失礼させて頂きます」
「わかりました。私の病気が長引いたために、ご迷惑をおかけして」
「いえいえ、世の中、何が良い結果に繋がるかわかりませんから」
これだけは、本心から口にできる。
この村長と話し合った後では、スイレン嬢がこの一年間の担当者になってくれたことは、真の僥倖と知れた。
出会った当初のスイレン嬢も、結構な問題児と思っていたが、あれは素直な問題児だった。
うちの大将であるところの「運」は、今回全く働かないなと思っていたが、実はいい仕事をしてくれていたらしい。
ユイカ女神に感謝の祈りを捧げておこう。
2019/6/13 「魔法の火種15」と「魔法の火種16」の間に、抜かしていた一話分があることが判明しました。現在、「15.5」として投稿いたしました。すでに該当部分を読んでしまった方は、「15.5」を読んで頂けると幸いです。




