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フシノカミ  作者: 雨川水海
魔法の火種

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魔法の火種23

 窓から吹きこむ風が、かすかに甘さを孕んでいる。

 目覚めた虫達に受粉を手伝ってもらおうと一番を競い合う、春の花の香りだ。

 もう冬が過ぎ去ったのだな。風の便りに、そんなことを思い浮かべて、私は自分が眠っていたことに気づいた。


「おっと……いつの間に……」


 顔をあげれば、書類が積まれた執務机とご対面だ。

 どうやら、推進室で作業をしたまま寝てしまったらしい。


 机の上が比較的整っていることから、寝落ち直前の私は、最後の気力を振り絞って仕事の区切りをつけていたようだ。

 涎で書類を台無しにした、なんてことがなくて良かった。


「しかし、机で寝るなんて不覚ですね……」


 きちんとベッドで寝なければ、体力が十分に回復しない。これでは業務効率が下がるばかりだ。


 私は立ち上がり、不自然な体勢で眠った代償を、肉体の軋みと言う形で痛感する。

 相変わらず、ボキボキと良く鳴る体だ。

 若さでも隠し切れないこの肉と骨の疲れ、温泉につかってのんびり休みたいという欲求がいや増してくる。


「わ、アッシュ君だ」


 早朝の推進室に、マイカ嬢が顔を出して驚く。


「もうお仕事してるの?」

「いえ、今起きたところで」


 私が頭をかいて見せると、マイカ嬢は途端に私の醜態を理解して、頬を膨らませる。


「またそんなことして、風邪ひいたらどうするの! アッシュ君は働きすぎだよ!」

「勘弁してください、私もこんなところで寝たくて寝ているわけじゃないんですよ」

「ダメ! 色んな人達から、アッシュ君には気をつけるようにって任されてるんだから!」

「色んな人って?」

「アーサー君とか!」


 両親より先にアーサー氏の名前が出て来るとか、あの人はどれだけマイカ嬢と仲良くなっていたんだ。


「わかりました、気をつけます、気をつけますから、ね?」


 詰め寄って私の不健康をなじってくるマイカ嬢に、私はたじたじになって苦笑する。


「う……ま、またそういう笑い方して……誤魔化されないんだからね!」


 どういう笑い方をしたのか自分ではわからないが、マイカ嬢がひるんだ。


「ダメですか?」

「ダメだよ?」


 口調が緩んだ。これはいける。

 私はすかさず、精一杯の物悲しそうな表情を作って肩を落とす。


「あ、その表情は嘘だ。騙されないんだからね」


 一瞬も保たずにバレた。流石は幼馴染である。

 下手な小細工の罰として、マイカ嬢の叱責がパワーアップしてしまった。


「もう! アッシュ君のためを思って言ってるんだからね!」

「すみません、反省しますから……」

「アッシュ君はいつもそう言って無茶なことするんだよ! 森で行方不明になった時からそうなんだから!」


 それから、五分ほどマイカ嬢のありがたいお小言を頂戴した。

 これだけだと説教を聞かされて疲れるだけだが、すかさずその後に朝食を持って来てくれる辺り、マイカ嬢の人心掌握術は高度なものだ。飴と鞭の使い分けが上手い。

 あと、領主館で出た食事の余りらしく、朝食も実に美味い。


「ありがとうございます、マイカさん」

「お礼ならヤック料理長に言ってよ。お願いしたら気前よく分けてくれたのあの人なんだから」

「いえ、それもありますけど」


 焼いた豚の燻製肉を頬張りながら、私はマイカ嬢に微笑む。


「私のこと、心配してくれて。嬉しいです」

「そっ――そう、でしょ? うれしい、でしょ?」


 ユイカ女神に思われた時もそうだったけれど、他人から心配されるというのは、温かい気持ちになる。

 説教は、もう少し短い方が嬉しいけれどね。


 しばらく、マイカ嬢は照れた様子で黙りこんでいたが、私が朝食をがっつき終える頃には、いつもの溌剌とした彼女が戻って来る。


「それにしても、アッシュ君、本当に大丈夫? 秋の収穫期からずっとすごい量の仕事してるけど」

「う~ん、大丈夫だと思ってはいますよ。疲れているのは自覚していますから、体を壊さないように休みは取っているつもりです」


 今みたいに、食後にお茶を淹れてくつろぐくらいには休んでいる。


「確かに、アッシュ君、村でも風邪とかひいてないし、体が強い方だとは思うんだけど……」


 マイカ嬢は、心底不安だという気持ちを隠さず、まじまじと私の顔色をうかがう。


「うぅ、アッシュ君、ちょっと目つきが悪くなってる。目の下のクマが……」

「ああ、寝不足なのは確かですからね、特に今朝は」

「ちゃんと寝なきゃダメだよ?」

「そうですね。今日はしっかり眠らないと、仕事でミスが増えそうです」


 絶対だからね、とマイカ嬢が念押しして来る。そんなに私の顔色が悪いのだろうか。

 私が自分の頬を撫でていると、マイカ嬢が真剣な眼差しで呟く。


「やっぱり涼し気な方が良い……」

「はい?」

「う、ううん! なんでもない!」


 そう? 同僚の外見にマナー違反があったら、指摘してあげるのも優しさですよ?

 やっぱり、年頃の少女にとっては、眼の下に大きなクマを作っている男は見苦しいのだろう。

 ちゃんと睡眠をとるようにしよう。


 私はお茶を一口含みつつ、机の上から書類を取り上げる。

 これは研究所からの報告書だ。プラウに引き続き、畜力式の農業器具の新作が完成したとの連絡である。


「ハローと筋蒔き機も、試作ですがきちんと動作するものができたようですね。問題点の洗い出しは、アジョル村で使いながら行いましょう」


 我が研究所は本当に優秀であるな。


「そっか。じゃあ、次の種まきはもっと楽になるかな?」

「ええ、秋の収穫では、村の自給自足を賄える量の作付けを目指せるでしょう」


 そうすれば、ひとまず軌道に乗ったと見て良いだろう。

 安定するまではもう何年かかかるが、今のように大量の食料支援を実施する必要がなくなれば、負担はずっと軽くなる。

 少なくとも、ここまでかかりっきりで面倒を見る必要はなくなるだろう。

 このつらさも、もう少しの辛抱だ。


「でも、アッシュ君さ、これなんでアジョル村でやったの?」


 いまさら計画に対する根本的な疑問を問いただされて、思わず硬直してしまう。


「他の村でも、できないことはなかったよね。例えば、ノスキュラ村だったら村人はもっと協力的だったろうし、食料支援もこんなに必要じゃなかっただろうし」

「まあ、そうでしょうね」


 全くもってごもっともである。

 他の村でもできないことはない、なんて話ではなく、他の村の方が楽にできただろう。


「もちろん、アッシュ君が最初に言ったことは忘れてないよ。レンゲさんやアデレ村からの支援に対して、アジョル村の対応があんまりだったって言うのも、気持ちとしてはわかるつもり」


 実際あたしもカチンと来たし、とマイカ嬢は頬を膨らませる。


「でも、アッシュ君がそれだけで動くかなぁって思って。ましてや、こんな大変な計画だもん。ちょっとムカついたってくらいじゃ、アッシュ君らしくないよ」

「そうですか?」


 今世の私は、ノリと勢いだけで生きているような気がするけれど。

 なんたって物語に憧れて本格始動する程度には単純な私だ。


「そうだよ」


 ところが、マイカ嬢から見た私は、そうでもないらしい。


「アッシュ君は、見た目よりずっと過激だけど、すっごく優しいもん。腹が立ったからって無茶はしないの、あたしは知ってるよ。ま、優しいから怒って無茶しちゃうってことは、あるけどね」


 いえ、私は見た目通り、穏和で温厚な性格ですよ。過激ってどんなところがそう見えるのですかね。

 私のそんな積み重なる疑問に、マイカ嬢は全てわかっていると、優しい目つきで頷く。


「レンゲさんでしょ?」


 全てわかっている雰囲気は出ているが、実態が伴っているわけではないようだ。

 今、私が気にしているのは、そっちじゃないんですけど。


「あと、マルコ村長もかな。アッシュ君は、アジョル村に精一杯の手助けをしようとした人達の優しい気持ちが、きちんと伝わってないのが悔しいんだよね」


 マイカ嬢の視線の問いかけは、頷かなければならないという圧力がすごい。


「まあ、そういう面も、あります、かね……?」


 精一杯の曖昧さで応えると、マイカ嬢は仕方ないな、と母性溢れる笑みを浮かべる。


「わかるよ。特にレンゲさん、マルコ村長も言っていたけど、昔から人見知りだったみたいだよね。そんな子が、スイレンさんに話しかけて仲良くなるのは、どれくらい勇気が必要だったのかなって思う」


 それは本当にそう思うので、素直に頷き返す。

 レンゲ嬢のショックに想像がつく分、余計にアジョル村側の対応がイラッと来たことは否定できない。


「ただでさえ人見知りのレンゲさんのことです。仲良くなったスイレンさんから、あんなことを言われて、余計に内向的になったのではないかと思うと……」


 ものすごくもったいない。これだけ仕事ができる人材だ。もっと周囲にアピールできていれば、もっともっと活躍できていただろうに。

 これは大いなる損失の可能性だ。口惜しい気持ちが抑えきれない。


「うんうん、何とかしてあげたくなるよね」


 そんな私に、マイカ嬢は嬉しそうな微笑みを向ける。


「やっぱり、アッシュ君は優しいよね。そういうところが……ふふっ」


 マイカ嬢は、ほんのり頬を染めた笑みを、お茶を淹れたお椀で隠す。

 お茶を飲み干した後の彼女は、元気一杯の様子で立ち上がった。


「よし! それじゃあ、今日のお仕事も頑張ろっか!」

「ええ、そうですね?」


 ちょっと切り替えが突然すぎて戸惑ってしまった。

 マイカ嬢は、ノリと勢いに乗って拳を突き上げる。


「今回の計画が上手くいけば、きっとスイレンさんとレンゲさんの仲を取り持つこともできるよ」

「まあ、そうですね。どこかでスイレンさんには言って聞かせようかと考えていますし、ぜひそうしたいところです」

「うん! あたしもできるだけ手伝うからね!」


 おー、と気勢をあげるマイカ嬢と、仕事に取りかかろうと机に移ったところで、推進室のドアが開いた。


「お、おはようございます!」


 いつもより倍くらい声の大きなレンゲ嬢だった。


「おはよう、レンゲさん!」

「おはようございます。今日はなんだかお元気ですね」


 私の問いかけにも、レンゲ嬢はいつになくはっきりと頷く。


「は、はい! 私も、頑張りたいと思います!」


 ちょっと頬を赤らめたレンゲ嬢は、気合の入った表情で自分の机に腰を下ろす。

 いつになく前のめりな姿勢だ。


 さっき、「私も」って言いましたよね、この子。

 私は、ちらりとマイカ嬢に視線を送る。彼女は、可愛らしい仕草で頬をかいて見せた。

 多分、さっきまでの会話を聞かれていた。そういうことで二人の意見は一致した。


 聞かれてまずい会話はしていないのだが、当人に聞かせるには恥ずかしい会話だったような気がしないでもない。

 あまり触れないでおこう。再び、私とマイカ嬢は視線で話し合って、頷き合う。

 私は、深呼吸を一つして、書類を手に取る。仕事はたくさんあるのだ。


「あ、クイドさんからの寄付がまた入りましたね」


 領地改革推進室の予算にどうぞ、ということでクイド氏は頻繁に寄付をくれる。今回、また入れてくれたらしい。

 どうやら、アルコールランプが思った以上に売れているらしい。その利益還元の寄付だった。

 研究所の開発ペースが上がり、予算が不足気味だったので非常に助かる。

 後日、きちんとお礼に伺うことにしよう。


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― 新着の感想 ―
気にかけている人の優しさが伝わっていない悔しさがあるなら、優しさを理解しようとしない相手にはもっときつく当たるような気がしますが。 アッシュ君は私よりずっと心が広いようです。
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