魔法の火種21
夏の日差しも和らぎ、領都の市壁から見える畑が、黄金の風に揺れる季節がやって来た。
私は、机にへばりついて書類をやっつけつつ、グレン君の報告に耳を傾ける。
アジョル村帰りのグレン君によると、村の畑は領都周辺よりも実りが遅いらしい。
収穫はまだまだ無理とのことだ。
「そんな状態だ。秋なのに生育が悪いことに、村人の何人かが不満の声を上げているんだが」
グレン君の問いかけに、私はイツキ氏に頼まれて作成している報告書から、疲れた目をあげる。
「作物の大きさは計っているのですね?」
「それは指示通りに」
「では、規定の大きさには達していましたか?」
「それも指示にあった通りに」
「なら問題ありません」
私の視線は、再び書類に戻る。
植えた時期からして遅かったのだから、最適な季節に植えた作物と比べて発育が遅いのは当然のことである。
収穫できるとしたら、晩秋か冬の入りになるだろう。例年になく強い寒波でも来ない限り、この地方の気温なら、これくらい遅れても問題ない見込みだ。
そのことはこれまでに説明しておいたので、これ以上の追加処置は必要ない。
「しかし、アッシュ、問題は結構大きいんだ」
面倒で物騒な単語をグレン君が発したので、私はまた筆を止める。
「武装蜂起でもしましたか?」
「い、いや、まさか、そこまでは……。文句を言ったり、手抜きをする連中が出ているくらいだが……」
問題は全然大きくなかった。その程度なら問題のうちにも入らない。
「そういった人物が出て来るのは当然のことです。その分、多く仕事をする人物や、目を見張る仕事をした人物へ食料配給を厚くするよう伝えています。やる気のない方も損はしませんが、得をしないようになっているので、大丈夫だと思っていましたが?」
「確かに、そうしようとスイレンも頑張ってはいるんだが……文句を直接言われたり、苦情の相手をしたりで、大分つらそうなんだ」
確かに楽しくはない仕事だろう。憎まれる筋合いもないが、憎まれ役になっているのだから。
しかも、憎んでくるのが、ひたすら文句を言いたいだけのクレーマーと来たものだ。これはつらい。
だが、それが今の彼女の役目で、今は彼女にしかできない役目なのだ。
「それに、スイレンは毎日の畑仕事の指示だしもしている。彼女の負担が大きすぎるんじゃないか?」
「軽いとは言えませんね。少なくとも、重責なのは間違いありません」
「アッシュもそう思うだろう? なあ、なんとか助けてやれないか」
「なるほど、それが言いたかったのですね」
よくわかりました。
「助ける必要はないでしょう。報告が以上なら、しばらくはゆっくりと休んでくださいね。アジョル村の収穫の頃まで私もちょっと動けませんので」
アジョル村はまだでも、他の土地では収穫期の真っ最中だ。
農民は忙しく、それに連動して他の人々も忙しくなる。
私もすごく忙しい。単に不平不満が溜まっている、という程度なら、スイレン嬢の方でなんとかしてもらおう。
「お、おい、アッシュ」
「はい、まだ何か?」
まだグレン君が声をかけて来るが、今度は書類から顔もあげない。
早くこの書類を提出して、イツキ氏にお見せしないといけないのだ。今後の予算が順調に得られるかどうかがかかっている。
マイカ嬢とレンゲ嬢も、同様に書類をまとめているか、外部へ交渉に出かけるかで、最近は三人で意見交換しながらのお茶を楽しむ時間すらない。
いよいよ、我が領地改革推進室も第一地獄に到達したらしい。
そんな地獄にいる私に、地獄仲間のグレン君が机を叩いて声を荒げる。
「まだじゃなくて! スイレンには何もしてやらないのかよ!」
書類に向かっていたマイカ嬢とレンゲ嬢が、驚いて手を止めてしまった。優秀な二人の集中力を欠くという、大損害である。
どうもグレン君は、思ったよりスイレン嬢に入れ込んでいるらしい。
私は、やれやれと溜息をついて、苦笑してみせる。
「ちなみに、グレンさんでは、彼女を助けてあげられなかったのですか?」
「お、俺か?」
グレン君は、意表をつかれたことを表情で表す。
「いや、俺なんかじゃできないから、アッシュに頼んでるんじゃないか」
「自分にできないと判断したら、他人の助力を請う。大事なことですね」
それができないと死ぬほど苦労しますからね。
「ですが、本当に、あなたはスイレンさんの手助けになれなかったのですか? スイレンさんに仕事を教える時、可能な限りグレンさんと一緒に教えるようにしていたはずですよ」
主にスイレン嬢の緊張を解す効果と外交効果を狙ってのことだが、グレン君にその気があるなら、助言や手伝い程度はできるようになっているはずだ。
もし知識で手伝えないにしても、不平不満の受け皿になるか、睨みをきかせて黙らせることもできただろう。
少なくとも、スイレン嬢の負担を減らすことができる立場に、彼はいた。
「それは、そうだが……俺には連絡係としての仕事もあったし」
「今日の報告を聞く限り、緊急の連絡はないようですね。少し体調が悪いとか、馬がバテてしまったとか、いくらでも言い訳を用意して村に滞在できたのではないでしょうか」
声が小さくなったグレン君に、私は丁寧な口調のまま続ける。
「あるいは、今からでも許可を取って村へ戻りますか? どんな言い分を用意すれば、村に滞在できるでしょうか。考えてみました?」
私の問いかけに、グレン君は水を浴びせられたように、表情に羞恥と怒りを浮かべる。痛いところを突かれたと感じたようだ。
そして、グレン君は、彼らしい素直さで落ち込んだ。
「アッシュの言うとおりだ。アッシュに頼む前に、俺自身でできることがあった。色々教えてもらっていたのに、それを活かそうと思いもつかなかった。本当にすまない」
ここで拗ねたりしない辺り、グレン君は本当にいい子だと思う。
将来、ぜひとも立派になって欲しい男の子だ。
「お気持ちは確かに、謝罪はこれで十分です。グレンさんご自身が、一番悔しいようですから」
「ありがとう。これからも、精進に努める」
「ええ、期待しています。グレンさんなら、間違いないでしょう」
で、グレン君の前途については明るい希望を抱いておくとして、アジョル村の方、特にスイレン嬢の話である。
「スイレンさんがつらそうで、それをグレン君が心配しているというのは、承知しました」
「ああ、何ができるか、少し落ち着いて考えてみようと思う。俺だって、自分の力でスイレンを助けてやりたい」
生真面目に頷くグレン君は、実に男の子している。
もう少し具体的に言うと、多分、恋している。
微笑ましい。マイカ嬢とレンゲ嬢も、なんか生暖かい眼差しをしている。
「それはとても優しいことだと思います。ですが、グレンさん。それは本当に、スイレンさんの助けになりますか?」
「助けるんだから、助けになるだろう。当たり前じゃないか」
言葉面では全く矛盾のない回答をして、グレン君は首を傾げる。
「そうならないのが、世の中の難しいところだと思うのですよ」
現実というシステムは、内包事象の自由度が高すぎる上に、乱数の幅が無限にあるらしく、当たり前と思われる行動をしても、全く予想外の結果を弾き出すことが大いにある。
その前提の下、私はグレン君に、今回の議題を提示する。
「人を助ける時、どこまで力を貸すべきだと思います?」
転んだ子供を具体例として考えてみよう。
その子供は、普通に歩いていて、普通に転んでしまった。怪我をした様子はない。泣いているのは、痛かったというより、驚いたからだと思われる。
さて、それを見ていた大人であるところのあなたは、駆け寄ってその子を助け起こしてあげるべきだろうか。
「ああ、そうするべきじゃないか? 怪我はないとはいえ、泣いているんだ」
「ええ、それもまた当然の意見です」
どんな悪党でも、とっさに子供を助けようとするという諺もあるくらいだ。
グレン君の回答は、実に常識的だ。
「ただ、その子が転ぶ度に、いつも助け起こすでしょうか。実際にはありえませんが、仮に、その子が転ぶ度に、誰かが必ず助け起こしたとします」
「うん。もしそんな子供がいるとしたら、優しい人間が周囲に多かったんだろうな」
グレン君がうらやましそうに呟く。
確かに、優しさの真綿でできたような世界だろう。
「そんな優しさに包まれて育った子供は、転んだ時に自分で起き上がる経験を、一度も積んでいませんね」
「……うん、そうなる、な?」
私の言葉遣いに、グレン君は不穏なものを感じたようで、表情が渋くなる。
期待通り、私は意地悪な仮定を突きつける。
「その子が大きくなったある日、周囲に誰もいない状況で転んでしまいました。さて、その子は自分一人で立ち上がれるでしょうか?」
私の言いたいことを察したグレン君が、あー、と呻いた。ついでに、室内で私達の様子をうかがっていたマイカ嬢とレンゲ嬢も、一緒に声をあげる。
グレン君は、しばらく天井に呻き声を浴びせていたが、やがて頭をかきながら応える。
「大きくなったんだから自分で立つだろう、とは言い切れないのはわかる。少なくとも、それまで自力で立ち上がる機会があった普通の人と比べると、えらく難しいだろうな」
「ええ、そう思います。この場合、周囲が行っていた助けが、結果的には子供の成長の機会を奪っていたことになりますね」
人助けというのは、実はとっても難しいんだよ、というお話である。
思いきり極端に振り切った例え話だが、こういうことは気づかぬうちに起きている。
やってきたばかりの新人が、不慣れな仕事に困っている。
見かねた先輩が、良いよ良いよと笑って、その業務を代わりにやってやる。
感謝されるだろうし、新人がやるより仕事も手早く片付くことだろう。
だが、自力で仕事をしなかった新人は、次もその仕事に不慣れなままだ。
長い目で見れば、そこは助けてやらない方が良かった。
助けたいのなら、仕事を教える方向に工夫しなければならなかったと言える。
それだけではない。
というより、ここからが私の本当に言いたいことになる。
「起き上がり方がわからない、という程度ならまだ問題は少ないのです。起き上がり方をそこから練習すれば良いだけですから」
「それは、まあ、そうなるな。苦労するだろうけど」
「一番の問題は、助けてもらうことが当たり前だと思いこむことです」
そうなってしまうと、本人が苦労するだろう、どころではない。周囲が迷惑する。
彼等は、自分で何もしなくても生きて来られたと言って良い。
自分が受ける恩恵に見合う苦労をしていないから、他人の苦労に対しても鈍感だ。
困ったことがあればすぐに人に頼る。そして、頼った誰かが助けてくれなければ、相手の都合など関係なしに、薄情だとか冷血漢だとかのレッテルを張って怒り出す。
私が、書きかけの書類をグレン君に示すと、彼は気まずそうな顔で頷く。
「そうだな。さっきの俺のアッシュに対する態度は、そんな感じだった。アッシュも忙しかったんだよな」
そういうことである。今はちょっと、いやかなり余裕がない。
でも、先々のことを考えれば、ここはきちんとグレン君とお話をするべきだと思ったので、書類を中断しているのだ。
「まあ、こういうことは大なり小なり、どんな人間にもあります。私だって、皆さんにかなり甘えて助けて頂いていますからね」
そう考えると、あまり人のことを言えないのです。
今回の件が落ち着いたら、領地改革推進室の皆さんに大々的に感謝を示しておこう。
「ともあれ、人を助けるということには、そういう危険があります。そこで、話はアジョル村に戻りますが……あの人達は、まさに助けてもらうことが当然だと思っているのではないかと見ています」
今回の地獄侵攻計画の発端は、それだ。
レンゲ嬢から聞いた、スイレン嬢の所業。
「彼等が飢えをしのいできた過去数年間の食料、その少なくない量が、アデレ村から融通されたものです。それがなければ、とっくにアジョル村はなくなっていたでしょう」
それだけのことをしてくれた相手が、さらに村人をまとめて引き受けて面倒を見ようとまで言ったのだ。
感激のあまり流した涙で溺れたっておかしくない。善意の必殺攻撃だ。
「その素晴らしく優しい相手に対し、スイレンさんは、『アジョル村を見捨てる人達』と言ったのです」
自分達が食べて来た、他村の麦一粒がどれほど貴重なものかわかっていたら、出て来ない台詞だ。
「アジョル村は、幸運でした。二十年間も不作にありながら、アデレ村の支援で支えられました。それが途切れた今、農業試験の場所として選ばれたことで、領主から支援を受けられている」
いや、もう、これは奇跡だ。
地方の村どころか、領地丸ごと壊滅することも珍しくない今世に舞い降りた奇跡。
それも、神ではなく、人の力で起こした奇跡。
「ですが、次もそんな幸運が続くと思いますか?」
グレン君も、これには首を横に振った。
そうでしょうとも。これ以上の幸運を期待する者は、理想家でも夢想家でもない。ただの妄想家だ。
「アジョル村の人々が、自分の力で立ち上がることを覚えるなら、これが最後のチャンスになるでしょう。少なくとも、私はもう一度手を差し伸べる気はありません」
むしろ、トドメを刺しに行くつもりだ。
悪党と罵られようが、悪魔と恐れられようが、これ以上の無駄な資源の浪費は許せない。
その資源は、他の餓死者を減らせるはずだった資源でもあるのだ。
アジョル村を生かした資源は、それだけの価値があったと証明してもらわなければ、私は怒りでどうにかなってしまう。
「その上で、グレンさんも良く考えて、スイレンさんの手助けをしてください」
あなたは誰を助けたいのか。
どういう状態を指して、助かったとするのか。
これは、答えが一つではない、とても難しい問題だ。
ついでに、迷える子羊に、どこかの誰かの含蓄ある言葉を一つ送って差し上げよう。
「優しさは愛ではない、という言葉もあります。相手のことを本当に想っているなら、時に厳しく接することもまた、愛情表現だと思いますよ」
「うん、今なら、少しわかる気がする」
グレン君は真面目な顔でうんうん頷いているが、それよりも女子二人組の方が何か感動している気がする。
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