表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フシノカミ  作者: 雨川水海
魔法の火種
100/281

魔法の火種20

 初夏だった季節が、すっかり夏真っ盛りになった。

 秋の収穫物を植えるには少し遅くなってしまったが、ついに計画実施の許可が下った。

 これ以上遅くなる前に、私は動くことにした。


 早速、クイド氏の手配してくれた馬車と、その護衛である巡回部隊を招集し、配給用の食料と農業試験用の荷物を山のように抱えて、アジョル村へと出発してしまう。

 まごついて、ちょっと待った、と言われる隙を作りたくない。


 二度目の遠征隊が訪れたアジョル村では、村人達が出迎えてくれた。食料がもらえると、最初の遠征隊で知ったからだろう。

 私達遠征隊は、期待通りに、村人達に食料を差し上げることにした。

 真っ赤なトマトを山盛り一杯である。

 村人達が、一斉にその場を離れるほどの量である。


「あの、これは……?」


 スイレン嬢が、美味しそうなトマトに脅えきった表情で、私に尋ねる。

 大丈夫、トマトが襲いかかって来たりなんかしないから。

 むしろ、君達が襲いかかって食い尽くす側ですよ。

 トマトの方が蒼ざめるべき立場だ。赤いけど。


「都市で余っている新鮮な食料を根こそぎ持ってきました。タダ同然で手に入りましたから、遠慮なく食べてください」


 なんたって、都市でもまだ食用として広まっていないですからね。

 食べているのは、領地改革推進室の関係者と、神殿関係者くらいだ。


 そう、神殿関係者。


 神官達は、まだ大々的ではないものの、トマトを食べている。今世における知識層、神官達が、トマトを食用と認めた証拠である。

 これを仕掛けたのは、領地改革推進室が立ち上がってすぐのことだ。

 ベルゴさん達囚人がそれまで行ってきた、トマトには毒がないことを示す試食実験の結果を、研究所の成果と銘打って神殿に提出しておいた。


 議論百出だったらしいが、サキュラ辺境伯の領都にある神殿では、この実験結果を信頼できるものと認定し、晴れて領都ではトマトは美味なる野菜としての地位に返り咲いたのだ。

 トマト王子、貴様の名前も、領都の歴史に刻まれましたぞ。歴史的やらかし枠としてな。

 なお、このトマト試食実験報告は、王都の神殿にも送られた。王都でも認められれば、王国中で「トマトは安全野菜」と認定されることになる。

 トマト王子のやらかした歴史は、まだまだ大きくなれる。


「そういうわけですので、これは立派な食用野菜です。そのまま生でも食べられますし、煮てスープにしても食べられます。食べきるまで時間がかかるなら、煮詰めておけば保存も効きますよ」


 栄養価も高いし、水分もたっぷり取れる。夏の配給食料としてはとても便利だ。

 領都ではこんな優れた野菜を、ただ観賞用として育てているので、腐るほど余っている。もったいない。

 そこで、領主代行の名前でお触れを出してもらって、捨てるくらいなら頂戴、と言ってみたところ、ご覧の有様である。

 トマト投げフェスティバルができそうだ。


 食料不足のアジョル村で腹一杯食べてもらえば、村人は健康になる。

 アジョル村での結果を聞けば、領民達もトマトが安全であることをわかってくれる。

 誰も損をしない食料配給だ。

 だからほら、スイレン嬢、この血のように赤いトマトをお食べ。


 大丈夫、恐くない、恐くないよ?


 私が、トマトを片手に穏やかな笑顔でスイレン嬢に迫る。

 こういうのは上に立つ人物から食べさせれば、他の人もあきらめ――安心できる。

 囚人の皆さんに食べさせた時と一緒だ。

 射ける時は馬ではなく、将から射こうの精神を忘れてはならない。


「待て、待て待て、アッシュ!」


 スイレン嬢に迫る私の肩を掴んだのは、グレン君だ。

 この一月の間、十回に迫る数の往復をこなした割に、とても元気だ。

 流石にちょっと頬の肉が落ちた気がするが、痩せたというより精悍になった印象がある。


「お前のその勧め方は恐いぞ」

「いやいや、まさかそんな」


 スイレン嬢が恐がっているのはトマトですよ。決して私ではない。

 この温和さに満ちた笑顔を見てください。

 グレン君は、まだ脅えるスイレン嬢を守るために、私とスイレン嬢の間に立つ。


 あくまで、私が恐いと思っているようだ。友人に対してひどいとは思わないのですか?

 グレン君は全く思わないらしく、スイレン嬢に向き直ってゆっくりと声をかける。


「スイレン、そんな恐がらなくて良い。トマトは領軍の食堂でも出るようになった、安全な食べ物だ。俺も何度も食べてる、ほら」


 そう言って、グレン君は目の前でトマトをしゃくしゃく食べて見せる。

 スイレン嬢はそれを眼を大きく見開いて見つめ、それからあわあわと詰め寄る。


「だ、大丈夫なの、グレン? 本当に? だって、トマトを食べたら頭おかしくなるって……」

「大丈夫、大丈夫だ。トマトが安全なことは、アッシュがきちんと突き止めて、実験を……えーと、二年だったか? とにかく、しっかり確認しているから、大丈夫だ」

「確認って……食べたの?」


 もりもり食べましたよ。都市に来る前からね。

 私が自信満々に頷くと、スイレン嬢はなぜか私から眼をそらした。


「軍子会って、そんなことまでするの?」

「いや、だからアッシュは特別だって、何回も言っただろ。そりゃ、野営訓練で野草を食べるくらいは……いや、あれもアッシュだったか。携帯食に飽きて、アッシュがあれこれ採ったんだよな」

「皆さんも覚えたでしょう?」

「いや、まあ、うん……」


 グレン君は困った表情で、というより、私を困ったもののように見つめて、頷いた。


「とりあえず、それはいいや。アッシュだからな」


 グレン君までそういうことを言う。


「とにかく、トマトは大丈夫だ。美味しいぞ、ほら」

「う、うん……」


 グレン君に手渡されたトマトを、スイレン嬢はしばらく躊躇って見つめていたが、えいや、と気合いを入れてかじりついた。

 遠巻きにトマトを見ていた村人達も、村で最初にトマトを口にしたスイレン嬢に釘づけだ。

 だが、注目を受けるスイレン嬢は、視線よりも口内のものに気を取られているらしく、口を押えて、自分が今しがたかじった赤い実を見つめている。

 こくりとスイレン嬢の喉が動いて、トマトを飲みこむ。


「これ好きかも」


 あとは、しゃくしゃくしゃくしゃく、彼女は無言で食べ続ける。

 その光景を背に、私はにっこりとアジョル村の皆さんへ笑顔を向ける。


 ほら、村長家の娘が食べていますよ。よもや自分はいらないなどと、わがままを言ったりはしないでしょうね。

 私の笑顔に、他の皆さんも安心してトマトを口にしてくれた。



****



 馬車からトマトを始めとした荷物を放り出したら、すぐに馬を数頭連れて畑へ出て行く。

 相も変わらず荒れ放題だが、木の棒を地に刺して、区分けが示されている。

 グレン君に持たせた指示で、きちんと畑を区割りするよう頼んでおいたのだ。


 その時のグレン君は、どうやって決めれば良いのかわからない、とスイレン嬢の泣き言を携えて帰って来た。

 もはやアジョル村を農村と呼んで良いのかどうか、私にもわからない。


 わからない謎は探究するべきだが、今回の件については棚の上に放置しておいて、私は借りてきた馬車馬に、ジョルジュ隊のベテラン勢を割り当てる。

 ジョルジュ隊は、備品管理を長く自分達だけでやり遂げてきた猛者達である。備品の中には馬車も、馬車馬も含まれていた。

 つまり、荷を引く馬の扱いが大変上手なのだ。


 私は早速、ジョルジュ隊の皆さんに頼んで、研究所が開発した新型耕作機〝プラウ〟を馬に装着してもらう。

 下手がやると馬が嫌がって暴れるのだが、流石はベテラン勢、馬をなだめて気持ち良く装着させている。

 ちょっと感心しつつ、私も、グレン君と一緒に馬の一頭にプラウをつけてもらうため、馬に一礼する。


「よろしくお願いしますね。ご不満があったら体を動かさずに鳴き声で教えて頂けると助かります」

「馬が相手でも丁寧だな、お前は」


 グレン君が笑うが、馬鹿にした様子はない。

 馬に話しかけてどうする、と考えているのではなく、もうちょっと砕けた物言いでも良かろうに、と思っているらしい。


「だって、こんな重い物を引いて畑を耕すなんて、私にはできませんし」

「そりゃ俺も無理だけど……」

「だったら、自分にできないことができる方に敬意を払っても、おかしくはないでしょう」

「言ってることは正しいと思うんだが、いざやられるとおかしい気がするのはなんでだろうな」


 多分、相手が馬だからですかね。

 ところで、これから馬達に引いてもらうプラウだが、これはクワの役割を果たす。土をひっくり返すのが、この農耕器具の仕事というわけだ。

 残った作物や雑草などを処分し、土の中に空気を入れることで、新しい作物を植える準備になる。

 アジョル村の畑は雑草が乱立しているので、その処理もできて丁度良い。


「じゃあ、皆さんそれぞれ準備よろしいでしょうか。安全確認もしっかりしましたね?」


 横一列に広がった一同を見回すと、それぞれ了解の返事がある。


「では、馬に無理をさせないようゆっくりと行きましょう。馬も私達も、まだこの作業に慣れていませんからね。あくまで農業試験ですので、何か問題が起こっても焦らず、慌てず、きちんと報告と確認をしていきましょう」


 再度、全員から返事をもらう。良いお返事だ。


「では、いきますよー!」


 私が頷くと、グレン君が手綱を軽く引いて、馬に合図を出す。

 初めて装着した器具に、馬は少し不思議そうにしながら、一歩一歩前に踏み出した。

 見本役の私達が進んだので、左右に広がった他の馬達も、それぞれの担当者の手綱に促されて進みだす。


 うむ、良い感じだ。


 私は、馬の後ろ、プラウのハンドル部分を持って、土を掘り返す深さや方向を維持する係をしながら満足感に頷いてみせる。

 作業を始めたばかりだが、どのプラウも易々と土を掘り返していく。その割に馬の足並みも軽く、負担がそれほどでもないことを示している。


 研究所の大いなる成果だ。従来のプラウでは、こうはいかなかったはずだ。

 研究所で試作品ができた後、都市周縁に畑を持っている市民に試運転をお願いしたことがある。

 中には、従来のプラウを使ったことがある老人もいて、頑丈さも扱いやすさもずっと良くなっていると太鼓判をもらった。

 その老人は、自分ももう年だが、これがあれば今より畑を拡げてもやっていけると、物欲しそうに改良型プラウを見ていた。


 やる気がある人に良い道具が届くよう、社会全体を豊かにしたいものだ。

 この日の作業は、馬に疲れを残さないよう、かなりゆっくりとしたものだったが、それでも手作業とでは比較にならない土地を耕して、事故は一切なかった。

 一台だけプラウが脱落したものが出たが、振動で固定具が緩んだだけで、再度締め直せば作業に復帰できた。


 アジョル村の人々の驚いた顔が、開発チームである研究所の皆さんに贈られる賛辞となるだろう。

 なお、研究所には、さらなる便利耕作機の開発を命じておいたので、今でもまだ修羅場の真っ最中である。


 さて、プラウで掘り返した土には、研究所から持って来た蓄糞堆肥を混ぜこみ、雑草などと一緒に畑の養分を整えていく。

 この様子を村人達に見せ、ゆくゆくは村人だけで行えるようになるのが当面の目標だ。

 農業指導であるな。


 土に混ぜこんでいる堆肥の正体は教えていない。

 スイレン嬢は、見たこともない代物について、当然質問してきた。


「あの、アッシュさん……これ、なんですか?」

「領地改革推進室の研究所で開発した、新しい肥料ですよ。詳細については、機密事項につき、今はまだお教えできません。他領に情報が漏えいしては、これまでの苦労が台無しになってしまいますので、ご了承ください」


 機密指定って権力者からしてみれば最高に便利ですな。

 恐ろしい話だが、悪意ではなく善意で行っているうちは問題あるまい。

 問題だとしても些細なものであり、つまり問題ない。


「それより、施肥の方法をしっかり覚えてくださいね」


 この肥料は養分が多いので、使い方を誤ると作物が育たなくなってしまうのだ。また、窒素などは水溶性なので、そこも注意がいる。

 スイレン嬢を筆頭に、見学させている村人の目の前で土と肥料を混ぜ合わせながら、そういった注意点を説明する。


 一同は、わかったような、わからないような表情をしている。完全に他人事を見ている心地なのだろう。

 今までそんなだから、この村はここまで衰退したのだ。


 当事者意識もなく、ただ目の前のものを眺めているだけ。

 他の村人が飢えに倒れても、隣のアデレ村から支援を受けても、弱者である自分達にはできることがないと、ただ傍観している。

 無力な傍観者でいられることを、当然と信じている。


 これまでアジョル村が相手にしてきた、お優しい方々ならば、その信仰で通っただろう。

 だがしかし、今回のお相手である私は、そこまで優しくない。

 なんたって、地獄への道を舗装する善意の持ち主である。

 善意と優しさは、必ずしもイコールではないことを思い知らせてやる。

 地獄とは、人の信仰に真の力があるのかないのか、試される試練場なのだ。


 そんな善意から発する地獄の企みに、私が満面の笑顔になって、スイレン嬢や皆さんに今後の予定をお話する。


 プラウの使い方や新型肥料の施肥方法の他、害虫の駆除と益虫の見分け方、雑草の除去とコンパニオンプランツの設置、作物の病気の見分け方と対処法などなど、知りうる限りを伝えるつもりである。

 アジョル村から二十年かけて失われた既存の農業技術から、研究所の最新成果まで、ありったけを予定している。


 これらは全て、私達が多くの失敗の上に学んだ貴重な知識だ。教えてもらえば簡単、だが編み出すには大変な困難を伴う。

 私達はその困難を、軍子会の寮の庭から始まり、囚人用の掘立小屋の周辺、都市周辺の畑を借りた小規模な実験で、打破してきた。

 実際の農作業はもちろん、協力者への根回し、不安がる周囲への説明、失敗の調査、成功の分析、それらを誰が見てもわかるように報告書にまとめあげる。

 数々の汗と多々の涙と色々な苦労と諸々の執念の結晶だ。


 脳裏を駆け巡る思い出は、畜糞をこねくり回しているシーンばっかりですけどね!


「そういうわけで、これから皆さんが学ぶのは、間違いなく辺境伯領において最新にして最高の農業技術です。知っている人はほんの一握り、まして実際に作業できる人はほんの数人という貴重なものです」


 アジョル村の人々は、その貴重な人材になるということだ。

 貧農から一気にクラスチェンジして、領内屈指の農耕集団の誕生である。


「アジョル村の皆さんの働き次第で、あなた方の食事はもちろん、領内の飢えた人々を救うことができるでしょう」


 やったね、人助けができるよ。

 私の言葉に感動してくれたのか、スイレン嬢がふるふると震えながら尋ねてくる。


「あ、あの、そんなすごいこと、あたし達に……あたし達が、教えてもらって良いの、でしょうか?」

「ええ、きちんと領主代行のイツキ様と、辺境伯閣下ご本人から、この計画の許可を頂戴していますからね。どちらも、皆さんのご活躍に期待されていますよ」


 昨日まで餓死の不安を抱えていた人々が、今日からは領主公認のかけがえのない人材になったのだ。

 いやあ、実にめでたいことですな。

 スイレン嬢もあまりの光栄さに、感極まったのか涙目になっている。

 まるでいじめられた子犬のようにも見えるが、そんなはずはないですよね。


「私達も丁寧に、何度でもお教えいたしますから、わからないことがあったら何度でもお聞きください。辺境伯閣下を落胆させないためにも、疑問や質問は大歓迎ですからね」


 弱者からの解放と、強者の重責を、存分に楽しんでくれたまえ。

 なに、慣れてしまえばどうということはない。慣れていないと、胃が痛いかもしれませんけれどね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 直属の上司から不当に扱われてたのにある日社長から直々に指導を受けるようになったと考えれば胃が痛くなるのもわかる
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ