灰の底10
さあ、始まりました。初めての遭難のお時間です。
…………。
どうしよう。
私は、全く見覚えのない森の中に一人立ち尽くす。
頭がひどく痛い。
多分、この頭痛のせいで、記憶が飛んでいるのだと思う。朝、山菜取りに森に入った記憶はある。
そこから先の記憶が、いまひとつ正しくまとまらない。
目が覚めたのは、たぶん、もっと前だ。
飛び飛びの意識で、ぼんやりしたまま森の中を徘徊した記憶がある。遭難した時は動くなという鉄則を知らないのか。
我ながら呆れるが、意識がもうろうとした状態だ。なにも考えていなかったんだと思う。
それで、森の奥の方まで迷いこんだのだろう。
しかし、頭が痛い。額に手をやると、かたまりかけた血が手についた。
気絶と記憶の混乱の原因はこれとして、どうして頭を打ったのだろうか。
わからん。
わからないことを気にするより、とりあえず、この状況で生きるために知恵を絞ろう。
「よし、現実に対処できるくらいに意識が回復してきた」
言葉を口にすると、いっそうはっきりする。
こんなところで死んでたまるか。
私はまだ本を読みたいのだ。フォルケ神官の古代語解読だってもっと手伝いたい。マイカ嬢に読み書きを教えることだって途中なのだ。
生きたい理由は、本のおかげで十分だ。
死ぬのなんて恐くないぞ。すでに一度は死んだ身ですからね。
生きるためならなんだってしてやりますとも。
「まず、場所はわかりませんね。方角は……あっちが北、村はあちらですね」
太陽の位置と、周囲の木の苔の生し方で判断できる。
前世なら絶対わからなかったろうが、今世で九年も生き延びてきた経験は伊達ではない。
「太陽はもう沈む。今日は帰還をあきらめて、夜を過ごす準備をしましょう」
手持ちの品を確認する。
まず本。素晴らしい、本が無事だ。何よりである。
採取用ナイフもある。山菜入れのカゴはあるが、中身はどこかに落としたのか見当たらない。山菜取りの時は、万が一のためにと常備している火打石と火口は、上着の内側に縫い付けたポケットに納まっている。
「こんなこともあろうかと!」
まさか、これが言える日がこようとは……。備えとは、本当に大事なのだと震えがくる。
良かった。何とかなりそうだ。
「まずは、日が暮れるまでに火を起こす準備をしなければなりません。できれば水源も見つけたいですね」
必要な物を拾いつつ、北の方角へと歩き出す。
護身用を兼ねて、歩行の疲労を軽減してくれる杖代わりの木の棒。火をつけやすそうな枝や葉。山菜も一応取るが、ワラビだったかゼンマイだったか、どちらかは生で食べられないはずなので、セリくらいしか腹の足しにならないだろう。
空腹は覚悟しておこう。
どちらかというと、飲み水の方が重要だ。空腹よりも圧倒的に早く活動に支障をきたす。今もかなり喉が渇いている。
森の湧水なら綺麗そうだが、よほど澄んだ源泉でも見つけない限り飲む勇気はない。まず間違いなく他の動物も利用しており、もれなく寄生虫をもらうか、感染症になるからだ。
煮沸できれば良いのだが、流石に鍋の類を持ち歩いてはいない。
どうしたものかと思っていると、水の音が聞こえた。
飲める水なら非常に嬉しい。淡い期待を抱きつつ、水の音を探して歩いて行く。
流石に、世の中そこまで甘くはない。
音の源は、小さい川だった。雨が降ったわけでもないので見た目は澄んでいる。だからといって簡単には飲めない。細菌は眼に見えないから恐ろしい。
とはいえ、飲み水としては使えないかもしれないが、生活用水としては使っても良いだろう。
それに、本当に追い詰められた時には、覚悟を決めて飲むという選択肢が取れることは大きい。
この川のそばをキャンプ地点と決めて、たき火用の荷物や山菜を下ろして身軽になる。断腸の思いだが、本も一時的に手放した。
一夜を過ごすためには、もっと火種になるものを集めなければならないし、時間ももう残り少ない。太陽が、朱色の光で私に警告していた。
途中、アロエ(仮)の木を見つけた。
そうそう、気絶する直前にもこの木を見つけてはしゃいでいた気がする。
ちょうど頭に怪我もしていることだし、アロエ(仮)で手当てしてみよう。
***
川原の石で作った竈もどきの中で、火は無事についた。
火打石と火口がなかったら、夜の闇の底で震えているしかなかっただろう。
とてもではないが、摩擦式で火をつける自信はない。ないから用意していたのだけれども。
わずかであれ、光があることと、暖を取れることは本当にありがたい。
前世らしき記憶もあわせれば立派な大人なのだが、陽が沈んだ後の森はとてつもなく恐ろしい。これは本能的なものだと思う。
頭の傷は、汗拭き用のタオルを持ってきていたので、そのタオルに刻んだアロエ(仮)を包んで、額に巻いている。本当はすりおろしたりするのだろうが、それなりの器がなければ無理だった。
傷から熱っぽさが消えた気がするのは、プラシーボだろうか。
こちらの効果は他にも実験しないと何とも言えないので保留だが、一つ素晴らしいことがわかった。
このアロエ(仮)は、表面の皮がものすごく苦いが、中身のゼリー状の部分はそうでもない。ナイフでゼリー状の部分をこそぐように食べると、生の野菜……野菜? 果物だろうか?
……ちょっとわからないが、ともあれ、野生の食材を生で食べたにしては中々美味いと思う。おまけに水分も多く、渇きが大分癒えた。
セリの方も、川で洗ってから軽く火であぶって食べている。
虫とか良くついているから、そのまま食べるのが恐かったのです。あと、セリについた水も加熱処理されて、ちょっとでも水分も取れないかなどと考えた結果だ。
スズメの涙程度の効果はあったと思われる。
多少でもお腹が膨れたためか、気持ちに余裕がでてきた。具体的にはたんぱく質を取りたくなってきた。
いっそ蛇でも出てこないかと思う。そうしたら首を落として生き血をすすって、肉を焼いて食べてみたい。渇きも飢えも一挙に解決だ!
などということを考えながら、私は浅い眠りに落ちて行く。
環境と考え事のせいか、夢の中で蛇のフルコースを食べる夢を見た。
***
翌朝、熟睡など当然できるはずもなく、朝日の気配を感じてすぐに目が覚めた。
夜に何度も目を覚まして保ち続けた焚き火に、木の枝を放り込みつつ、体調を確認する。
やはり、疲れは拭いがたい。
もう少しここで休んでいくことにしよう。
この判断が、怠け心ではなく理性的な判断であることを祈る。疲れた頭ではどちらなのか判然としない。
たんぱく質、たんぱく質が食べたい。
夢で食べた蛇は大層美味しゅうございました、気がする。
喉も渇いた。
とりあえず、アロエ(仮)――いや、昨日食べた感想として、もうアロエで良いだろう。アロエを新たに収穫しに行き、焚き火で暖まりながら食べる。
そこで実感する。
こうしてじっとしている分には、アロエの水分でもなんとか我慢できる。だが、森の中を動き回ろうとするなら、きちんとした飲み水が必要だ。
アロエだって、やたらと傷や肌に効果があるのだから、あまり大量に摂取すれば逆に体を壊す恐れがある。整腸作用があるということなので、まずそっち方面で危険な気がする。
薬と毒とは表裏一体だとは良く聞く話だ。
植物には、水を大量にふくむ種類もあると聞いたことがある。砂漠ではサボテンを非常時の水分補給に使うという。森の中にも似たような植物はないだろうか。
私は、頼もしき本に救いを求めて手を伸ばす。
そして――思い出した。
そうだ、これで鍋を作りましょう。
いや、冗談ではなく。ガチで。
前世らしき記憶で見聞きした、紙鍋というものを思い出したのだ。
紙なのに、直火で温めても燃えず、中の水(鍋の汁)が煮込まれるまで保つという代物だった。紙が特別製というわけではなく、なんだったかそういう作用が働くのだと記憶している。
もちろん、貴重な本を犠牲にするつもりなど欠片もない。
紙でできるなら、紙より燃えにくそうな葉っぱでも、水を沸かせられるのではないだろうか。
実に論理的な推測だ。
早速実験してみよう。本と違って材料に困る必要がないので気軽なものだ。
とはいえ、そこらの雑草だって生き残るために生い茂っているのであって、人様を助けるために生えているわけではない。下手な物を使うと毒素が滲みだしてくるかもしれない。
そこで、笹っぽい草を発見したので、それを使うことにする。前世と同じものなら抗菌作用があるはずだ。
もし、前世と同じものでなかったらどうするって? 少なくとも有毒ではないことを祈るのです。
たった一夜で心身ともに消耗したのか、段々と安全基準が雑になっている気がする。
子供の体力でしかないので、いきなり追いつめられているのかもしれない。
これ以上致命的になる前に、覚悟を決めて補充できるものは補充しよう。
笹で鍋を作るといっても、葉っぱ自体はそこまで巨大ではない。そのため、ぐい飲み程度の器を作るのが精一杯だ。
毒見を兼ねた実験としては、これくらいの方が良いかもしれない。
上手く行ったら、器の作り方を工夫してみよう。
竈の上に木の枝を渡し、その枝に笹鍋をぶら下げて加熱していく。ここまではイメージ通りだ。
こんなことを思いついて、かつ実行できるようになるとは、今世の九年間は実践の日々だったのだなぁ、と目頭が熱くなる。
もっと熱くなったのは、笹鍋の中の水だ。
無事に沸騰している。
紙でできるなら、これもできるだろう――などと、自分で言っておいてなんだが、目の前にすると不思議な光景だ。
十分に煮沸した水を、今度は火から遠ざけて少し冷ましてから、ゆっくり口にふくむ。
とりあえず、妙な苦みはない。
少し笹らしい風味がある気はするが、不快ではない。人の体は毒物を不味いと認識して排除しようとするので、この味なら飲み干した瞬間に「ウッ、ク、クルシイッ!」みたいなことにはならないだろう。
しばらく味わって、口の中が痺れないかなんかも、素人ながら確認した後、飲みこんだ。
あぁ、美味しい。やはり、アロエやセリにふくまれた水分では全く足りてなかったことがわかる。
生き返るようだ。たかが水が、前世で飲んだどんな高級酒より美味しく感じる。
もう少し様子を見て体調に変化がなければ、腹一杯飲んでおこう。
笹鍋を何個も作り、竈にかけられるだけかけつつ、待ち時間に他に何ができるかを考える。
主に食欲方面についてだ。お腹が空いている時に他のことを考えるなど、とてもできない。
食欲まみれの眼で周囲を見渡していると、当たり前のことに気づいた。川の水面に、魚影がちらついたのだ。
なんだ。魚を食べれば良いではないですか。
火が使えるなら、野草を食べるよりよほど安全な食材だ。
問題はどうやって取るかであるが、山菜用のカゴがあるので、これを使えば、いつも村の近くの川でやっている漁法が行える。
やり方は簡単で、まず、川の流れが狭まっているところにカゴを設置する。都合の良いところがないなら、石や木を少しばかり置いてやれば良い。
後は、上流の方からバシャバシャと音を立てて、カゴを設置した下流まで魚を追い立ててやる。
驚いた魚が、勝手にカゴの中に入ってくれるというわけだ。
カゴが小さいし、一人で音を立てても脇をすり抜けられてしまうが、それでも二匹も川魚がカゴの中に入ってくれた。
いらっしゃいませ、たんぱく質。
これからは一心同体ですね、よろしくお願いします。
我ながら子供のように小躍りしてしまう。その辺の木の枝で串刺しにして、早速焚き火にかける。
そうこうしている間に、太陽はすっかり中天に差し掛かっている。水を飲んでから時間も経ったが、体調に変化は感じられない。
この方法で補給していけば、どうやら飢え死には避けられそうだ。
そうなると、ますます気持ちに余裕が生まれてくる。今日はこのまま、水と食料を確保することに費やして、村への帰還は明日からにしよう。
こんがりと良い姿になった川魚に頬を緩ませ、私はのんきなことを考えていた。
そして、背後から忍び寄った男に、不意打ちを受けたのだ。