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都市の翳りに踊るモノたち ~The Black Box ~  作者: 仙洞 庵
第1章 招かれざる客
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幕間(一) ~悪魔の契約~

何が接点になるかは誰にも分からない。

その繋がりがどんな物語を紡ぎ出すかなど尚更のこと。

ただ出会ってしまったのだ。

互いに必要とする理由があったのだ。

 それは初めての列車の旅だった。

 同じロサンゼルス郡内にある祖母の住む街へ、幼い少年のために父母が企画したサプライズ。

 その日はすべてが輝いて見えた。

 宮殿のように大きなステーション。

 広い構内に置かれたテーブルで、信じられないほど大量の砂糖を入れてコーヒーを楽しんでいる紳士。

 長い長い車両の連なりを持つ列車。

 無表情の黒づくめ達が現れ、席が気に入らないと騒ぐ上等なコートとマフラーが印象の中年男性。それを穏やかに窘めて席に着く女の人――きれいな赤毛に見とれているとその碧い瞳と目があい、優しく笑み崩れたところで黒いコートに遮られる。

 見上げると冷ややかな目が「構うな」と告げていた。

 それから先はほぼ覚えていない。

 めまぐるしく変わる車窓からの風景に夢中になっていたと思うのだが何も思い出せない。思い出せるのは――


 凄まじい振動だった。悲鳴も上がったかもしれない。

 次の瞬間、世界から放り出されたような感覚。

 ぐるぐると回って。

 気づけば、列車特有の振動や風切や歓談などによるあらゆる騒音が消え去り、どこかから漏れてくるすすり泣きや呻き声が聞こえるのみとなっていた。

 列車自身が夢から醒め、嫌な現実に舞い戻ったようだ。少年が大好きだった祖父の死を知った次の朝に似ている。

 いや、列車自身の“死”だ。


「……ぉ……ぅ」


 割れた窓ガラスの上に這いつくばり、車の下敷きになったように何かに押し潰されて身動きすらできず、少年は父の名を呼んだが声も出ない。

 口中に血の味がして恐怖した。

 必死に身体を動かしたが、電池の切れた人形のように緩慢な動きしかできず、益々怖くなって再び口を開く。


「マ…………」


 かすれ声は遠くに聞こえる赤ちゃんの鳴き声に掻き消された。

 何もできない。

 どうしたらいいかも分からない。

 目の前が何かで滲んできて見えなくなってくる。

 そのうち、横倒しになった座席が見える天井の方に白と黒の混じった煙が漂っているのに気づく。その時には「逃げろ!」と騒ぐ声も耳に入った。


「……たす……」


 夢中で口を開くが、人の気配が遠ざかる。

 父や母はどうしたのか。

 なぜ助けに来てくれないのか。

 みんなとっくに逃げたのだろうか。

 煙が黒いものだけとなり、ごうごうと恐ろしげな音が新たに聞こえてくる。

 鼻につく焦げくさい刺激臭で少年にも炎だと分かった。


「たす……け……」


 誰かいないのか。

 誰も気づいてくれないのか。

 お父さん!

 お母さん!

 誰か――


「……生きてっか?」


 投げかけられた声はとても素っ気ないものであり、その男の無愛想さが感じれるほど“慈愛”にはほど遠かった。

 それでも少年にとって、あまりに久しぶりに耳にした人の声に思えた。


「生きたいのか……?」


 まるで捨てられている子犬を見下すような目を向けてくる。

 上等なコートを着ていなかったが、薄汚れたマフラーに見覚えがあった。付いた染みは血なのか、やはり上質なスーツも血やガラスやらで汚れている。


「いいか、よく聞け」


 そいつが足を引きずるようにして近寄ってくる。しゃがみこんで覗かせた顔はあの中年男性のものだった。


「……たす」

「いいから聞けっ」


 大人のくせに平然と酷いことを告げる顔には無数のガラス片が刺さって血にまみれている。

 よく見れば、話すたびに口から血が流れ出し、血まみれの脇腹を押さえる片手を一時も離そうとしないのだが、幼い少年にもそれに気づける余裕はない。


「俺だって……お前を助ける余裕はねえ」


 怒っているのか、苦しんでいるのか分からぬ凄い形相とそれにも増してひどく真剣な声音に少年が押し黙る。


「だから――助けてやるから、借り(・・)を返せよ」


 その表情を少年は知っている。

 とても大事なことを伝えるときにお父さんがしていた表情であり、眼差しであった。


「いいな?」

「…………」


 命が掛かっていたから頷いたのかもしれない。

 真剣さが伝わったという意味で頷いたのかもしれない。

 おかしな話だが、今でも頷いた理由をよく理解していない。

 なぜなら、その時に交わした口約束は、“悪魔との契約”に他ならなかったのだから。その後の、己の人生が――“修羅の道”を歩むことが、そこで決まってしまったのだから。


「早速、根性……見せてもらおうじゃ……ねえか」


 意味不明な言葉と共に中年の手が自分に向けて伸ばされる。救いの手は指がおかしな角度に折れ曲がっている頼りないものだった。

 唯一下敷きを免れていた少年の左手にその手がかかる。


「歯を食いしばれ――小僧」


 呻くような台詞と共に力強く左手が引っ張られ、“悪魔の契約”に相応しい“痛み”が少年の身体を貫いた。

 瞬間、出るはずのない“苦鳴”が少年の喉奥から迸り、体中の水分がなくなるほど汗と涙と鼻水を垂れ流した。

 “痛み”は中年が力を入れるたびに何度も繰り返し襲ってきた。

 特に右腕が灼熱の竈に放り込まれたように熱く、少年は間違いなく焼け落ちた(・・・・・)と感じたほどに。

 それを最後に意識が暗転するのだった――。


         *****


「これからだってのに……」


 引きずり出した小さな身体を苦労して担ぎ上げ、中年は独りごちた。

 肩越しにかすかに感じる心拍で、事が無駄に終わらずに済んだと安堵し、苦闘の末に力尽きた幼い顔へ勝手に話しかける。


「まずは……根性から鍛え直さないとな」


 横倒しとなった列車の中には、もはや人影はない。目にしみる黒煙にむせながら、中年は足を引きずり歩き出す。

 脇腹から流れる血は太ももを伝わり、靴の中に血だまりをつくっている。動くたびに靴の中で濡れ湿った感触が伝わるのだが、それが気にならないほど疲れ切っていた。

 満身創痍の中年にとって、軽いとはいえ少年の身体は明らかな“荷物”だった。それでも愚痴すら零さず少年を助けるのはなぜなのか。

 道徳とはあまりに縁遠い、中年の“職業”や“地位”を知れば、その行為に天地がひっくり返るほどの驚愕を禁じ得ないはずだ。

 中年の足がふと止められ、それも一瞬のことで再び歩み始める。

 足下の上等なコートに一瞥をくれたように見えたが定かではない。まして、何かを覆っているらしいそのコートが“手向け”であるかのように中年が置いていったのかも。

 よく見れば、覆われたもの(・・)がうっすらと人形ひとがたを為してるように見えるが気のせいであったろうか。もし、気のせいではなかったとしたら――。

 彼もまた、今日という日を境に大きな人生の転換を迎えたのだ。


 己の一部を永遠に喪い――


   ――あらたな己の一部を手に入れたのだ。


 その日の列車事故において、一番の被害を受けた7両目で生存が確認された乗客はたった2名のみであった。

 そしてこの一事が、将来において、あまりに奇怪で、あまりに凄絶な戦いに収斂されることになるとは中年を含め誰にも想像し得なかった。

お疲れ様です。仙洞 庵です❗

今更ですが、前置きに特別な思惑はありません。システムに従って素直に書き続けてるだけです。これが意外に悩みまして。何となく予告っぽくしてます。

今回、幕間です。不得手なのが明らかなエピソード物です。漠然としたプロット作成時に、エピソードを書くことに決めたからです。あんまりスカスカなのもどうかと思いまして。ただ下手くそだとかえって……ねぇ(嘆息)。小説って難しいなあ。

ではまた。

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