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都市の翳りに踊るモノたち ~The Black Box ~  作者: 仙洞 庵
第1章 招かれざる客
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狂暴化 ~スタンピード~

彼らにとって死は日常だ。

それでも呆気なさ過ぎた。

だがいつもの如く嘆く暇はない。

それが、よりたくさんの死に花を咲かせようとしているがために。

 ただただ、ディランは立ち尽くす。

 頭の中は真っ白で、凍結フリーズしたパソコンのように身動ぎひとつできない。

 一体、眼前の光景は何なのか。

 いや、別人であれば何度も目にしてきた光景だ。


 この手で与えたこともある――『○』を。


 だが、こんな事があっていいのか。


 それも、よりによって――


        ――よりによって(・・・・・・)


 壮年が既に事切れているのは明らかなのに、どうしてもディランには、その事実を受け入れることができなかった。


 当然だ――あの『マルコ・ロッシュ』を。


 三大マフィアの一角に名を連ねる組織のボスを何の躊躇いもなく手にかけるなど、正気の沙汰とは思えない。しかも、これほど簡単に成し遂げてしまうなど。


 年間警備費に人件費抜きで数百万ドルをつぎ込める経済力。


 末端組織まで含めればLA人口の0.5%――約2万人に達する構成員数。


 州選出議員から州軍幹部、警察幹部、司法幹部に至るまで多岐に根深く繋がる豊富な人脈。


 そして何よりも“力の象徴”である己がいながら(・・・・・・)――。




「――……っ」




 めきり、と知らず握り込んだディランの拳から指鳴りの音が発せられる。途方もない力が込められたそこに、いかなる想いが握り込まれたか知る者はいない。


(――認めんっ)

 

 怒りはあくまで己に向けられ、煮えたぎる自責の念がディランの胸中を爛れさせ、黒く濁らせる。


 何のために力をつけたのか――。


 いや、己は力をつけたはずではなかったのか。

 ダウンタウンの1ブロックを仕切っていた小さな組織だった頃から、ディランはマルコに付き従い、警護の実績を積み上げてきた。

 時には、敵対組織が差し向けた3人の暗殺者ヒットマンを返り討ちにしたこともある。

 “一人前”と認められ、十七歳のときから五年間。 有事の際、身を盾にしてできた弾痕は、肉体に3つ、誇りと共に刻まれている。


 その誇りを嘲笑うかのように。



「認めるものか――っ」



 激昂する姿を、いや、いかなる感情の発露もディランが人前で晒したのはこれが初めてであった。

 突き上げてくる衝動のままに、ディランが前へ向き直った途端、抜群のタイミングで胸に強烈な一撃を喰らって吹き飛んだ。

 例え不意打ちであっても、普段の彼ならば絶体に避けてみせる攻撃――いや、そうではない(・・・・・・)


「――――がっ」


 受け身もとれず、大地に背中を激しく打ちつける。それが給仕の“前蹴り”によるものと理解することもできず、衝撃で肺の中の空気を強制的に吐き出させられ、意識が一瞬真っ白になった。


「ごほっ――っぐ……ぅ」


 鍛え抜かれたディランの肉体に確実なダメージを負わせるだけの攻撃力にこそ、認め、警戒すべし。

 周囲もそれに気づいたらしい――いや、気づかされたというべきか。


 彼もまた、ただの命知らずではなく『隻腕』の前に立つに相応しい実力者(・・・・・・・・・・)である(・・・)と。


 小刻みに身体を振るわせつつ、それでも修羅場をくぐり続けた経験が、無防備に身をさらし続けることをディランに拒否させた。


「ふッ」


 咳きこみつつ、無理矢理気合いを入れて上半身を起こしかけたディランが、ふいに身体を右転させる――間髪入れず、空いた地面に突き刺さる剣先!


「――ほう」


 肉体ごと地面に縫い付けるつもりであったろう給仕の感嘆が洩れる。

 それまでどこに隠していたのか、生首が入っていた箱よりも明らかに長いそれ(・・)は――握りから鍔、刀身の切っ先に至るまで、すべてが暗黒色に塗りつぶされた不気味な刀剣だった。

 まるで深い深淵を覗き込むような感覚に、見る者すべてが訳もなく嫌悪感を表すに違いない。そしてこう思う――その黒刃に触れてはならぬと。

 触れれば“魂を奪られる”――と。

 本能に訴える恐怖に苛まれながら、理由もなく事実と確信するのはなぜなのか。

 無論、ディランもそれが何かを理解して避けたのではない。戦士としての“勘”のようなものが、“危険”を訴え無意識に身体が反応した結果に過ぎなかった。


「――っ!!」


 転がる勢いに任せて危険域を脱したようとしたディランの動きがぴたりと止められる。

 鼻先に、先ほど横倒しになった壮年の顔――ボスの死顔と偶然にも直面してしまい、さすがのディランも顔を強張らせる。


「――腕慣らしにもならんな」


 ディランの硬直は短い時間であったはずだが、給仕の立ち位置とは別の角度から降ってきた声が、新たな登場人物の来訪を告げた。

 それが今し方まで宴席の周りで余興を披露し、わずか十歩で20メートルを一気に踏破してきた『ピエロ』の声であるとディランが認識できるはずもなく、声に続いて革靴が壮年の死顔を無造作に踏みつけるのを眼前で目にする。


「――――っ」


 ディランの頬が激しく震える。

 先ほどとは真逆の冷たい怒りが激痛を抑え込んだ事にさえ気づかない。

 『ピエロ』が壮年の側頭を足で固定したまま、突き立つ銀ナイフをゆっくりと引き抜いた。

 さほど力を入れたように見えないのに、半ばまで埋もれたナイフが呆気なく頭蓋から引き抜かれたが、当人は至って自然体だ。


「“超大国アメリカ”という名に構えすぎたかもしれんな。まさかこうも簡単に攻撃が通る(・・)とは」


 何気なく洩れた感慨は、護り手の不甲斐なさを嘲笑してるともとれるものであったが、当のディランは壮年の死顔を見つめたまま微動だにしない。


「奪われてからの“後悔”など愚の極み」


 重ねられる『ピエロ』の痛烈な侮蔑にも無反応なまま。それへ、


「言ってやるな。この通り、弱き者(・・・)を“護衛たて”として使う連中だ。何かを期待する方が間違っている」


 給仕がさらに追い打ちをかけてくる。悪意がないだけにたち(・・)が悪い。しかし、それだけの力は確かに示しており、彼らが何者なのか気にかかるところでもある。ただ、その目的については始めから明快に示されていたが。


「お前ら程度の命で“オトシマエ”はつけられん。いいか、俺たちが望むのは“契約”の履行だ。それが確認されるまで、お前達を順番に狩っていく……“権力”が無意味であることは、今見たとおりだ」


 地面に突き立つ黒塗りの刀を前にして、給仕が淡々と恐るべき宣言をする。


「無論、お前達の“暴力ちから”も意味を成さない。俺たちは“お前達のことわりと異なるところに生きている”からな」


 LA屈指のマフィアを相手に堂々と脅しをかけてくるなど、愚かを通り越して精神疾患以外の何ものでもないが、今この場にそれを何かの冗談かと笑う者はいない。

 戦士としての頂点とも言うべきディランが地に倒れているこの状況では。


「次は、お前に問おう」


 優位を笠に着ることもなく、給仕が無表情のまま地べたに這いつくばるディランに語りかける。


「“荷”を渡すか、死ぬか好きな方を選べ」


 横たわるディランに向けられる目には何の感慨も湧いていない。怒りも――


 憎しみも。


 逆に愉悦も。


 勿論、享楽も。


 例えディランが死を選び目的が叶わなくとも、宣言通り淡々と命を奪い、次の犠牲者を捜すのだろう。


「どうした? “重大な選択”は常に唐突に訪れ、一瞬で過ぎ去るもの―――考えるな。決断しろ」


 沈黙を保つディランに給仕が刃のごとき言葉を突きつけてくる。すぐ近くには、これ見よがしにナイフを弄ぶ『ピエロ』の姿が。


 たかが二人(・・・・・)ではない。


 厳重な警備をかい潜り、糸も容易く大組織のボスを葬り去った二人だ。

 作戦立案及び行動力に戦闘力――どれをとっても一流で、むしろ、この二人を相手に抗う方が間違っているのではないか? 

 それ故に、覚束ない動きで立ち上がらんとするディランをみて、給仕の顔に初めて薄らとだが、確かな感情が浮かび上がった。

 “驚き”という名の感情が。


「“抗う”か――。嫌いじゃないが、そんな選択肢を与えた覚えはない」


 給仕の言葉に、ナイフのジャグリングで暇を弄んでいた『ピエロ』の動きがぴたりと止まる。その指先にはナイフの切っ先が。

 『ピエロ』の剣呑な視線に気づかぬディランは、立ち上がりはしたものの、いまだ蹴られた鳩尾を手でさすりつつ、うつむき加減で、見る者に弱々しい印象を与える。それでも相手に軽視させない“何か”がその身体から薄く立ちのぼっていた。


「…………みせて、やる」

「?」


 囁くようなディランの声を辛うじて拾った給仕が小首を傾げる。


「マルコは……弱者を、使い捨てる……小物じゃない」

「ほう?」


 愉しげに笑んだのは『ピエロ』だ。どうやら、片腕の男が、先ほど自身が口にした落胆のある部分(・・・・)に憤っているのだと気がついて。

 怒りが人の戦闘力を上げるのは古今東西に共通する事実だろう。先ほどの口ぶりからして、『ピエロ』は手応え(・・・)を欲している節があり、だからこそ、決したはずの勝負に再び挑む男の姿に思わず唇が綻んだのだ。

 

「もう一度、土を舐めぬと分からぬか? いくら言葉を並べても、弱ければすべて戯言たわごとよ」

「だから……みせてやる(・・・・・)と言っているっ」


 己だけならともかく。

 奴らはマルコを侮辱した。その亡骸なきがらを踏みにじり――その尊厳までも愚弄した。

 それを地べたに伏しまま、ディランが見過ごせるはずもなかった。しかも、自分が弱く見られることで、マルコが貶められるなど。

 あってはならない――断じて。

 

 故に、みせなければならない――。


 示さなければならない――。


 己が、己を通して――マルコの尊厳を。

 ディランは果たすべき任務がまだ終わっていないことを今になって理解した。護るべきものが、決して『生命』ばかりではないということも、また。だからこそ、はっきりと自覚する。

 自分が何者かを。


「俺は――『護衛者』だ」


 双眸に宿るのは激情の炎ではなく、底冷えするような静謐――それ故に、見る者は訳もなく寒気を感じるはずだ。

 給仕はどう評したか。


「まるで“忠犬”だな。なら、送ってやろう(・・・・・・)


 主人の下へ――その意を汲んだか、『ピエロ』の指先から忽然とナイフが消える。それに気づいたのは給仕の他にもう一人。


 ――ひゆっ


 磨き上げた感覚でディランが感知し得たのは、ナイフが宙を切り裂く鋭い音と、ピアノ線がごとき薄い白光の線。

 首を振ってかわしながらも、決して給仕の動向から目を放さない。だからこそ、再び、給仕から放たれた強烈な“前蹴り”を横から左手を添えて強引に力を逸らさせることに成功する。

 

「――ぐぅ」


 無論、威力を半減させたにすぎず、ノーダメージとはいかない。内臓半分を持って行かれるような衝撃にディランは歯を食い縛って耐え忍ぶ。

 続く左の鉤拳フックを“捨てパンチ”と見抜いて、後からくる(・・・・・)給仕渾身の“右の本命(ストレート)”に左のショートフックを被せる――十字交差クロス・カウンターの応撃だ。

 湧き上がる衝動のありったけを、その一撃に込めて給仕の右頬にぶち当てる。まさか、それが躱されるなんて。


「貴様――」


 だが驚きに呻いたのは、ディランや給仕でさえなく、いつの間にかディランの右側面に回り込んでいた『ピエロ』であった。

 先の瞬間、ディランの意識が完全に給仕との打ち合いに集中しきったところを、『ピエロ』必殺の投げナイフがその側頭部に向かって放たれていたのだ。

 故にディランの運命は、給仕の宣告通りにボスと同じ末路を辿るはずであった。


「貴様……」


 知らず二度も洩らした呻きは、これまでに幾度も難敵を葬ってきた必殺の戦術“意識外の攻撃”を躱された衝撃によるものだ。

 ディランは知らない。

 『ピエロ』の有する“長き戦いの歴史”において、この単純だからこそ効果的な戦術から生き延びた者が僅か数名しかいないことを。

 そのいずれもが、彼の国において、後世に名を残すほどの兵法者であったことなど。その達人達の領域に“戦闘”という分野において、己が肉薄していることなど――。

 すでに三人の戦いは、通常とはかけ離れた領域あるいは“世界”で行われている。特に常人と決定的に違うのは、その戦闘速度にあった。

 人間の反射神経の限界ともいわれる“0.2秒の世界”で、彼らは閃くような速さの一撃を互いにやりとりしているのだ。

 当然、考えてからの反応では遅すぎる。すべてを映像で捉え、反射行為で(・・・・・)対応せねばならない。それは秒間に5回も放たれる人間の限界を超えた、凄絶ともいえる戦闘シーンの連続だ。

 いかなる修練をすればそんな領域で戦えるのか。

 自身の中にうずたかく積み上げられた戦闘経験から、1シーンごとに“どんな対応が最適解か”を選択する。いや、選択し続けられるか(・・・・・・・・・)が鍵となる。――それを支える常人離れした集中力も然り。

 実際に戦っている戦闘員の視点で捉えれば、それは極度の“精神的な消耗戦”であり、いかな超人と言えど数十秒とて保てまい。しかし、ディランを支えるのは無限かと錯覚させるほどの圧倒的なエネルギーであった。

 内奥から、沸々と湧き上がってくる堪えようもない怒りあるいは自責の念が、不可視の熱量となってディランの闘争エネルギーに充填され続けていた。

 今ならば、以前の“大抗争時代”に打ち立てた1度の戦闘で17名殺傷という戦闘歴スコアを更新できそうなほどの力がありそうだ。

 例えどれほどの技倆があろうとも、継戦能力なくしては戦闘力として成立はしないのだ。

 だが、すべては一対一である場合の想定だ。あるいは多対一でも個体能力に差がある場合に限られよう。

 現状、個体差がない二人を相手にディランが圧倒的に不利なのは何も変わらなかった。むしろ、超人的な戦闘力を持つ怪人達を相手にここまで生きているのが不思議なくらいだ。


「シッ」

「つぉ――!」


 給仕が放つ高速ハイ・スピードなジャブを左手の受け(パリー)で捌き、右の鉤拳フックをステップして大きく躱しながら、『ピエロ』が背後に回り込もうとするのを巧みに阻止する。

 いつもの(・・・・)ディランではここまで戦いきれないのは事実だ。肉体を突き動かす“痛み”などの負の感情が、思わぬ力を与えてくれるというしかない。

 始まってからどれくらい時間が経ったのか。

 彼らの体感時間がいかに長くとも、実際の戦闘時間はひどく短い。

 戦闘の一番の要である“位置どり”をディランが辛うじて守れていたのは、実に1分間にも満たなかった。

 やがて『ピエロ』の気配が、右手のない己の右背後に回り込んだ時、ディランは暴れんとする激情を腹腔に感じる一方、頭では冷徹に勝敗が決するのを感じ取っていた。

 知らず犬歯を剥き出しにして歯噛みする。



 眼前に給仕カタキがいながら――。



 やれても最後の攻撃だ。

 無力な己に憤りつつ、周囲に広げていた己が感覚を一点に集中させる。

 眼前の給仕へ。


「シィ――ッ」

「!!」

 

 給仕の左拳が入るのに構わず、ディランは猛然と一歩踏み込み、左拳を力任せに振り回した。


 どこでもいい、当たるなら。


 当たれば必ず奴の体躯を抉り取ってやる――


 その時初めて、ディランの体内にあった冷気のごときエネルギーが炎熱ともいうべき色を持つ。それが奔流となって己の体内を駆け巡る。


 腹腔から心臓へ。


 心臓から左腕へ、そして左拳に。


 だが、無情にもディランの激情パンチは給仕の顔を逸れていった。

 一瞬早く胸部にぶち当てられた給仕の左拳だけなら止まらない。ほぼ同時に背後から丸太を振り回したような蹴りの一撃が、脇腹を捉えてディランのバランスを崩させたのだ。


「“回し蹴り”というのだったか」


 まるで初めて技を使ったような『ピエロ』の口調が背後から聞こえてくる。十分に体重が載った見事な蹴りの威力に、ディランの脇腹がミシリと嫌な軋みを上げた事実を踏まえれば、もはや嫌みにしか聞こえない。

 ディランの身体が静かに沈む。


「……っく」


 激痛が、体内を駆け巡っていた熱量は夢だったのだと思い出させたように、ディランから動く力を奪い去っていた。


「くそっ」


 ガラになく毒づくが、一度切れた集中力はそう簡単には戻らない。思いだけが空回りする。“あと一歩のところで”という思いが、自身の負けを認めてしまっていることにも気づかない。


「手こずらせたな」


 高みから給仕が呟くも、言うほどの憤りはみえず、相変わらずその表情からは感情の機微を見出せない。


「むしろ、儂は満足だが……な」


 意外にも『ピエロ』が異見を述べる。何となく給仕がリーダーのように見えたが、少なくともこの二人に絶体の主従関係があるわけではないらしい。


「――――っ」


 眼光は死んでおらず、だが、震えるだけで肉体を動かせぬディランの様子を数歩下がって窺うこと十秒ほど。抗う力はないと見極めたようだ。

 この時、再び近寄らんとする二人の怪人を止める者があった。


動くなっ(フリーズ)


 唐突に怒声のような大声が放たれた。一方向からだけでない無数の声のひとつに聞き覚えがあった。

 ディランが知る警護班の一人だ。一、二分程度とはいえ登場が遅れたのは、逃げ惑う招待客たちが障害となって近づけなかったせいだろう。

 手練れとみれる給仕たちも、これだけの数の銃が相手ではさすがに抵抗もできまい。武装放棄を呼びかける声が近づくのをディランが安堵とも慚愧ともとれぬ複雑な思いで耳にしていると、


「遅い」


 警護者の動向に気づき、言下に切り捨てた給仕が服の胸元を鷲掴み、一気に引き裂きスーツ姿に早変わった。続けて、


「これを見るがいい!!」


 近づく警護者の注意を引くように、給仕が首から紐で吊り下げた三枚の札のうち一枚を破り取り、演技がかった大振りな動作で宙へ放った。


 それはまるで宙に舞う水鳥の羽毛のごとく。


 ひらと舞う札が瞬時に端から燃え上がり、青白くスパークする。

 決して目に刺すような光ではない、脳裏に印象づけるような鮮やかな閃光に、目を逸らすどころか思わず見入ってしまう一同。


「感じるか――?」


 闇に通る給仕の声。


「感じるか? 己に点った灯火を。眠りから覚めた欲望の炎を」


 身に染み渡る声が、それに気づかせてくれる。

 胸に沸き上がったモノ(・・)に。

 それは妖しい炎。

 羞恥さえ覚えるような魅惑の炎。


「逸らすな――お前自身から。手に取れ――お前自身を」


 まるで謳うように、誘うように給仕の声が夜の中庭に殷々と響き渡る。それは鼓膜を振るわすのみならず、胸奥を揺さぶる不思議な音律に満ち、気づけば、一差しの絵のように中庭で身動ぎする影がひとつもなくなっていた。

 力なく項垂うなだれていたディランを除いて。

 中庭に潜む小さな虫さえ給仕による謳の聴衆者になったかと思われたとき、それまで穏やかだった給仕の声が一転して激しくなる。


「抗がうな……委ねろ……奥底だ。――己の深く底にあるモノを、思うがままに解き放てぇ!!!!」


 空気を振るわす給仕の一声を合図に阿鼻叫喚が周囲に巻き起こった。


 それは異様な光景だった。


 空転しながら吹き飛んだ人影が客の集団を弾きとばし、そのデタラメな暴力を成し遂げた者の腕が負荷に耐えられなかったのか、あり得ぬ方向に折れ曲がっている。

 ある者は胸に拳を叩きつけただけで嫌な音と共に胸骨を折り、殴った拳を手首から曲げてしまった。 またある者は膝を曲げぬ跳躍で成人男性の頭を飛び越え、背後にいた男性の首を蹴り折った。

 抑え込もうとした警護の者も短機関銃サブ・マシンガンの銃身を老婦人の手刀で叩き壊されながら吹き飛んでいる。

 もはやただの暴動ではない。人外の膂力りょりょくを振るう怪物たちの狂乱だ。すぐに警護員たちによる発砲音が響き始める。

 突如として凶暴化した客によってあちこちで惨事が巻き起こっていた。


「もう一度問う。“荷”を渡すか、死ぬか好きな方を選べ」


 『ピエロ』だけでなく、いつの間にか仮面の彫刻師を新たに仲間として加え、完全に場を支配した者の悠然たる態度で、給仕は詰め寄り、壮年にした質問を改めてディランに繰り返してくる。


「ボスと同じ愚を犯すな」


 それは、もはや最後通牒。ディランを壮年の下へ送るのは、『ピエロ』のナイフか給仕による斬撃の一閃か。


「――……」


 ふと、小刻みに震えていたディランの肉体から何かが抜け落ちたように見えた。光を失い、茫洋とした瞳を見るまでもなく、必死に呼び起こそうとした力を――思いを手放したのだ。

 もはや、己の肉体が応えられぬと知って。

 本来ならば達し得ぬ領域に入り、限界を越え続けた代償を支払うのは、むしろ当然のことだろう。


「……」


 無言のまま、ディランの首がゆるりと動く。その視線の先にはマルコの遺体が。


(すまない――)


 あるのは純粋な陳謝のみ。

 果たせなかった己の使命を、だが、マルコは決して責めはすまい。それが分かるからこそ、申し訳なさと、悔しさとが強く胸を締め上げる。それでもこの身から絞り出せるものは何もなく、ともすれば、意識さえ手放しそうになっている。


(すまない――)


 その代償が命ですむことをむしろ願う。

 これまで戦いに明け暮れ、多くの命を奪ってきた者として、ディランは己の最後を素直に自覚し受け入れていた。

 その様子を哀れと捉えたか。

 給仕が『ピエロ』と視線を合わせ、僅かに頷く。


 ――――ィン!!


 ふいに、給仕の前を塞いだ『彫刻師』の体で美しい火花が散った。それが某かの金属と銃弾の衝突によって生じた結果だと、気づいた者は当人と現れし第三者のみ。


「ディン」


 背後からディランを呼ぶ声。

 続いて散発的に銃声が重ねられて、『彫刻師』の上半身が小刻みに震えると共に、幾つもの火花が舞い散る。

 点々と破れた服の下から鈍い金属光が覗くのを、“鎖”と気づいた者がいたかどうか。

 少なくとも、銃弾を何発も浴びながら平然と立つ『彫刻師』に“警戒レベル”を最高度に上げたのは間違いないはずだ。

 だが、先に即断実行したのは彼らの方だった。

 新手からの追撃が放たれる前に、給仕を庇いつつ、すぐさま跳び下がるように撤退に移る。

 あまりに思い切りのいい判断に、誰もが呆気にとられるだろう僅かな間――彼らにはそれで十分だった――瞬く間に10メートルほど下がり、狂騒の人混みに紛れる頃には、銃器を手にした数名の人影がディランを守るように前面へ展開していた。


「撃つな!! 客に当てると面倒だ」


 射撃抑止の命令を出しつつ女が傍に寄ってくる。

 眼光鋭く化粧っ気がなくともその美しさが損なわれることはない――屈強な男達を従えるリディア・フェローズは、その纏う空気とは似つかぬ気遣いをディランに示した。

 「怪我は?」とディランが立ち上がるのを手助けしつつ、胸や背中など負傷の有無について彼女自ら素早くチェックする。

 奇しくもモデル顔負けの美女に身体を寄せられる形となって何も感じぬ男はいないはずだが、ディランは別だったか軽口さえも叩かない。

 ディランの沈黙を“問題なし”と捉えたか、リディアは習慣化された行為のように一歩背後の位置につき、「指示を」と当然のように言葉を待つ。


「…………」


 救われた礼など浮かぶはずがない。当然、次の作戦行動など言わずもがな。既に死を受け入れていたディランからすれば、なぜ助けたのかと僅かな憤りさえ抱くほどだ。

 それでも罵声などを浴びせなかったのは、背後に控える馴染みの感覚(・・・・・・)を胸内のどこかで懐かしんでさえいたからか。


 あれから2年が過ぎている。


 あまりに急な展開に、ディランの思考はまだ混乱し、上手く状況整理ができずにいた。ただ、突然現れた救世主が何者であるかならば、何よりも明白であったのだが。

 廃掃班ザ・クリーナー――彼女らは、戦闘行為に特化したマルコ自慢の実行部隊アタック・チームであった。

お疲れ様です。仙洞 庵です❗

【廃掃班】などのネーミングセンスについては何も言わないでください。これでも凄く自覚してるので。ただこの手のネタは好きなのでネーミングはやめません、と宣言しておきます。

ではまた。

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