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都市の翳りに踊るモノたち ~The Black Box ~  作者: 仙洞 庵
第4章 要塞の悪夢
29/34

幕間(四)~桐生(後編)~

 少年が目覚めると、見慣れた板戸が目に入った。

 等間隔に区切られた板にはきれいな節目が文様を描き、何とはなしに、しばらく眺める。それが天井の板戸であると思い出すのにさほど時間を要することはなかった。


「親父――?」


 意識がはっきりしてきてようやく、すぐそばに誰かがいることに気づく。月光でほんのりと明るんだ障子戸を背負う人影が、自分の父であると知って少年は少なからず驚いた。


「具合はどうだ?」

「――っ」


 容態を聞かれ、やはり看ていてくれたのだと確証を得ても少年は複雑な思いを隠すことはできなかった。なぜその気遣いをもっと――と。


「医者が鎮静剤を処方してくれた。必要なら呑め」

「ここは――いや、ハヤネは――」


 思い出し、口にした途端、少年の声が途切れる。父親の双眸を目にして。事情を聞かなくても結果だけを目にすれば、何が起きたかは明らかだ。だからこそ言うのだろう。


「二度と会うな」


 異論を許さぬ言葉に少年の身体がびくりと震えた。拒絶する少女の顔が脳裏に浮かぶ。そして組み伏せられ土を舐めさせられた己の無様さを思い出し恥じらう。確かに、自分は――


「あの娘は知人の女医に看てもらうことにした。落ち着けば、女医せんせいが自宅へ送ってくれることになっている」

「……」

「状況は節子さんにも話してある。お前は悪くない。だが――」


 途切れたその先を聞くまでもない。いかなる事由があろうとも、桐生家の抗争に彼女を巻き込んだという事実に変わりはない。いかなる弁明も彼女の救いにはならないと踏まえての父親の言葉に、異議など唱えるはずもなかった。


「危険なのは分かってた。けど、俺は自分で何とかできると思ってた……俺は(・・)大丈夫だと……俺はちゃんとハヤネの……ハヤネのことを――」


 言葉を詰まらせる少年に「どんな力を持っていても、決して万能じゃない。それに勘違いするな」厳然たる父親の言葉が少年の背を叩く。


「果たせぬお前や、まして不注意だった彼女が悪いんじゃない。“我欲を無法で押し通す”奴らが絶対的に悪い」

「――」


 言葉だけで傷ついた少年を癒やせるとは父親も思ってはいまい。それでも自戒というよりは自虐の念に塞ぎ込んでいく息子を目にして、口にせずにはいられないのだろう。

 憮然と表情を変えぬ佇まいとは裏腹に、眼光だけが力強さを増していく。そして聞かずにはおれないのだ。


「ヤツだな――?」


 さすがの父親も名を呼ぶことをはばかったのだろう。その気遣いを拒否するように、少年は口にする。


「黒鷺だ」

「――――」


 息子の声に、その瞳の奥に何を感じ、見て取ったのか、父親が重苦しい沈黙を産み出す。無論、会話が途切れた理由には、その名を口にした途端、腰奥に鈍い痛みが疼きはじめて少年の気が反れたこともあった。


「一馬、ヤツの――」

親父(・・)、あれからどれだけ経った?」


 何かを期した父親の言葉を少年は絶妙のタイミングで遮った。わざとか、本当に偶然なのか。

 その話題に触れたくない心理の表出と読み取ったか、やがて父親が何かを諦めたように嘆息をひとつ洩らした。


「ほぼ1日。ずっと眠り込んでいた」

「そう」

「学校には、体調不良でしばらく休むことになると言ってある」

「そう」

「これまでも心身を酷使していたんだ。この家でなくてもいいから、落ち着ける場所でしっかり休むといい。希望があれば言え。手配しておく」


 少年が口を開きかけ、思い直したようにつぐむ。結局口にした希望はごく自然な欲求だった。


「1日か……どうりで、腹が減ってるわけだ」

「……何か作らせよう」


 他愛のない言葉のやりとりの中で、父親は明らかに何かを察していたが、決してそれを口にすることはなかった。

 立ち上がり、廊下へ出たところで、障子戸を閉める前に珍しく躊躇いがちに声を掛けてくる。


「一馬。身体を――厭うんだぞ」

「ああ」


 まるで今生の別れのごとく、一語一語を丁寧に紡いで。父親の大げさな言動に少年は訝しむことなく、短くも素直に返事をする。

 気配が廊下の奥に消えたところで、少年はゆるやかに身体を起こした。


「――すまない、親父」


 互いに知った上での挨拶。さすがの少年も謝意を口にしないわけにもいかず、廊下の奥へしばし視線を向けてから、寝床から這い出した。

 手早く身支度を調え、“神棚の間”に向かう。

 すべての元凶の元へ。


(あんなモノがあるから――)


 ズキズキとした腰奥の痛みが、厭が応にもドス黒いものを腹腔から湧き上がらせる。不快なぬるみ(・・・)は滲んだ血か塗り薬のせいかは分からない。

 一歩ごとに痛みで力み、ウグイス張りの廊下を派手に軋ませてしまうのは実に二年ぶりのことだ。だが、この屈辱も痛みも己に科されるべき“咎の象徴”と思えば、呑み込める。

 あいつを護れぬ無様な自分にこそ最も相応しいものだと。そして、すべては――


これがあるから(・・・・・・・)、俺たちは――」


 障子戸を開け放ち、月光を背に立つ少年は、長い台座の上にこれまで目にしたことのなかったそれ(・・)が、当然のように鎮座しているのを見た。古くから武器の代名詞的存在であり、侍達の象徴でもあった1メートル足らずしかない剥き身の刀身を。

 柄、鍔、そして刀身の根元から切っ先に至るまで、すべてが漆で覆ったように黒塗り造りの『黒刀』が確かに存在していた。

 だが、あれほど焦がれていた至宝を目にしても、今や少年の表情には何の感慨も浮かんでいない。いや、むしろ憎しみさえ宿らせて睨めつける。


「俺には『刀』か――想像通り(・・・・)だな」


 無造作につかみ取り、怒りに身を委ねて力任せに握りしめる。だが不思議なことに、どれほど強く握っても“握り加減”は一定のまま、その分、“刀に宿る力”が膨れ上がったような印象を覚えた。これを少年の好きなゲームに置き換えるならば、斬撃力の数値が1.3倍、1.5倍と倍増していくと表現すれば分かり易いだろうか。


「“ない”と思えば“ない”。“ある”と思うから“ある”――何なんだろうな、『至宝』というのは。誰が拵え、なぜ、このようなものを?」


 憤りを込めた少年の言葉に応える者はいない。

 「まあいい」疑念を頭の片隅に押しやり気持ちを切り替える。

 考えてどうにもなるものではない。

 いつもそう。

 常に手遅れになってから知ることばかりだ。


「とにかく手に入れた。これで――」


 少年の顔に昏い表情が浮かび上がる。冷静にさえなれば、純粋な“腕っ節”で負けるとは思っていない。だが術の掛け合いになれば、向こうに一日の長があるのは間違いなかった。その差をこの『黒刀』が埋めてくれるはずだ。


「いつでも来いと言ったのはお前だぞ――」


 手にする刀身の黒味が濁りを帯びたのを少年が気づくことはなかった。


          ****


 “逢魔が刻”――。

 世界の裏側を覗く者達にとって、午前三時には特別な意味がある。

 “こちら”と“あちら”が最も近づく時刻であり、境界は溶けて曖昧模糊となり、歪みが綻びと同義となって、時に“あちら”にいる影の住人達が腕を脚を地に降ろす。

 1960年にマサチューセッツの片田舎で見つかった“奇怪な足跡”はその名残であり、中国地方の閉ざされた山村で“宙に舞う両腕”が頻繁に目撃される事例こそ、彼らが(・・・)訪問した証に他ならない。なれば、古くから日本各地で言い伝えられる“神隠し”は“あちら”に迷い込んでしまった者達の物語ではなかったのか――。


 街中の五階建て雑居ビルの前に立ち、少年は3階の窓を昏い双眸で眺めていた。


「墓地跡に建てたビルが根城か。あのクソ野郎が眠るにはちょうどいい墓標だな」


 こんな時間でも通りに人は散見されるが、千鳥足の連中では記憶も残るまい。どのみち少年は気にせずビルへと踏み込んでいくのだが。

 3階は貸し切り状態だ。好き好んでヤクザ者たちと“ご近所”になる者はいないらしい。『壬申会』のどでかい看板が立て掛けてあるので、見落とすことはなかった。

 ドアの前で一度は片足を持ち上げたものの、少年は思い直して刀を振るった。派手にやり過ぎて、目的を果たす前に他者の邪魔が入るのだけは避けたいからだ。


念えば為る(・・・・・)か」


 きれいな切断面を残して床にわだかまるドアと刀身を交互に見やる。何となく使い方が分かってきたような気がする。

 だがこれはあまりにも――

 若い衆が事務所で不寝番することはないらしく、しばらく待っていたが、内側から飛び出してくる者も詰問を投げかけてくる者もいなかった。

 消灯され静まり返った事務所を見渡し、戸口にあるスイッチを無視して歩き回る。外からのネオンや雑多な光で、少年には十分な視界が確保できるからだ。


「お前――」


 偶然、トイレに行っていた者がいたらしい。左手奥から現れた顔に少年は見覚えがあった。


「お前、アン時の――」


 相手も思い出したらしい。寝ぼけた目に光が宿ったとき――そこに明らかな“獣欲”の翳りが滲むのを察して――少年はソファを蹴り上がって一気に跳びかかっていた。

 黒く濁った怒気を叩きつけるように。

 大上段に掲げた刀身を少年は飛び込み様に振り下ろす。


「――――」


 苦鳴もなく若い衆が絶命した。

 どちゃりと音を立てて床に倒れた肉体は、刀身の厚みの分だけ抉られたような断たれ方をしている。“抉り斬る”など想像を絶する攻撃結果に余韻も残さず少年は踵を返す。


 必ずヤツはいる。


 こぼれた内臓のせいで、血臭が事務所内に立ちこめ始めるのに顔をしかめる。臭いを気にしているのではなく、ヤツに気づかれて面倒になるのを単純に嫌がっただけだ。

 ヤツとの戦いに、秘術を尽くして――などと考えてはいない。一方的になぶり殺せるなら、そうしたい。

 ヤツを消し去れれば、何でもよかった。


「――ちゃんと持ってきたようだな」


 奥の部屋に入ると、はじめに甘くえたような臭いが少年の鼻を突いた。続いて聞き覚えのある声が耳朶をねぶり(・・・)、少年は無意識に眉間に深い皺を寄せた。

 閉じたブラインドの隙間から差し込む毒々しい光にヤツの裸身がさらされている。病的とさえいえる青白い肌のくせに欲望は旺盛らしい。

 ソファに崩れるようにして裸身をさらしている女の顔は少年と同年代のように見えた。


「お前もオトコだな」


 少年が少女の裸身に魅入っていると捉えたのか、黒鷺が卑しい笑みを口元に浮かべる。


「昨夜があまりに美味しくて、昂ぶりすぎてな――収まらんから、また、連中に見繕ってもらった」

「ゲスがっ」


 こみ上げた胃液を吐き出すように少年が言葉を吐き捨てる。


「おうおう、凄いな。込められた呪力で刀身が歪んでいるぞ。――間違いなく桐生の至宝だな」

「こんなものが欲しいのか?」

「当然だろう。もっと力をつければ、もっと好きなことがやれる。自由に。無制限に」


 厭らしい笑みを張り付かせて、黒鷺が両腕を広げる。特別な野望を持つのでもなく、純粋に、我欲に浸りたいだけと男は言い切った。こんな魔鳥を自由に羽ばたかせれば、世にどれほど醜悪な毒をまき散らすことになるのか――。

 想像しただけで少年の顔が嘔吐を堪えるように歪む。


「そんな下らないことのために――?」

「そんなものだろう。むしろ、“夢”など“やりたいこと”など何もないと言ってる連中の多さに俺は驚くよ」

「話を逸らすな。俺が言ってるのは、他者を踏みにじる理由にはならないってコトだ」

「いいじゃないか、別に」

「何?」


 黒鷺が傍らで放心している少女の胸を鷲づかみにする。ゆっくりとこねり(・・・)ながら、見せつけるように舌舐めづりをする。


「お前にも、誰にも“理由”を認めてもらう必要などない。俺はただ……食いたい時に食うだけだ。嫌なら抗えばいい。こいつは、気持ちよさそうにしていたぞ」

「――ゃ」


 白い肌を撫でさする男の手に、少女の肉体がぴくりと震え、確かにか細い声を少年は耳にした。


 フラッシュバックするあの光景(・・・・)

 縺れる影と白い脚――歪んだ少女の顔。


「黒鷺――っ」


 少年の肉体から爆発したものは、昨夜の殺意をさらに濃縮したまさに鬼気と呼ぶべきもの。それが確かな物理的密度を伴って全身に叩きつけられ、黒鷺の嗤いが凍り付き、産毛が逆立つのがはっきりと見えた。同時に巻き添えを食った少女が泡を吹いて気絶する。

 薄らと漂ってきた臭いは失禁のせいか。

 少年が静かに歩み寄り、刀身を上段に振り翳すのを黒鷺が身動ぎもせずに見守る。いや、瞳だけが刀の動きを追い、上へと向けられていた。

 小刻みに震えるのは眼筋だけでなく全身を振り絞って、何かに抗っているせいだ。


「……ぅ……ぁ」


 脂汗さえ浮き上がらせ、小さな呻きを上げる黒鷺を少年のひどく沈んだ視線が捉える。現実から乖離した刃物持つ異常者が眼前に立ち塞がれば、ちょうどこんな思いをするのかもしれない。

 黒鷺の肉体の震えがさらに大きくなった。


「死ね」

「ぉ……ぉ……ぁあ!!!」


 少年が刀身を振り下ろすのと、黒鷺の身も世もない絶叫が迸るのとどちらが速かったか。

 血風が舞い、どさりと身震いする音が響いたとき、黒鷺の身体は少年の脇をすり抜け、部屋の外へ逃げ出していた。

 ヤツの片腕が床に転がっているのをみて、少年は悔しさに口元を歪める。ソファで気を失っている少女を見て躊躇ったのは一瞬。すぐに何事もなく踵を返して業敵の後を追う。


「黒鷺っ」


 喚いて必死に人影を捜す。重傷とは思えぬ素早さで影が事務所を出て行くのを辛うじて目にした。「くそっ」と吐き捨て本気で駆け出す。こんなところで逃がすわけにいかない。絶体に。


「『煌』!!」


 戸口に手を突いたところで、枠の部分に札が貼られているのに気づき――(トラップ?!)――同時に光が爆散した。

 不可視の衝撃に弾かれ、ドア枠に背を強く打ち付ける。よろめいたところを隠れていた黒鷺が、凄まじい形相で迫ってきていた。


「このクソガキがっ」


 手指に挟んだ札を突き出してくるのを少年は左腕でカチ上げて躱し、逆に右の拳を脇腹にぶち込んでやる。いや、それを膝を上げてガードされた――重傷者とは思えぬ対応力と反応速度に思わず唸らされる。

 だが間近で見たからこそ、黒鷺の演技ではない蒼白となった顔色を確認し、致命的な傷を負わせたと確信する。それを踏まえれば、押し合う力にも力強さは感じられない。たたみ掛けるチャンスだ。


「ぅお!!」


 前蹴りの要領で少年は黒鷺を軽く突き放し、適度な間合いをつくったところで黒刀を振るった。


「馬鹿が」


 脂汗を水滴のように浮かべた黒鷺が、精一杯の笑みをつくる。黒き刀身を迎え撃つのは、手指に挟んだ――少年の知識にはない――“白銀の呪符”だ。


「直射の陽光を正統とするなら、反射で光る月光は闇を従える『影の陽光』」


 黒鷺が誇るのは『無陰』の力さえ従えるという意味か。事実、“白銀の呪符”と激突した刀身は、これまで見せた“超常の斬撃”を顕現させず、突如、鈍くらと化したように悠然と受け止められていた。


「何を――」

「残念だな……我らの“世界”も決して無法じゃないのさ。我らには……“我らの法則”がある」


 それは至宝であっても例外でなく、万能感に浸っていた少年の甘さを痛罵する。さらに出血で青ざめさせながらも、黒鷺は嗜虐的な笑みを浮かべる。


「いい表情かおだ……」

「ふざけろっ」


 少年が無造作に突き飛ばすと黒鷺は何の抵抗もなく離れた。これほど弱っているのに、要所要所でうまく的を外される。これが戦闘経験の差というものか。


「……どうした。まさかネタ切れか?」

「黙れっ」


 力任せに袈裟斬りで切りつけるのを黒鷺は“白銀の呪符”で斜めに受けて、器用に刀身を反らす。


「うおおおおっ」


 一撃、二撃。ぶん回すような斬撃を凄まじい集中力で見極めて、黒鷺は掌より小さな面積の札で回避し続ける。

 だがいつまでも保つはずもない。


「くうっ」


 合わせきれずに黒鷺の腕が深く斬られる。その隙を逃さず少年が刀身を横にし、切っ先を前にしながら肘をたたむ。

 『宗家の子』として修める武芸十八般――少年が最も得意とする剣術は“突きの北辰一刀流”。


「ちぇええええい!!」

「――ごおっ」


 少年が裂帛の気合いを放って鋭い突きを繰り出すのを黒鷺が狙い澄ましたように顔を背けて懐に潜り込んできた。


見え見え(・・・・)だ」


 囁く黒鷺が少年の脇腹に札を押し当てた。そのまま必殺の呪符に勝利の火を点すべく、呪言を口にしかけて目を見開く。


 なぜそこに(・・・・・)――?!


 限界まで見開かれた黒鷺の双眸が訴える。

 突きを繰り出した右手はそのまま、逆手で胸前に畳んでいた少年の左手に、あるはずのない(・・・・・・・)黒刀が握られているのを目にして。


 しかも、その切っ先が狙い澄ましたように己に向けられているのを黒鷺は驚愕と共に目に焼き付けた。

「“ある”と思えばそこに“ある”――そういう刀なんだ」


 少年の言葉を黒鷺が理解することはできなかった。死ぬという実感と、もう好きにできないという絶望感に脳裏を塗り潰されていたがために。


「地獄で待ってろ」


 少年が刀を突き出すのと呪符が光を放つのとどちらが速かったか。


「小……ぞ……」


 胸部の大部分を大穴を開けて損失した黒鷺が床に崩れ落ちるのを睥睨した上で、少年も必死に込めていた膝の力を手放した。

 糸が切れた操り人形のように床に倒れ込む。

 脇腹から流れ出す血を気に留める余裕はない。すぐにヤツの後を追いかけて、あっち(・・・)でも殺してやるつもりだった。


「ずっと殺し続けてやる……から……な」


 ヤツを地獄に縛り付けるのが己の役目だと得心している。ヤツに許しなど必要ない。たった1回殺したくらいで納得できないし、何より安心できやしない。


「ずっと続けて……絶体に……あいつ(・・・)の元には、行か……ない」


 万一の“転生”などさせやしない。

 あまりに不器用な考えを決して彼女が認めるはずもない。これはあくまで、少年のわがままにすぎないからだ。


「ごめんな……ハヤ……ネ」


 何を謝りたかったのかは少年にしか分からない。手にした黒刀は消え、後に残されたのは無残な遺体だけであった。


          ****


 目覚めたとき、己が“独り”であるとは認識していた。

 社会にすっかり馴染んでしまった相方とそれを揶揄する者達の会話をもう耳にすることはない。

 鼻につくメントールの臭いと肉体に巻かれた白い包帯に気づく。身動ぎすると肋骨に鈍い痛みを感じるが動きに支障が出るほどではないようだ。

 それは問題なしと同義だ。

 だだっ広い空間に調度品の類いはなく、無論、人気もない。潰れた会社の建物だろう。無機質なコンクリートと天井から垂れ下がるコード。

 安全が確保されてるのは上々だが、問題はあれ(・・)からどれだけ時間が経ち、奴らはどこにいるのかということ。だが。


「――久しぶりだな。今だからこそ、か」


 珍しく感情の籠もる言葉を口にして彼は上半身を起こした。

 毎晩欠かさず見ていた夢を、見なくなったのはいつ頃からか。あの後、命を拾い、ヤツを手放した(・・・・・・・)と知ったときの絶望感と焦燥感がいかほどか――狂乱し何度手首を切ったか分からない。

 追わなくては――と。

 だが、自分は今もこうしてここ(・・)にいる。


「ミハヤ……」


 夢の中の少女でなく、別の女性の名を呟く。

 まるで己に課した使命を見誤らぬようにするかのごとく。その名を口にすれば、己の中に道しるべが産まれるとでもいうように。

 両手に何も保たず、傍らにもあの黒刀の影も形も見当たらない。代わりに懐から、例の人形を取り出し、掲げる。


「示せ。俺が行くべき道を――」


 ここまで歩んできた。

 二度と繰り返さぬ為に。

 地に墜ちることなど厭わず、魂の汚れなど歯牙にも掛けず。

 果たすためだけに歩いてきた。

 誰がでなく、己が望んだ道だ。

 誰かに認めてもらう必要などない。


 この俺が、そうしたいだけだ――


 この廃ビルを中心に、半径数百メートルで野犬を含めた獣たちの遠吠えが一斉に放たれ始める。だが、それが一連の怪現象であると気づき、まして起きた理由を説明できる者など現れるはずもなかった――。

お疲れ様です。仙洞 庵です❗

本エピソードで描ききれてない部分がありますが、正直、今の自分の目一杯です。とにかく、これで敵の話も書き、後はラストに向けて走るだけです。とにかく、完了させるという目的まであと少し。頑張りたいと思います。

最終章は短くまとめます。お付き合い願えれば幸いです。

ではまた。

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