激突再び2
『網代笠』が放つ殺気は物理的圧力を感じさせてディランの身体を押し包み、あまつさえ肌より染み込んで筋肉の動きを阻害せんとする。
いや、すべてはディランの錯覚だ。
それでもこのまま戦いに入れば、戦闘行動に明らかな影響が――パフォーマンスダウンは免れまい。
戦いとは肉体や技術のみならず、心理面も含めた総合的な争いであると、敵に教授された気分になって苦みを覚える。
あくまで己が“上”だと自負するか――。
(それが“傲慢”だと教えてやろう)
“勝敗は戦う前に決まる”という『網代笠』の言葉通りにさせるほど、ディランは素直な気質じゃない。
眼を半眼に閉じ、一瞬で心を“空”にする。
これまで幾度も重ねた“精神状態”はディランの中で馴染みとなって、望めばいつでも入り込める。
「――ふっ」
あらためて、ヘソの下に意識を集中させ、ディランは呼気を吐き出した。そこから発する熱気が全身に漲り、身体を覆う泥土のような殺意の圧力とぶつかり、拮抗したのも寸瞬、直後に跳ね返す。
気づけば、息苦しいほどの殺気は霧散し、室内は常態に復していた。
「いい闘気だ――」
簡単に“殺意の呪縛”を破られても『網代笠』はむしろ弟子を見守る師のごとく、嬉しげに眼を細めてみせる。
「身体操作の極限は、3つの要素に収斂される。即ち、意・氣・血――こちらの世界では血ではなく筋力であるようだが、まあいい。
3つの合一なくして“戦士の肉体”とは言わんが、悲しいかな、この世界で儂らと戦うに相応しい肉体を持つ者に出遭えること自体が非常に珍しい。特にお前のように氣を操る者となれば、なおさらだ」
「……今更だが、本当にお前達は何なんだ?」
マルコの仇――出遭えば殺すだけの存在であり、それ以上の興味はなかったが、知るほどにシミのような疑念やある種の好奇心がディランの中で次第に大きく膨らんでくる。
デストリンの言葉を思い出す。
「“別世界の住人”? 民族衣装に目を瞑れば見た目は同じだし、こうして普通に会話もできる。チベットの山奥かアマゾンの奥地に隠れ潜んでるだけの原住民じゃないのか?」
「ああ、お前は『後鬼』と話が合いそうだ」
「それだ」
茶化すような口ぶりも自分たちと何が違うのだとディランは思う。
「儂らは今で言う“日本”で喚ばれた者だ」
意外にも『網代笠』はディランの疑念に応えてくれるつもりらしい。どうせ殺すから問題ないとタカを括っているのだろうか。
「遠き昔、日本に住む“力持つ者”が“世渡り”の術式を解きほぐし、儂らを喚んだのが事の始まりと聞いておる」
古来、術士というものは時に癒やしを与え、時に吉報を占い人々の生活に溶け込んでいた。今よりも自然の脅威が強いだけに、自然への畏れや敬いに溢れ、だからこそ術士として強い力を顕現する者も産まれ易い時代だったといえる。
そうして誕生した術士の一人に修験道の開祖たる役小角がいた。彼の力は当時をして段違いに験力が強く、数々の伝説の中には鬼神さえ使役したという逸話がある。
有名な葛飾北斎の画に、彼が連れていた“前鬼”・“後鬼”が描かれていることは『網代笠』も知らぬ知識であったろうが。
彼は言う――時折、自分たちは喚ばれて現世を訪れていたのだと。その都度、喚ばれる者は違うらしいが、彼自身はこれで二度目――自身を“前鬼”と名乗るのは、術士による“名付け”を受けたからだと。それが契約の証でもあるらしく、彼を喚んだ術士が役小角の系譜に連なるか否かは関係ないらしい。
こうした異界と現世の橋渡しをする者の例は、世界中、枚挙にいとまが無い。故に、『網代笠』が語る内容を大枠ではディランにも理解することができたのだが。
「喚ばれた儂らはこの世にあっては爪弾き者――この世で活動するためにも、“この世の法則”にある程度馴染まねばならず、それは術者を媒体にすることで行われる。それ故、“契約の主”に対するある程度の従属性が儂らに生じ、術者はそれを利用して大きな力を振るってきた」
「日本の“裏の歴史”か――どの国でもあることだ」
「然り」
この国でも、開拓魂の名の下にどれほどの現地人を虐げてきたかは分からない。
無数の人種が混合し、それだけに多様性が強みと嘯いていても、切っ掛けさえあれば白人至上主義などすぐに爆発する火種は無尽蔵に地の下に埋もれているのが実態だ。
大仰に言えば、自分たちの存在自体、裏の歴史と括れなくもない。
故に、鬼の力を行使する? 核や化学兵器よりはよほど可愛らしいと笑い飛ばせる。
「それで、お前の準備はどうだ?」
「十分だ」
承知の上で話に乗った――不敵すぎる『網代笠』にもはや苦笑を禁じ得ない。ディランは軽く肩を上下させて、筋肉の強ばり具合から、ほどよい緊張感にあることを知る。
「このままじゃ、埒が明かぬな」
「ならばどうする?」
万全の態勢でいる相手に、先に仕掛ける方が不利となるのは明らかだ。だが、ディランの誘いに『網代笠』は平然と応えた。
「こういうのは、どうだ?」
『網代笠』の上半身の動作で、何をしたか察する。派手な音を響かせて、重い棚が凄い速さで向かってくるのを、ディランは左右に回避することなく前へ足を踏み出した。
抜群のタイミングで踏み切り、二歩目で棚の上を軽く蹴って乗り越える。
「ちっ」
さすがに想定外だったらしいディランの対応に舌打ちして、『網代笠』のナイフ投げが一瞬だけ後れを取った。その隙があればディランには事足りる。
――ボッ
拳の間合いに入る前に、ディランの左足が一閃した。それは初めて見せる蹴り技であり、しかも喉元へ真っ直ぐ槍のように豪速で突き出される。
「くぅ――っ」
さすがに投擲姿勢でいた『網代笠』も必死で身を逸らせるので精一杯――まるで居合いのような閃光は、気づけば蹴り足が元の位置に戻されていた。
続けて右の一閃――
ナイフの精製が間に合わなかったか、『網代笠』の右肩にディランの“突き足”が潜り込む!
蹈鞴を踏む『網代笠』。
床に着きざま、全体重を乗せたショルダーチャージをかけるディラン。
このままたたみ掛けて、決定的な一撃を与えられれば――
「ぬあっ!!」
渾身の一撃を繰り出すべくディランが咆哮したとき、『網代笠』の朱眼が、一瞬膨れ上がるのを見たような気がした。
会心の笑み――後にディランはそう回想する――その意味するところを自身の自我より早く、肉体や本能が先に感じ取っていたらしい。
途端に全身の毛穴が一気に引き締められる感覚。
闇雲に顔を覆いながら、『網代笠』から転がり離れようとするが時既に遅し。
『網代笠』を覆う布がふいに膨れ上がり、何かが爆散した。
「……おぉ」
衝撃の後に襲った鋭い痛みに、ディランは転げ回ることもできずにその場に蹲る。
「“散華”を受けて生き延びるか……」
よく聞けばその声に力がないが、今のディランに気づけるはずもない。むしろ、敵の声を耳にして闘志を奮い立たせようと歯ぎしりする。
肩に1本、腹に2本……太腿を切り裂いた痕があるが足は十分に動かせる。それ以外の傷も複数あったが、運良くベストの防刃性能で軽減され、軽傷レベルで済んでいる。
幾つもの突き立つナイフで、何が起きたのかは想像できた。
「勝負あったな」
「……“切り札”を使わせたと言ってもらおうか」
立ち上がるディランに驚きもせず「そうであったな」と『網代笠』は頷く。
「あの時もそうやって立ち上がった」
「当然だ」
己に刺さった妖しい光を放つナイフ――それを目にしたまま、ディランは言葉を絞り出す。まるで怨嗟を舌に乗せるような執着すら瞳に宿らせて。
「お前のナイフにだけは、倒れるわけにはいかないんだよ」
それが誰を葬ったナイフか忘れるはずがない。
命じたのが桐生ならば、直接手を下したのは誰であったか。
「――ほう」
それは感嘆でなく緊張が混じる吐息。
蒼炎のように揺らめくディランの闘気に、『網代笠』がわずかに気圧されたと知る者はいない。
互いに一歩踏み込めば、届く距離だ。
もはやフェイントを入れることなく、今度はディランが真っ向から踏み込んでいく。
迎え撃つ『網代笠』はこの戦いで初めて、両腕を上げた構えを取る。
「シッ」
瞬時に練り上げられた“戦意”が“意・氣・血”の三位一体の理想的な動作を可能とし、閃光のような左拳の一撃を『網代笠』に向かって解き放つ。
だが本気になった『網代笠』は冷静に右腕でガードし、逆にディランの拳に血が滲む。文字通り“鉄壁”のガードに打ち付ければ拳を痛めるのは当然だ。それでも気にせず、ディランは閃光のごときジャブを振るい続ける。
それが為にディランは気づく。
「どうした? 動きが鈍いぞ」
「そのまま返そう。拳が軽くなっているぞ」
ディランの左拳をガードした腕でカチ上げるようにして大きく反らし、体勢が崩れたディランの脇腹に左の膝を叩きつける。
「……っぐうう」
刺さったままのナイフが動き、思わず呻くディラン。巌のような表情に苦渋が広がり、額に浮かび上がった汗の珠がどれほどの苦痛に耐えているかを表す。
「動きが止まったな」
『網代笠』が指摘するなり、もう一発、膝を叩き込む。
たまらずディランが、飛んでくる膝を抱え込もうとし、それに気づいた『網代笠』は中断して、その背に肘をたたき落とした。
それでもディランは『網代笠』の膝を抱え込み、強引に持ち上げて、同時に身体を預けるようにして仰向けに倒れこんだ。
二人の身体が横倒しになる。
「ええいっ」
鬱陶しそうに腕を振るう『網代笠』を巧みに躱し、思い切り、腹部に向かって頭突きを繰り出すディラン。
湿った音がして、顔を上げたディランの額に血の花が咲く。“鉄壁”に護られた腹部に頭突きすれば負傷するのは当然だ。
「愚かな――」
皆まで言わせず、もう一度。衝撃で軽い呻きを洩らさせる程度で相手にダメージを負わせることなどできるはずもない。
『網代笠』の表情に侮蔑が浮かぶのと同時に、ディランは左手を己の腰裏に回して「なら、これはどうだ?」と冷淡に告げた。
「何?」
『網代笠』は見た。己の腹部に突きつけられた紛れもない無骨な銃口を。
S&W社製『M29』――。その昔、サンフランシスコの市警が.44マグナム弾を駆使して悪党を薙ぎ倒す映画で一躍名を轟かせた回転拳銃の代名詞。
日本では警察官が所持しているので知らぬ者もいないだろうが、使われる38口径の弾薬とは威力に雲泥の差がある。
反動の凄さに、命中精度の前に使う者を選ぶ側面があるものの、一撃必殺の魅力に米国で心酔する者は少なくない。
だからこそ、結果的に使う機会を逸したが、マーカスはこの銃を支援武器として、いや“秘密兵器”として選んでいたのだ。
ディランがリムジンから降車する際、デストリンが手土産に渡してくれたものは、マーカスが遺した『M29』のことであった。
ひときわ高い炸薬音が連続で轟き、その度に『網代笠』の身体が勢いよく跳ね上がる。
至近距離でのマグナム弾に、さすがに“ナイフ防御”で抗いきれるはずもなく、『網代笠』の腹と口から血が溢れ始める。
だが、通常ならいざ知らず、疲弊しきったディランには3発までが限度であった。腕のしびれに耐えきれず、4発目で銃口を『網代笠』の頭部へ移動させる。
「…………」
もはや言葉を発することもない『網代笠』に「俺からも勝敗の決め手を教えてやる」と告げた。
「“切り札”は最後まで取っておくものだ」
使い古しているからこそ、“抑えの台詞”に相応しい。
轟音を最後に、『要塞』は長い静寂を取り戻した。
お疲れ様です。仙洞 庵です❗
もはや肉弾戦がウリの双璧となった感がありますが、作者が諦めたという意味ではありません。ええ。そうですとも。とにかくこれで妖人の秘密というか何者かを書いたので、後は箱と桐生を残すのみとなりました。といっても本章はもう少し続きます。
ではまた。