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都市の翳りに踊るモノたち ~The Black Box ~  作者: 仙洞 庵
第4章 要塞の悪夢
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激突再び

 『要塞フォートレス』――その大仰な呼び名に相応しくないこじんまり(・・・・・)とした建物がエリンの避難部屋パニックルームへと繋がる門の替わりであった。

 奥まったところにある両開きの扉は開いたまま。

 扉のそばにデストリンのチームによって無力化された武装警備員の死体がふたつ、カラータイルの上に転がっているのをディランは一瞥もくれることなく素通りする。

 扉向こうは外と変わらぬ暗がりだが、ディランは躊躇うことなく屋内へと足を踏み入れた。


「スゥ――」


 数歩進んだところで一端立ち止まり、ディランはおもむろに軽い深呼吸をした。

 おそらくは日中でも陽光がほとんど差し込まぬ屋内は、所々にぬるい光を放つ照明だけが頼りで、全体的に陰鬱な雰囲気を醸し出している。

 経費節減というよりは侵入者の視覚を奪う意図があるのだろう。

 闇はそれだけで人を不安にさせ、閉所とか細い(・・・)光はその弱さを容易に増幅させる。生死を分かつ一瞬に、精神の不安定さがいかなる影響を及ぼすかは言うまでもない。

 だが、人体器官を高次元で鍛え抜いたディランの目ならば、この状況でも十分に視界が確保できる。


「――――ふぅ」


 三度の深い呼吸で酸素をたっぷりと脳内に送り込み、磨き上げた映像認識力の脳内補正を活性化させる。

 これで瞳に取り込むわずかな採光(=視覚情報)でも、まるで強力な画像解析ソフトを使ったかのごとく、ディランは実像に近い姿で対象を認識することができる。それでも視認できぬ情報は、他の感覚をフルに動員することで十分に補えた。

 耳を研ぎ澄まし、肌で空気の流れを感じ取る。

 近くは勿論、遠くで争う気配はない。


「――チームはどうなった?」

『さらにひとり減ったが、何とか近くの店舗跡に避難している』


 通信チェックを兼ねた質問にデストリンの応答があった。さすがにカメラで視られるのは不愉快なのでわざと身に着けなかったが、音声通信に加え位置情報発信器を付けているので、情報の共有には十分だろう。


『対処できると踏んでいたが……結果を見れば、俺の見立てはまだ甘かったようだ。間に合わせられるか?』

「そのつもりだ」


 デストリンの懸念は理解できるが、だからといってディランにできることは気概を示すことのみだ。

何しろ、チームが身を潜めた場所は、たった二人で死角を補い合えない店舗であり、十分な避難場所とは明言できないからだ。それでもあの状況を考えれば、不満を呑み込むしかなく、救助が間に合うかどうかは、むしろ彼らの兵士としての能力に賭けるしかなかった。

 軽く身を屈め、ディランは足早に先を急ぐ。

 争いとは無縁の“静寂”が支配する中、行く先々で廊下に倒れ込む警備員達の死体を目にする。位置取りと斃され方をみれば、あらためて一方的な戦闘であったことが窺える。そのひとつに、ある異変を見出しディランは立ち止まった。

 チームの戦闘力の高さを示すように、ほとんどは頭部や胸部ヘの銃撃、あるいは首への攻撃で斃されている。時には別の箇所に当たっても、敵が黙ってやられるわけがない以上、狙った位置を外すこともあるだろう。それでも――


「どういうことだ……?」


 おもむろにディランが屈み込んで、負傷し血まみれになっている警備員の太腿(・・)を子細に観察する。

 太腿の内側を走る太い血管も急所のひとつと言えなくもないが、プロならばナイフ攻撃であっても、もっと効率の良い攻めやすい箇所を狙うはずだ。

 気になるのはそれだけではない。

 よく見れば、刃物傷どころか銃創でもなく、強いて上げれば“咬み痕”のような不可解な傷痕に、ただ違和感だけが拭い去れない。


「これも連中(・・)の仕業か?」


 だとしてもどういう意味が?

 これまで手合わせした限りでは、『刀』に『ナイフ』――残り二人の武器による傷痕と合致しないのは明らかだ。


『――どうした?』


 音声通信は双方向方式であり、常にオン状態なためディランの呟きを拾っていたのだろう。


奴ら(・・)が大腿部を狙う理由があるか?」

『何?』

「警備員の死体に太腿をやられた痕がある――見かけただけで3体――偶然とは思えない」


 ディランの懸念をデストリンも聞き流すことはなかった。重苦しい沈黙は自身の記憶を手繰っていたからだろう。


『昔、戦り合った時の分析チームが出した推論を聞かせたな』

「他者の血液で鉄分を補給するってやつか」

『そうだ。最も効率的なのは、血そのものを採取するのでなく造血の因子となる“骨髄”を取り込むのが一番だと言っていた』

「なるほど。成人の骨で最も骨髄が含まれてるのは大腿骨――だから太腿を狙ったか」


 ディランの意外な博識ぶりに「ほう」と通信向こうで感嘆が洩れる。


『最も、それで武器や防具を作り出せるだけの大量の鉄分が得られるとは思えんがな。学者たちが頭を抱えて悩み抜き、結局最後まで謎のままだったのは、そんな非常識な部分だった――』


 夢でも何でもない。

 まぎれもなく奴らは“異界の法則”に従う“異界の住人”だということだ。そして少なくとも、これではっきりしたことがある。どういった経緯か知らないが、間違いなく奴らはここ(・・)に来ており、その上、この混乱に乗じてディラン達との激戦で消耗した鉄分を補充したということだ。

 願わくば、その補充が十分でない(・・・・・)ことを祈るのみである。

 ディランが黙って立ち上がった。


「奴らは二人いる。最悪の展開で2対1――さすがにキツいな」

『それを承知で飛び出したはずだが?』

「分かっている。だが救出の成功率を高める“手”があるなら打っていくべきだ」


 ディランが何を仄めかしたいかはデストリンも承知しているはずだ。


『それなら、さっき“お仲間(・・・)”を渡したろう』

「そういうことじゃない」


 車外に出た折に、セルビア人から渡されたもの(・・・・・・)を思い出し、腰の後ろへ無意識に手を伸ばしつつ、ディランが珍しく語気を強める。当然、デストリンが動じることもない。


『分かっているとも。だが俺なら現場で対応する』

「?」

『救出を間に合わせれば、人数が増える』

それを踏まえて(・・・・・・・)言っている」


 気が昂ぶったが故の失言か――それはデストリンの実行部隊に対する痛烈な侮蔑ともとれたが、通信の向こうからは一言も返ってこない。


あんたが(・・・・)出てくるつもりはないんだろう?」

「――」


 そろりとしたディランの誘いに沈黙が応える。その昔、武闘派で鳴らした黒人の逸話をディランは伝説のように聞かされたことがあった。だが、彼が今のポストに就いてから伝説は途切れたままだ。

 ボスの地位がそうさせないとも、致命的な傷を負ったとも聞いた。あるいはどれもが正解であり、どれもが間違っているのかもしれない。


「――……」


 無線越しに固い沈黙を感じ取る。そばにいるセルビア人の眉間に深い皺が寄っていることだろう。

 分かっていた反応であったが、それでもディランは声もなく嘆息した。

 ならば、あくまで単独で対処しなければならない以上、できる限りのことをする必要がある。

 あえて別の死体を捜し出し、ディランは警備員が身に着ける装備をまさぐった。

 懐にあったナイフと床に転がっていた高輝度照明フラッシュ・ライトを拝借し、足首に巻かれていた支援武器バックアップの22口径拳銃をホルスターごと自分の足首に移し替える。


『――おい。何をしている?』


 しばらく動かぬディランを、位置情報で把握しているデストリンがわずかに苛立ちをまぎらせて尋ねてくる。


「俺たちとの戦闘で弱っているならともかく、回復していると分かった以上、闇雲に突っ込むのは得策じゃない」

『だが時間がない』

「信じろ。仮にも“伝説の男”が作ったチームなんだろ?」


 皮肉のつもりはない。ディランの言葉をどう捉えたか会話が途切れる。


「――!」


 ふと、どこかで大きな音がした。

 作業の手を止め首を上げたディランはある方向へ顔を向ける。それが音の発現点を正確に捉えていると知る者は天上かあるいは地の底に住まう存在だけであろう。

 ディランが脱兎のごとく駆けだした。

 できる準備は終わっている。

 あとはできる限り“戦意”を練り上げ、アスリートが競技前に行う暖機運転ウォーム・アップのように、己の体機能を高いレベルで活性化させておくだけだ。


『――10メートル前を左折だ』


『次のT字路を右』


 自身の感覚だけでなくデストリンの案内ナビゲートに従って迷いなく目的地へと突き進む。

 中庭のようなところを横断したとき、廊下向こうに人影が見えた。

 見覚えのある東洋の民族衣装――『網代笠』に違いない。


 奴との距離は目測で24メートル。


 馴染みの射撃場でさんざん撃ちまくった距離――ディランにとっては必中の距離であり、幸いにも、明かりの消えた店舗内部を透かし視ようとしているのか、窓外に立ち尽くす『網代笠』はこちらに気づいていない。


 たった一瞬の先制機会チャンス――


 視認と同時に走るスピードを殺し、必殺の体勢が整うのと左手を構えるのがほぼ同時。だが、一瞬早く『網代笠』の身体が窓に体当たりして店内へと消え去った。


『――前方に見えるのが避難してる店舗だ』

「ああ、分かってる」

『?』


 音声だけでは何があったかデストリンに分かるはずもなく、だが釈然としない苛立ちもあって、ディランはあえて説明を省いた。それに何より、周囲に桐生がいないかを探るのに神経を尖らせていたのも大きい。

 あの時、桐生が何らかのダメージを負っていても不思議ではないが、たまたま姿が見えないだけかもしれない。とはいえ、武器を近接に特化した刀とする以上、接近戦に持ち込む技術に長けていると考えておくべきだろう。

 今もその技術でどこかに忍んでいるとしたら?


「――」


 だが、何もない。少なくとも、たった今、ディランの感覚に触れる“不審”はない。

 これ以上の“慎重さ”は、むしろ“躊躇い”と同義だ。

 素早くチームが隠れている店に近寄ろうとしたところへ、窓の内側から弾丸が撃ち出されてきて、ディランは思わず立ち止まった。たった今、侵入した『網代笠』に隠れ潜んでいたチームによる迎撃が行われたのだろう。


「奴らの一人が店に入った」

『応戦中だ。だが――何て奴だ』


 デストリンの呻き声にディランは状況を何となく察する。


「弾は効いてるか?」


 炸裂弾の効果を知りたいが、案の定、あっち(・・・)はそれどころじゃないらしい。視点映像で確認しているデストリンでさえ、ろくに状況を伝えてこない。


『――当たらん(・・・・)。こいつは……』

「裏口があるなら下がらせろ。いっそエリンのところまで逃げ切った方がいい」


 チームの迎撃が収まるまでは、下手に近づくこともできやしない。万一炸裂弾が当たりでもしたら、簡単に腕や足が吹っ飛ばされるからだ。

 ならば。

 ディランは思い切って手近の窓に肘を入れ、盛大に窓ガラスを割ってしまう。味方の誤射を嫌って次の行動をわざと一拍遅らせ、それから内部を除けば誰の姿もない。


『チームに撤退を始めさせた。部屋を三つ抜ければ店の裏手に出られる』


 デストリンの情報通りに、奥側から散発的な銃声が聞こえてくる。接近しすぎて彼らの射線に入らないよう、ディランは注意しながら後を追い始めた。


「すまんが考えが変わった」

『?』

「挟撃できる状況だ。うまくいけば、奴に一撃入れる隙が作り出せるかもしれない」

『いいだろう』


 即答するデストリンの声にいかなる感情の機微もない。妙案であるなら、突然の変心も許容してしまえるからこそ、その地位にあるのだ。


『チャンスがあれば反転攻勢を仕掛けさせる』


 商品もない空の棚を横目にディランは店の奥へと足早に急ぐ。相変わらず連中の気配は読めないが、争いの気配ははっきりと認識できる。

 銃声のタイミングと漠然とした気配の移動から、基本に忠実な撤退戦を行っているようだ。ディランの肌感覚では、あと一歩の差で『網代笠』が視界に入らないだけであると推測する。その一歩を反転攻勢による足止めで産み出せば、挟撃のタイミングとしては申し分ない。


 ズンッ!!


 いきなりの振動に建物が軋み、ディランは思わず身を屈めた。今のは――


『これでどうだ?』

「十分だ」


 若干の驚きをおくびにも出さずディランは二つ目の部屋に押し入った。あの腹に響く独特の振動音は手榴弾ハンド・グレネードを使ったのに違いない。


 廃墟とは言え、まぎれもない市街地のど真ん中で。


 軍隊並みの武装をしていたことを思い出し、あらためてデストリンの本気度を実感する。確かに、視点映像の起動時に拳大の手榴弾がベストに装着されてるシーンを観た覚えがあった。それはともかく、彼が参考にしたという司法機関に属する戦術部隊で、世界中を見渡しても殺傷性能を重視した手榴弾を実装させてる部隊など聞いたこともなかったが、ディランは心の内でスルーする。

 とにかく、デストリンの意図は明確だ。

 市街地を戦場に変えてでも、奴らの跳梁を許すつもりはないらしい。そんな感慨も次の瞬間には即座に脳内から吹っ飛んでいた。


 ――いた!


 爆圧から逃れるべく、ステップバックして室内に戻っていた『網代笠』の後ろ姿をようやく捉える。しかも、爆圧の余韻が凄まじく、奴はこちらに気づいていない。


 二度目の先制機会チャンス――


 ディランは瞬時にその背にコルトの銃口を向けた。

 狙うは無防備な後頭部。

 『彫刻師』同様、一撃で勝負を決めてやる。だが、引き鉄を引き切る寸前のコンマ数秒でディランは奇跡的に気づいてしまう。

 『網代笠』が抜群のタイミングで、わずかに半歩、身体を横にズラし回避しているのを。それに気づいて何も出来ぬが“並の射手”。だがディランは、咄嗟に銃口を右にスライドさせて、ポイントし様に再度引き鉄を絞り込む――それも寸前で身体をズラされる!


(偶然じゃない――?!)


 ぞくり、とディランの背筋に悪寒が走り、そして思わず呟いていた。


「分かるのか――その瞬間ときを」


 『殺意』というものが何なのか、科学的に解明されたという話しはない。だが、人が何かを考えるときには、脳内で電気信号が走り、化学物質が分泌されて様々な化学反応が起こっているのは明らかだ。その電気信号が強烈であれば、わずかでも電磁波が発生する。

 ならば『殺意』という名の微弱な波動を、感知する鋭敏な者が世にいたとしても不思議はあるまい。特にこうした波動が飛び交う実戦に数百年という刻の流れで身を浸していた『網代笠』にとっては、できて当然の芸当なのかもしれなかった。


 乾いた銃声が空しく響く。


 いかに“一撃必中”のディランであっても、狙ったところに敵がいなければ(・・・・・・・)斃せる道理はない。むしろ、狙うほどに当たらぬような――。


「――くっ」


 照準を合わせられぬ焦りを突いて、迫りくる白光に“危険”を察知したディランが咄嗟に屈んで躱す。背後で響いた金属音を聞くまでもなく『網代笠』のナイフ攻撃であったのは間違いない。


「その気配はお前か、『隻腕』よ」


 どこか嬉しげな声にディランは無言で応じる。

 振り返ったり肩を揺らす動作もなく、投擲モーションが掴めない攻撃に、回避反応するだけでも冷や汗ものだった。とても会話で集中力を薄めさせる余裕はない。


「まがりなりにも『後鬼』を斃した以上、お前達の力を認めぬ訳にもいかぬ。その『片腕』――もはやハンデと思わぬぞ」


 首を軽く回し、肩越しに語りかけてくる『網代笠』のそれをディランは“隙”と捉える。


やれ(・・)

「?」


 それが通信回線へ向かって放たれた言葉だと『網代笠』が気づくはずもなく、とうに逃げ切ったと思ったチームが、『網代笠』の前に現れ、MP5の銃口を踊らせた。

 全自動射撃フル・オート――毎分800発で撃ち出される弾幕は全弾命中すれば一人の人間をぼろ雑巾にする――一流だからこそ、使い所を見誤ることなく、切り札を切ったのだ。

 騒音と共に発砲光マズルフラッシュが瞬き、至近距離でばらまかれた大量の銃弾をさすがに躱しきれずに『網代笠』の身体も踊り狂う。

 9ミリとはいえ威力を増した炸裂弾の効果か、踏ん張りきれずに『網代笠』が吹き飛ばされる。その絶好のチャンスをディランが逃すはずもなかった。


 放つ“殺意”を赤外線レーザー・サイトの光点替わりとして。


 コルトの銃口が導かれるように、仰向けに吹き飛ぶ『網代笠』の後頭部を精確無比にポイントする。


 タ、タン――


 射線上にいるチームを気にすることもなく、己の射撃に絶対の自信を持ってディランがコルトを二連射した。

 だが次の瞬間、“爆ぜる頭部”が具現化されることなく、ただ美しい金属音を響かせるだけで『網代笠』の両腕によって防がれるとは。


「言ったはずだ――お前の“腕”は十分に認めていると」


 弾丸を防ぐ代償に砕けたナイフを足下に散らばせて、倒れた床から即座に跳ね起きた『網代笠』は口調に笑みを含ませる。同時に「うっ」と苦鳴が聞こえてチームの一人が腹を押さえてよろめいた。

 ノー・モーションのナイフ攻撃を受けてしまったのだろう。いかな熟練の兵とはいえ、常人に躱せるものではない。


「身を隠せっ。支援に徹するんだ」


 すかさず助言をしたものの、もはや戦力ダウンは確定だ。しかも、奇襲攻撃の優位性が失われ、このまま真っ向勝負になるのがいただけない。


(せめて、桐生の存在がはっきりさせられれば)


 眼前の強敵を相手に、背後を気にしながら戦うのでは始めから勝負は見えている。

 内心の焦りをおくびにも出さず、ディランは何度も「撃つぞ」と殺気を放ち、何とかチームの退避時間を稼がんとする。


「こっちもお前の“腕”は認めてる。だから遠慮無く何度も奇襲をかけさせてもらう」

「好きにするといい。宣言された奇襲に儂がられると思うならな」

「何とでもするさ。お前を斃せば、あとは寝込んでる桐生の始末だけだからな」


 それを耳にしてディランの心境を見透かしたように『網代笠』が鼻で笑った。


気になるか(・・・・・)――ならば安心するがいい。“契約の主”はここには来ておらん」

「何?」

「隠すつもりはないと言っているのだ」


 言い含めるように「それが儂らの“流儀”よ」と『網代笠』は言う。


「気もそぞろ(・・・)のお前を斃して何となる。互いの全力があってこそ、戦いは美しく、そして愉しいもの――違うか?」


 やけに真摯な問いかけに、思わずディランが巌のような頬に“苦笑”というひびを入れる。


もう1度だ(・・・・・)

「――貴さっ」


 今度は、ディランの発する言葉の意味を即座に理解した『網代笠』が横に跳んだときに、その背後の戸口から“何か”が床を転がってきた。

 退避したはずのチームが再び攻撃を仕掛けてきたのだ。それもディランの安否さえ無視するような手榴弾による攻撃を。

 さすがのディランもまさかの攻撃手段にわずかに目を見開き、咄嗟に床へ向かってダイブする。左腕で頭をカバーし、腹部を若干地面から放して口を軽く開いた耐爆姿勢をとった。


 ――ズンッ


 二度目の地響きで頭痛を催す耳鳴りがディランを襲う。アイランド形式の調理台の陰に隠れたものの室内を襲った振動エネルギーは凄まじいものがあった。だが、この瞬間こそ敵に仕掛ける最高の好機と己の戦闘勘が激しく騒ぎ立てる。


 指は動く。

 意識は――正常。

 全身に――痛み無し。


 瞬時に肉体機能を把握するや必死で立ち上がり、最初にすべき敵の動向を確認する。

 仮に物陰に隠れて直撃を免れていても、近距離の爆音に三半規管がダメージを負っている可能性は高い。少しでも身体能力が落ちていれば、それが奴らの隙となる。いや、そう捉えられないようでは、戦いにすらならないのだ。


 たたみ掛けるなら、今しかない!


 心許ない足取りでも、ディランは確実に頭部を撃ち抜くため果敢に距離を詰めようとする。


 ――ガッ


 近距離での不意打ちに、さすがのディランも躱す術はなかった。運良く、弾倉袋に刺さらなければ深いダメージを負っていたはずだ。


(この距離は――)


 ギリギリ避けられる遠距離でなければ、投擲させない近距離でもない――互いにとって地雷原に等しい殺傷地帯キリング・ゾーンと感じてディランの全身の産毛が逆立つ。


「くっ――」


 戦闘勘を頼りに直進せず、少し斜めにズレながら前へ踏み込む。間一髪で頬を浅く切り裂いたナイフ傷を気に掛けることもなく。


「――っ」


 二歩目と同時にコルトを掲げる途中で、『網代笠』の異様に冷たい手に上から抑え付けられる。それに構わず引き鉄(トリガー)を絞り、発砲光マズル・フラッシュが腰に届きそうな距離で、しかし、『網代笠』はコルトを抑えた手を支点に身を滑らせ躱してのけた。

 外れた銃弾が床で弾け、目前に迫った『網代笠』の瞳に、ある種の色合いを感じて、ディランは必死に頭を下げる。


 ――ゥン!!


 後頭部に感じる風圧が、死角外からの攻撃があった事実をディランに伝える。

 コルトは敵の手に抑えられたまま。

 ディランはあっさりと愛銃を手放し、ナイフに切り替え乱暴に振り抜いた。

 『網代笠』がさらに身を滑らせ、背後へと回り込もうとするのを、ディランは身体を寄せてギリギリ視界の端で捉え続ける。一瞬でも見失うか離れれば、『網代笠』の攻撃を避ける術はない。


「近接が安全圏だと思ったか?」


 耳元で『網代笠』の揶揄する声と同時にディランの身体に衝撃が走った。

 巨漢プロレスラーに体当たりされれば、こんな衝撃を受けるのだろうか。完全に不意打ちを食らったディランの身体が1メートルほど宙を飛び、調理台の上に倒れ込む。


「……っ」


 呼吸ができず、受けた体側面がしびれたような感触を残す。しかも後頭部を強かに打ち付けたため、パンと意識がはじけ飛んだ。

 ディランは知らず、彼が受けたのは『網代笠』の右肩によるショルダーチャージに他ならない。ただ、異形の者が使えば、単なる技が“必殺技”になってしまうということだ。


「“速さ”も“技”も申し分ない。ただ、絶対的な“膂力”の差を忘れていたようだな」


 独特の鍔広帽子をはずし、朱眼の異相を晒しながら『網代笠』は悠然と佇む。すぐに追い打ちを掛けない理由は決して余裕からではなく、あくまで“確実に弱らせてから討つべし”という持論があるからだと、隙の無い朱眼の視線が物語っていた。


「……忘れてなどいない」


 意識が飛んだのは一瞬だ。呼吸を整えつつ、ディランが上半身を起き上がらせ、調理台の上で膝立ちになる。

 あくまで意図したものというように。


「“戦意”は練れた――」

「何?」


 『網代笠』が知覚したときには、ディランの手に22口径の小銃が握られ、眉間に向けてポイントされていた。

 銃口が美しい火を噴く。


 二度。


 三度。


 美しい火花が咲くたびに、その一瞬前に、『網代笠』の身体がズレて射線上から身を反らす。第三者が視ればコマ落としのような動きに見え、映画のVFX画像処理を思い起こすだろう。

 その常人離れした動きに、感情を押し殺したような表情のまま、一発ごとにディランの銃口の動きがわずかに追いついていく(・・・・・・・)

 それが“戦意”によって極限まで高められた【視力】【脳処理】【神経】【筋肉】の射撃に関する全機能が為した成果だと理解しているのは当人のみ。

 だが連射する僅かの時間、事実だけを気づいた『網代笠』の表情が厳しく張り詰めていくのをディランは感じ取っていた。


「――っ」


 弾薬が尽きた時には、回避しきれぬ『網代笠』が初めて体勢を崩していた。その隙を逃さず決死のダイビングで体当たりをかますディラン。

 『網代笠』の薙ぎ払いを戦闘服タクティカル・ベストの防刃性能と貼り付けた弾倉で耐えると信じて――いや、ほぼ“賭け”ではあった――接近戦に望みを託す。


「もう終いか……」


 瞬時にディランの意図を察した『網代笠』が冷徹に応じた。“膂力の差”を見せつけたばかりで、接近戦にしか活路を見出せぬ相手をもはや敵とみれなかったのだろう。

 事実、愛銃もナイフも隠し銃さえも使い果たし、万策尽きたディランに何ができるとも思えない。だが。


「――!」


 空を切ったディランの左ジャブに、『網代笠』の朱眼が細められた。それは右頬にうっすらと浮き上がったミミズ腫れが原因であった。想定を越える拳の速さに躱しきれなかったことを意味している。


「どうした……非力な俺の攻撃など躱す必要もないのだろ?」


 またも左ジャブ一閃。

 今度は左頬に赤き線が腫れ上がる。

 拳の威力は単純に言えば【速さ×重さ】だ。小石を落下させただけでも時速80㎞で走る車に当たればフロントガラスを壊してしまう。

 ディランの拳は、『網代笠』にとっても十分凶器に成り得る威力を産み出す“速さ”に達していた。


「“力”で相手に勝る必要はない――」


 今度は己の番とディランが『網代笠』に教示する。


「――必要なのは、“相手に通じる力”だ」


 だんっ、と地響くほどの踏み込みが生んだ力を膝から腰、背筋へと押し上げ、そこから肩、肘を通して拳に乗せる。

 “速さ”と“力”――相乗効果で高められた神速の拳が、防御さえできぬ『網代笠』の懐に、深々と――いや、表面で止められる。


「忘れたか――儂の」


 勝ち誇った声も途中で掠れ消えた。自慢の防御をすり抜けて、強烈な衝撃が内臓に叩きつけられたからだ。

 『網代笠』が微かに身体を震わせたかと思うと、唇の端から薄い一筋の朱線が流れ落ちた。


「“技”で“足りぬ力”を補うこともできる」


 奢ることなく相手を見据えるディランに、『網代笠』は唇の端をつい、と吊り上げる。その凄愴な顔は異形に相応しい正に“鬼貌”。


「“透し”か――まさか遙か海の向こうに来て、術理を解く者に出遭えるとは――くく。儂はまだお前を過小評価していたらしい」


 その身を震わすのは怒りでなく感動であったようだ。それもディランが用いた技術を知っていたらしい。


「誰に教えを受けた?」

「誰も」


 その一言にますます『網代笠』の笑みが深まる。


「“身体の使い方”が身についてくれば、自然と“生み出した力”をどの程度、どう放つか自在に操れるようになる。そうなれば、相手のどの辺りに“衝撃”をぶち込むかも自然とできるようになる」

「はは……それができぬから“透し”は古来より奥義に位置づけられるのよ」


 事も無げに言うディランに愉快でたまらないと『網代笠』は嗤う。


「――さて、それなりに回復させてもらった」

「――っ」


 ディランの頬がひくつき、『網代笠』は彼らしくもなく肩をすくめてみせる。すぐに「儂も人に感化されたかもしれん」と独りごちる。

 対するディランはいつも以上に仏頂面だ。

 敵はダメージを被り、僅かな時間とはいえ陥った危地ピンチを会話でやり過ごしたと大胆に告白してみせたのだ。憤るなという方が無理であり、結局のところ、戦闘経験では圧倒的に相手が上だということなのだろう。

 気持ちを立て直そうとディランが葛藤している様子を推し量るような視線で見ていた『網代笠』が気を引き締める。


「そろそろ決着けりをつけようか」


 途端に、部屋の空気がびしりと張り詰めた。

 濃密な殺気の圧力に、耳鳴りを錯覚させられ、ディランは思わず唾を呑んで“耳抜き”をする。それでも息苦しさが拭えることはない。


「達人同士の勝敗は、得物を振るう前に決まっておるものよ」


 つまり、ようやく“本気で相手をする”と言いたいらしい。ただの負け惜しみか、それとも――前者でないことは、今も感じる尋常でない殺気の密度でディランにも分かっている。

 だが、互いに本気であるならば、勝負が長くなることはないだろう。

 そっと息をつく。

 最後の攻防に向けて、ディランも消費した戦意を

静かに練り込み始めた。 


お疲れ様です。仙洞 庵です❗

本作最長となりました。いつものごとく目論んだ方向にストーリー展開できぬ不甲斐なさ(嘆き)。それでも何とか盛り上げようと足掻いてみました。今さらですけど、女性受けしなさそうだなぁ。まあ、ガンアクションを目指した時点で何かに特化した方向ではいたんですけど。しかも肉弾戦多いし(苦笑)。次回も肉弾戦です……

ではまた。

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