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2016年/短編まとめ

何に対しての謝罪なのか

作者: 文崎 美生

「……(アヤ)ちゃんは」


パカリと何の前触れもなく目を開けた幼馴染みは、意識を失う前と変わらない、抑揚のない声でそう問い掛けた。

幼馴染みが目を覚ましたことは嬉しくても、その言葉に返せるものが見付からずに、視線を手元へと落とせば、隣に立っていたイトコが動く気配がする。


作間(サクマ)……悪い」


幼馴染みの体を起こしながら、殆ど呟くように言ったイトコの言葉も、きちんと届いていたようだ。

上半身を起こした幼馴染みは、ゆるりと視線を宙へ向けて、そう、と頷く。

やはり感情の見えてこない声だった。


数日前から意識不明だった目の前の幼馴染みは、思いの外、しっかりと意識を失う前のことを覚えているようだ。

いつも通りの光のない黒目は、真っ白なシーツに向けられ、薄く開いた唇からは、細く長い息が漏れる。


「あの子は……」


こほっ、と小さな咳と一緒に出た言葉には、私が「生きてるよ」の一言で返す。

この場合は、生きているのではなく、助かったよ、が正しいことを、私は知っていた。

高校生にもなって、言葉選びくらい出来なくては困る。

それでも、正しい言葉を選び取らなかったのは、もう一人の幼馴染みのためだった。


幼い子供の命を一つ、一人分助けて、その代償として、幼い頃から同じ時間を過ごした幼馴染みの命を一つ、一人分失ったあの日。

一週間にも満たない、本当に数日前。

あの日の放課後は、私とイトコが学校に残っていて、幼馴染み二人だけで帰っていた日だった。


現場は見ていない。

見たのは、既に息を引き取った幼馴染みと、意識不明で白いシーツに沈み込んだ幼馴染みだ。

ただ、聞いた話では、小さな子供がボールを追い掛けて車道に飛び出した所に、目の前の幼馴染みが更に飛び出し、子供を抱きかかえた瞬間に、ここにいない幼馴染みが背中を押した。

つまり、子供を救った幼馴染みと、そんな幼馴染みを救った幼馴染みだ。


「親御さん、感謝してたよ」


「そう。良かったね」


イトコの言葉に、幼馴染みが真っ黒な瞳を向けて、一つ頷いた。

大きく波打つ黒髪が揺れるのを見ながら、私は下唇を噛み締める。

それを咎めるように伸びてくる白く細い指先を見ては、鼻の奥がツンとして目の奥が痛くなった。


「軽率だった?」


幼馴染みの言葉に、私は顔を上げる。

目と目が合えば、私の心中が見透かされているようで、どうしても口が開きにくい。

イトコは何も言わずに見守っている。


「……何で助けようとしたボクが助けられて、生きてるんだろうね」


何も言わない私を見て、幼馴染みが更に言葉を続けた。

淡々とした、感情の見えない声音だ。

いつものことでも、何でこんな時まで、そう思ってしまうのはいけないことだろうか。


「……ごめんね」


違う、違うの。

下唇を撫でる指先が、予想していたよりも優しくて温かくて、視界が滲む。

イトコが息を吐くのが聞こえて、それに合わせるようにして液体が一粒、私の目から落ちていく。


目の前の幼馴染みが謝ることは一つもない。

だって、子供を見捨てれば良かったなんて言えないのだから。

綺麗事かもしれないが、言えないのだ。

だからと言って、子供が助かったと涙を流し、お礼を言った母親に笑顔を見せることは出来なかった。


二つの命は、どちらも同じ命だ。

ただ、近しい者か、それ以外か。

天秤に乗せれば、同じ命なのに、近いか遠いかで重さが決まってしまうだろう。

それを分かっていても、言えなかったし、言いたくもなかった。


私の涙を拭いながらも、小さく、何度も何度も咳き込む幼馴染みを見て、イトコが水を手渡す。

コンビニでも自動販売機でも、どこでも売っているような有り触れた水だ。

それを受け取った幼馴染みに変わり、イトコの手が私の背中を撫でた。


「ぶはっ、何これ」


けほこほ、と咳き込むような音ではなく、げほっ、と何かを吐き出すような音だった。

視線を上げれば、白いシーツが濡れて、色が変わっている。

幼馴染みが手にしたペットボトルの中身は、三口分程減っているが、その殆どはシーツに零しているだろう。


「何これって水だろ。お前こそ何してんだ」


私の背中を撫でる手を止めて、訝しむように眉を寄せたイトコは、幼馴染みの手からペットボトルを抜き取った。

飲んでみなよ、と幼馴染みが言うのと同時に、躊躇なく飲み口を傾けるイトコ。


「別に普通だろ。ほら」


「……うん、うん。普通」


目尻に溜まった涙を拭いながら、手渡されたペットボトルに口を付けた私も、眉を寄せたままのイトコに同意するように頷く。

すると幼馴染みは、頭から額に掛けて巻かれた包帯に触れながら笑う。

口元だけを引き上げた笑い方だった。


「うん。ごめんね」


翌日の早朝。

生きていたはずの、意識を取り戻したはずの幼馴染みは、病院の屋上から飛び降りた。

遺書などは存在せず、病室も綺麗に整えられていたらしい。

そしてその日は、雲一つない晴れた朝だった。

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