『銀色と桃色』第五話 誓い
決着!
「ま、魔王だとォ? 笑わせんなッ! お前みたいなエルフがなれる訳ねぇだろォがッ!」
「ふっ、見た目でしか判断できないのか? この小物が」
恐怖と驚きで冷静さを失う黒獅子。そんな彼を冷静に挑発するミレディ。そんな対照的な二人の様子。
だが彼らの間には、未だ纏わりつくような殺気が渦巻いている。
「てめェ言わせておけばァ……それだって……どうせハッタリに決まってんだッ! さっさと死んじまえッ!」
黒獅子の怒りに燃えた瞳が見開かれ、再び大剣の切っ先がミレディへと向けられる。
だが彼女は剣を構えたままつまらなそうにそれを見るだけで、脱力したまま動こうともしない。むしろ、そのままあくびでもしそうな雰囲気だ。
それが、その態度がさらに彼の冷静さを奪う。
「このクソガキがァ殺してやるッ! 手足を切り落としてグチャグチャに犯してェ! 犬の餌にしてやるよッ!」
大剣と、『見えない』刃が同時に彼女の体に迫る。
だが……
「下品だな……もっと静かに戦えないのか?」
甲高い音を複数響かせ、黒獅子の体が再び弾き飛ばされた。その巨体は錐揉みしながら飛ばされ、今度は別の民家の壁を突き破る。
だが不思議なことに、その場の誰にも彼女が動いた様には見えなかった。
「がああぁあッ! お前今度は何をしたァッ!」
「ふんっ、見て分からないのか? これだから小物は……」
相変わらず余裕の態度を崩さないミレディ。
既に右手を降ろした彼女は見下した様な視線を彼に向け、その口を開く。
「まずお前のそのしょぼい能力は、七つの『不可視の刃』を作り出す能力だろ? 違うか?」
「ッ!?」
彼の力は呆気なく見破られる。
――不可視の刃。それは常識的に考えて非常に強力なものだ。
見えなければ避けれない、見えなければ受けれない。初見で対処できるものはごく少数だろう。
たが少女は、それをしょぼいと言い切った。
黒獅子はその目を見開く。
「しょぼい……だと? この俺の……この力を……!」
「ああそうだ、お前のその能力は姿が見えないだけで、実態は常にある。だったら私ならそれを感じ取ることもできるし、刀で弾くこともできる。」
そういって得意げに『刀』を振るミレディ。
彼女は、風からその見えない剣の形を感じることが出来た。全ての元素を操ることが出来る種族である、エルフだからこそ出来る芸当。
だがそれでも彼は納得できない。
「だ、だったとしても、八方向からの攻撃だぞ! それを全て弾くなんて……出来る訳ないだろうがッ!」
「出来るに決まっているだろう? 同時に八回刀を振ればいいだけなんだから」
「はあッ!? そんな馬鹿げたこと……ただのエルフに出来るわけねェだろうがッ!」
嘘だ……とでも言いたげに、黒獅子は声を荒げる。
そんなこと、あの『剣聖』にだって出来ないはずだ。
彼は認めたくなかったのだ。目の前の少女が、自分よりも圧倒的な格上の存在だということを。
だがそんなことも知らない彼女は、右手で刀を弄びながら彼を馬鹿にするように言葉を放つ。
「『そんなこと』も出来なくて、魔王になんてなれるわけがないだろう?」
「ッ!」
黒獅子の全身に寒気が走り、思わず身体が震える。
認めたくなかった。だが彼の獣人としての本能は、いち早くその感情を理解したのだ。
圧倒的な格上の存在に対する、恐怖の感情を。
「……認めねェ、認めねェぞッ! 俺は、俺様は最強なんだッ!」
地を削り風を切り裂いて、彼は目の前の『化け物』に再び飛びかかる。
繰り出すのは先ほどまでのような同時の攻撃ではなく、わざとタイミングをずらした高速の連続攻撃。当然威力は落ちるが、その分手数が増える技。
それは、彼の最後の切り札だった。
「喰らえッ! 『獣王八列斬 改』ッ!!」
だが――
「無駄だと言っているだろうが……お前は脳味噌まで筋肉なのか?」
――彼の切り札は、無残にも弾かれる。
意味がわからない。彼はそう言いたげに、顔を無様に歪めた。絶望感が、その歪んだ表情に浮かぶ。
だが、それでも彼は止まらない。
「ふざけんなアァァッ! このクソアマがあァァッ!」
見えない剣戟が、ミレディに雨あられと降り注ぐ。
甲高い音を響かせ、弾かれ続ける剣。威力を落としているため吹き飛ばされる心配はないが、彼の剣はすぐ目の前の少女に届くことはなかった。
何か裏があるはずだ。彼はそう自分に言い聞かせ、剣を振りながら必死に少女を観察する。
だが、彼は気づいてしまった。
少女の右手が、ほんの少しブレていることに。
「嘘だろォ……」
彼女の言葉には嘘も裏も無かった。彼女は最初から言葉通りに剣を振っていた。
獣人である彼でも認識できないほどの速度で……。
「ふざけんな……」
冗談の様な強さの少女。彼の心を絶望が支配し始めた。
段々と彼の振るう剣の速度が遅くなり、それに合わせて弾かれる甲高い音も小さくなる。
心が折れた。彼はもう目の前の化け物の存在を認めるしかなかったのだ。
そしてそんな彼に、残酷な言葉が放たれた。
「はあ、つまらんな。もういいか? 次は私の番だ」
黒獅子の返答など待たず、彼女は動いた。
一閃……。彼の剣を握る右手が斬り飛ばされる。
夕陽に照らされ黒く染まった血飛沫が、彼の身体を汚す。
遅れて来た痛みに彼が叫ぶよりも速く、今度は返す刀で左腕が飛ばされた。
そして激しい痛みの後に、彼は自分の腕が無くなったことを理解する。
「がッ、がああぁぁぁあッ!!」
黒獅子は両肩から鮮血を吹き出しながら、狂ったように咆哮する。
痛みではない、一瞬にして自分の両腕を奪い取った、目の前の存在に対しての恐怖で、彼は狂った。
「どうした、まだ狂ってくれるなよ?」
だが、まだ彼女の番は終わっていない。
彼女は無情にも、再び刀を振るう。今度はその無事な両足をめがけて。
「ひぎッ、ぐぎゃああぁあッ!」
黒獅子の鍛え抜かれた両足も、一刀に切り捨てられた。
支えを失い崩れ落ちた彼は、自分の血溜まりで溺れているかのように無様にもがく。
皮肉にもその姿は、彼が殺した村人達と同じだった。
「ふん……無様だな、興が削がれた」
とどめを刺そうとしたミレディは鼻を鳴らし、振り上げた右腕を降ろす。
目の前でもがく醜い肉塊に、完全に興味が無くなってしまったのだ。そして彼女は、背後で呆然とするギンに向かって話しかける。
「ギン、お前がとどめを刺せ」
「……えっ?」
その時、ギンの目の前に刀が突き立った。刀身も柄も全てが黒いその刀は、間違いなくミレディのもの。
彼女が、ギンに投げ寄越したのだ。
「けど、俺は……」
彼は、妹の亡骸を強く抱きしめる。
悲惨なその姿。奴が憎くないわけが無いだろう。だが、ギンは何かを考え込み動こうとはしない。
そんな彼の煮え切らない態度に、ミレディは鬱陶しそうに嘆息する。
「お前、この先ずっと弱いままでいいのか?」
「……」
ミレディが、ギンに向き直る。そしてその瞳で、真っ直ぐに彼の姿を見つめた。
彼はそんな彼女の姿に、言葉が出ない。
「このまま刀を取らなければ、お前は絶対に変われない。誰も救えず、守れず、後悔しかできない今と同じ弱者のままだ」
「……くっ!」
そんなこと自分が一番分かっている。
彼女のあまりな言い草に、ギンは歯軋りする。だが、それでも彼は何も言えない。
彼女が言った様に、彼は弱者だからだ。
少女は言葉を紡ぐ。
「刀を取れギン。その感情は必ずお前を強くする。絶対に……お前を強者へと変えてくれる」
ギンは思わず息を飲む。ほんの一瞬だけ彼女の瞳が悲しげに曇ったからだ。
傲慢で尊大な少女。彼女の過去に何があったのかは分からない。だが、もしかしたら彼と同じ様な過去を乗り越えて……ここまで来たのかもしれない。
――彼女はここまで強くなる為に、一体何を捨てたのか。
ギンは、そっと、妹の亡骸を地面へ降ろした。
「……あぁ認めるよ、俺は弱い。だから――」
彼の血濡れの手が、黒く塗りつぶされた刀の柄を握る。
「――絶対に……変わってやるッ!」
黒い刀が、彼の手によって引き抜かれた。瞬間、理性によって抑えられていた感情が一気に溢れ出す。
――憎い、憎イ、アイツが……ニクイッ!
「がっ、あああぁぁぁッ!」
「ごぼぁっ!」
黒い切っ先が、何度も容赦なく黒獅子の体を貫く。
その激しい痛みが死の淵にいた黒獅子の意識を強引に呼び起こした。
「がああッ! お前がッ! お前があぁッ!」
「ぐあっ、ぎやぁっ! や、止めッ! ろォ……!」
何度も刀で刺され、狂いそうなほどの痛みが彼の全身を襲う。
まさに地獄。踏みにじった命の分だけ、彼の身体は貫かれていく。
彼にはその地獄が永遠にも感じられた。
「よくも……よくもッ! 父さんを、母さんを、メイをッ!」
筋肉が裂け内容物が溢れ出しても、骨が砕かれ原形をとどめなくなっても、その切っ先は休むことなく振り続けられた。
どす黒い水溜りが広がり、不快な水音を周囲へ撒き散らす。魂が抜け落ちてしまった肉塊はもう動くことはない。
そこまでしてギンはようやく満足したのか、逆手に持っていた刀を持ち替え、今度は大きく天を刺し貫くかのように振り上げる。
そして、目の前の肉塊の、唯一無事な箇所を睨んだ。
「これで……終わりだッ!」
その刀の振り下ろしが、一撃で黒獅子の首を刎ねた。
切断面から今までの比ではないくらいの血が吹き出し、ギンの髪を、体を、赤く汚していく。
彼はミレディに言われた通りにやり遂げた。
だが今の彼の心にあったのは、仇をとった喜びでも、同種を殺した嫌悪感でもない。もっと暗く、救いようのないもの……だがそれは今のギンには分からなかった。
彼は大きく肩で息をしながら、手にした黒刀を無造作に地面へと突き刺す。
「俺は……」
――服や髪と一緒に、『心』まで汚されたみたいだ。
彼は一瞬、返り血に染まったその顔に笑みを浮かべる。どうしようもない様な、諦めた様な笑み。
そして穴か何かを塞ぐ様に、右手で自分の胸ぐらを掴んだ。
――――――――――
「さて、これからお前はどうするんだ?」
「……これから、ですか?」
ミレディが問いかける。あれからギンは両親と妹の亡骸を埋葬していた為、日は完全に沈み辺りには夜の帳が訪れていた。
埋葬場所は家の前。彼女の手を借りながら、踏み固められた土を掘り起こしたのだ。
「これから……ははっ、どうしようかな……だって俺にはもう何も無いからな」
全てを失った彼は、彼女の問いに自嘲した様な笑みを浮かべる。どうするも何も、本当にどうしようもないのだ。
仇も討ち、涙も既に枯れた。そして家族もみんな埋葬した。
彼にはやり残したことなど何もなかった。
「ああ、そうか……あの、そのだな……」
だがそんな様子の彼に、ミレディは俯き気味で何かを呟く。生憎辺りが暗い為、その表情は分からない。
そして彼女は意を決した様に言葉を放つ。
「もし良かったら……私の、配下になってくれないか?」
「へっ?」
彼女の意外な言葉に、ギンは思わず素っ頓狂な声を上げた。
それは彼には全く想定もしていない言葉だった。だがそれは今言うべきではない言葉。場合によってはギンが気を悪くするかもしれない言葉だ。
だが彼女は覚悟を決めたかの様に真剣な瞳で、呆然とするギンを真っ直ぐに見つめた。
「……」
俯き気味で、手をぎゅっと握りしめるミレディ。そこには先ほどまでの尊大な姿は全く見当たらなかった。
まるで怒られるのを待っている子供の様な彼女の姿に、ギンは目を丸くする。
「だ、だめかっ? すまないな……私には配下が一人しかいなくて……そいつもどちらかといえば親しい友人みたいな奴だから、私は他人との接し方がよく分からないんだ……。気を悪くしたなら謝る……すまんっ!」
「え、え? いやちょっと待ってミレディさん」
長い沈黙をギンが気を悪くしたのかと勘違いした彼女が、慌ててギンに謝罪してくる。上目遣いの目線は今は完全に泳いでいた。
ギンは戸惑った様だが、その表情には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
――彼女の慌て方と早口の言い訳が、妹の姿と重なったからだ。
「ははっ、ちょっと落ち着いてくれよ、ミレディ様。ならないなんて言ってないじゃないか」
「へっ? じゃあそれって……ほ、本当に良いのかっ?」
ギンの返事に、今度はミレディが素っ頓狂な声を上げた。
よほど予想外だったのか、目を丸くして頬を赤く染めている。だが彼女はすぐに目を細め、思わず見惚れてしまうような可愛らしい笑みを浮かべた。
そして少しだけ上ずった声で、高らかに宣言する。
「ふふっ、じゃあギン! お前は今日から私の……魔王ミレディの配下だっ! これからは……私の為に生きて、私の為に死んでくれ」
少しだけ、さっきまでの尊大な姿を取り戻したミレディ。
そしてその彼女が出したあまりにも傲慢なその要求。だが、ギンはそれを何故か不快には思わなかった。
そして彼も真っ直ぐに少女の目を見つめ、宣言する。
「はい、俺の名はギン。この命が尽きるその時まで、貴女に使えることを……誓います」
魔王を目指す少女と、全てを失った青年。その二人の出会いは偶然だったのか、あるいは……。
――遂に黒獅子を圧倒的に倒したミレディ! そしてギンは彼女の第二の配下となった! だが彼女の旅はこれからだっ!
第二部『深緑の忍』! お楽しみにっ!