『銀色と桃色』第三話 少女の実力
三話です
――彼は孤児だった。
十数年前、森の奥にある獣人族の村の入り口に一人の赤子が捨てられていた。
村の入り口に捨てられていたその子は磨かれた銀細工のよう美しい銀色の髪をしていたが、様々な種類がいる獣人たちの目から見てもそれは異様に見えたようで、引き取ろうとするものはいなかった。
そして、ついに赤子が衰弱し命が尽きようとしたその時、一組の猫の獣人の夫婦がその赤子を拾い上げる。
それから赤子は夫婦の献身的な看病のおかげで、一命を取り留める。
その特徴的な髪の色から『ギン』と名付けられたその赤子は、すくすくと元気に育っていった。夫婦は前の子どもを死産していたため、普通よりも大きく、深い愛情をギンに注いでいった。
彼の生活はいいものではなかった。家の外ではその髪の色のせいで蔑まれ、虐められ、多くの嫌がらせを受けた。そのうえ彼の味方をするものは誰一人としていなかった。だがそれも、閉鎖的なこの村では仕方のないことだったのかもしれない。
何度も死にたいと思った、全てを投げ出して何処か遠くの場所へ逃げて行ってしまいたいと思った。
……だがそれでも彼の両親は彼を愛し、決して見捨てようとはしなかった。
そんなある日、彼に妹が出来た。
死産をしてから初めて産まれた子どもに、彼ら家族は涙を流しながら喜んだ。妹は両親によく似た猫の耳と毛並みを持っていたが、それでも彼の両親は今までと変わることなく彼を、そしてその妹も同じように愛し育てていった。
彼は『メイ』と名付けられた妹に自分が両親にされたように深い愛情を彼女に与え、育てていった。彼は愛される側から愛する側になったのである。……だがそれでも、村の人々は彼を許すことはなかった。
――そして、「あの日」がやってきた。
「間に合え……間に合ってくれ……!」
彼は走る――大切な家族を救うために。
――――――――――――
「本当にこの道で合ってるのか?」
木の根を飛び越えむき出しになった土を蹴りながら、まるで風にでもなったかのように森の中を駆けるギン。その後ろを平然と追い続けるミレディが彼に問いかけた。
「ああ、大丈夫だ……俺は十年以上この森で生活しているからな」
ギンは目の前の景色から目を離すことなく、言葉を返す。結局彼は後ろを走る彼女を連れて、村に引き返すことにしたのだ。
このまま何日もかけて来るかわからない傭兵を探すよりも、それなりの実力を持つであろう彼女を連れ帰った方が、被害が少なくて済むだろうと考えたからである。
「そんなに離れていないから、すぐに着くはずだ……」
彼は自分に言い聞かせるかのように呟く。いや、実際言い聞かせているのであろう。いつもなら十数分で着くはずの道なのに、今はその何倍、何十倍も長く感じるからだ。
と、その時。
「ちッ! 来やがった!」
村へと走り続ける彼らの背後から森の土 と木の臭いに混じり、血と獣が混じったような不快な臭いが漂ってきた。
その臭いの元となる魔物の血走った目には、前を走る二人の姿がしっかりと捉えられている。
「……猟犬か」
「ああ、しかも今度は仲間を連れてきたみたいだなっ!」
背後から迫る影達はその黄ばんだ鋭い牙を剥き、憎々しげに前を走る彼らの後ろ姿へ向かって吠える。その姿は、まるで先ほど命を奪われた仲間の仇を取りにきたかのようだった。
「振り切るぞ!」
焦ったギンは、獣人族である自分に何事も無いかのようについてくるミレディに向かって大声で叫んだ。だが……
「少し落ち着け」
「ぎゃいんッ!」
背後から髪と同じ銀色の尻尾を掴まれ、全力疾走していた彼は勢いよく顔面から地面に突っ込んだ。
「痛い! 何すんだよ!」
「お前は熱くなりすぎだ、少しは冷静になれ! 目的地がバレているんなら逃げきれないだろう!」
ミレディは顔の痛さと焦りと恥ずかしさで一人熱くなるギンへ一喝すると、冷静に、マントを翻しながら背後の犬の群れへと振り向く。さっきまでは十匹程度だった猟犬の群れは、この少しのやり取りの間に三十匹近くにまで増え、完全に二人は囲まれていた。本来ならわ絶体絶命のこの状況。
「さて……犬どもを殲滅するぞ」
彼女は、感情が『無くなって』しまったかのように冷徹な目で犬の群れを捉えると、ゆっくりと左手を宙に伸ばし、呟いた。
「召喚魔法――」
「なッ……!」
彼女の左手が光に包まれたかと思うと、次の瞬間、その手には一振りの剣のようなものが握られていた。
「どうせ村に逃げてもいつか追いつかれる。だったら今片付けた方が楽だろう?」
「そうだけど、三十匹近くいるんだぞ!いくら君でも無理だろう……それに、そんなよくわからない剣で勝てるのか?」
心配そうに問いかけるギン。なぜならミレディが持っている剣は彼が知っているものとは随分と違っていたからだ。彼女の持つ剣は鞘に入っていても分かるほど細く、大きく反っている。それでは叩き斬ることなど出来ないであろう。
猟犬と戦った時に彼は斧で攻撃をしたが深傷を与えることは出来なかった。
それゆえの判断だったのだが。
「うるさいなぁ、大丈夫だ」
あまりにも素っ気ない態度で、彼女はとても面倒くさそうに言葉を返す。そして……
「だからお前はそこで見ていろ。私の戦いを」
そっと右手を、その剣の柄に掛けた。
すると……
――世界が姿を変えた。
「……!」
空気が変わる。彼女が剣の柄に手を掛けただけで、周りの空気が重くまとわりつき、動けない。それどころか呼吸すらも満足にすることができない。
恐怖を感じることすらできないほどの恐怖……本能的な『死』の恐怖が、ギンと周りの犬達を完全に飲み込んだのだ。
そして彼は一拍おいて気がついた。これは彼女が、目の前の少女が発する異常なまでの殺気なのだと。
「……」
少女は動かない。左手で鞘を掴み右手をその柄に掛け、体を丸めうずくまったような姿勢。その姿のまま時が止まったかのように静止し、剣を鞘から抜こうともしない。
――だがもしかしたら既に、彼女その剣を構えているのかもしれない。ギンは不思議とそんなことを考えていた。
誰も動けない。森の木々さえも、いつもの騒めきを忘れたかのように静かだった。
だがその時。
「ガウァッ!」
恐怖に耐えられなくなった猟犬が数匹、木の葉を散らしながら少女に飛びかかる。
飛びかかった八匹ほどの猟犬達は気がふれたかの様に牙を剥き、少女のむき出しの白い首筋へそれを突き立てようと迫る。
だが、それでも少女はまだ動かない。
「あう……ぁ、危ない!」
ギンが声を振り絞り、叫ぶ。もう少しで猟犬の牙が少女に届く……。
――その瞬間
「――居合……一閃」
一瞬、少女の持つ剣が暗く光ったような気がした。すると宙を舞っていた猟犬達の体や首から突然血が噴き出し、横一文字に両断された。
あまりに現実離れした目の前の光景にギンは立ち尽くしていたが、頬にかかった獣の血の生暖かさに、彼の意識はこの現実離れした現実へと一気に引きずり戻される……。
「おい、腰を抜かしている場合じゃないぞ」
呆れた様なミレディの声が聞こえる。
気づけばこの一瞬の間に殺気が解かれたようで、木々は騒めきを取り戻し、猟犬達は両断された八匹を残して姿を消している。
それでもギンは気づかずに、未だ土の上にへたり込んでいたのだ。
「村に向かうんだろ?急ぐぞ」
「は、はい! わかりました……」
ちらりと猟犬達の死体を見をやる。土の上に血と臓物を撒き散らしてはいたが、その切断面は見たことがないほど綺麗であった。
彼は震える足を無理矢理立たせ、よろめきながら走り出す。だが、疲労した体とは裏腹にその顔には笑みを浮かべている。
なぜなら――
”この子なら……この人なら、あいつを倒せる!父さん母さん、メイ……待っていてくれ!俺は必ず……。”
――希望を持ったからだ、それも、とてつもなく大きな希望を。
彼は走る、ミレディという名の武器をその手に。
――不快な臭いが漂ってきた
犬系統であるギンには、それが何の臭いであるかすぐに分かった。
「おい大丈夫か? 様子がおかしいが……」
「……ああ」
そしてその臭いがだんだんと強くなっていること、そして、それがどこから漂ってきているかということも彼にはすぐにわかった。
「どうした? ……ギン?」
「嘘だろ……」
彼は村へと駆ける――漂う濃厚な血の臭いを目印に。
――やっとの思いで村に辿り着いたギン達、だが彼らがそこで目にしたものとは……ッ!
次回、『絶望』! お楽しみに!