『銀色と桃色』第一話 出会い
一話です。
「クソがっ!!」
とある国の端にある、深い森の中。鮮やかな銀髪を携えた青年が、息を乱しながら一人駆けていた。
「しつこいんだよッ! この犬っころが!」
彼は背後から迫る獰猛な気配に向かって悪態を吐く。無駄だとは分かっていたが、言わずにはいられなかったのだ。
彼の髪を掻き分けて生えた犬の耳。それが青年の苛立ちを表し、小刻みに痙攣する。
「こんなとこで……死ぬわけにはいかないんだよッ!」
髪は乱れ、服は所々破けていたが、それでも彼は決して止まることない。満身創痍の体で必死に背後の気配から逃げ続ける。それもそのはず、彼は今大型の獣に追いかけられていたのだから。
その人間ほどの大きさの獣は『主人』の命令を忠実に遂行するために、その異常に発達した犬歯をさらけ出す。目の前の『獲物』を確実に仕留めるためにだ。
「もう少し……もう少しだったのに……最悪だッ!!」
彼は体力と足の速さには自信があった。そんな並外れた運動神経の彼でも半日近くも走り続ければ、いつかは限界が来る。
そして疲労が溜まった彼の足が地面から飛び出した木の根にぶつかり、彼の体は宙に放り出された。
「ぐあッ!?」
そのまま。柔らかな土の上に打ち付けられた彼の体。
柔らかな地面が幸いし、転がる彼の姿に怪我はない。だが一度動作を止めたその体は、再び立ち上がることを許さない。
既に彼の限界を迎えていたからだ。
「ごめんみんな……俺はもう……」
もう立つどころか動くことすらできない青年へ、その獣はゆっくりと近づく。
『猟犬』と呼ばれるその獣はようやく獲物を仕留めることができる嬉しさに、その太く長い尾を少しだけ揺らす。そしてそのまま、動けない青年の首筋へナイフの様に鋭く尖った牙を押し当てた。
「あぁ、ごめんな……メイ」
首筋に当たるその感触に全てを諦めた青年。その口から誰かへの言葉が漏れたが、目の前の獣は決してそれを理解することはない。
彼が覚悟を決めた、その瞬間。
「助けてやろうか?」
彼の顔を掠め、一筋の閃光が疾る。その光は反応が遅れた猟犬の額に突き刺さり、その赤褐色の体を弾けさせた。
「ぎゃいんっ!!」
身動きが取れない青年の体は爆発の余波に巻き込まれ、背後に生える大木の太い幹にぶつかる。そのあまりの衝撃に、彼の肺の中に残る空気が全て押し出された。
「下位光魔法、閃光……流石は私だな。ただの下位魔法でもこの威力か」
「かはっ……こ……殺す気か……よ……」
青年の意識は得意げに笑う桃色髪の少女の姿を捉えたが、深い闇に落ちた彼は、それを理解することはできなかった。
――――――――――
「はっ! ここは一体……うわっ!」
目が覚めた青年は自分の姿をみて飛び上がった。
なにしろ何時間も逃げ続けたせいで服はぼろぼろ体は切り傷擦り傷だらけ。そのうえ猟犬の返り血を浴びたせいで、見た目はまるで惨殺死体のようだったからだ。
「うおおっ! あっ……生きてるのか……」
思わず自分の手を握り生死を確認する青年。大丈夫だまだ温かい。
その結果に安堵した彼は小さく呟く。
……すると
「なんだ、目が覚めたのか?」
「あっ、君は」
突然、声をかけられた。
青年の目の前に現れた桃色の髪の少女。こんな森の中にふさわしくないような出で立ちをしたその少女は、まだ幼さの残る可愛らしい顔に少しの苛立ちの表情を浮かべながら、青年を見つめている。
というよりも青年には見下している様に見えた。
「さっきは助けてくれてありがとう、おかげで死なずにすんだよ」
「かまわんよ、たまたま通りがかっただけだからな」
「そ、そうなんだ 」
まるで年相応ではない少女の話し方に、青年の表情に戸惑いの色が浮かぶ。
正体不明の少女。おそらくたまたま通りかかったというのも嘘なのだろう。彼は彼女の正体を知るべく、話を続けた。
「そういえば自己紹介がまだだったね。俺の名前はギン! 見ての通り獣人だ」
ギンと名のった青年。彼は犬型の耳をピコピコと動かしながら少女を見つめ、続けて問いかけた。
「君の名前はなんていうんだい?」
「私か? ふふっ、私はな……」
名前を聞かれ、機嫌良く笑う少女。彼女はその体に合わせた小さなマントを翻すと、得意げな笑みを浮かべて高らかに叫んだ。
「我が名はミレディ! 偉大なるエルフ族初の魔王となり、やがてこの大陸の全てを支配するものだ!」
少女の桃色の髪の中からぴょこっと飛び出す、長いとんがり耳。それが自己主張するかの様にぴくぴくと小刻みに揺れる。もしかしたら嬉しいのかもしれない。
「お、おう……」
ギンは少女のいきなりの発言に思わず息を飲んだが、それと同時に納得してしまった。なぜなら勇者と魔王というものは、この世界の子供達の憧れの的であったからだ。
おそらく彼女は人よりも強い魔法が使えるので、その憧れの感情を拗らせてしまったのであろう。
かくいうギンもほんの十年程前には、この少女のように御伽話の勇者と魔王の戦いに憧れ、勇者になりきっていた。
……彼にとっては忘れたい過去である。
「まあ、まだ目標なだけであって魔王ではないから安心しろ!」
「ああ……うん、頑張ってね」
ギンの優しい眼差しが少女に向けられる。彼は自分の過去と重ねてしまったのだろう。
「ふっ、言われなくてもそうするさ……。それよりお前、なぜさっきあの猟犬どもに追いかけられていたんだ?」
「……あー、それはだな」
ギンはもう一度目の前の少女を見た。
年は十四、五歳くらいだろうか。癖のある桃色の髪を首筋で切り揃え、高級そうな服に身を包んだまだ幼さの残る少女。
魔王どころか傭兵にすら見えないその出で立ち。
――絶対に彼女を巻き込んではいけない。これは自分達の問題なんだ。ギンは決意する。
そして彼はおそらく貴族か商人の娘であろうその少女に、安心させるための嘘をつく。
「実はこの奥の俺たちの村にさっきの犬の魔物がたくさん出てきてな、俺たちじゃ手に負えないから人間の村に助けを求めに行こうとしてたんだよ。そしたら運悪く見つかっちまっ……」
「嘘だな」
少女が話を遮る。彼女は今までよりも鋭い目つきでギンを見つめ、一切の遠慮なく話し出す。
「野生の猟犬共は、群れのリーダーの命令に従い常に『集団』で行動する。奴らは絶対に単体になることはないんだ」
びしっと指を突きつけながら、彼女は言葉を続けた。
その瞳からは既に鋭い物が消え去り、代わりに得意げな笑みが浮ぶ。
「つまりさっきの猟犬は野生のものではなく、誰かにテイムされていたものが『主人』の命令を受け、単体でお前を追いかけていた……違うか?」
「な……」
ギンはミレディのその意外な洞察力と知識に言葉が出ない。彼の嘘は、瞬く間に見破られたのだ。
まずい、このままでは気づかれてしまう。そう考えた彼がどうにか取り繕うとしたその時。彼の背後の大木が文字通り木っ端微塵に弾け飛んだ。
突然のことに、彼は言葉が出なくなった。
「お前、ギンって言ったか?」
長い沈黙を破り、放たれる彼女の声。
彼の瞳は、背後の木の残骸から再び目の前の少女に向けられた。
「まだ死にたくないんだろう? だったらさっさと話せ」
「へぁ……? わ、分かった……」
状況を理解した彼は、渋々と今の自分と村の状況について話し始めた。
――犬耳青年のギンの前に現れた謎の少女! 彼女のの正体とは一体……っ! そして彼の秘密とはっ!
次回『彼の村』! それではお楽しみにっ!