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DOG  作者: 井上たつき
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禁族

「……お嬢?」

 萬の目の前を、鮮やかな赤い振袖が舞った。

 一緒に作っていた砂の城は途中で置き去り。岩場に消えてしまった。

「お嬢ー?どうしたー?」

 まっさらな砂浜に足跡をつけ、後を追う。

 中途半端な髪を後ろで一つに束ね、両耳にはサンゴの耳飾り。

「った!」

 砂とは違い、岩は足裏を強く刺激する。

(こんなトコ素足で入って……綺麗な脚に怪我でもしたらどうする……っ)

 ゴツゴツと盛り上がった岩によいしょと上り、その下でしゃがみこむ赤を発見した。

「おじょ――」

「まーちゃん」

 打ちつけられ、しぶく波。見上げる、美しい空の色。

「これ、落し物かな?」

 捉えた現実に、鼈甲の色はこれ以上ないほど見開かれていた。

 


 隔絶されし其処に住まうは、神の名を預かりし者。

 守護すべし奥は、立ち入り禁止の禁域。

 世は、彼らを『禁族』と呼ぶ――



 山中に突如現れる異空間。伝統と年月を感じさせる、荘厳で壮麗、古から続く神の社。

 当主直々の令で呼び戻された大和は、暗く冷たい闇の中にいた。

 蝋燭の灯に照らし出される白の束帯姿。年を重ねるごとに深みを増す凛々しい顔立ちと年輪の如き雄々しい風格。一糸の乱れも許さぬその風貌は実直で生真面目、一本気な彼の性格をよく表わしている。

 それと向き合う当主――双樹もまた、白の束帯姿。大和と同じく一族特有の漆黒の髪と瞳を持つが、その髪は短くバッサリと切られている。

 双樹を表す形容詞は『地味』で『凡庸』。目立たず、冴えず、他に埋没する彼の特性は粒揃いの美形一族の中では特異。

 それが、三つも並んでいる。

「だ~からぁ~、最初から言ってるじゃないですかぁ。ボク、当主の器じゃないんですよぉ。ゼッタイ大和様がなるべきですってぇ。今からでも遅くない、名代返上して当主になりません?そうすればボクも弟君から責められずに済みますしぃ。万事解決ってことで、ね!」

 瞬間、両脇から鉄拳が振り落とされ、「いった~い!」と蹲った。

「いい加減にしろ。聞くに耐えない」

「ほんっっっっま、なっさけない!ふざけんな、この唐変木!」

 痛みからか、双樹はポロポロと目から涙を零している。

 中央に坐す双樹と、両脇に侍る森羅と万象。クローン人間も真っ青な三人だが、容姿以外ははまるで違う。

 二人は狩衣姿。そして、長髪。断髪し、その白を纏うのはただ一人だけ。

「……また、弟が何か申しましたか?」

 じっと見据える、この眼差し。逸らすことなく貫き通す、この強さ。

「いや、いやいやいや!お前が気にすることとちゃう!なっ、森羅!」

「その通りでございます。全ての原因はこの不甲斐ない主にあります。お気を煩わせ、申し訳ございません」 

 深々と頭を下げる森羅。珍しく、万象もそれに倣った。

 この光景から、ある一つのことが読み取れた。

「……あとで、少し顔でも見て行くよ。しっかり灸は据えておくから安心しなさい」

 ――全て、お見通し。これが、大和という人物の強みでもある。

 側近二人は安堵した。正直、これ以上の面倒事は避けたかった。

「それにしても……」

 双樹が、痛む頭を押さえながらゆっくりと浮上した。

「あんなモンがいるとは、夢にも思っていませんでした」

 それは、大和にとって久方振りに見る当主の顔。

「どうでした?」

「……どうにもこうにもならない。というのが現状でしょうね」

 返す言葉は、苦く重い。表情は濁り、苦悩しているのがわかる。そんな大和の姿に、三人は同情した。そして、自分はこんな役回りは嫌だと心の底から思った。

「普通に見れば天災です。情けない話ですが、近づくことさえできません」

「……触らぬ神に祟りなし、ですねぇ。うちもそうしたいところなんですが……」

しばらく沈黙が続く。そんなこと、出来ないのは百も承知だ。

「そりゃ、面子も丸潰れやろ」

 万象が、詰まった息を吐き出した。

「誇り高いとはよぉ言うけど、要は他を見下して驕り高ぶってるわけや。特に、あいつらの人間に対する侮蔑は異常。その人間にやられたとあっちゃあ、堪らんやろな」

「それだけではない」と森羅がその口を開く。

「驕りとも取れるそれは、彼らにとって確かな誇り。それが侵されたとなれば、怒りは当然のこと。それが〝玉〟なら、尚更だ」

 万象は「なんっつー面倒なことを……」と文字通り頭を抱えた。

「現状、手の付けようがありません。こちらの言うことなど聞く耳もたないでしょうし、そもそもこの状況では近づく者は容赦なく皆殺しでしょうね」

 大和のその言葉に、空気がピンと張る。

 厳しさを浮かべる二人に対し、双樹は「あ~、こわ~」と緊張感に欠ける。

「うちもかなり影響を受けていると思っていたのですが……流石ですね」

「その〝流石〟を、どうすり抜けて来たんでしょうねぇ?」

「!」

 その漆黒は、どこを見ているのかわからない。自分に向かってはいるが、果たしてそうとは限らない。

「国を閉じてから幾星霜。外部の侵入を許すなど前代未聞ですよ」

 そして、「まぁ、過去に一度。内側から破られたことはありますが」と軽く宙を見た。

「……あの方は、なんと?」

「驚いておられましたよ。侵入者の件もそうですが、それを見つけたのが姫ですからね。まぁ、うちがこの状況で済んでるのは間違いなくあの方のおかげです。大噴火五秒前みたいな大御所方を鎮静化して下さいましたから」

「……そうですか」

「――大和様」

 呼びかけに、改めて応えた。真っ直ぐに。

「大和様には詳しい状況確認と動向を伺って頂きたいと思っています。何分、状況が状況ですので」

 当主からの要請に伏せ、大和は静かに快諾を示した。

「今は、どちらに?」

「姫があちらに連れて行きました。意識不明でしたし、治療するとか何とかで。まぁ、うちにいたらもれなく誰かがぶっ殺すでしょうし、荒れて荒れてどうしようもないので。正直いなくなってもらった方が好都合でした」

「では、姫様も?」

「えぇ。おかげでご機嫌が悪くて悪くて……」

 再び、漆黒が浮く。うんざり気味で「もうイヤ」と顔に大きく書いてある。

「レオン様がいらしていると聞きましたが?」

「あら、話が早いですねぇ?どこからです?」

「この状況に駆けつけたのは私だけではありませんから。それはもう、息を呑むほどの錚々たる顔ぶれでしたよ」

「なぁ~んか、聞いただけで震えが来るような響きですねぇ」

 とは言いながらも、双樹は宙を仰ぎ見ながらふわふわとしている。

「……うちは、どうですか?」

 少しの不安が見える。彼にしては珍しい。

「そりゃもう、御想像の通りで。姫を取られた挙句、他所の男にくっついて行ったわけですからねぇ」

「……そうですか」

「でも、暴走はないと思いますよ。そこは、さすが我らが姫。くるっと言いくるめて行きましたから」

 そこに「ほら、あれちゃう?」と万象が口を挟んだ。

「絶交宣言が効いてるんやて」

「……〝絶交宣言〟?」

「お。大和は初耳やったか?あいつらめちゃくちゃやろ。それで姫が怒ってな」

「………何をしたんですか」

 万象は「……まぁ、そうなるわな」と頭を掻いた。大和の反応は、知る者なら尤もだ。

「姫はあいつらの精神安定剤でもあるけど、荒れる原因でもある。『誰かのモンになるようなタマじゃない』とは聞いてたけど、まんまやな」

 双樹は「ほんっとに、おっそろしいよねぇ」と実感を込めて呟く。

「あいつらの犯罪まがいの所業を数えあげたらキリがない。普通なら殴る蹴るの暴行ぐらいで済むんやけど、なんせ相手が姫やからな。手足ボキボキに折って監禁するわ、強姦まがいの乱暴するわ、マジで殺しかけたこともある。それも何度もや」

「…………」

「それでもま~~~ったく怒らんと、何事もなかったように自分からまた近寄って行くもんやから、こっちがヒヤヒヤや」

 指折り数える万象は「その姫が怒るなんて、異常やわな」と目を瞑った。

「たぶん、あいつらの牙が『他所』に向いたのがあかんかったんやろ。――姫の『友達』を本気で殺しにかかった」

「…………」

「それが逆鱗に触れたみたいでな。結果、『謝るまで絶交』って言い張って、取りつく島もない。使い出そうが文出そうが全部門前返し。会いにくることもなくなった。それが堪えたみたいで、今はもう姫に完全に手綱握られてる」

「……申し訳ない」

「お前が謝ることじゃない」

 この件に関して大和は一抹も悪くない。むしろ、本当によくやってくれている。

「でも、なんかあったよねぇ……『誰かに奪われるくらいなら、いっそ殺してしまいたい』だっけ?情念にも似た愛の歌」

 その呆けた口調に、万象の額にピキピキと青筋が浮く。双樹にはあり得ない、ギロリと剥き出しになった眼球が睨みつける。

「そもそも、あれを『愛』などと呼ぶべきではない」

 三人の『理性』とも言える森羅が、歯に衣着せぬ物言いで事実を述べた。

「度を超えた横暴に過ぎない。独占欲と執着心故のな」

 その意見に万象もウンウンと同意する。

「まだ『姫がいれば他に何もいらない』みたいな態度やったら可愛げがあるんやけど、そうじゃないんが始末に負えん。姫の感情なんか丸無視で、本気で自分の所有物やと思ってる。やから他所に行くのを許さんし、何しても自分の勝手やと」

「それは、おそらく今も変わらんだろう」

「…………」

 大和の眉間に、深い苦悩の渓谷が刻まれる。

「まぁ、どんな理由があったとしても姫を傷つけたことには変わりないからねぇ。そりゃあ、怒るよねぇ」

「怒るっつーか、その度に殺し合いやられちゃ敵わんわ」

 異常な固執を見せるのは、なにも彼らだけではない。

 骨肉の争い。修羅場。それは幾度となく繰り返され、まだかろうじて死者は出ていないものの、半端でない力同士の衝突は本人よりも周囲に多大な被害を及ぼす。

「……しかし」

 双樹の背筋が、ぐにゃりと前かがみに曲がった。

 胡坐に猫背。これこそ、彼の通常モード。今までは側近の二人に尻を蹴られ叩かれ、無理矢理姿勢を正して背伸びをしていたにすぎない。

「げにおそろしきはあの本能ですよ。『天下無双、天衣無縫の性質の悪い天性魔性の天然誑し』とはよく言ったモンです。ほんと、天晴れお見事ですよ……」

 そこでようやく、大和の顔が緩んだ。

「ちょっと大和様!笑いごとじゃないですよ!本当におっかないんですからね!?大和様も御存じでしょう!?……あ~~、思い出しただけで震えが……、っっ!」

 答えを返すかのように、大和は懐古的で穏やかな笑みを浮かべた。

「――では、これにて」

 それは、泰然自若な名代の顔。立ち去ろうとする足を「もう行かれるんですか?」と当主自ら止めた。

 顔が、振り向く。完全にではなく、見返る程度に。身体は、前を向いたまま。

「最悪、戦争です。それだけはなんとしても回避する必要があります。立ち止まっている時間はありません」

 迷いのない、強い言の葉。それには観念する他ない。

「それはそうですが、戻って来た時くらい少しは肩の力を抜いて下さい。貴方の帰りをそれはそれは首を長~~~くしてキリンさんになって待ってたのは、何も弟君だけじゃないですよ」

 その物言いに「えっっっらそうに。お前が言うな」と再び万象の拳が落ちた。

「いったいなぁ~。そうボカボカ殴んないでくれるぅ?暴力はんたぁ~い」

「お前がふざけたこと抜かすからやろーが!お前は当主なんやぞ!しっかりせぇ!」

「だからぁ~、ボクはその器じゃないって何度もっ、……った~~!また殴った!」

「ほんっっっっま、情けない!このウド!デク!」

 大和にとっては久しぶりの、いつも通りの喧騒。これを聞くと「帰って来たな」と思う。

「……申し訳ございません」

 そんな二人に代わり、森羅が深々と頭を下げた。これもまた、いつもの光景だ。

 大和は、微笑んだ。

 改めて当主と側近二人に礼を尽くすと、英姿颯爽と恋い慕う懐かしさを後にした。

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