私の嫌いな女。
地元の祭りで、私の嫌いな女に会った。私の方を見ずに、素知らぬ顔で立ち去ろうとするその女に、私はわざと声をかけた。知らん顔して関わらずにいればいいわ、とか思う、この女のこういうところが大嫌いなんだと思う。
近所に、中学時代の1つ年上の先輩がいる。大きな家で、昔から代々この地に住んでいる。先輩は男で、部活も違ったので、さほど接点はなかったのだが、私も長くこの地に住む地元の人間だから、幼い頃からお互い知っている状況だった。
大人になり、先輩も私も結婚して、子供が出来た。息子が3歳の頃、近くの公園で同じ歳の頃の男の子を連れた女の人に出会った。ママ友なんていなかった私は、思い切ってその女の人に声をかけてみたら、なんと、その人はその先輩の奥さんだったのだ。
優しそうに笑う、「ママさん」というイメージのふんわりした女の人だった。聞けば、連れている男の子は、私の息子より1つ年上だったが、学年は一緒だということだった。近所なので、幼稚園や小学校、中学校は一緒になるということで、私たちはお互い「よろしくね」と挨拶を交わしたのだった。
そして、息子が幼稚園に通うようになって、先輩の息子とも同じクラスになることもあって、お互いの家を行き来したり、とても仲良くしてもらっていた。
小学校も息子と先輩の息子もよく同じクラスになった。高学年になり、息子が運動不足で少し肥満気味になって来た頃、私は先輩の奥さんに相談した。
「何か運動させたいんだけど・・・Tくんと同じとこで空手とか習おうかな」
先輩は、息子3人と共に空手を習っていたのだ。
「Yくんが来てくれるならTも喜ぶわ!一回見学しにおいでよ~」
と、奥さんも言うので、私と息子は空手の道場に見学しに行った。
近くの公民館を借りて、小さい子から大人までみんな一緒に稽古をしていた。
「Yくんも体験してみたら?」
と、言われ、息子も稽古の輪の中に入って少し動き方を教わったりしていた。
「あの人は・・・?」
私は先輩の奥さんに聞いた。一人だけ、大人の女の人が混じっていたのだ。キリッとした表情で、とても美しかった。
「あの人、横にいる小さい男の子のママさんよ。格好いいでしょ、綺麗だし」
確かに。クールビューティーというのか、とても格好良かった。
「ここの道場ね、お子さんと一緒に習うとお母さんはお金いらないのよ」
「ええ?そうなの?」
「Yくんと一緒にママもやってみたら?」
先輩の奥さんにすすめられ、私はまた稽古に励む美しいママさんを見ていた。あんな風に出来たら、確かに格好いいな・・・。私のお金いらないなら、息子と一緒に習ってみようかな。
そうして、私と息子はここの道場にお世話になることにしたのだった。
空手を始めて、その綺麗な女の人ともよく話をするようになった。組手をする時には、私とその人が組むことが多かったのだが、小柄で細身なのに、力がパワフルで、とても怖かった。極真空手だったのだが、私は何度その人に殴られ、グエッとなったことか。
その女の人は、黒帯を目指しているらしく、とにかく稽古に励んでいた。私みたいに中途半端に息子と一緒に習えば~みたいな感覚じゃなかったので、真剣そのものだった。
道場の合宿も毎年あるらしいのだが、私は主婦だし、息子が行くなら息子だけ行かせればいいか~なんて考えてたのだが、その人はもちろん自分も参加する!と張り切って合宿にも参加したようだった。
その合宿の時に、足の小指を骨折してしまったらしく、しかも、怪我をさせたのが先輩だったようなのだが、
「私のこの足~、Kさんのせいなのよ~」
と、話すその人は、なんだかとても嬉しそうに見えた。
その後、息子が中学生になり、部活を始めてからは、空手の稽古をよく休むようになり、私は続けて通っていたが、息子が行かないなら月謝も勿体ない・・・という気持ちから、私たち親子は道場をやめた。息子も、Tくんがいたから少しは空手をやってみたが、結局息子も空手には向いていなかったのだ。私も頑張って審査も受けて帯を2つ上げたが、あの綺麗な人みたいに、黒帯まで行く若さも自信もなかった。
私たち親子が空手をやめてから、道場にいる私の娘の同級生のママさんに、ある噂を聞いた。
「なんかね・・・Kさんとあの人、深い仲みたいよ」
あの綺麗なママさんが、先輩と恋仲だというのだ。
私はショックを受けた。先輩の家族は仲良くて、奥さんもいつも優しく笑っていて、子供たち3人共、とてもいい子に育っていて、理想の家族だったのだ。
しかし、噂は本当だった。あんなに仲が良かった先輩が離婚して、奥さんは子供3人連れて実家のある町へと引っ越して行った。それも唐突に。
「なんかTが引っ越すみたい」
と、息子に聞いてビックリしたのだ。そして、その離婚を原因に、あの可愛かったTくんはすっかり非行に走ってしまった。
Tくんの気持ちを考えると、そりゃあそうなるでしょう。空手をずっと頑張ってきて尊敬していたお父さんが、同じ道場の女の人とデキてしまい、大好きなお母さんを捨てたのだから。オヤジは何のために空手頑張って来たんだよ!?女作るためか!?てなるでしょう。
一方のその綺麗なママさんの方も家庭があったのだ。私も数回、迎えに来ている旦那さんの姿を見ている。噂を教えてくれたママさん曰く、
「稽古の合間にね、あの人の息子がKさんの膝の上に乗ったりしてね、なんか、すでにパパみたいになってるのよ」
ふうん。子供が小さいとそういう風に持って行けるわけなんだね。私は、その頃に自分の気持ちに気が付いた。あの理想の家族だった先輩一家を壊す原因になった、あの女が嫌いなんだわ、と。
主人が習い事先で女性を作りまして・・・とも言えず、先輩の奥さんは逃げるようにこの地を去ったのだ。何か言葉をかけようにも、メアドも変えられ、連絡先もわからなくなってしまった。私が思い出すのは、優しい奥さんの顔。奥さんの気持ち、考えただけでも涙が出る。先輩も先輩だ。何やってんのよ、バカじゃないの!?あの女と浮気するのは構わないけど、家庭を壊すって何なの?そこまで頭イカれちゃったの?
先輩の離婚からしばらくして、町内でよくあの女を見かけるようになった。ある日、スーパーでバッタリ会った時のことだ。向こうは私が先輩の離婚の理由など知らないと思っているから、のうのうと話しかけてくる。
「今ね、道場の事務の仕事をKさんと2人で任されてるからやってるの~」
「そうなんだ~」
「もうすぐ審査で黒帯になれるかもなの」
「すごいね!頑張ってね」
たったこれだけの会話だが、『先輩と2人で』ということを強調したのには、先々のことを見越してのことだったのだと思う。別の地域に住んでいる彼女が度々この町内で姿を見ることになるだろうというための『情報の植え付け』のような感じに聞こえた。
その後、また道場にいるママさんに聞いたところ、あの女が黒帯になった後、スキャンダルが道場にも知れて、先輩もあの女も道場をやめたというのだ。本当に、あの2人は何のために空手をしていたのか。合間にイチャイチャしていたんだろうと考えるとゾッとする。お互いの子供も同じ道場にいたのに。
結局、私はこの一件で、先輩のことも嫌いになってしまった。自分の奥さんと子供を泣かせて、あの女と一体何がしたいのよ、と思ってしまうのだ。他人の人生だから、何をどうしようと関係ないんだろうけど、それでもやっぱりなんか気に入らないのだ。
しばらく、あの女も町内で見ることもなく、もしかしたらすでに2人は終わってたりして、という考えでいたのだが、地元の祭りであの女に会ったのだ。
人ごみの中で、私は自分の母親を探していた。祭りに行くと言っていたから、顔を見たら声をかけようと思って、ちょうど地元の人が集まっている場所に向かったのだ。すると、近所のオバチャンの少し先に、先輩のお母さんの姿が見え、隣に先輩がいたのだ。
「あ、Kさん・・・」
と、思った時に、隣にあの女がいるのが見えた。ああ、まだ2人は続いてたのか。先輩の母親に声をかけているということは、そろそろ再婚ということかな・・・とか一瞬のうちに考えている私の方を、先輩がちらっと見た。そして、あの女に何か言った。そこから、あの女は私に背を向けたまま、こちらを見ようとしなかった。きっと、一緒にいるのをバレたくないから目を合わせないつもりなんだろう。そして、先輩が
「よっ」
と私に挨拶をし、向こう側にあの女と立ち去ろうとした、その時。
意地悪な私は声をかけた。去っていく2人の後ろ姿を追いかけて、あの女の背中をポンッ!と叩いて
「久しぶり~!!!!元気っ?」
と、満面の笑みで。
「・・・ああっ、元気。久しぶり」
と、あの女が慌てたように言う。そんな表情を見ながら、私は思う。やっぱり、この女嫌いだわ、と。
「じゃあね!楽しんでね~!」
と、2人に手を振り、その場を立ち去る私。
地元の祭りに来ておいて、地元民の私に会いたくないとか、意味がわからない。家庭を壊して再婚するならもう堂々とすればいいのだ。向こうが知らないと思っているだけで、私は全ての事情を知っているのだから。
今度、あの女に会って話すことが出来たら、言ってやろうと思う。
「全部知ってるから、もう堂々とすれば?」
と。一生、こそこそ隠れているつもりなの?お互いの家庭をボロボロにして、一緒になるんなら、かなりの覚悟も必要でしょうよ。
こんなことを考える、私はやっぱりあの女が嫌いなんだな、と実感するのだった。
~私の嫌いな女。(完)~