表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/57

Ⅰ.魔人の書

 満ちた白光が流星群のように後方へ抜けていき、ぼんやりと闇の形が明らかになってくる頃。


「……」

「…………」


 気付くと二人は最初にいた位置に戻っていて。周りには湿ったかびくさい空気と、漫然と重ね置かれた本の山。そして、手はページに刻まれた魔法陣にあてがわれていて。


「……これは」


 大きく引き裂かれたはずの腕、つい今まで血が滴るほどだったその怪我が治っている。いや、傷痕すら存在しない。

それに。


「秘宝です」


 饒舌な本が二人の手を離れ、浮かぶ。

 キントの余った左腕にはいつの間にか宝箱のようなものが抱えられていて。


「あなた方はアスモデウス様を倒されました。お納めください」


 落ち着いたしわがれ声が空気に浸透した。その響きは満ち足りたようにすっきりとしていて、また、どこか喪失を匂わせる寂しげなものでもあり。


「……」

「…………」


 状況を理解できずに沈黙する彼らの振る舞いと相まって、まるで何かの終息を悼んでいるような。


「……あ、あの」

「どういうことですか?」


 言葉を発する時期が重なった。だが、より大きな声が色濃く。


「全ては魔力によって創造された仮初の世界で起きたこと。腕の傷が消えているのはそのせいでございます」


 キントの意図する困惑を察し、本は簡潔に回答した。

 次いで。


「あの」


 少年が声をかける。


「何でしょうか?」

「あ、アスモデウスって――」


 そこで彼が途中で言葉を切らざるを得なかったのは、本が発する空気を感じ取ったからだ。外見からは決して分からない心の揺れ。いや、魂のざわめき。言葉にせざるとも、どこか廃れた都市のように物悲しく、されど同時にこれでいいのだと納得しているような。

 彼の目に一人の老人のような姿が映し出される。いや、実際にはそんなものは存在しないのだが。あるいは、それはその場で受けたインスピレーションの形。老人は望郷を慈しむような目をしていて。


「私はこの世のあらゆる知識を収集するために作られました」


 ゆっくりと語り始めた。


「作り手の名も姿も私には分かりません。私は目を覚ますと、既にこの世界に存在していて。それでも私が自身の作られた目的を理解していたのは、どこまでも知識を追い求める強烈な本能が私に宿っていたからです」

「……」

「…………」


 二人はその話に相槌も打たず、ただ待つように耳を傾けていて。


「長い長いときの流れの中、私はただ淡々と魔界に散らばる知識を集め続けました。それが私にとっての使命であると、ひたすらに邁進して」

「……」

「…………」

「気付くと私の内にあふれる知識は、他のどの存在をも追いつけないほどの膨大さを有していました。また、それと同時に新たな知識というものは私の前に姿をどんどんと見せなくなり」

「……」

「…………」

「初めはそれが快感でした。私が得ていない知識などないのだと、私より知性あるものは存在しないのだと。けれど、違ったのです。新たな出会いのない生など、それはもはや退屈でしかなく。自らの行動が自らの生きる理由すらも奪って。私を包む周りの世界がだんだんと枯渇していくように思えて」

「……」

「…………」

「その頃からでしょうか。私の中に、私の持つ知識から外れた存在が生まれたのは」

「……アスモデウス」


 少年はぼそりと呟く。

 老人のような本は柔らかに頷くような仕草を見せて。


「はい」


 そう感慨にふけた。


「彼は私の集めた知識を糧に、急速に力を増していきました。魔界の住人の中にはその芳醇な魔力を我がものにせんとする者もいらっしゃって」


 本は一度、ためらうかのように無言になる。だが、それも曖昧で。言葉は有と無の狭間でただよう靄のように紡がれていった。


「その者達を逆に知識に変えることで、私達はより強大な力を手にしていき。そして、いつの間にか私の中の存在は七大悪魔とも、知識と色欲の暴君デスポートアスモデウスとも呼ばれるようになりました」

「……」

「…………」


 二人は仮初の世界で見た、アスモデウスの力を思い出す。サタンの手助けがなければ、彼らもまた本が収集する知識の一つになっていたかもしれない


「しかし、アスモデウスを倒す者が現れました――あなた方です。これで私も役割を終えることができます」

「……どういうこと?」

「知識を集めること、それが私の役割でした。ですが、アスモデウスが討たれたとき、私は感じたのです。自身という器が割れるのを」

「それは――」

「私の生は、じきに終わりを迎えるようです」

「……そっか」


 少年は相手の心境を推し量って声を低めた。


「私は随分と長く生きることができました。たくさんの知識を得ることもできました。ですから、あなた様がそのようなお顔をなさる必要はございません」

「……」


 心を見透かされたような。

 老人は小さく笑う。


「ああ、そうでした。あなた様にはこちらも差し上げましょう」

「え?」


 本の言葉に連なって、建物の奥から一つの本がふわふわと少年の元に飛んでくる。


「これは?」

「伝説の魔人オラゴンが書きとめた、魔界の秘術に関する書物です。ご必要でしょう?」

「……」


 つくづく掌の上だ。少年はそう感じつつも、それを受け取る。

 そして。


「それではご達者で」


 本はページを閉じ、お辞儀するような動作で傾く。


「……」

「…………」


 お互いの顔を見合わせる二人。

 次いでキントが。


「行きましょう。お屋敷の掃除をしなくてはなりません」


 だから、彼らは並んで図書館を出ていって。

 その最中。


「……」


 少年は本の方を振り返った。最後に聞きたいことがあったから。


「あ、あの、君にとってアスモデウスって――」


 それは予感。今までの経緯を思い巡って何となく気付いたこと。知識を集め続け、ついには枯渇した世界で本は。自身の中にアスモデウスが生まれたとき老人は。いったい何を感じたのだろうか。知識という他者の創作物を淡々と集める中で、初めて自分が創り出した生は。あるいはその奇跡は、自身に課せられた使命よりも、なお燦々と心の内で輝いていたのではないだろうか。


「……」


 本は笑っていた。それは子を慈しむ、優しい親としての。

 だから、彼はそのまま口を静かにつぐみ。そして、先に行ってしまったキントのあとを無言のまま追いかけていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ