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Ⅱ.アスモデウスって調べると、結構うぶな子なんですね。

「……!」

「…………!」


 振り向くと、そこには巨人が。


『貴様ラノ更ナル知性ヲ試ソウ』


 両腕を左右に広げ、天を仰ぐ。

 すると、こと切れたかのように床に体を投げ出していた獣達が磁力で引き寄せられるように巨人の元に集まってきて。


『死ヲ拒ムナラバ抗エ』


 溶け、混じり合い。


『知恵ヲ絞リ立チ向カエ』


 そして、完成する。


『シカラバ我ハ与エヨウ。珠玉ノ快楽ヲ』


 そこに立つは、狂気の体現。巨人の顔はぐるりと獅子、雄牛、羊、鵞鳥の頭部が囲む。更に蠍の尾、体は蛇の鱗に包まれて。まるで、鉄鍋に全てを放り込み、そのまま煮詰めたような気の触れた姿。


「倒したのでは?」

「……ごめん、生きてたみたい」


 これは生きて帰れないかもしれない。軽口を叩いているように見えて実際、二人の体は震えていた。生き物は圧倒的な存在を前にどこまでもか弱く。窮鼠は獅子を噛み得ない。


 ――マモンのときと同じだ。


 少年は以前の戦いを思い出した。

あのときも彼はどうにもできない絶望的な差を感じ、もはや自分の持てる選択肢では対抗することもできなくて。

 そして、今はあれよりも更に濃く失意を感じる。先ほどの獣の群れですら命からがらだったのだ。それに、先ほどアスモデウスに放った炎は、彼が自身の限界まで魔力を溜めたもので。

だから。


「キント」

「何ですか?」

「ここに来る前、たぶん僕に怒っていたよね?」

「……ああ、あれは――」

「何をしたか分からないけど、怒らせてごめん」

「いったい……何を――」

 そこまで言いかけて、その不可解な少年の行動の裏に隠された想いにキントは気付く。

 状況に合わない自分への謝罪。どこか腹の括られたような落ち着いた声。


 ――まさか、諦めて。


 そのまさかに極めて近い心理状態を彼は抱えている。彼の頭脳は今に至る過程の全てを軸に未来を弾きだし、それがほぼ壊滅的であることを冷静に分析した。それがどれほど受け入れ難くとも、戦闘で高められた集中力は残酷に計算を弾き出し。


 ――いや、しかし……それも止むなしかもしれません。


 また実は、キントもその絶望の香りを感じ取ってはいた。

 自分の力では抵抗はできても、勝利をもぎ取れる可能性は皆無。ここに至りて、「もしかしたら」などと甘い予想を持ち合わせるほど彼女は楽天家ではなく。戦いに慣れているが故に、相対する者との差は到底覆し得ないものであることを察し。

けれど、それでも少年は。


「もし、生きて帰れたらもう一度、ちゃんと謝らせて」


 そして、キントも。


「ええ、そのときは土下座でもしてもらいましょうか」


 巨大な暴君へと身構えた。

 しかし、そのとき。妙なことが起きる。いや、既に起きていた。


『…………』


 先ほどまで饒舌に喋っていたアスモデウスはどういう訳か硬直し、こちらへ攻撃してくる気配が完全に失われていて。二人の会話が終わるのを待っていた、そんな慈悲深さ故の振る舞いとは思えない。何故なら、そこにあるのは余裕やためらいといった曖昧な感情ではなくて。どこか。


『…………オ』


 アスモデウスの顔は、獅子や牛、そして巨人に分かれている顔が一様に引きつっている。違う、それだけではない。震え。あと、もう一押しで取り乱しかねない感情がその表情にはありありと刻まれていて。


「……?」


 少年は先ほど感じた恐怖も忘れ、その様子に困惑する。

 次いで、キントも。


「何が起きているのですか?」


 その高くしなやかな声を空気に伝わせた。

 それが引き金になる。


『オ、オ、オ、オ、オ、オンナアアアー!!!』


 アスモデウスが叫んだ。ただの絶叫ではない。不安、恐怖、拒絶、忌避。そんな負の感情がごちゃ混ぜになったような混沌の声。そして、そのまま腰が抜けたかのようにその場に尻からもちを突く。


「???」


 状況を理解できない少年。

 それはキントも同じく。


「……ど、どういう」


 様子をうかがうよう無意識的に足を一歩、前方に踏み出して。


『ク、ク、クルナァー!』


 すると、アスモデウスは体勢を変えて四つん這いになると、這いずるように図書館の奥へと逃げて行った。


「……」

「…………」


 互いに顔を見合わせる二人。

 目の前からは脅威が去り、張り詰めていた緊張感がゆるりと弛緩していく。


「……え、えっと」


 少年は一応目の前で起きたことが真実かどうかを確認してみる。


「逃げた……?」


 対するキントは長い長い沈黙のあと。


「…………おそらく」


 と返した。

 理由は、はっきりとしない。だが、確実にアスモデウスは彼らの前から姿を消した。


「……」


 少年は記憶を整理する。最初は否定、そんなことあるはずがないと。けれど、今ある情報をまとめると、答えは自ずと導かれて。だが。


「さ、さっきアスモデウスは自分のことを知性と色欲の暴君デスポートって言ってたよね?」

「……はい。それが何か?」

「色欲ってさ。えっと、女の人と卑猥なことをするって意味もあるはずで」

「……?」

「そんな奴が、えっと。いや、あり得ないはず……でも」

「何ですか? 煮え切らないですね」


 ぼそぼそと何かを呟く彼に、キントが憮然に抗議する。

 すると、彼も一応気を取り直して。


「えっと、たぶん。これはたぶんなんだけど」

「はい」

「アスモデウスが逃げた理由が、僕分かって……」

「……! それは本当ですか!?」

「うん。でも、あんまり信じられないんだけど……」

「そうなら、早く教えてください。もしかすると、奴を倒すヒントになるかもしれません」

「え、じゃあ。言うけど、驚かないでね?」

「……?」


 せっかくの情報を言い淀む少年に、どうしたのだと首を傾げるキント。


「あのさ、たぶんアスモデウスは――」


 そして、そこに続く言葉に注意が集中する。


「キントが怖いんだ」

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