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我らが魔王のタマゴ様!  作者: 猫屋敷
~マモン編~
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Ⅳ.専属メイド

「見えた! 隣町だ!」

「あ、あとちょっと……」


 山はそこからは緩やかで、すぐに降りることができた。おそらく、登ったときの半分の時間もかかっていないだろう。


「……あそこまで行けば」


 少年は空を見上げた。そこは相変わらず赤黒くどんよりと曇っていたが、巨大な目は見当たらない。

 また、葉の隙間から見えた街の光景には大きな穴の姿も無く、いつも通り建物が乱立している。


「よし! 急ぐぞ!」

「う、うん!」


 やっと明らかになった目的地を前に、彼らは興奮して走り出した。


「……はぁ……はぁ」


 しかし、少年の脚は鉛のように重く、上手く前へと進まない。それにあの神社での出来事から、体が妙にだるくて。


「ま、待って……」

「へっへーん、お前だってさっき俺達を追いてっただろ? 先に行って待っとくからなー」

「え? あ、ごめん。ま、待ってるから」


 そのか細い訴えは無情にも却下された。

 そうしてぐいぐいと先に行ってしまう二人。


「うぅ……ひ、酷い……」


 少年は小さく愚痴をこぼした。

 しかし大柄な彼の言う通り、彼には二人を置いていってしまった経緯がある。ここはその仕打ちを甘んじて受けるしかないだろう。


「……はぁ……はぁ」


 喉が渇いていた。


「……はぁ……はぁ」


 視界も暗い。


「……はぁ……っく……はぁ」


 しばらく歩くと、ようやく二人の姿が見えてきた。彼らは山道を抜けた広い道路で、少年のことを待っている。


「……や、やっと追い付いた」


 彼らは背を向けていた。

 少年は両膝に置いた手を離す。


「も、もう……置いてくなんて酷いよ……」


 そして苦笑いしながら話しかけた。

 それでも彼らは。


『逃ゲロ』

「……え?」


 ぞっとした。


『逃ゲロ』


 背筋が震え、少年に告げる。この場所にいては危険だと。


「……!」


 思わず二人の手を掴んだ。疲れたなんて言っていられない。ここから早く逃げなくては。少年は言葉も無いまま彼らを引く。


「え?」


 だが、その手は冗談のように軽くて。


『ドサッ』


 振り向くと、彼らは倒れていた。いや、違う。だらりとぶら下がる二人の腕。そして広がるどろどろとした赤い液体。


「うわあ!!!」


 彼らは、彼らの瞳は濁った水のように暗く沈み、もう何も写してはいなかった。


『ギャリギャギャギャ!』


 途端、空から汚らしい鳴き声が聞こえる。

 見上げると、そこにはあの化け物が飛んでいて。


「ああ、あああああ!!!」


 少年は右手を伸ばした。右手を伸ばして、膨大な熱量をそこに収束させていく。


「あああ!!!」


 解き放たれた。

 掌から打ち出された炎が、レーザーのように化け物の体を射抜く。


『ギャパっ!』


 すると、化け物の体は穴の空いた水風船のように爆散して。

 辺りに血肉の雨が降り注いだ。


「……はぁ……はぁ」


 まるで、悪夢のような光景だった。

 空は色を変え、顔を伝う赤紫の雨。そして、目の前には親友の亡骸。だから。


「……はぁ……はぁ。ねぇ、起きてよ……」


 だから、少年はその現実を受け止めきれないでいた。


「早く逃げなきゃ……化け物が……はぁ……来ちゃうよ」


 だから、少年は語りかけた。二人の大事な親友に。


「ねぇ……早く起きないと、教えてあげないよ……? 火の玉の出し方……」


 だから、静かに泣いていた。


『逃ゲロ』

「うるさい!!!」


 少年は吠える。怒りをぶつける。


『逃ゲロ』

「うるさい! うるさい! うるさい!!!」


 この状況に耐えられなくて。今にも自分が壊れてしまいそうで。


『逃ゲロ』

「うるさい! 何なの!!! 僕に何をしろって言うの!!!」


 だが、そんな少年のあざ笑うかのように耳障りな鳴き声が響く。


『ギャリギャギャギャ!』


 しかも、今度は一つではない。空から無数の声が落ちてくる。


「うるさい!!!」


 少年は右手を掲げた。そして、でたらめに熱を撃ち始める。


「どっかいけ! どっかいけ! お前らなんて消えちゃえ!!!」


 けれど、化け物の数は次から次へと増えていき。反対に、少年の意識は強い疲労感でどんどん薄れてしまって。


「あああああああ!!!」


 辺りは、全て一色に染まった。

 化け物達はまるで蟻の大群のようにその場に集い、炎に焼かれながらも、じりじりと距離を詰めてくる。


「あああ……あぁ!」


 地獄の釜が開いた。

 死ぬ寸前の虫のようにもがく少年の足に、手に。化け物達が喰らいつく。最初の一匹を許すと、それはあたかも土石流のようで。もはや堰き止められない軍勢が、たった一人の少年の身に覆いかぶさる。


「痛いぃ!」


 最初に右脚がもげた。次に左手。

 体力が枯渇して、抵抗できないまま、少年は化け物に貪り食われる。


『逃ゲロ』


 頭の中でその声が空しく響いた。

 しかし、もはやその醜い晩餐から逃げる術などなく。


「が……」


 最後に少年が見たのは、鰐のように大きく開かれた怪物の顎が自分の頭を飲み込む光景だった。




 それからどれほどの時間が経っただろうか。少年はシチューの中のような、暖かいまどろみの中を漂っていた。

 それはとても心地よくて。まるで、夢に落ちる瞬間の浮遊感のようで。


『ああ……僕は』


 そして、静かに理解した。


『僕は……死んだんだ』


 自らの死を。

 だが。


「いえ、死んではおられません。魔王様」


 声が聞こえた。落ち着いた、涼やかな声。


『え!? だ、誰……?』


 少年は驚いて訊ねる。


「私は魔王様の専属のメイドです」

『え? ま、魔王!? メイド!? え? え!?』


 それは女性の声のようだった。平坦な口調だったが棘はなく、とても快く響いてくる。


『で、でも、僕は死んで……』

「魔王様。宜しければ、瞼をお開けになられてはいかがですか?」


 そして、女性は当然のようにそう告げた。

 しかし、少年の頭は怪物に喰われ、瞼どこか眼球すら無くなっているはずで。


『え?』


 だから、酷く動揺した。


「それでは魔王様。私が、魔王様の瞼に触れることをお許し頂けますか?」


 それを察してか、女性はそう訊ねてくる。


『え? えっと……う、うん』


 どういうことか分からない。分からないが、少年にできることはただ頷くことだけだった。

 そして。


「失礼致します」


 そして彼の目は開かれた。


『……あ』


 いつも通り、普段通り。光が、光が瞳の中へ入ってくる。硝子体を抜け、視神経を伝わり、少年の視覚を刺激する。


『ど、どういうこと!? だって、僕さっき食べられて――』


 そこで少年は息を呑んだ。何故なら、目の前に女神がいたから。


『……』


 丁寧に仕立てられたメイド服、頭を飾る白いカチューシャ。それを着こなす身体は、人の手が届かない自然の中に聳え立つ気高い岩峰、そこに滴る澄んだ水のように神秘的で。一つ一つの部位は、あたかも磨き上げられた剣のように無駄がなく。

 いや、それよりも目を引くのは、やはりその容姿か。彼女の顔付はまるで、熟練の芸術家の手により形取られた彫刻のようで。肌は初雪のように白く、どこまでも透き通っている。そして眼鏡のガラス越しに光を放つ、その麗しい瞳は全てを吸い込むような深いコバルトブルーの色彩で彩られていて。


「お初にお目にかかります。魔王様」


 女神は丁寧にお辞儀をした。


『……』


 その流れるような動作に思わず見惚れる少年。

 だが、次第にその光景の不自然さに気が付いていく。


『……ん?』


 視界が随分と低い。最初はそんな感覚だった。


『え? あれ?』


 だが、次いで体が上手く動かせないことに戸惑う。


『あ、あれ? おかしな? あれ?』


 更には、手足の感覚が無いことに気付き。


『え? え? ど、どうなってるの?』


 少年は混乱した。

 よく考えると、口の感覚もない。確かに会話をしているはずなのに、唇が開閉する感覚が伝わってこない。あるのはただ、目の感覚だけだ。それに視界。どういう訳か自分の足元ほどの高さから上を見上げる形であるが、視界は確かに存在する。しかし、それも奇妙だ。言葉で形容しがたい異質がそこに紛れている。いつもの視界と違う何か。だが、彼には分からない。


『あ、あの……すみません。僕の体、今どうなってますか?』


 そして、目の前の彼女におそるおそる訊ねた。

 彼の頭に嫌な予想がよぎる。感覚が無い、手足も動かせない。ただ意識だけがある。もしかすると、自分の体は何か絶望的な状況に陥っているのではないか。


「魔王様の、お体でしょうか?」

『う、うん』


 彼は頷く。この際、自分が魔王と呼ばれていることはどうでもよかった。


「とても麗しいお姿をしていらっしゃいますが」


 訊ねられた彼女は、その洗練された口角を少しだけ持ち上げながら言う。


『い、いや、よく分からないけど。そうじゃなくて、今僕の体……というか、腕とか脚のことなんだけど……もしかして無くなったりしてないかな?』


 少年の声は震えていた。自分が受けたであろう化け物達からの凌辱を思いだして。右脚と左手のことは覚えている。そのあとのことも。少しだけ。

 対する彼女は首を傾げ、考えるような素振りを見せたあとで、何かを閃いたかのように両手を胸の前でぽんと叩く。


「少々お待ち下さいませ」


 そう言って彼女は背を向けた。そして、次に振り返ったときにはどこに持っていたのか、取って付きの手鏡を握っていて。


「お待たせ致しました。どうぞ、ご覧になってください」


 それを少年の目の前まで持ってきた。

 そこに映っていたものは。


『……は?』


 右腕だった。正確には肘から先の少年の右腕だけが。

 更に、見慣れぬものが掌にある。いや、生えている。


『え? こ、これ、もしかして僕!? ど、どういうこと!?』


 彼が驚いて目を見開くと、鏡の中の右手の目も同じく広がった。彼が無意識に瞬きすると、右手の目もまた瞼を開閉する。ただし、あるのは一つだけ。先ほど彼が感じた違和感は、どうやら立体視できない視界が原因だったらしい。


『ど、どうなってんのー!?』


 少年は涙ながらに叫んだ。

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