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Ⅴ.キント「べ、別にあんたのことを見直したとか、そういうんじゃないんだからね!」

「三人の男が宿に泊まったんだ。宿は一晩、銀貨30枚で泊まれる。だから、三人は銀貨を10枚ずつ払った。次の朝、宿の主人は部屋代が本当は銀貨25枚だったことに気がついて、余計にもらった分を返すようにと、使用人に銀貨5枚を手渡した。ところがこの使用人は『銀貨5枚では3人で割り切れない』と考え、2枚を自分のふところに納め、三人に一枚ずつ返したんだよ。さて、ここからが問題。三人の男は結局一晩、銀貨9枚ずつ出したことになり、計27枚。それに使用人のくすねた2枚を足すと29枚。あとの一枚はどこへいってしまったと思う?」

「ごにょごにょ……」

「足すんじゃなくて、引くんです」

「ぐ、げえええ!」

「部屋の中に1分で数が二倍になる悪魔がいる。そして、60分後に部屋は悪魔でいっぱいになった。じゃあ、部屋の半分まで悪魔が増えたのはいつか?」

「ごにょごにょ……」

「59分後です」

「ぎょぺえー!」

「ある人物の少年時代は一生の6分の1、青年時代は12分の1、 さらに一生の7分の1を独身として過ごしてから結婚し、その5年後に子どもが生まれた。その子どもは、父より4年前に、父の一生の半分でこの世を去った。さて、ある人物の年齢は何歳か?」

「ごにょごにょ……」

「84歳です」

「いぎゃあー!」


 そして、幕は下りる。

 四体の悪魔達は一様に頭を抱え、感情を爆発させるように地団駄を踏んでいて。


「これで終わりですね」

「うん。かっこよかったよ、キント」

「私の力ではないですが」

「ううん。キントの答え方がよかったんだ。とってもクールで。だから、あそこまで悪魔達が悔しがったんだよ?」


 頼もしい笑顔で少年は人差し指の腹をこちらに向けた。


「……」


 きっと、彼が答えても悪魔達は悔しがったに違いない。キントはそう思う。だが、同じくらいに胸の内で膨らむのは。


 ――私に見せ場を。奴らの鼻を明かす機会を作ってくれた。そういうことでしょうか。


 心の中心で風がそよぐ。気を遣われたのかもしれない、そう思ったが、それでも不思議と悪い心地はせず。


「まぁ、そういうことにしておきましょうか」


 キントは発言に余韻を残した。


「ぎげえええ!」


 しかし、それをまるで台無しにする汚声。すすぎきれない油のような、こびりつく下劣。

 もはや、あとは結果を受け入れるだけになった敗者達。だが、その口からは。


「ぎゃあああ! 認めねえ、認めねえ! こんなの認めねえよ!」

「ぐぐ、とゆーか、メイドばっか答えてお前答えてね―じゃねーか! 言ってなかったけど、二人いるなら二人とも答えなきゃダメなんだ! だからやり直しだ!」

「そうだ! やり直し! やり直し!」

「……もう一回」


 欺瞞、詭弁。更には勝負の仕切り直しを誘う言が。


「……やはり、どうにか殺す方法を考えますか」


 キントの目は恐ろしく座っている。皮膚を超えて、殺気がゆらゆらと湯気のように漏れていた。

 けれど、少年は一杯のコーヒーのような温かさで。


「大丈夫。僕に任せて」

「……」


 どうしてか逆らえなかった。どうやって、と訊けなかった。それは魔王の権威によるものでも、彼女の誠実さによるものでもない。その声が酷く心地よくて。ただ、その言葉に従うことが最上の選択肢であるように思えたのだ。


 ――これは、まずい気がします。


キントの胸に生まれる不安。何か、自分という存在の根幹を劇的に変えられてしまうような。けれど、そんな想いを含めて、なおきらきらと価値を輝かせる感情。だからこそ、心が揺れる。あるいは、それこそが魔王としての――。


「いいよ。やろう、もう一度」


 さすがに、意見が通るとは思っていなかったのだろう。少年がそう告げたとき、悪魔達は皿のように目を丸くした。しかし、それもほんの数瞬。顔を見合わせる悪魔達はその不敵な笑みを隠すこともせず、互いの手をぱしんと合わせる。

 だが、その表情はすぐに曇天へと変わった。


「ただし、今度は僕が問題を出す。次は君らが知恵を示す番だ」

「なっ!」


 相手を非難するかのような声。

 けれど、影響なく少年の口は淀みなくさらさらと動く。


「丘に上がるときは3本脚で降りる時は4本脚のものって、なーんだ?」

「…………」

「……」

「……」

「…………」


 最初は興味。次いで、頭の回転。彼の出した一方的な提案に、悪魔達は文句の一つもこぼさず思考の渦に沈んでいく。

 ただの言葉。聞き流してしまえばいいはずなのに、決して逃れられない。それは知性による本能にも似た強制。疑問とは、知的好奇心とはまるで美しい花の先に滴る甘い蜜のよう。ひとたびその味を知ってしまえば、忘れることなど叶わない。


「…………」

「……」

「……」

「…………」


 悪魔達が黙り始めてからかなりの時間が経った。

 状況は進んでいるだろうか。いや、そんなものは表情を見れば明らかで。青筋、紅潮、震え、瞑想。そういった違いはあるにせよ、まるで見当が付いていない。また、沈黙が続く間にどんどんと顔色が変わっていって。


「ぎぎぎ!」

「うぐぐ!」

「ごごご!」

「……ぐぅ」


 唸り声がメロディーを作り始める。

 それは境地。素直に「分からない」と言えない、悪魔達のプライドは眼前の状況に押し潰されないよう必死に耐えていた。だから、あと一つ。たった一つでも、そこに新たな何かが加えられてしまったら、おそらくは。

 彼はそのぎりぎりの刹那を見逃さない。


「なんだ、こんな簡単な問題も解けないなんて」


 鼻を鳴らすような見下した口調で。


「君らって」


 焦らすようにゆるやかに。


「意外と――」


 それを聞く者達の意識をどうしようもなく引きつけながら。


「……っ!」


 言うな。言うな。その続きを口にするな。悪魔達の脳を無意識に恐怖が席巻する。知性を持つが故に、予測が生まれ。予測ののちに感情が。言うな。頼むから。お願いだから、その言葉を言わないでくれ。そんな弱々しい請願。

 しかし、彼は笑う。


「頭悪いんだね」


 それが放たれた瞬間。


「……っ!」


 悪魔達の中で何かが音を立てて崩壊した。


「ぐ、ぐやじいいいー!!!」

「ぐああああああ!!!」

「ぐぬ! ふんぬ!」

「……ぐぬぬ」


 そして。


「がああああああ!」


 鋭利な針を突き刺された風船のように、悪魔達は破裂し、空間に紛れていく。

 また、そのあとには木造りの古びた観音扉が出現していて。


「たぶん、アスモデウスはあの先だね」


 少年はキントに目配せしながら、先を急ぐように扉へと向かった。


「あの……」


 だが、いったいどうしたのだろうか。彼女がおもむろに引きとめる。


「どうしたの?」

「一つ訊きたいことがあります」

「う、うん。どうぞ?」

「丘に上がるときは3本脚で降りる時は4本脚のものって……何ですか?」


 それは先ほど彼が出した問題。どうやら思考の沼に足を取られていたのは、悪魔達だけではなかったらしい。

 だから、少年を見つめるキントの瞳は期待するように広がっていて。


「ああ……あれ?」


 だが、それまでと打って変わって歯切れの悪い口調。今回は焦らしているというよりも、本当に言葉を紡ぐのに窮しているような。


「どうしたのですか? 悪魔達はもう去りました。早く、答えを教えてください」

「いや、えっと……あのね」

「はい」

「怒らないで聞いて欲しいんだけど」

「……?」

「あの問題は適当に言っただけで、答えはないんだ」


 気まずそうな苦笑。


「…………は?」


 威圧するようなキントの声。

 彼はうろたえ、言い訳するように付け加える。


「いや、だ、だって答えのある問題だったらあいつらきっと解いちゃうから」

「……」

「だから、あいつらがどんなに考えても分からない問題って何だろうって考えて……それで」

「……」


 そこで彼女は理解する。

 それは少年の出した問題の真相ということではなく、彼の持つある種の狡猾さ。理屈上は確かに効果的な一手。けれど彼がやったのは悪魔を、真剣な心を弄び、数々の願いを混沌に落としてきた悪童を、ペテンにかけるという離れ業。


「……」


 無害そうな成りをして、何の汚れも知らなそうな振る舞いで。その奥底に潜む気配のなんと芳醇なことか。


 ――まるで、悪魔ですね。


 キントの口元は知らず知らずの内に皮肉げに歪む。

 そんな彼女を彼は、巣穴からびくびくと顔を出す子兎のように見つめていて。


「とりあえず、先へ進みましょう」


 嘆息しながらそう告げた。


「え? う、うん」


 すると、彼は戸惑いながらあとに続く。いつの間にか元の頼りない雰囲気に戻っている。

 だが、扉を開ける前、キントは小さく呟いた。


「なかなか、やるじゃないですか」

「え?」

「な、なんでもないです。行きましょう」


 そして、二人は並んで光に包まれる。

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